10:疑惑の書類
書類と判だけは本物。
"だけ"と彼は明言した。
それはつまり、他は偽りであるということ。
「どういうことか、詳しく聞きたいんだが?」
「あーつまりあれだ。こいつは巧妙に書き換えられた、別の奴隷の契約書ってことだ。
この魔道具、『真偽鑑定の単眼』はそうそう騙せやしないからな。
……で、坊ちゃん。こいつはどういうことなのか、説明してもらえるな?」
「そ、それは……知らん! 私は知らんぞ!
きっとあれだ、奴隷商の奴だ! あいつが偽装したに違いない!
つまり私も騙されただけだ!」
うわ、なんとも白々しい……。
しかしそのような魔道具があるのか。
このハイネルも、それは想定外だったのだろうな。
書類も判も本物だとあれば、普通はころっと騙されただろう。
「……まぁそういうことにしておいてやるよ。
そう言われてしまえば、その奴隷商を捕まえん限り真実はわからんからな。
まったく、この魔道具が人にも使えれば楽なもんだったんだがな?」
「うぐっ……むぅ……」
ハイネルの態度を見ていれば、胡散臭さしかないものだが。
しかしそれだけで決めつけるわけにもいくまい。
「それで、この子はどうすればいい?
保護した俺が所有者、ということでいいのか?
それならば主としてこの子を解放してやりたいんだが」
「そうさなぁ……。
今回は契約書がアテにならんから、まず坊ちゃんは認められんな。
となれば必然的に保護したお前さ――」
「待て! 私はその奴隷がつけている首輪の鍵も持っている!
これが所有者たる証拠にはならんか!?」
ハイネルの右手に掲げられた、小さな銀の鍵。
俺は内心焦ったものの、ギルドマスターは冷めた目つきのままだった。
「鍵ねぇ……。残念ながら坊ちゃん。
契約書が不正なものだった時点で、そいつも証拠になんかなりはしねぇよ。
なにより、その鍵が本物かどうかも怪しいもんだ。
確認しようにも、その為には首輪を解除してこの子を解放することになる。
一度奴隷から解放した者に、本人の意思を無視して再度隷属の首輪をつけることは違法だぞ。
秘密裏にこっそりやるならともかく、俺の前では許容できんな」
「ぐぬぬぅ……!
……おい小僧、金貨30枚を支払う。
それでその奴隷をこちらへと渡してくれんか!?」
この男もしつこいな。
ここまできてまだ諦められないのか。
……しかし金貨30枚か。
ただの村人の俺からすれば、とんでもない大金だぞそれ。
落し物を拾った謝礼を貰うようなものだから、こちらには何一つ損はないしな。
だが生憎、そこまで金に執着していない。
稼ぐ手段ならば持っているし、旅費さえあれば今はそれ以上は不要だ。
「魅力的な提案だが、断らせてもらう。
……受けると後ろのツレから、あとで何を言われるかわからないしな」
「当たり前ですよ、キリクさん!?
そもそも、お金でほいほいと動くような人ではないじゃないですか!」
「……という訳だ。
あんたも、金でなんでも解決できると思わない事だ」
貴族のそういうとこ、俺は嫌いだからな。
昔、うちの田舎村にお貴族様が訪れたことがあった。
その貴族は金に物を言わせ、戯れでうちの子モギュウを買っていったのだ。
まだ離乳したばかりの子供だったので、親父も最初は断った。
だが当時は牧場が赤字を出した年で、経営が苦しかったらしい。
相場の倍額を提示され、貴族に子モギュウを売らざるをえなかったんだ。
結果どうなったか。
貴族が去ったあとの道に、傷だらけでボロ雑巾のように捨てられていた子モギュウ。
痛々しい死体の傷痕は、全て人為的なものだった。
あの子はストレスの捌け口とされたのだ。
ペットとして可愛がってもらうのか、もしくは食肉として美味しく頂かれるか。
そのどちらかかと思っていたのに、だ。
あの一件以来、貴族というものには好感が持てない。
今回の事でその溝はさらに深まったといえるな。
「ぐぅ……っ!
……おい小僧、お前はその奴隷を解放したいのだろう? ならばこの鍵が欲しいはずだ。
今から合鍵を作ろうにも、複雑な魔鍵だからな。できあがるのに何ヶ月もかかるぞ?」
「だから、その鍵を買い取れと? 生憎そんな持ち合わせは――」
「違う! 金なんぞ私もいらんわ!
お前はその奴隷を、私はこの鍵を賭けての決闘を申し込む!
いや、それでは釣り合わんな。……さらに金貨10枚をつけよう。
そのうえで、私が負けた場合はこれ以上、その奴隷には関わらんとも約束する!
これでどうだ!?」
なんと太っ腹というか、破格の条件。
しかしそこまでこの少女に入れ込んでいるとは……。
捻じ曲がった、一方的で強烈な愛なことだ。
「どうするんだ新人? 坊ちゃんの言うとおり、合鍵を作るとなれば時間がかかるぜ。
それに勝ったとしても、さっき言ったようにあの鍵が本物だという確証もない。
ま、金貨10枚はでかいがな」
「……ちなみに、その決闘のルールは? どうやって勝敗を決める?」
「そんなもの決まっているだろう。
相手に先に参ったと言わせるか、立会人が判断して決めるかだ。
もちろん剣でも魔法でも、殺しさえしなければなんでもありだ」
「キリクさん、それは危ないですよ!
死ぬ事はなくとも、それ以外はありってことなのですよ……?」
「そうですご主人様……! わたしならいつまででも待ちます!
それに恩人であるご主人様のもとでなら、一生奴隷のままでも構いません!」
この場に2人も俺の身を心配してくれる人がいる。
それってすごくありがたいことだよな。
……でも答えは決まっているんだ。
「わかった。その決闘、受けよう。
ただし、立会人は俺が指名させてもらうぞ?
あんただと、自分の息のかかった奴を連れて来そうだからな」
「ぐむ……いいだろう。
しかし、それはお前も同じではないのか?」
「大丈夫さ。俺が頼みたいのは、横にいるギルドマスターだからな。
この人ならあんたも納得してくれるだろ?」
「うむ、確かに。
ギルドマスター殿なら、私情を挟まず公平に判断してくれるでしょうな」
面倒ごとが降ってきたと言わんばかりに、頭をポリポリと掻くいかつい傷の男。
だがその顔は満更でもなさそうだ。
「しょうがねぇな。ここまで乗りかかった船だ。最後まで見届けてやるよ。
だが坊ちゃん。お前さん、戦いの心得があるのか?
剣術はすぐに投げ出したと聞いているが……」
「それはもちろん、私の代理人を立てさせてもらいますよ。
……おいギムル!」
「はっ!」
ハイネルの呼びかけに、今まで彼の後ろで黙していた護衛の男が応える。
あの肥満体で決闘なんてできるのかと思っていたが、そういう腹積もりだったか。
ギムルと呼ばれた男は、見た目は40前後の強面。
たくましい体格はこちらの一回り以上大きく、その肌は浅黒く古傷だらけ。
顎に立派な髭を生やしているのだが、全てそちらにいってしまったのか、頭部は死地と化している。
「この者が、私の代理として決闘を行います。よろしいですかな?」
「……おい新人、今からでも遅くはない。やめておけ。
あいつは元冒険者で、Bランクだった男だ。
Eランクのお前さんじゃ相手にならんぞ」
ギルドマスターからの忠告。
確かに、ランクだけ見れば話にならないな。
「おや、一度受けると言っておいて、相手が悪いとわかれば逃げるのですか?
なんでしたら、このギムルにハンデをつけさせましょう。
こやつには左腕を使わせない、それでどうですかな?」
こいつもこいつで随分と強気なものだ。
安い挑発までかましてくるとは。
俺が引いて、決闘がなしになるとは考えていないのだろうか。
まぁ俺から退くつもりなんてないんだがな。
別に金に目が眩んだわけではない。
あの鍵だって、本物だという確証もない。
俺が決闘を受けるうえで一番欲しているもの。
『私が負けた場合はこれ以上、その奴隷には関わらんとも約束する』
ハイネルが言ったこの言葉。この約束だ。
以降も不快な男にネチネチと粘着されては堪らんからな。
「撤回はしない。決闘は受けるさ。
別にハンデだってなくても構わないぞ」
見たところ、ギムルの武器は腰に下げた剣。
彼の風体からしても、魔法を使うようには見受けられない。
もっとも、仮に魔法を使えようがそれまでに決着をつける自信があるからな。
「随分と怖いもの知らずな餓鬼だな?
元とはいえBランクの実力、たっぷりとその身体に刻んでやる」
「はぁ? Bランクとはいえ、そこで投げ出したような脱落者だろ?
肩書きだけは随分と立派なもんだな」
「こいつ、生意気な……!
ふん、まあいい。せいぜい好きなだけ吼えていろ。
少しは手心を加えてやろうと思っていたが、本気で潰してやりたくなった」
「ギムル。お前の好きにしてもよいが、ほどほどにしておいてやれよ?
相手はまだまだ子供だ。帰った時に、母親の乳すら吸えなくなっていては可愛そうだからな」
母親の乳を吸うつもりなど毛頭ないが、モギュウの乳が吸えなくなるのは困るな。
ってそういうことではないか。
「罵り合うのは結構だが、傍から見てて幼稚なだけだぞお前ら。
決着は口じゃなく、当初の予定通り腕でつけな。
それじゃあ、立会人として時間と場所を指定するぞ。
時間は明日正午、場所は町の北口から出てすぐの草原だ」
「いいでしょう」
「了解だ」
この日はここで解散。
決闘は後日ということになった。




