20:回生の一刀
空中で展開されている障壁に、見事に突き刺さったナイフ。
そのナイフを中心とした地点から、蜘蛛の巣状に亀裂が走る。
淡く透明な蒼壁が、音を立てて崩れ落ちた。
「おいノイキ! 急いで障壁を張りなおせ!!」
目の前で起こった事象に呆然とする男へと、ギムルの怒声が飛ぶ。
その声で我を取り戻し、慌てふためくノイキ。
「も、もう一度張れるほどのマナなどもがっ!?」
彼が言葉を紡ぎ終える前に、その頭部は血肉の華を咲かせた。
「……あんたが一番厄介なんだ。
悪いが、確実に仕留めさせてもらったぞ。
そっちも殺すつもりできてるんだろ? 逆の覚悟くらいはできてるよな」
これで、俺にとって障害となる存在はいなくなった。
他の奴らはあの障壁さえなければなんとでもできる。
「あ……術の効力が……!?」
「き、消えていくぞ!?」
魔導士ノイキの死を引き金に、鎧3人を薄く覆っていた蒼と赤のオーラが消失する。
対策をし自信を持って挑んだはずなのに、目の前の惨状だ。
彼らに動揺が走るのも無理はないだろう。
「これでまた形勢逆転みたいだね?
しかし彼の投擲はすごいなぁ……!
ねぇねぇ? あれ、喰らいたくないよね?」
ここに至ってもまだ遠回しに降伏を勧めるアッシュ。
さすがは勇者を目指しているだけあって、慈悲があることだ。
「きゃっ!? あう……」
さすがにこの状況にまで陥れば、奴らも諦めるだろう。
そう思った刹那、小さな悲鳴が聞こえた。
声の主はシュリ。
一瞬の虚をつかれたのか、彼女は相対していたアントンによって、うつ伏せで地へと組み伏せられていた。
「へ、へへ! どこが形勢逆転だ?
これでお前らも手はだせぶっ!?」
人質としたシュリに剣を向けようとした直前、アントンの兜が石によって陥没する。
奴はそのまま後ろへと、力なく大地に倒れこんだ。
ピクピクと痙攣していることから、恐らく死んではいないだろう。
……兜で守られていたとはいえ、頭に大きな衝撃を受けたのだ。
無事とは言えないだろうがな。
あの石を投げたのはもちろん俺だ。
人質をとるのならそのまま盾にしないとな。
もっとも、そうであっても隙間から狙い当ててやるが。
シュリはいそいそと倒れこみ動かない男から這い出すと、俺達のほうへと駆け寄ってくる。
「キリク様〜! 助かりましたです〜!
そしてごめんなさいです……。
勝ちだと思って油断したら、捕まってしまいました……」
こちらまで辿り着くや否や、すぐさま跪くシュリ。
そんな彼女を慌てて掴み上げ、立ち上がらせる。
「待て待て! まだ終わってないんだ!
そんな隙だらけの格好をするなって!」
「あ、はいです! 重ね重ねごめんなさいです……」
「……謝る必要はないんだぞシュリ。お前が気に病む事はない。
さっきのは、敵が上手だっただけだ」
あの一瞬の出来事で自分も動揺したろうに、すぐさま切り返しを図った。
敵ながらあっぱれだと素直に賞賛しよう。
もっとも、成功しなければ価値はないのだが。
「どうすんだギムルさん。これ、もう駄目じゃねぇのか」
「……そうだな。詰み、だ。
鎧を着ていても即死は防げるだけで、大差ないようだからな」
手に持った剣と盾を手放し、両手を挙げ降伏の意を示す鎧の2人。
彼らの視界の端では、いつでも投擲できるようにと構えている俺の姿が映っていただろう。
意地で続行したとしても、ギムルらの負けは確定したのだ。
無駄なあがきをせず、最後の最後で降伏してくれてよかった。
向かってくるのなら容赦はしないが、白旗を揚げた相手には情けくらいかける。
アッシュは2人に鎧も脱ぐようにと指示を出す。
彼らは素直に従い、ガチャガチャと音を立て最後の砦を脱ぎ捨てた。
むわっと臭いそうな湯気のもと、現れた汗だくで薄着のおっさん。
「……ふぅー、涼しいもんだぜ」
「ああ、空気が美味いな……」
爽やかげに深呼吸をし、新鮮な空気を取り込む姿にイラッとする。
今まで鎧で抑え込まれていた汗臭い香りが、こちらまで漂ってきているのがさらに神経を逆撫でしてくる。
狼種故に嗅覚が優れているためか、解放された臭いにシュリは鼻を押さえ涙目だ。
アッシュはロバートに担がせた荷から細身のロープを取り出すと、2人の腕を縛り上げた。
両手を払い、一仕事終えたと満足げな顔だ。
「アッシュ、それだと甘くないか?
動けないように足も縛っておこうぜ」
「あ、そこまでするんだ。
もう彼らに抵抗の意思はないと思ったんだけど、徹底してるねー」
アッシュから余ったロープを受け取り、2人を転がして両足首も縛り上げる。
手は縛っていても、足が自由なら逃げられるかもしれないからな。
……逃げだしたところで、俺の射程内から脱しなければ意味はないが。
「……一応口も縛っておくか?
大事な証人でもあるから、舌を噛み切って自害されたら困るしな」
「安心しろ。そこまでの気概はねぇよ。
俺達は坊ちゃんに無理矢理従わせられていただけって言うさ。
……良ければ禁固、悪くて奴隷落ちってとこか」
「まーこちら側は誰も死んでないからね。
君達は返り討ちにあったわけだし」
それでも、アッシュやシュリは傷だらけなんだがな。
……イリスがいるから、すぐ治るけど。
当の聖女様は倒れた男の治療中だ。
しかし、こいつらも強かなものだ。主を庇う気がないところとかな。
ま、もともと金だけの関係だったのだろう。
希薄な主従関係だったに違いない。
「こちらの方ももう大丈夫ですよー。ちゃんと生きてたみたいですー。
ですが頭部を損傷したわけですので、後遺症が残っちゃうかもしれません」
今も倒れている男、アントン。
彼に治癒を施していたイリスが、その終わりを告げる。
「そうか、ご苦労さんイリス。別に気にしなくてもいいだろ。
命を助けてもらえただけでも、普通は感謝ものなんだから。
その後のこいつの人生がどうなろうと知ったこっちゃないさ。
むしろ、死に掛けの犯罪者なんて放っておいてもいいくらいだ」
相手は誓約破りの犯罪者だ。
おまけにこちらを殺しにかかってきたんだからな。
「そういうわけにはいきませんよ、キリクさん。
私は例え相手が誰であろうと、目の前で死に掛けているのならば、怪我を負っているのならば、見捨てる事はできません。
それが聖じげふんげふん! ……ん、神官たる者の務めですので!」
「そうだよキリク君。事は終わったんだ。
その後は仲直りとまではいかなくとも、見殺しは駄目だよ。
彼らには生きてちゃんと罪を償ってもらわなきゃね」
「……さすがは神官様と自称勇者様だな。
ま、2人がそうしたいのなら、これ以上はなにも言わないさ」
もう命に別状はないということなので、まだ意識を戻していないアントンも縛り上げる。
元は重傷人であろうと、そこはお構いなしだ。
「……仲間を助けてくれて感謝する」
離れた場所で、ぼそりとギムルはそう呟いた。
フードで口元しか見えないが、イリスは微笑む。
……お人好しなのが彼女の良い所か。
「ささ、次はアッシュさんとシュリちゃんです!
じゃんじゃん治しちゃいますよぉー!」
「うん、よろしく頼むよ。
どれもかすり傷だけど、それでも痛むからね」
「ありがとうございます、イリス様」
聖女様が2人の治療に励む間、俺は奴らが乗ってきた馬車へと向かう。
しかしそこに御者の姿はなく、2頭居たはずの馬も1頭になっていた。
恐らく、自陣が劣勢とみるやすぐさま逃げ出したのだろう。
「全てを捨てて完全に逃げたのか、それとも報告に向かったのか。
幌の中にも誰もいないし、あとはもう町の奴らに任すか」
幌の後幕を引っぺがし、死体となった魔導士に被せる。
見えていて気持ちのいいものではないからな。
その際、地へと突き刺さっていたナイフも回収した。
「あー、切先が大きく欠けてら。
多少短くなるだろうが、研ぎに出せばまだ使えるか……?」
長年の相棒、といっても解体にしか使ってこなかったナイフ。
その痛々しい姿に気落ちしてしまう。
「人を相手にする場合、石だけじゃ厳しいか……」
今までは"石ころ"だけで事が済んでいたのだ。
だが初めて魔法を扱う相手と対峙し、障壁といったものを知った。
"石ころ"だけでは通じないこともあると身に染みた。
今回はなんとか打ち破る事ができたが、相手が更に強力な使い手だった場合はどうなるか。
また先ほどのようにナイフで割る事ができるか、不安になるな。
何か対抗策を考えておこうか。
……もっとも、アルガードまでの護衛を終えて、また魔導士と相対する機会があるとは思えないが。
それからは町からの人が来るまで、しばしの休息とした。
命のやりとりをしたのだ。疲れていないわけがない。
特にアッシュとシュリは激しく動き続けていたわけだしな。
待つ間、喉がさぞかし渇いているであろうギムル達の目の前で、美味そうに水を飲んでやった。
口の端から少量を零れさせ、喉を鳴らしゴクゴクと。
せめてもの嫌がらせだ。
……イリスとアッシュに怒られたが。




