第二章第三話
「『家系』については二、三代程度に――。それに伴って他の雑多な問も――」
「何やってんの、るぱん」「暇だねー」
「暇じゃない、お勤め中だ娘共」
軽業師マリー・エリーの軽口を適当にいなしつつ、票中の質問を何問か棒消しする。
先の村で気づいたことだが、質問票は簡素であればあるほど良いものであるらしい。回答者の負担を下げ、所要時間を短縮することは調査率を上げることに繋がる。
とは言え調査に必須の質問を削るわけにもいかない。取捨選択が重要となる。
「そうそう、それでさ――」「えぇ? じゃあ――」
軽業師の娘達は一斉に笑い声を上げた。これだけ時間があってもまだ話題が尽きないのだから、羨ましい限りだ。
集中が途切れたので、私はふと窓を覗く。
「マギー・ジュール氏、あの町には寄らないのか?」
「ああ」手品師マギー・ジュールはちらと窓の外に目をやる。「あそこは山神族のシマだからね」
「ほう、山神族か」
「あの蜂起事件は、もしかするとるぱんが生まれる前のことかもしれないわね」そう言葉を添えるのは猛獣使いアリサ。
「ああ、官僚養成学校で習ったことがある。イヴァ=ラキ王国に反旗を翻した集団だろう」
トタン屋根の並ぶ煤けた町を眺めながら私はぼんやりとかつての授業を想起する。
かつて天下を騒がした革命派集団が治める町。確かに他の街とは様相を異にするようだ。国家権力が届いていないのだとしたら、暮らしている人間は一体どんな生活をしているのか。
「近くの町までは送ってやるぞ」
ふと顔を上げると、御者台の団長と目があった。
「そういう顔をしている」
そんな顔をしていたか。
「そんな危険過ぎるわ、るぱん。第一――」
「私なら大丈夫だ、アリサ。団長、よろしく頼む」
頬をふくらませるアリサを横目に、団長は「あいよ」と親指を立てて励ましてくれる。
「レッツ・トーケイデスナッ!」
頭上でインコがけたたましく声を上げた。
※※※
町は三十年前の戦を未だに引きずっているように見えた。
巨大な爪痕や焦跡が町の随所に残る。行き違う初老の男は、右肩から下がない。
立ち並ぶ家々はみな今にも崩れそうに見える。ここで生活するのは至難の業であろう。
「――そんなこんなでシトロエンでプジョーな彼女は三十年もののルノーでヴェンチュリーなわけでうへへ」
「ん、ああすまん聞いていなかった」
「あ……そうかい」
男はバツの悪そうな顔をする。だからといって別にかくたる感懐はないが。
「いいか、もう一度話してやる。今回は聞き逃すんじゃないぞ」
おほんと偉そうに咳払いをして露店の男は仕切りなおす。
「さあ御仁、質問は」「貴殿の世帯について」「ホイ待ってましたっ!」
男はぽんと膝を打つ。いかにも嬉しそうだ。
「知らざあ言って聞かせやしょう。当代一の女殺し、ヨヘイさんとは俺のこと。俺の妻はざっと五十人。五十人よ、旦那。世界中の、それも粒ぞろいの美女がさあ!」
「ほーん」
私は適当に返事をしてやった。露店は合切が埃にまみれ、女っ気のかけらも見当たらない。
「あ、旦那。あんた信じてないだろ。いいよいいよ、こっちには証拠があるんだ」
男はそう言い放つと、露店に並んでいたスプーンを手に取る。
「なんだ、そりゃ売り物じゃないか」
「トンダハナシダ、トリダケニナッ!」
「なんでぇうちの店が汚いからってバカにしてたらいかんぞ!」
「いや別に」
「これはな、モノホンの純銀製よ」
男は物々しげにぱちんとスプーンを指で弾く。地味な音である。そのくせ男はありがたそうに耳を澄ましている。気が抜けてしまいそうだ。
――だが、その油断がいけなかった。
突如背中から突き飛ばされ、私はつんのめった。一体何者か。大慌てで振り返ると、通りをインコを抱えて駆け行く若い男がいる。
ひったくりだ。
「ちょ、ちょっと旦那!?」
露店の男の言葉を無視し、私は大急ぎで後を追う。決して冗談では済まされない。あれは――あれでも一応――次代国王の候補なのだ。インコの身に何かありでもすれば私は――!
しかしながら、果たして男は、紛うこと無くひったくりのプロであった。
喧騒と土埃の中、彼とインコとを見失った私は後ろ寒い心持ちで、ただただ立ち尽くしていた。
※※※
いつからいたのか。気がついた時には既に男はそこに立っていた。
「何者だ」
誰何しながら私は振り返る。朱色の珍妙な面を被った男。その山伏のような様相は、異界の妖怪をかたどったものであることを私は知っている。
「敢えて言う必要もなかろう」
感情の読めない声で男はピシャリと言い放った。
ここは山神族の牙城である。あとは推して知るべし、ということであろう。
「では質問を変えよう。何用だ」
「うむ、愛玩鳥を奪われて困り果てている御様子だが」
男は変わらぬ抑揚の少ない口調でそう返す。ははあ、なるほど。
「要はあいつの居場所への案内料を寄越せということだろう。いくらだ」
「そんなものはいらぬ」
意外な答えに私は驚いた。
「つまらぬことを聞いている暇はない。黙してついてくるがいい」
言うが早いか男はとっとと歩み出す。怪しい。が、しかし他にしようもない。
私は急ぎ彼の背を追いかけた。
※※※
街の一角で、男は不意に立ち止まった。
「ここが我らが根拠地だ」
私はただ唖然とした。質素ながらも決して品を落とさず、高雅ささえ感じさせるその館は、埃にまみれたこの街から奇妙に浮いている。
「と言ってもここは臨時で、本館はミトにある。魔王との戦火で消失したがな」
男はそんなことを言いつつ、感嘆している私を放ってずんずんと奥へ進んでいく。
「タケダ殿、件の男を連れてまいりました」
「通せ」館最奥部の部屋の戸を開けると、男は私に中へ入るよう促す。
「この中に、ジロー・イチマンマルがいるんだな?」
「ジロー……? ああ、愛玩鳥のことか。間違いない」
男は相も変わらず淡々とした口調で答える。仮面の奥の表情がまったく読み取れない。だが、ここは山神族の本丸だ。用心するに越したことはないだろう。
精神を統一して、息を整える。
「――失礼する」
覚悟を決めて入った先には果たして、猫族の少女と――
「なんだ、その顔は」
ひどく嫌そうな顔でこちらを見る鳥公の姿があった。
※※※
部屋の内装は驚くべきことに、ミト城に詰める学者のそれと似ていた。
部屋の壁は本棚で埋められ、中にはぎっしりと古今東西の書物が詰められている。それも難解なものばかり。並の人間では読むことすらできないはずだ。
「大層な驚きようだね。政府の意に反する一族の後継が書を読むことがそんなに驚きかい?」
上品な着物に身を包んだ猫族の少女は本を置いて立ち上がると、私に向かって手を差し出した。頭から突き出た大きな猫耳がひょこひょこと動く。
「私が山神族リーダー、セーコ・タケダだ。よろしく頼む」
「随分と良い服を着ているんだな」
呆気にとられた私の口からやっと出てきたのは、そんな言葉だった。
「ああ、これかい。ユーキ・ツムギだ。軽くて柔らかくて、温かい。最高級品と聞いて得心のいく、イヴァ=ラキ王国の宝だね」
「サヨチャン、ジローチャンカワイッ? ジローチャンカワイッ?」
話の腰を折ってインコはセーコ氏の頬に体をすり寄せている。
「サヨじゃない、セーコだよジロー」
少女になでられるのがそんなに嬉しいのか、鳥公はご満悦の様子だ。まったくいい気なものである。あの野郎。
「我々山神族の立場を説明するには、まずミツクニ王戴冠まで遡る必要がある」
鳥公の脇をいじりながら、セーコ氏は不意に語り始めた。
「魔王を倒した勇者ミツクニはその業績が認められ国王となるも、先代の王ノブヨシの王妃の腹には子供がいた」
その話は知っていた。王妃は自分の腹の子こそが次の王だと訴え、やがてミツクニ王をかつて支えた山神族の元へ逃げた。山神族は王妃を擁して挙兵するも、その無謀さ故に一部は乱脈を極めた暴徒となる。
「山神族の信念は名実論、すなわち君臣の身分を正しくするということだ。故にもともと王の血筋を引かない出自不明のミツクニが王となることに反発があった。その上王妃が城から逃れ、助けを求めている」
「山神族としては挙兵することは免れなかった――そういう論法だな」
「そのとおりだ」インコに髪をぐしゃぐしゃにされながらセーコ氏は頷いた。「とは言え一部が暴徒化したのは事実だ。まあ、それ相応の罰が下ったということだね」
「まるで他人事のように言うんだな」
その淡々とした口調に私は奇妙な不信感を覚えた。
王妃の腹の子は出生するも環境の悪さから流行病に罹り絶息、望みが絶たれた王妃は悲しみに耐え切れず卒去。大義名分のなくなった山神族は、ミツクニ王率いる軍に投降。ミツクニ王はこれの処断に厳格な姿勢であたり、かつての自身の右腕を含め多くの首を切った。
その処刑の酷薄さは市井にもやり過ぎではないかとの声が出るほどであった。
まして当事者である山神族の娘が、この処断に思うところがないはずがない。
彼女らにとってその処断は他人事ではないのだから。
「他人事だよ」
しかし私の考えに反して、彼女の答えは凛としたものであった。
「過去という亡霊に片足を掴まれたまま未来に踏み入ることは出来ないのだよ」
彼女は突き放すように言った。
突き放したのは過去か、それとも先入観で物を語る私か。
「さて、本題にはいろうか。君――」
「ルアン・ハーバーだ」
「そうか。ルアン、単刀直入に言うが、君の集めていたデータが欲しい。ジローはそれと引き換えだ」
「データ? 一体何のことだ」
「ギンジロウ」
「ハッ、このルアンと申すもの、市井にて民衆の出自、居住地、職業等を調査していた事、間違いございません。恐らく他の村でも同等の調査を行っていると考えられます」
私は忌々しく思いながらここまで付き添ってきた男――ギンジロウを睨んだ。つけていたのか。
「そもそもこのデータを何に使う気だ」
「ビジネス、ひいてはこの町の発展のためさ。君も見ただろう、この町は戦禍が大きい。そして復興には何か支柱となる計画が必要だ」
セーコ氏は滔々と答える。幼さを残すのは顔だけで、その弁は大人も顔負けだ。つい納得してしまいそうになる。
しかし、彼女らは政府と敵対した一族の後継である。
ビジネス? 響きこそいいが、正体不明だ。そしてアウトローが始めるビジネスと言えば芳しいものではあるまい。
――だが。
「いいだろう」
「本当かいっ!?」セーコ氏の耳がぴょんと立ち上がった。ギンジロウも息を呑んでいる。
「ただし条件として、データはすぐには渡せない」
「……つまりどういうことかな?」歓喜の表情が一転、怪訝な面持ちになる。
ここが交渉の踏ん張りどころだろう。私は気持ち語気を強めて提案する。
「生データを渡す訳にはいかない。だが、国土調査の結果は国内全ての町や村で一般に公表しよう。責任ある一官吏としてこれ以上の譲歩は行えない」
これは私が先の村で調査を行って以来、腹の中で温めていたアイディアであった。
国の姿を知らしめる。それがどれくらいの人にとって有用かは分からない。しかしこれこそ真摯に調査に協力してくれた民衆に私ができる恩返しなのではないか。
或いはそれはただ貰うだけでは納得出来ない自分がいただけかも知れないが。
「革新的だね、面白いっ!」
セーコ氏は両手でぽんと膝を打つと勢い良く立ち上がった。
「気に入った。その調査、私達も協力しよう。複雑なこの町で動くにはそれが一番だ」
「そうか、それはありがたい。実はここに来る前にも一人の男に手を焼いていてな」
急転直下した事態に目を白黒させていたインコは不意に呑み込んだのか高らかに宣言した。
「レッツ・トーケイ、デスナッ!」
※※※
「だから言ってんだろうが、俺は世界中の美女五〇人とよぉ――」
「こいつはやもめだ。随分前になるが」
私が件の男に苦戦していると、不意に後ろからギンジロウがやってきて、質問票を取り上げた。
「子はなし、親もいないな。家は確かあの棟の……おい、何号室だ」
「……チッ、一〇五だよ」男はややふてくされながら答える。
「随分詳しいんだな」
私は驚嘆しながら、埋まった質問票を受け取った。
「職業柄な」
ギンジロウは肩をすくめて答える。彼に言わせればこんなことはなんでもないらしい。
「ルアン、お前ミト出身だろう」
次の質問相手を探して往来を歩いていると、ギンジロウがそう問いかけてきた。
「なんで分かった」
「ミトの三ぽいさ、理屈っぽい、怒りっぽい、骨っぽい。見ろ、お前のことだ」
「なんだそれは」見透かされたようで、私は少しばかりの憤りを感じる。
「第一そりゃお互い様だろう」
「まあな。よく言われる」
ギンジロウは冗談めかして言う。はじめに会った時と随分雰囲気が変わったものだ。
「ところで、山神族はなぜ山神と名乗っているんだ?」
私は学生の頃から心に浮かんでいた質問を彼にぶつけてみた。
「自らを神と名乗るのだから、さぞかし高慢な連中だろうという心象を持っていたが、君やセーコ氏からはそのような印象は受けなかった」
「世代が違うだけさ」
ギンジロウは端的に応じる。
「しかし、無論そればかりではない。我々はいかに生活が苦しくとも、本や剣を買う。いかなる時も義気を忘れぬ。故に、人にできぬことをするので土着の神に例え山神と呼ばれだしたそうだ」
なるほど、と私は感心した。
「そら殊勝ことだ」
「余計なお世話だ。しかし、褒め言葉として受け取っておこう」
「なんだ君たち、随分と慣れ合っているようじゃないか」
見るとセーコ氏が肩に乗ったインコと共々こちらにやってくるのが見えた。
「そちらのほうが仲睦まじく見えるが」
「サヨチャン、ナデテナデテッ!」
「……好かれているのはいいのだけど、名前を覚えてもらえなくてね。はいこれ」
私はセーコ氏からインコと質問票を受け取った。確かに全てしっかりと埋まっているようだ。
調査としてはこれで充分であろう。
「助かった。ありが――」
「礼はいらない。約束を果たしてほしい。期待している」
「重く承知した」
その言葉に安心したように頷くと、セーコ氏は踵を返して館へと帰っていく。
山神族は乱後の厳しい処断によりそのほとんどの人員を失った。しかし、その理念は山神族という名に残り、そして間違いなく彼女らに受け継がれている。
再会する時が楽しみだ。私はそう思いつつ町を後にした。
※※※
「ねえねえ。ジロー調子でも崩したの?」「お腹痛いの?」
「おい、ジロー。きのみでも食って落ち着け、ほら」
しかしジローはうなだれたまま、うわ言のようにぶつぶつと呟いている。
「……サヨチャン……サヨチャン……」
「なあるぱん、このサヨチャンというのは一体誰なんだい」
「ええ、実は先の町で山神族の首領を務めるセーコという少女に会ったんですが、こいつずっと彼女のことをサヨチャン、サヨチャンと呼んでなついてましてね……」
「ふうむ、ジローはその少女とここまでも別れたくなかったと」
マギー氏は腕を組んで考えこむ。
あの町を過ぎてからというものジローは酷く落ち込んでいた。陽気なジローがここまで落ち込むことはかつてないことであった。私は困惑していた。
「そうだ。ねえ、るぱん」アリサが思いついたように声を上げる。
「もしかして、ジローの飼い主がるぱんとは別にいる、なんてことはないかしら?」
「ん、ああ、いるはずだ。会ったことはないが」
私が肯定すると、アリサは得心がいったように頷く。
「やっぱりね。とすると、そのサヨチャンっていうのはジローの元の飼い主の名前なんじゃないかしら?」
「なんだと?」
私は驚きの声を上げた。しかし、確かにそう考えると納得がいく。
「ふむなるほど。ジローにはサヨチャンという飼い主がいた。そしてそのサヨチャン氏とセーコ氏がよく似ていた。だからジローはセーコ氏をサヨチャン氏と見間違え、再びの別れでホームシックになってしまった、という訳ですな」
「ねえるぱん、ジロー可哀想だよ」「ジロー寂しいと思うよ」
マリーとエリーは縮こまるジローを撫でながら言う。
「そのサヨチャンっていう人のところへは行けないの?」
「それは無理だ」
「でもジローはこんなに悲しんで――」
「おいマリー、エリー。そのくらいにしておけ。るぱんが無理と言っているんだ。何かの事情があるのだろう」
団長は静かな声で彼女らを諌めた。二人は少ししょんぼりとする。
「なあに、大丈夫だ。あれほど陽気なジローだ。そのうち元気を取り戻すさ」
団長はそう言ってくれたものの、私は前途に不安を感じざるを得なかった。
動物というのは、本質的に言葉を持っていないものなのかもしれない。私はそう感じた。
あれほどまでに雄弁に憎まれ口を叩いていたジローでさえ、その本心の寂しさについては一言も口に出さなかった。
「ジロー」
私はその縮こまった鳥に声をかける。今の私にはそれしか出来ない。
「まだしばらくこの世界のわがままに付き合ってもらうことになる。お前にとっては残酷かもしれないが、すまない。許してくれ」
ジローは何も言葉を返さなかった。私は黙ったまま、彼の頭をなでた。