108:急がばなんとやら
②巻の発売日まで、あと4日となりました。
各書店様でお見かけした際にでも、手にとっていただければ幸いです。
ラヴァルは腕に刺さった鉤爪を引き抜くと、ぷっすりと空いた傷穴が顔を出す。穴から溢れ出す血を、即座に清潔な布をあてがって抑える。
傍らに控えたイリスが神聖術で癒すと、流れ落ちる血はすぐに止まり、傷もきれいさっぱりなくなった。
「ふへ、うぇへへへ……。聖女様直々に治癒を施してもらえて、俺様も体を張った甲斐があるってもんっす!」
「今回のラヴァルさんのご活躍、とてもかっこよかったです。でも、くれぐれも無茶だけはしないでくださいね?」
いつもの自分からではなく、イリスのほうから触れてもらえてご満悦なラヴァル。さらにはかっこよかったとまで評してもらえて、普段の表情が保てなくなっている。頬を染めて、鼻の下までだらしなく下げちゃってさ。
「怪我させた俺が言うのもなんだけどさ。ラヴァルも曲がりなりにも神官なら、自分で神聖術を施して治せたんじゃないのか?」
「曲がりになりにもってどういう意味だ、ああん? 見てくれはこんなだが、一応は俺様も立派なセントミル教の神官だっての」
俺の発言が勘に障ったのか、眉間に皺を寄せて睨まれた。ラヴァルは気に障ることを言われると、すぐ恫喝するような態度で返してくる。
っていうか、自分の格好が神官らしくないってちゃんとわかってんのな。
まぁ、短い付き合いながら、本気で怒っているわけではないことぐらいわかる。あくまでフリだけだ。ラヴァルは本気で激怒したなら、たぶん先に手を出してくる類だろうし。
「神聖術の扱いは並以下な俺様だが、やろうと思えば自力で治せたさ。だが……だが! 聖女様が自ら治療してくださるというありがたい申し出を、断る奴がいるか!? いるわけないよな!? もし聖女様の善意をないがしろにする輩がいたとしたら、そいつが自分から懇願するようになるまで、俺様が鉄拳制裁を喰らわしてやんぜ!!」
「わかった、わかったから落ち着けって……」
変なスイッチでも入ったのか、ラヴァルは熱く語りだしてしまった。聞くだけ損な語り節を騒音と認識し、水害に遭った村の様子を眺める。
激しい川の増水によって村は水没してしまったが、怪我人こそ出たものの奇跡的に死者は0。それもこれもラヴァルが、我が身を厭わず流されそうになった子供を助けたおかげだ。彼の活躍がなければ、ここの村人たちはそれこそ悲劇のどん底に落ちるところだった。
ラヴァルは助けた子供と両親だけに留まらず、村中の人たちから感謝を述べられていた。それこそ各所で手伝いを行った俺やアリア、怪我の治療に当たっていたイリスとシュリの存在が霞むほど。
規模の小さい集落において、子供はまさに次代を担う宝。本当に助かってよかった。
ちなみにこの村は発足してから三十年ほど経つらしいが、今日のような激しい豪雨で、村が水没するほど川が氾濫したのは初めてだったそうだ。
過去三十年間は何事もなかったからといって、これから先も安全とは限らない。これだから自然の力ってのは恐ろしい。
家を失った村人たちは親類や知人を頼り、方々へと散っていく。多くの住人はセレアーネの町に向かうようだ。
残念ながら水害を受けた村は放棄され、長く続いた人々の営みは幕を閉じてしまった。水辺に居を構えた以上、いずれ水害に遭うだろうリスクは避けられないからな。
悲しげに故郷を捨てた元住人たちの背を見送り、俺たちは俺たちで溜め息を吐く。
「予定していた橋が渡れなくなっちまって、道を考え直さえねぇとな」
「だったらぁー……こう行くのはどうかな?」
アリアが広げた地図を、俺とラヴァルが覗きこむ形で睨めっこ。ペンで落ちた橋にバッテンをし、彼女は迂回ルートを提案する。
「かなり下流のほうまでくだる必要があるんだな。途中のこの橋とかじゃ駄目なのか?」
「その橋も古い木製だから、ここと同じで落ちてるかもしれないかな。ほかも小さい橋だったりで、魔導車が渡るには適していないと思うの。それよりもあたしが提案したこっちの橋なら、頑丈な石造りだからまず大丈夫! かな!」
鼻息を鳴らし、自信満々に答えるアリア。古い木製の橋だと、今回の激しい川の濁流を耐えてしたとしても、少なからず痛んでいるだろう。魔導車は馬車を超える重量があるから、強度的に信頼できる橋じゃないと渡るのが怖い。そういった意味で、石で造られた橋なら安心できるか。
「なら、道順を確認するぜ。俺様たちはここから川下にくだり、頑丈な石の橋を渡って対岸を目指す、でいいんだな。そうなるとだ。帰りに寄る予定だった場所の近くを通るんだが、どうする?」
ラヴァルは地図をなぞり、道中に大きく書かれた地名を指差す。そこには『バジリガ砂漠』と記されており、その少し右上に小さく『砂丘の女神像』と書かれていた。
この『砂丘の女神像』が今回の旅で目指す聖地のひとつであり、エルフの里の帰りに立ち寄る予定であった場所だ。
「あー、ほんの少し回り道すれば行けるな」
「だろ? 俺様としちゃ、寄らない手はないと思うわけよ。今日みたくなにが起こるかわかんねぇしよ、行けるときに行っておこうぜ?」
「イリスちゃんの訪れを待っている里の人たちには申し訳ないけれど、あたしはラヴァル君の意見に賛成かな。迂回して進まなくちゃいけなくなったから、どのみち時間がかかるもん。……イリスちゃんはどう?」
イリスは疲れから木を背に座り込み、シュリと寄り添ってうたた寝をしていた。アリアに話しかけられても起きず、肩を揺すられてようやくお目覚めである。
「えっと、そうですねぇ……。私としては、道を急ぎたくあります。ですが、効率よく済ませたい皆さんのお気持ちもわかります。……キリクさんはどうお考えでしょう?」
「そこでなんで俺に振ってくんだよ。まぁ、俺もラヴァルの意見に賛成だな。グスクス司教は急ぐように言っていたが、少しぐらいなら目を瞑ってくれるさ」
エルフの里の連中は、長年聖女の介入を拒んでおきながら、いざ手に負えなくなると助けてくれだからな。自分勝手というか、都合がよすぎる。そんな奴らをもう二、三日待たせたって、バチは当たるまい。
「わたしもキリク様に賛成ですので、多数決で決まりなのです!」
先を急ぐ派と、寄り道する派。一対四で決まりだな。イリスも対立するつもりはないようで、多数決での決定を甘んじて受け入れてくれた。
意見が纏まったところで、移動を再開する。泥水で汚れた服を手早く着替え、魔導車に乗り込んだ。車輪が雨水でぬかるんだ泥土を跳ね上げ、鉄の馬車は悪路を爆走していく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『砂漠の女神像』があるバジリグ砂漠の入り口には、砂岩で建てられた古い砦がある。名を『バラクーダ砦』。昔は戦に活用されていたそうだが、平和な現代となっては、もっぱら砂漠の魔物に対する監視用らしい。
砂漠に踏み入る前に、この砦で休みをとって英気を養っておく。なにせ魔導車じゃ砂漠の砂の上は走れないからな。細かい砂に車輪をとられ、あっという間に抜け出せなくなってしまう。
だから女神像までの砂の道のりは、自分の足が頼り。徒歩となるため、入念な下準備が必要なのである。
アリアはこのバラクーダ砦を訪れた過去があり、おかげですんなりと中に入れてもらうことができた。知己の人物と会えるとあって、アリアはどこか楽しそうだ。
「この砦の責任者である隊長さんとはね、ちょっとした知り合いなんだー」
「アリアさんは、本当に顔がお広いのですね!」
「えへへ。といっても、勇者の肩書きがあってこそかな」
楽しげな様子のアリアにつられ、イリスとシュリまでも気持ちが昂ぶっている。もしくは砂漠という貴重な光景に、心が躍っているのかもしれない。事実、俺がそうなのだから。
しかし魔導車で乗り入れた砦の中は、平時とは思えない緊張感に包まれていた。
前もってアリアから聞いていた情報では、要所ではないこの砦に常駐する兵は少ないはず。ところがどういうわけか、少数とは対極の人数がこのバラクーダ砦に留まっている。
事情がわからず、困惑したまま魔導車を降りる。するとそこいらの兵士とは明らかに格式の違う男が、両手を広げ俺たちを出迎えた。
「久しぶりじゃないか、アリア殿! 来るのなら前もって連絡を寄越してくれまいか? 勇者様の来訪とあれば、もてなす準備をせねばならんからな」
「ごめーん、ジルベール隊長。本当は今日尋ねるつもりじゃなかったかな。急遽予定が変わって、それでなの」
アリアと親し気に話す色黒の壮年男性こそ、このバラクーダ砦の責任者であり、駐留する兵を束ねる長のジルベール。国から男爵の爵位を授かる、一代限りながらも立派なお貴族様だとさ。
彼に案内された砦の一室で、俺たちは自己紹介とともに挨拶を交わす。粗茶だといって差し出された紅茶を口に含んだが、なるほど。謙遜からの言葉ではなく、確かに粗茶だ。
……というよりも、ヴァンガル家で頻繁に口にした良質な紅茶に、俺の舌が慣れすぎたのかもしれない。
喉を潤してひと息つくと、ジルベールより砦を来訪した目的を尋ねられる。責任者に黙っているわけにいかず、この地を訪れた理由を要点だけ簡潔に説明した。
「――聖女様の聖地巡礼のため、『砂漠の女神像』ですか。事情はわかりました。でしたら、間の悪い時期にやってこられましたね」
「えっと、それってどういう……?」
「外の様子を見る限り、かなりの数の兵士が集められていたから、きっとそれ関連だろ。あれだけの兵を配置するほど、このぼろっちい砦に需要はなさそうだけどな」
「ちょっと、ラヴァルさん!? 言い方が失礼ですよ!」
歯に衣着せぬ物言いで、思ったことをを口にするラヴァル。イリスが即座に、彼の不遜な態度を咎めた。イリスに叱られたとあってラヴァルは背を丸めるが、反省した顔はしていない。
「ははは、その方の言う通りだ。現在この砦には、三百近い数の兵が集っております。辺鄙な砦には不釣り合いな大所帯ですので、疑問になられるのは当然でしょう」
「さっきジルベール隊長が言っていた、間の悪い時期とどういう関係があるかな? まるで戦争でもするみたい」
「戦争……ですか。あながち間違いではありませんな。いや、むしろ適切か。お察しの通り、我々は戦いを始めるため準備をしております。相手は人ではなく、魔物ですがね」
物々しさを通り越して、物騒な話になってきたぞ。厄介ごとに巻き込まれそうな匂いがぷんぷんする。横着せず、素直にエルフの里へ直行していたほうがよかったかもしれん……。