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第一章第三話

 少し肌寒い初秋の風が峠の草原くさはらを揺らしていく。

 そこに停められた荷馬車の二人にも、風は爽やかな涼をもたらしていた。


「ここが最初に訪れたアサッヒ村。そこを起点に放射状に村々を巡って……」


 大きく広げられた図面はイヴァ=ラキ王国の沿岸部を拡大した地図だ。それをアズールとチヅルは二人でのぞきこんでいる。

 地図にはいくつも小さなバツ印がつけられていた。さらにひとつを付け足しつつアズールが言う。


「私たちが先ほどってきたホーコタ町はここだ。この町の特徴はなんだったか、覚えているか? チヅル」


「はい! メロンがおいしかったです、アズっち先生!」


 問いかけに、チヅルは元気よく手を上げて答えた。そして悲しげに続ける。


「わたしの住んでた茨城県は世界中にメロンを送り出している場所って有名だったのに、イヴァ=ラキでは王様か貴族にしか食べてもらえてないなんて、もったいないよね」


 その言葉にアズールもうなずく。


「国が支援すれば、ホーコタ町でも大々的なメロン栽培は可能なはずだ。あとはそれを国の内外へ運ぶためにも、やはり街道の整備が必要だな」


 アズールの言葉をチヅルは手帳に書き込んでいく。

 国土調査を始めた当初にアズールから与えられたそれは、もう何度もめくられ書き込まれ、わずか数日のうちに端がぼろぼろによれていた。

 地図に加えられたバツ印の数とぼろぼろの手帳は二人がいくつもの村々を巡って来たことの証左であった。

 アズールが顔をあげる。その視線の先には峠のふもとに広がる巨大観光都市――オオ=ア=ラーイがあった。

 輝く大海原、にぎわう市街。大小様々な商船が行きかい、色とりどりのほろをかけた市が通りを埋め尽くす。

 当初からずっとアズールが調査を心待ちにしていた都市――だがそれを眺めるアズールの表情は、渋い。


「アズっち、お腹でも痛いの?」


 心配そうに見上げるチヅルに苦笑いを返し、アズールはかぶりを振る。


「いいや、大丈夫だ。ただ、あの街については王都でいろいろと噂が囁かれていてな。それが気になるのさ」


 きょとんとするチヅル。アズールの表情は深刻さを増し、厳しい視線で遠く市街を見やる。


「あの街では――魔物を食すらしいのだ」




「う、噂は……本当だったのか……!?」


 オオ=ア=ラーイへ入った二人は早速いちへ向かった。そこに広がる光景に、アズールは顔を青くする。

 軒を連ねた数々の屋台には木箱がずらりと並べられている。その中には、アズールが今まで見たこともない奇妙な生き物が山盛りになり、恐ろしいことに、ほとんどはまだ生きていた。

 赤い体色に金色の目、身体は平たく手脚は無い。身体の端や中ほどについた薄い膜をはためかせては苦しげに口をぱくつかせている。菱型の小さな板がびっしりと表面を覆い尽くしている様などは、スケイルメイルを連想させる。

 色も大小も様々だが、おおむねそんな姿の生き物があちらこちらで身を捩り跳ねまわっているのだ。アズールにはさながら地獄絵図に見えた。

 そんなアズールに、一人の漁師が気さくに声をかける。


「おお、お兄さん、都から来た人か? この街は初めてと見える!」


 漁師は今まさに漁から戻ったという風だ。白い顎ひげを生やし隆々りゅうりゅうとした筋肉を見せて笑う彼の後ろでは、まだ少年と言っていい年齢の見習いたちが獲物を船から引き上げていた。


「調度いい! 時期にはだいぶ早いが上物がかかったんだ。見世物がてらすぐそこの広場でさばくから、見てってくんな!」


「……見世物? 食べるものではないのか?」


「いいや、食べるさ。だが肉質が独特でな。そら、あれだ!」


 威勢のいい掛け声があがる。目をやれば、船員たちが三人がかりで何かを抱え上げていた。その姿を見て、アズールは目をむく。

 まずは、赤茶けた、ぐにゃりとした何か、だと思った。次に認識したのは、カエルのような大きな口。そこに並ぶぎざぎざした歯。巨体は頭上から押しつぶされたかのように平たい。小さな瞳はでろりと濁って毒々しい。

 アズールは思わず想像してしまった。その生き物が海を泳ぎまわる姿を。それは海底から濁った瞳で海中を睥睨へいげいする。そしてその大口でむさぼり食う犠牲者を探すに違いない。化物が海中にひそむとも知らず無邪気に泳ぐ人間たちに忍び寄り、海中から一気に――


「ぎゃあああああああああ!!!」


「うわっ、アズっちどうしたのー?」


 喉の奥からこみ上げる悲鳴を抑えることなどできなかった。

 すぐ隣から聞こえてきたチヅルの声に安堵あんどし、アズールは急いで振り向く。


「ああ、チヅル! この街は危険だ。すぐに離れ……うわあああ!!」


 チヅルの口から銀色に光る何かの尾がはみ出ていた。

 もっもっと何かを咀嚼そしゃくするチヅルに掴みかかる。


「何を食べている!」


「えっ? ただのメヒカリだけど……」


「得体の知れないものを無闇に口に入れるなと言っただろう! ぺっしなさい! ぺっ!」


 アズールの剣幕に、チヅルは首をかしげる。ややして、何かを察したかのように、ひとつうなづいた。


「もしかして、アズっちってお魚見たことないの?」


「……都でも魚くらい食べられるぞ」


「そうじゃなくて、生きて泳いでるお魚。見たことないんでしょ」


 図星だった。とっさにアズールはチヅルから目をそらす。


「いや……都で食されている魚はこんなに珍奇な姿はしていなくて」


「そりゃ最初から調理されたものしか見たことなかったらわからないよね」


「こんな気味の悪い菱型の板もついていなくて」


「……アズっち、これ見て何かに似てると思わなかった?」


「兵士の着ているスケイルメイルに似ているとは思った」


「お魚の肌についている気味の悪い菱型の板が、その語源になった『ウロコスケイル』です」


「嘘だろう」


「マジだよ」


 カルチャーショックに頭を抱えるアズールの後ろで、白ひげの漁師が豪快に笑った。



 チヅルが言うには、先ほど船から引き上げていた生き物も魚の一種で、ニホンではアンコウと呼ぶらしい。身があまりにも柔らかすぎるため口にかぎ針をかけて吊るし切りにするのだとか。


「吊るし切りってインパクトあるからねー。客寄せに公開実演して、その場で調理して振る舞うってやり方、よくあるんだよ」


 事実、大きなアンコウからヒレやエラが外され皮が除かれ、するすると切り身になっていく姿は見事なものであった。見慣れているはずの住民の間からも感嘆の声がもれるほどだ。

 骨以外はあっという間にさばかれ切り分けられ、大きな鉄鍋の中で汁物にされてしまった。

 早速一皿入手し美味しそうに口をつけるチヅル。アズールもつられるように購入し、白い身をおそるおそる口に含む。

 たんぱくではあるが、汁に染みだした旨味と絡み合い、なんとも言えないコクがある。

 美味しい。そう思った時には既に小さな器の中身はからになっていた。

 一杯のアンコウ汁と一緒に戸惑いも飲み下してしまったのか、アズールの目には、もう市場は地獄絵図などには見えなかった。

 さんさんと輝く陽光を受けてきらめく魚たちはまるで宝石のように美しく映った。




「たくさん食べたねー。漁師さんにたくさんお話も聞けたし」


「食べ過ぎた気もするが……まあ調査にはなったな」


 昼下がり。数々の海の幸を堪能したチヅルとアズールは市街地に足を運んでいた。

 胃袋は重いが二人の足取りは軽い。

 市場の喧騒から離れれば海風が涼しく、街並みものどかなものだ。

 途中行き合った住民と言葉を交わしつつ往来を進むうち、ふとチヅルが声をあげた。


「ね、アズっち。あれなんだろ。でっかい屋根が見えるんだけど」


 指差す先には古ぼけた屋敷があった。

 近寄ってみれば敷地は広く往時はさぞ威容を誇っていただろうことが伺い知れた。が、それもかつてはの話だ。今の姿はどこもかしこも古めかしく壁が一部崩れてさえいる。修理するよりも壊して建て直した方が早いだろうというレベルだ。


「おそらくかつての領主の屋敷と言ったところか。立地はいい、大通りにも近い。取り壊してなんらかの施設でも建てれば収益になるだろうに……なぜほったらかしにしているんだ?」


 アズールの問の答えは簡単にわかった。


「そりゃ、『かつての領主の屋敷』だからさ」


「没落したとはいえ、貴族様の持ち物だろ? 勝手に取り壊すこともできなくてね。国から維持費が出てなんとか管理してきたんだが……最近じゃ直すよりも壊れる方が早くて……」


「ほんと、邪魔なんだよなぁ。あれが無けりゃでかい宿屋でも建てて一儲けできるのによ」


「あたしはサーカス団が呼べる小屋がほしいなぁ。まー面白ければなんでもいいんだけどさ。そろそろこの町にも新しい驚きが必要だと思うのよね」


 住民から聞こえてくる屋敷の評判は散々だった。できることなら取り壊してしまいたい、というのが住民の総意らしい。


「じゃあ壊しちゃおっか」


 チヅルの決断は早かった。


「今のわたしって、一応王女様なんだよね? じゃあ王族ってことで、使ってないお屋敷ひとつくらいなら壊しちゃってよくない?」


 アズールは思案した。屋敷自体が国の管理になって久しい。ならば、王族にはその処遇について決める権限がある。元の持ち主一族が今出てきたところで何の主張できる権利もない。


「うむ、問題ないだろう」


 アズールの言葉にチヅルはにっこり微笑んだ。


「そっか、ありがとう! じゃあ早速」


 言って空へ両手を掲げる。


「ひかえおろーう!」


「えっ」


 アズールがとめる間もなかった。

 たちまちのうちに空はかき曇り、屋敷の頭上に暗雲が立ち込める。

 重く渦巻く黒雲の中心が割れ、一筋の光が屋敷を照らしだした。

 その神聖な光の道をしずしずと降りてくるものがある――アズールにはそれが何なのかさっぱりわからない――灰白色の四角い巨大な箱だ。


「お、おい、チヅル。あれはいったい」


 何なのだ。そう尋ねようとした途端。

 ぐしゃあっ!!

 まるで紙細工を叩き潰すかのように、屋敷を巨大な箱が押し潰した。

 どういう原理になっているのか、屋敷の残骸が周囲に飛び散るようなことはなかった。ただ地面にめり込んだ箱に押し込まれるように、地下へとその姿を完全に没した。


「何なのだ……これは……」


「水族館だよ!」


 力なくつぶやくアズールに、チヅルは得意気に答える。


「わたしの住んでた町にあった水族館なんだ」


「スイ、ゾ……?」


「海の生き物を生きたまま飼育して、誰でも見られるように展示する施設のこと」


 白い巨大な箱もといコンクリート製の古びた水族館を眺める、チヅルの視線はいつになく寂しげだ。


「小さいころはよく連れて行ってもらったんだ。お客さんもたくさん来てて、珍しい鮫とか、さっき食べたみたいなアンコウとか、変なお魚もたくさんいて。でも最近は誰も来なくなっちゃったんだ。いつ行っても貸し切りみたいにわたしだけ。そのうちお魚を飼うお金も無くなって――先月から廃館になっちゃったの」


 施設は召喚できたとはいえ、中身はやはり空っぽであった。

 二人は取り急ぎ港の漁船から魚を買い集め、水族館の体を整える。これからもっと種類が増えれば、新しい観光の目玉としてオオ=ア=ラーイの街に馴染んでいくことだろう。

 小さなアンコウが泳ぐ水槽を眺めて、チヅルは笑う。


「これからもっともっとにぎやかになって、昔みたいにちっちゃい子がいっぱい来てくれるようになればいいなぁ」


「ああ、きっとなるさ。都からも人が押し寄せて、奇妙なこやつらの姿を見て、誰もが驚き、笑うだろう。貴族も平民も、もしかすると魔物もな」


「そうしたらアズっちみたいに市場で泡を吹く人もいなくなるかもね?」


「泡は吹いていない!」


 笑うチヅル。怒りながら、やはり吹き出すアズール。

 生まれ変わったばかりの水族館は、つかの間なごやかな雰囲気に包まれたのだった。


 しかし、そこへ多数の靴音が響く。

 みみざとく異変に気がついたアズールがチヅルをかばうように立つが、その場を離れる間もなく、二人はたちまち武装した兵隊に囲まれてしまった。


「貴様ら、何処いずこの手の者だ! この御方をどなたと心得るか! 無礼者!」


 剣を抜き放ち鋭く誰何すいかの声をあげるアズール。チヅルはその後ろで声もなく震えているしかなかった。


「どなたと心得る、か。キミこそ自分の立場を心得るべきではないのかね?」


 兵の波が割れ、声と共に人影が現れる。

 禿げ上がった頭。でっぷりと突き出た腹。衣服は上等なものながら金細工の装飾が過剰に目立ち、腹の前で組んだ両の指には金の指輪が一指残らずはめられている。見るからに相当の富豪だとわかった。


「もともとここにあった屋敷は我がエティーゴ家の資産だ。領主の地位は返納したものの、富豪として財を成しこうして故郷に戻ってみれば……取り壊したのはキミたちだそうだね。さて、どう償ってくれるのかな? うん?」


 にやにやとした笑みを浮かべる富豪の言葉に、アズールは鼻で笑う。


「貴様は王族へ何の償いをせよ、と?」


 いぶかしげに眉をひそめる富豪へ剣を向け、警戒は解かないまま兵の群れに向け言い放つ。


「貴様らが危害を加えんとするこの御方、チヅル様は恐れ多くも我らが王、偉大なるミツクニ様の定めし後継者がお一人であらせられるぞ。頭が高い! 控えよ!」


 ざわめく群衆へ向けて、なおもアズールは言い募る。


「チヅル様は王族であり、我が国のことに関して一定の裁量権を持たれる。加えてここにあったのは所有者がいなくなってより三十年、国が管理していた屋敷。それをどうしようと王家の裁量の範疇だ。貴様にどうこう言える筋合いでは無い」


 館内は静まり返った。

 誰かがごくりと生唾を飲む音が響く。

 ややして口を開いたのはエティーゴ氏だった。


「どうやって建て替えたのかと思えば、なるほど、召喚魔法か……」


 ぼそりとつぶやくや、氏の表情は一変した。


「なんと! なんとまあ! 王女殿下でいらせられるとは! いやあそうならそうとおっしゃってくださればよろしいものを」


 先ほどとは違う満面の笑みで大仰に両手を広げ、エティーゴ氏は言う。

 アズールのことはもう視界に入っていないかのようにチヅルへ近寄っていく。


「そういうことでしたら土地、屋敷ともども喜んで殿下に献上致しましょう。いやあこんなところで殿下とお近づきになれるとは、なんと運がいい――」


 エティーゴ氏の台詞はふいに途切れた。

 氏の眼前には鋭利な切っ先が突きつけられ、チヅルとの間にはアズールが立ちふさがっている。


「我々はただ国家の持ち物を処分したに過ぎない。貴様の献上など受けてはおらん。殿下に近寄るな、下郎」


 エティーゴ氏の顔から笑顔が消えた。


「キミは少々生意気過ぎるようだなぁ騎士殿」


 氏が片手をあげると兵が殺到し、その囲みの中にアズールを閉じ込める。


「アズっち!」


 チヅルは悲鳴をあげるが、囲みは厚くアズールの元へ駆け寄ることもできない。


「お屋敷を壊したことを怒ってるんですか!? それならわたしが勝手にやったことなんです! アズっちは関係ありません!」


 チヅルの言葉にエティーゴ氏は鷹揚に首をふる。


「いえいえ、先程も申し上げました通り、土地、屋敷は既に殿下に差し上げたもの。もはやなんの未練もございません。ただ――騎士殿にはこのワタシ、アクノ=エティーゴに対する無礼の対価をお支払いいただかなければなりません」


 エティーゴ氏が顎をくいっとひねる。

 それに応え、兵たちはアズールを引き立てて動き出した。水族館の外、チヅルの手の届かないどこかへと。


「貴様ら……っ! 殿下に手を出せば許さんぞ!」


 アズールの怒号もだんだんと遠くなる。

 チヅルは走って追いかけるが、重武装のはずの兵たちの歩みは速く、あっという間に距離を離されていく。


「アズっち! 待って、アズっちを放して!」


 兵たちに遅れることしばし、水族館の外へまろび出たチヅル目に映ったのは、鉄格子付きの馬車に押し込められ、どこかへと連れ去られるアズールの後ろ姿だった。

 力なくその場にへたり込むチヅルを置いて、馬車は走り出す。

 呆然と見送るチヅルの視界の中で、だんだんと遠く小さくなっていく。


「アズっち……!」


 チヅルの小さな呼びかけに応える声は、もうどこにもなかった。


(第一章担当:紫藤夜半)

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