116:茨の緑
ひとまずは任された持ち分が終わり、ひと息つく。
本音を言えば腰を下ろしたい気分だったが、我慢する。一度座り込んでしまうと、一気に疲れが押し寄せてきそうだからな。それに今も休みなく戦い続けている兵士たちに悪い。だから遠慮して、壁に寄りかかる程度に留めた。
長丁場になることはわかりきっていたので、配分を考え、ここまで極力温存する方向で努めてきている。けれど出し惜しみをしてはいられない局面がしばしばあり、その都度力のあらん限りを求められた。
おかげで配分が狂い、いささか疲労感が否めない。
支給された水筒の蓋を開き、口をつける。生ぬるい水が喉の渇きを潤した。
体は水分を渇望しており、水が貪欲に胃の中へと流し込まれていく。飲み始めると止まらず、あっという間に水筒の半分を一気に飲み干してしまった。
ただでさえ気温の高い土地だ。水分補給を疎かにしては、熱さにやられて倒れてしまう。喉が渇いたと自覚がある内に、しっかり水分を摂っておかないとな。
休憩している俺に気付いたリコッタが、矢を射る手を止めずに話しかけてくる。
「えぇ!? もう二体の王級が討伐されてしもたん!? 早いなぁ~。勇者様の功績は勿論やけど、キリク君の援護があってこそやろね!」
「いやまぁ、それほどでも」
美人の女性に褒められて、悪い気はしない。でも俺も年頃の男子なわけで、子供のように素直には喜びを表現できずにいた。
照れ隠しとばかりに、水筒片手に戦場を俯瞰する。ちらほらと逃げていく魔物の後ろ姿を捉えた。逃げていく魔物はいずれも、ブレードランナーかサンドマンだ。群れの長を失い、統率力がなくなった証拠だろう。
しかしなかには、逃げずに戦場に留まり続ける個体もいた。単純に王の死に気付いていないか、それとも弔い目的か。
どちらにせよ、無謀な戦いに身を置いた愚か者ばかり。群れの存続を願うなら、ここは恥を捨ててでも逃げるべきだろうに。本能に従って逃げた魔物のほうが、居残った魔物よりも遥かに利口だ。
「ところで、キリク君。あんな? 君はいつまで手を止めとるんかな?」
ぼーっと魔物たちの動きを眺めていると、さっきまで笑顔を向けてくれていたリコッタが苦笑いしていた。
「気ぃ悪くしたならごめんやで。あ、休むなとは別に言うてへんよ? 少しくらい休むのはええねん。そこは誤解せんといてね。でもちょっーと休みすぎちゃうかなって、うちは思うんやんか?」
リコッタにじっとりとした目つきで、苦言を呈される。
少し休憩をとるだけのつもりが、存外のんびりしすぎてしまった。完全にひと仕事終えた気分になっていたな。もし手元に酒の入った杯があったなら、なにも考えず飲んでいたかもしれない。
「悪い、ちょっとゆっくりしすぎた」
「ううん、ええんよ。うちら三人の中でも、キリク君の働きがとくに大きいんはうちらがよくわかっとるからね」
「ああ。だからこそ、君にはまだまだ働いてもらわないとな。君の存在の有無は、君自身が思っている以上に大きい。尚のこと、悠長に休んではいられないぞ?」
ふたりには随分と持ち上げられたものだ。発破をかけられては、こちらとしてもご期待に応えないとな。
水筒に残った水を飲み干し、蓋をして邪魔にならない場所に置く。軽く柔軟をして、強張った体をほぐした。
「リコッタ。そっちの状況は? ……って、聞くまでもなさそうだな」
「せっかく任してくれたのに、ごめんなぁ。あいつな、的としては当て放題なんやけど、弓で戦うには相性がいまいちみたいやねん。うちがなんぼ矢を射ったかて、針山の針が増えるだけでちっとも効いとる感じがせえへんのや」
うんざりといった具合で、愚痴を零すリコッタ。
目を凝らし、覇棘樹の王の姿を観察してみる。ボコボコとした肉厚の大きな体だ。植物らしい緑の外観で、全身隙間なく棘だらけ。所々見られる黒ずみが毒々しさを強調している。
リコッタの話していた通り、針山の中に突き刺さった矢の姿がいくつも紛れ込んでいた。あれら全て彼女が撃ち込んだ矢だとすれば、相当な数になる。
地上では副隊長率いる部隊が奮闘しているが、あちらも成果は芳しくなさげ。触手のように動く根っ子に阻まれ、容易には近づけずにいた。おかげで本体はほぼ無傷。何本かの根っこが切断されてこそいるものの、数が多くてきりがない。
「覇棘樹の王は砂魔人の王よりよっぽど生物らしいが、所詮は植物型の魔物だ。効いているのかいないのか、反応が薄くてわかりにくいのはしょうがないさ」
エコーが冷静に分析し、うんざり顔のリコッタを窘める。
考えてみれば三体の王級が三体とも、弓で戦うには相性が悪いように思える。まともに矢が通じる相手といえば、刃蜥蜴の王ぐらいか。だとしても、体の外側を覆う剣状の鱗には刺さりが悪いだろう。砂魔人の王は砂に釘を打つようなものだし、覇棘樹の王はご覧の通り。
どうりで後衛職が少ないわけだ。戦場を見渡しても、剣や槍といった近接武器を装備した前衛の兵士ばかり。あまりの偏りに不思議だったが、今更ながら納得がいった。
つくづく疑問に思うのだが、ジルベールは本当に勝算があってこの作戦を決行したのだろうか。勇者が戦列に加わったのは、ただの偶然でしかない。当初の戦力だけで、よく戦いを挑む気になったな。砦に召集された兵力だけで勝てたとは、戦況を見る限り到底思えないのだが。
ジルベール隊長はどこに勝算を見込んでいたのか。疑問を抱き、エコーにそれとなく尋ねる。
「結果ってのはな、何事もやってみなきゃわからんよ。……ま、いざ実際に王級に戦いを挑んでみて、我々の目算が甘かったと痛感しているがね。きっとジルベールのやつも同じだろう。君たちがこの地に訪れてくれてよかったと、心底実感しているよ」
想定よりも王級が強敵だった。答えはそれに尽きる、か。なら不測の事態に備え、もっと兵の数を増やしておけば……と思ったが、それこそ後からならなんとでも言える。
王級討伐のために大勢の兵士を僻地に召集しているのだから、兵力を維持するだけで費用がかさんでくるだろう。場所が砂漠なため、食料を始めとした物資の運搬も容易ではないはずだ。
追加で冒険者を傭兵として雇うなり、金さえかければ戦力を増やせたかもしれない。だが、じゃあその報酬はどこからって話になる。好きなだけつぎ込める潤沢な資金があったなら、誰だって最初からそうしているよな。
「おい、リコッタ。自慢の魔法矢はもう試してみたのか?」
「そんなん、とっくに試しとるよ。うちが火の魔法矢を使えるから、相性を考えてエコーは覇棘樹の王を任せてくれたんやろ?」
『魔法矢』。これまた聞き慣れない単語だ。名前から推測するに、アリアが披露した『魔法剣』と同じ類の技だろう。大方、矢に魔法を纏わせ射るといったところか。
それとなくふたりに確認をとると、予想は的中。投擲の技術ばかりを磨いていて、畑違いの知識には疎いからな。弓使いにも魔法を使った技があることを、この機会に知れてよかった。
「いうても、うちのは勇者様の使う魔法剣ほど凄くないで? 火矢を使うより、ちょっと強いくらいやし。普通のサハラカクタスにはよう効いたんやけど、王級には全然やったわ」
そういえば、たまにうっすらと煙が上がっていたっけ。気になって煙の出所を探ったら、決まってサハラカクタスが炎上していた。
少数だけど兵士の中には魔導士が居るから、てっきり彼らが魔法で燃やしているものとばかり思っていたが……。
なるほど、あの炎上はリコッタが火の『魔法矢』を使っていたからだったか。
魔法矢の存在を知ってから、改めて覇棘樹の王の状態を確認する。模様だと捉えていた黒ずみは、よく見てみれば焼け焦げた痕だった。
サハラカクタスは水の乏しい砂漠で生きるため、肉厚の体に水分をしこため溜め込んでいる。通常の個体であれば火が有効でも、王級にもなってくると体の大きさに比例して水分量が増えるため、よほどの大火力でもなければ通じなくなるのだろう。
リコッタから覇棘樹の王について情報を共有していると、そうこうしている内にアリアとジルベールの部隊が副隊長の部隊と合流。先に戦っていた副隊長の部隊は総じて疲弊していたため、彼らと交代し、戦闘を開始した。
「主力部隊が覇棘樹の王と交戦を開始したぞ。この戦いもいよいよ佳境だな。最後の一体、気を抜かずにいこうか」
「だな。隙を見てアリアが魔法剣を喰らわせれば、一気に決着が着きそうだ。変に策を弄したりせず、力押しでやっちまおう」
隣に立つエコーと、拳を突き合わせる。あと少し、もうひと踏ん張りまできた。残す討伐対象は覇棘樹の王一体のみ。長かった戦いも、ようやく終わりが見えてきた。
「だから、おふたりさん! 喋ってんと、とっとと手を動かす! ほんまに終わらせる気があるんかいな!?」
リコッタに叱責され、俺とエコーはお互いに顔を見合わせて苦笑い。勝利が実感できる場所まできたとあって、無意識に気が緩んでしまうらしい。
今度こそ、意識して気を引き締める。最後の一体とはいえど、相手は危険な王級に変わりない。
油断は予期せぬ事故を招く。最後の最後で大きな被害を被っては、せっかくの勝利の美酒も不味くなってしまう。同じ勝ちでも、笑って祝える勝利を迎えたいよな。
「――ん? ちょっと待て。ふたりとも、あっちを見てみろ!」
俺もリコッタに倣い、頬を張って活を入れ直していると、戦場の動きを窺っていたエコーの目が不穏な予兆を捉えた。
彼が指差す先は、戦地からは外れた遠方。砂漠の遥か彼方に砂煙が立ち昇り、凄まじい速度でこちらへと迫っていた。
「リコッタ、どう思う? 砂嵐にしちゃ、様子が変だ」
「ほんまやね。あの動き、自然現象とは思えへん。まるで意思を持った生き物みたいや」
お前もそう思うか、とだけ短く返すエコー。
砂煙は左右にぶれることなく、不自然なほど真っ直ぐの進路で迫りつつある。その足取りは速く、ついには地上で奮戦する兵士たちの視界に入る距離に。
不穏な兆候は全員が知るところとなり、順調だった先行きに暗雲が立ち込める。
不安に駆られたのは兵士たちだけじゃなく、魔物側も同じだった。両者は砂嵐に気を取られ、争いを一時中断する。
さっきまで騒がしかった戦場に、不気味な静けさが漂う。誰もが接近しつつある災害に意識を持っていかれ、今後の動向を窺った。
不穏な砂嵐は一切逸れる気配がなく、ついには避難を考えねばならない距離まで来た。戦場の兵士たちは独断で逃げるわけにいかず、焦燥を抑えて指示を待っている状態だ。
まだ覇棘樹の王を倒せていないのに、面倒なことになった。だが天災に巻き込まれては、戦いどころではない。口惜しいが、安全を考えて避難を優先すべきだろう。
ジルベールもそう判断したらしく、イヤフォンの装着者全員に通信を繋げる。だが通信が繋がった直後、砂煙は唐突に姿を消した。
それはあたかも、神隠しにでも遭ったかのように忽然と……。