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106:ラヴァルとお仕事②

「ラヴァル……!? おい、ラヴァル……!!」


 危惧していた事態が起こり、慌てて地に着いた腰を上げて水面を覗き込む。衝撃で水底に沈殿する泥が巻き上がり、水が濁って奥まで見通せない。水中に消えた仲間の姿を探し、何度も大声で呼びかけた。


「……ぷはぁっ!! ちっくしょうがぁぁぁ……!!」


 三度目の呼びかけでようやく、浮かび上がり水上に顔を見せたラヴァル。本人は知ってか知らずか。こちらの心配をよそに、悔しさから拳で何度も水面を叩きつけていた。


 無事な仲間の姿を確認でき、ほっと胸を撫で下ろす。しかし安堵したのも束の間。水面を漂うラヴァルの身に、背後から脅威が迫っていた。


「うわ、やばい!? おい、ラヴァル! 後ろ、後ろを見ろって!」


「あぁ……? 後ろだぁ? 俺様は今、最高に機嫌が悪いんだよ。ったく、後ろがなんだって――どわぁぁぁぁっ!?」


 後ろを振り返ったラヴァルは、大音量の絶叫を上げる。静かな湖畔に似つかわしくない大声が轟き、木の枝で羽を休めていた鳥たちが驚いて、一斉に飛び立つ。


 ラヴァルが思わず叫んでしまうのは必然だった。なにせ鋸状の牙を尖らせた大口が、獲物を飲み込まんと背後から迫っていたからだ。

 背に刺さる銛から判断して、先ほどまで奮闘していた雌個体であるのは間違いない。


「いいから泳げ! 早く陸に上がれ!」


 俺に言われるまでもなく、ラヴァルは足をばたつかせ岸を目指していた。彼の屈強な腕が懸命に水を掻き、ばたつかせた足が空高く飛沫を上げる。


 必死だからというのもあるだろうが、ラヴァルの泳ぐ速度はとても速かった。

 けれど地の利は敵にあり。そもそも水中を得意とする魔物相手に、人が泳ぎで叶うはずがない。


「待ってろ、今助けてやる!」


 慌てふためきながらも収納ポーチから石ころを取り出し、シャークロッグの頭に狙いをつけて構えた。四の五の言っている場合ではない。命大事に。悔しいが、ここは獲物を諦めるのが懸命だ。


「やめろ、キリク! 殺すなっ!!」


「はぁ!? 殺すなって、どうつもりだよ!? お前は死にたいのか!?」


 水をがぼがぼと飲みながらも、当事者であるラヴァルが俺を制止させる。

 見れば、泳ぐラヴァルの右手にはいまだにロープが握られていた。この期に及んでもまだ諦めていないとは、その執念に恐れ入る。


 水中でシャークロッグを殺せば、同族による共食いが起こり骨しか残らないだろう。雄の個体ではあるが、すでに実証済み。そうなれば目当てとする卵は手に入らない。

 

 しかしながら、自分が陥っている状況をまずは鑑みろと言いたい。俺は手を止めても一向に構わないが、その場合死ぬのはお前なんだぞ。


 状況的にさすがに応じられず、意地になっているラヴァルを助けるために動く。さすがにむざむざと、目の前で死なれるのは困る。

 だが当人の意思は尊重し、希望にはできるだけ沿えてやるつもりだ。


 狙いを定め、右手に握りしめた石ころを投擲する。

 放たれた礫は、ラヴァルとシャークロッグのちょうど間に着弾。水面に衝突した衝撃で、滝と見紛わんばかりのすさまじい水柱があがった。


「のわあぁぁぁぁぁーーーーっ!?」


 空高く上がった水柱に巻き込まれ、噴き上がった勢いでラヴァルは岸まで飛ばされる。怯ませるのが目的でラヴァルが宙を舞うまでは想定していなかったが、助けられたからよしとしよう。


 水柱によって宙に吹き飛ばされたラヴァルだったが、彼は空中で体勢を整え、見事地面に着地。惚れ惚れとする身のこなしに、思わず拍手をしてしまった。


「ぜぇ、ぜぇ……。た、助かったぜ、キリク。俺様自身を餌に、やつを岸近くまで誘き寄せる算段だったんだが……。ちと見通しが甘かったわ」


「なんて馬鹿なこと考えやがるんだよ。イリスを喜ばせるつもりが、危うく泣かせるところだったぞ」


 イリスから距離を置かれがちなラヴァルといえど、旅を共にする仲間であることに違いはなく。もしも死なれては、さすがに涙を零さずにはいられないだろう。

 こちらとしても、折角親睦が深まってきたんだ。仲がよくなった途端にさよならはしたくない。


「面目ねぇ。だが俺様が体を張ったおかげで、やつは岸までだいぶ近付いただろ。気を取り直して、最後にもうひと踏ん張りといこうぜ!」


 ラヴァルは最後まで離さなかったロープを差し出し、協力を求めてくる。彼の真っ直ぐな瞳に、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。


「気合が入っているようだが、その必要はないみたいだぞ。ほら、後ろを振り返ってみろって」


「あん?」


 俺たちから離れた後方で、じゃばじゃばと水音を立てて岸に上陸する、雌のシャークロッグ。背中には銛が突き刺さったままで、こちらを睨む目つきは敵意に満ちていた。上下の歯をしきりにガチガチとさせ、激しく威嚇している。


「へへ、自分から陸に上がってきやがるとはな。聖女様に我が身を捧げんとする献身ぶり、尊敬に値するぜ」


「いやいや、あいつは俺たちを食うつもりなだけだからな?」


 わざわざ自分から、進んで食べられに来る魔物が存在するかよ。

 とはいえ過程がどうあれ、予定通り岸へと引っ張り出せた。相手は水中だろうが陸上だろうが行動できる魔物ゆえ、場所に拘りがないだけかもしれないが。


「俺様をずぶ濡れにしてくれやがった礼は、きっちりとさせてもらうぜぇ!」


 一歩前に踏み出し、手の指を鳴らして威嚇し返すラヴァル。あとは俺に任せておけと、幅広の逞しい背中に書かれていた。

 俺も一緒に戦うつもりだったが、ここは素直に譲るとする。本気で拳を振るうラヴァルの実力を知るに、ちょうどいい機会だしな。


「じゃあ、お手並み拝見とさせてもらおうかね」


「おう。後ろで休んで――っと!? あぶねっ!!」


 ラヴァルが距離を詰めようと駆け出したとき。シャークロッグの口が大きく開かれ、なにかが目にも留まらぬ速さで発射された。

 咄嗟に身をよじり、間一髪で躱すラヴァル。いい反射神経をしている。だが――


「え……? これって……舌!?」


 シャークロッグの口から発射されたのは、真っ赤に艶めく長い舌であった。その舌がラヴァルが避けたことにより、標的を変え、後ろに控えた俺を捉えたのである。


 舌は右腕ごと俺の胴体に巻きつき、がっちりと拘束されていて動きを封じられてしまう。臨戦態勢から観戦気分に移った直後だったため、完全に油断していた。

 体に巻きついた舌の締め付けは強く、外そうともがくが自力では振りほどけそうにない。


「やば……っ! これ、まずいって……!?」


「キリク!!」


 懸命に抵抗するが、俺の頑張りを嘲笑うかのように体が引きずられていく。終いには足元がふわりと浮き、成す術すらなくなってしまう。

 人ひとりが容易く持ち上がる力を前に、もはや万事休すとなった。


 Cランクに位置づけされた魔物のわりに、やけに弱いと疑問に思っていた。その答えが今になってようやっとわかった。本当の意味でCランクの強さがあるのは、雌の個体だったのだろう。


 大きく開かれた顎、鋭い鋸状の牙が、あっという間に目の前まで迫る。あの牙にこの怪力だ。胴体から齧られてしまえば、人の身などひとたまりもない。


 咄嗟の判断で、唯一自由である左腕を突き出す。風魔の手甲を装備した左手。シャークロッグに噛み付かれるより先に、この魔具が持つ能力、『風の盾』を発生させた。


 凄まじい暴風が、前方に向けて吹き荒れる。あまりにも強烈な風圧は、どっしりと四足で構えるシャークロッグを仰け反らせるほど。


 これにはさしものシャークロッグですら大きく怯み、おかげで俺の体を引っ張る舌の動きが止まった。

 そこへ颯爽と、後ろから追い抜く影。ラヴァルがすかさず俺との間に割って入り、シャークロッグと対峙する。


「魚類だか両生類だかわからん見た目をしやがって。大人しく、俺様の兄弟を離してもらおうか!!」


 言うが早いか、ラヴァルの脚がシャークロッグの顎を蹴り上げていた。

 ラヴァルの強烈な蹴りにより、強制的に口を閉じられるシャークロッグ。伸ばされた舌は自身の鋭い牙によって、根元から断ち切られてしまう。


 鮮血が辺りに撒き散らされ、悲痛な雄叫びが辺りに響き渡る。

 本体から切り離された舌は力を失い、自然と拘束が解けた。あとはラヴァルの手を借りずとも自力で振りほどき、体の自由を取り戻す。


「助かった。あろがとな、ラヴァル」


「なに、お互い様だぜ。こいつでさっきの借りはチャラだな」


 親指を立て、にやりと笑うラヴァル。清清しいまでの彼の笑みに、俺も応じるようにして笑い返した。


「そんじゃ、そろそろケリをつけようぜ。……つっても、あれだけ見境なく暴れられてたんじゃ、手の出しようがねぇな」


 激しく暴れるシャークロッグを前に、おいそれと近づけずたじろぐラヴァル。攻めの機会を窺っている様子だが、埒が明きそうにない。


「なら、あとは俺に任せてくれ。一撃で沈めてやる」


 体が自由になり、左手でポーチから石ころを取り出して握りこむ。手甲に備わったもうひとつの能力を発動し、石ころに風の力を付与。


 シャークロッグが口を開く瞬間を狙い、地に片膝をついた体勢から、掬い上げるようにして握った石ころを投げ込んだ。


 口内に入り込んだ異物に反応し、本能からか反射的に噛み砕くシャークロッグ。次の瞬間、頭部に幾条もの切れ込みが走る。内部から突如として暴風が発生し、賽状になった肉片があちこちに四散する。


 実体のない剣閃、風の刃が内側からシャークロッグを斬り刻んだのである。飛び散った肉片はいずれも、断面が鋭利な刃物で切り裂かれていた。

 石ころが砕かれたことにより、付与されていた力が解き放たれ、口内で風の刃を無数に撒き散らした結果だ。


 俺はあくまで、石ころを口の中に放り込んだだけ。付与した風の力だけでこれなのだから、さらに投擲による力が加われば、さぞ爽快な威力を発揮するだろう。


 難点といえば、一度の付与でかなりのマナを消費することか。さっき使った風の盾も同様。ククリナイフや鬼人の籠手といった、ほかとの兼ね合いもある。連発していては身がもたないから、配分を考えて活用していかないとな。


 頭を内側から細切れにされたシャークロッグの体が、ゆっくりとその場に沈み込む。

 頑丈な骨のおかげか、死体は顎だけが皮一枚で繋がっている状態である。俺を窮地に陥らせた長い舌は、何等分かに細かく切り分けられていた。


「おいおい、さっきのはなんだよ!? やたらかっけぇな!? つーか、俺様の手柄を取るんじゃねぇ!」


「手柄なんてこの際どっちでもいいだろ。俺も食われそうになったんだから、お返しぐらいさせろっての」


「あー……そう言われちゃ仕方ねぇか。俺様だって、殴られたら倍にして殴り返す主義だしな」


 さすがのラヴァルも、それ以上は文句を言ってこなかった。あの状況に陥ってなお、手を出すなは無理がある。


「さて、これでシャークロッグの卵は無事手に入った。こいつをプレゼントすりゃ、聖女様との距離が縮まること間違いなしだぜ! へへ、もしかすると感極まった聖女様から、お返しに口付けをしてもらえちゃったりしてなぁ……!」


「幸せな妄想をするのは結構だが、現実に戻ってこーい」


 ラヴァルは勝手にひとり芝居まで始めてしまい、見ているこっちが恥ずかしくなる。とうとう見るに耐えなくなり、声をかけて彼を妄想から現実に引き戻した。


 なんにせよ、これでラヴァルの目的は達成。あとは腹から取り出した魚卵を、ラヴァルがイリスに贈れば終わりだな。


 ラヴァルが町のギルドまで自慢の脚力でひとっ走りし、俺は見張り役としてセレー湖に待機。ほどなくして、依頼主が雇ったのであろう回収業者を連れたラヴァルが帰還する。


 すでに交渉済みなのか、業者によって雌の腹から魚卵が取り出され、保存と持ち運びを兼ねた瓶に詰められる。

 ラヴァルが瓶を受け取り、依頼達成の証明をしてもらい、あとの始末は彼らに任せて早々に湖から立ち去った。


 帰ったらもう少しセレアーネの町を見て回りたいと考えていたのだが、とっくに日が落ち、どの商店も閉店の作業で慌しい。なので渋々諦め、ギルドで報酬を貰ったあとは教会に直帰する。

 イリスたちもすでに教会に帰っており、俺たちを出迎えてくれた。


「不肖ラヴァル、ただ今戻りやした! 僭越ながら聖女様に、お土産があります! どうぞ、こちらをお召し上がりください! 貴族だろうが滅多とお目にかかれない、美味なる珍味となっております!」


「わぁ、嬉しいですー! ありがとうございまーす!」


 お土産と聞き、このときばかりはイリスも嬉々として受けとっていた。目の前で愛しの聖女様が喜ぶ姿に、ラヴァルは頬が大層緩み、でれでれとしただらしない顔となっている。


「あ、これ知ってますー。シャークロッグって魔物の卵ですよね」


 しかし瓶の中身を確認したイリスの反応は、俺やラヴァルが想像していたよりも控えめであった。普段の食い意地の張り方からして、美味しい食べ物と聞けば狂喜乱舞しそうなのだが。


 確かに喜んではいる。そこは間違いない。だがラヴァルの妄想とは随分とずれが感じられる。


「私も今日初めて食べたのですが、美味しかったですよー。まさかまた口に出来るとは、思ってもみなかったですねー」


「え、今日……? すでに食べていた……?」


 予期せぬ返事に、ラヴァルはあんぐりと口を開けて呆然となる。雲行きが怪しくなってきたな。

 そこへ横からアリアが、補足するように説明をしてくれた。


「ふたりと別れたあと、偶然あたしの知り合いに会ったの。そのときに相手のご好意で、ご馳走してもらえたかな」


「キリク様を差し置いて、美味しい思いをしちゃってごめんなさいなのです。でもでも、とっても感動的なお味だったのです!」


 申し訳なさそうに伏せた耳とは裏腹に、シュリの尻尾は右へ左へと小刻みに揺れていた。きっと味を思い返しているのだろう。まったく、正直者な体をしている。


 つまりもうすでに、イリスたちはこの珍味の味を知っているわけだ。きっと初めて口にするであろうと予想していたのが、まさか第三者に先を越されているとは。それもよりによって、同じ日に。滅多に食べられない珍味とはいったいなんだったのやら。


 どうも大量繁殖の煽りを受け、金を積むなりすれば手に入る程度には出回っているらしい。普段なら滅多に食べられない希少な珍味が、例年よりも容易く入手できる、逆に滅多とない機会になっていたようだ。


 二度目となれば、初見のときと比べ感動や驚きは薄れる。同日の出来事ともなればなおのこと。


 飛び上がるほど喜ぶイリスの姿を想像していたラヴァル。しかし蓋を開けてみれば、普通に喜ばれただけ。初見だったとしてもさすがに口付けはなかっただろうが、彼の思い描いてた結末とは大きな落差があり、ご愁傷様である。


 イリスが喜んでいればそれでいいとラヴァルは語るが、彼の横顔はどこかしょんぼりしていた。普段は偉そうにふんぞり返った背中も、寂しげに丸まっている。


「ところで、キリ君。ラヴァル君だけど、彼はなんで服が湿っているの? 雨でも振ったかな?」


「キリク様も、服がちょっと生臭い気がするです……? 着替えたほうがいいと思うです」


「服が濡れているのは……あいつが頑張った証しだ。だよな、ラヴァル」


「おぅ……」


 俺の服が生臭いのは、シャークロッグの唾液のせいだろう。

 しょぼくれたラヴァルの背を押し、俺たちは着替えのため部屋に帰るのだった。

別作「おっさんによる、賢者の遺産で異世界チート生活」も現在進行形で更新しております。

現在、28話まで投稿済み。そちらも読んでいただけると嬉しいです!


3月9日より、各電子書店様より投擲士①巻の電子書籍版が配信されております!

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