第三章第四話
「皆が喜ぶことをすれば、きっとエルたちに協力してくれるはずです。
たとえば綺麗なお花を咲かせたり、美味しいごはんを振る舞ったり!」
大好きな王様が、エルが世話をして咲かせたバラを褒めてくれたこと。
あわや行き倒れそうだったエルを救ったのは、カズマが召喚した温かい食事。
それがエルの心に深く刻み込まれた『喜び』の形だった。
そしてエルが囁いた喜びから、カズマが導き出した結論は――
「……つまり、お花見ってことだな」
召喚の魔法が、セカンド・ツクヴァの森を梅の紅白に染め上げていた。
「わぁ……うわぁー!! 綺麗……。カズマさんカズマさん。
すっごいですね、これ全部、ウメの花だなんて!」
図書館から飛び出したエルは、舞い散る花びらの下でくるくると回る。
「お花見といえば本来は桜が一般的なんだけどな。
けど、茨城に縁の深いお花見といえばやっぱ梅だろ」
「お城があるミトにも、いっぱいウメが咲いてる公園があるんですよ!
エル、バラも好きですけどウメも大好きです!
それでそれで、エルはこれからどうすればいいんですか?」
「そうだなぁ。その調子でめいっぱい騒いでてくれ。俺、はっちゃけるのは苦手だから。
それから食ったり飲んだり、他の奴らが釣られて出てくるまでとにかく楽しむ」
エルはめまいを覚えたようにくらり、と傾く。
「あ、おい。大丈夫かよ」
「ご、ごめんなさい……。お仕事なのに、エルはこんなに幸せでいいのかなって。
もしかして夢でも見てるんでしょうか」
「そうだとしたら今のうちに夢見ときな。人が集まってきたら楽しいだけじゃ済まなくなるんだから」
カズマはあっけにとられた様子で梅の花を見上げる司書の肩を叩く。
「悪いけどお祭りの準備お願いできないかな。もちろん、あなたも楽しんでもらって構わないから」
司書は笑顔で大きく頷くと、人手を集めに駆けていった。
準備会場となった図書館のロビーに大量の器が用意されると、カズマは『大みか饅頭』や『水戸の梅』、その他思い当たる銘菓を次々に喚び出してゆく。
エルや司書を始めとする図書館の人々はそれを梅の花の下に設けられた座席へ運ぶと、美味しいお菓子に舌鼓を打ち雑談に花を咲かせた。
最初は彼らだけだったお花見の輪だったが、セカンド=ツクヴァを埋め尽くす季節外れの梅の花は、この研究学園都市の人々の興味を惹かずにはおかなかった。
「ほほぅ、興味深い。この時期に、それもこんなにも大量のウメの花が現れるとは。
むむっ、これは魔力の反応が――」
研究者たちが研究室から顔を出し、魔力の元を辿って行けば、果たしてお祭り騒ぎの魔力にとらわれる。そういう寸法だ。
ウメを見に行ったきり戻ってこない先生を探しに来た学生たちも、次々と絡め取られてゆく。
気づけばカズマが喚び出したごちそうだけではなく、それぞれに持ち出してきた料理や酒を広げての大宴会となっていた。
セカンド=ツクヴァは留学生と学びの街。突如もたらされたお花見という異文化も、あっという間に吸収されていった。
もちろん、カズマとエルは本来の目的も忘れてはいなかった。
作業から離れた酒席の場なら、自分の研究に興味を持たれて悪い気がする研究者はいない。
あちこちでお酌をして(ついでに料理のご相伴に預かりながら)、エルはそれぞれの研究室がどんな研究をしているのか、熱心に聞き取り調査をして回った。
「ついでにちょっと食べてきなよ」。そんな誘いに無限に答えて愛想を振りまけるエルの胃袋がなければ、こんなにも速やかに調査は進まなかっただろう。
研究者の中には人間のグループも魔物のグループもある。半分人間、半分魔物のエルはどちらの輪にも暖かく迎え入れられ、速やかに研究の話題を引き出していた。研究内容と規模を書き取ったメモは、あっという間に埋まっていった。
「……俺からしてみたら、お前のそれの方がよっぽど魔法だよ」
新しいメモを取りに戻って来たエルに、カズマはぼそりとつぶやく。
「ほぇ? どれですか? エルは魔法なんて使えないですよ?」
「……うん、分かんないならいいや。お前はそれでいい。
いや、『そこがいい』かな」
「うーん? よく分からないですけどエル、もしかして褒められました?
えへへ……お役に立ててるなら、嬉しいです」
「む……あんまり調子乗るなよ。俺の魔法あってこそなんだからな!」
「わかってまーす。あ、おまんじゅうひとついただきますね〜」
エルはカズマが喚び出したばかりの饅頭をひとつひょいと口の中へ運ぶ。
「まだ食うのか! 訂正、お前の胃袋のが魔法じみてるな」
笑う二人のもとへ、へべれけになった男が酒瓶片手にやってくる。
「ぃよう、大将! あんたがこの席を用意してくれたんだってな!
いい息抜きになったよ! 最近どうも袋小路だったが、他のグループの奴らと話して打開策も浮かんだしな!」
どうやら花見の席には、思いがけない副次効果もあったらしい。
「見るに大将はずっと立ちん坊だが、どうだい、こっち来て一杯やってきなよ」
「お、そいつはありがたい。お邪魔しようかな……」
カズマはニヤつきながら酔った男についていこうとするが……
「こらー! ダメですよ。カズマさんは未成年なんですから!」
「ちぇっ、異世界まで来ても未成年は飲酒禁止かよ」
「エル、賑やかなのは好きだけど酔っぱらいさんはちょっと苦手です……」
エルの耳と尻尾がしゅん、と垂れ下がる。
「分かった分かった。呑まないから」
「絶対ですよ? 約束ですからね!」
「はいはい。お前も酔っぱらいに絡まれないように気をつけろよ。
俺は忙しいんだから、絡まれても助けてやんねーぞ」
「はーい、気をつけまぁ〜す」
エルはぴょん、と立ち上がると、新しいメモ帳と饅頭のお盆を手に尻尾をふりふり宴会の中へと戻っていった。
そして数分後――
「大変ですカズマさん!」
司書が血相を変えてロビーへ戻ってきた。
「エルさんが酔っぱらいに!」
「絡まれてるのか! だから言ったのに!」
カズマは一も二もなく図書館を飛び出した。
「何を言う! ワシらの技術の方が優れていぅに決まっておる!! のぅ、エルひゃんやぁ」
「ふざけぅな! 我々の研究の方が一歩先を行っているのは明らかではないくゎ。なぁ、エル殿ぉ……」
「だまぇイプシロン、エルちゃんはワシの味方じゃ!」
「なんらとナスダのじーさん。エル殿は我らの研究をこそすばらひーと……」
「ふに゛ゃーっ!? 痛い、痛いです! 耳を、尻尾をひっぱらないでくださぃい」
カズマが駆けつけると、そこではエルがぐでんぐでんになった二人の博士の間でもみくちゃにされていた。
「あれは……」
「ナスダ博士とイプシロン博士……例のふたつの塔を作った学者たちです。
普段は違う研究棟にこもっているから顔を合わせることは無いんですが……。
やっぱり、こうなってしまいましたか」
「とにかく、あいつらぶっちめてエルを助け出そう。他にも助けを呼んで、俺の魔法とでふくろだたきにして――」
「カズマさん、そんなのダメですぅ〜!」
カズマの話を聞いていたのか、エルが叫ぶ。
「……じゃあ、ふくろだたきはやめてふくろだのたきにしよう」
「何か違うんですか、それ?」
首をかしげる司書をよそに、カズマは詠唱を始める。
詠唱しなければ召喚できないというわけではないが、なんとなく、その方がカッコいいからだ。
「涼やかなる瀑布よ。経緯にして山姫の、錦織出す四度の滝よ!
その清廉なる水流にて、狂酔酩酊押し流せ!」
カズマの召喚に応え、落差120メートルの水流が空からなだれ落ち、喧嘩する酔っぱらいたちを(エルごと)水びたしにした。
「……ごめんなさい」
「面目ない……」
ずぶ濡れになり、すっかり酔いも覚めた二博士は、エルたちの前に正座をして詫びる。
「分かってくれれば良いんです。分かってくれれば。へぷちっ」
エルはぶるりと身を震わせ、髪の毛から飛び散った水がカズマを濡らした。
「あんたたち、異世界転送魔法の研究者なんだってな」
カズマは二人の博士に向かって言う。
「研究のカブりや予算の偏りが無いように俺たちが今この街の研究を調査してるから、もう少しだけ待っててくれないか?」
「それはエルちゃんにも聞いたけどのぅ」
ナスダ博士は不服そうに言う。
「カブりが無いようにするということは、ワシかイプシロンか、どちらかの研究に統一されてしまうわけじゃろう?
そりゃ、もちろんワシの研究の方が優れているに決まっておるが、それではイプシロンがかわいそうだと思っての」
「なんだって? 我々の研究の方が本道として残るに決まっている。魔導炉の燃焼効率は、明らかに我々の方が高かった」
「はン。あんなもんただの誤差じゃ誤差。あと二、三度実験をすればワシらの魔導炉の平均値の方が高くなるに決まっておるわい」
「さっきもこうやって言い争ってるうちに収拾がつかなくなって、じゃあエルに決めてもらう〜、って、あんな喧嘩に」
エルはしゅん、と肩を落とす。
「やってることは高度だけど、言ってることはエルのじゃんけんマスターと大差ないな。
……そうか、この世界には統計の概念が無いから、有意差って考え方も無いのか」
「ユーイサ? なんだそれは。それが分かれば、我々の研究のどちらが優れているか結果がでるのか?」
イプシロン博士は興味深げに身を乗り出す。
「ああ。俺の世界だと、今までの研究結果と差があるかどうかを調べるときに、ただ平均値を比べるんじゃなく標準偏差を使ってその差が誤差じゃないかどうか検定するんだ」
「ひょ、ヒョージュンヘンサ……ケンテー……えと、それって呪文か何かですか」
エルはぐるぐると目を回すが、二人の博士にはどうやら悟るところがあったらしく、カズマに続きを促す。
「標準偏差ってのは、データ……元となる数字のばらつき具合のことだ。これを調べると、ふたつの平均値に差があるか無いかを調べることができる。
たとえば……そうだな」
カズマは団子の串を10本並べるとそれを5本と5本のグループに分け、左のグループの串を一本だけ半分に折る。
「これで左のグループの長さの平均値は、右のグループより短くなっただろ?
そしてそれぞれの長さはあまりバラついていない。
だから左のグループの長さは、右のグループの長さより『有意に短い』と言える……。
大雑把に言うと、それが標準偏差の考え方だ」
「なるほど……」
今度はエルも頷く。
続いてカズマはもう一度別の10本を並べると、両方のグループから無作為に折り取って長さをバラバラにする。
「こうしてそれぞれのデータがバラバラになった場合、一目見て両者に差があると判断することは難しい。
一本一本を比べたら、右のグループが長いときも左のグループが長いときもある。
ちぎり取った方の断片を縦に並べると、右のグループの方が少しだけ長いのが分かるけど……」
カズマは左右のグループに、長さの違う串をさらに一本ずつ加える。
「こうして一本だけ足すと、左のグループが右を逆転してしまう。
こんな時は、たとえ差があっても意味のある差である可能性は小さい。
そういう時は標準偏差から差に意味がない確率を求めて、その確率が十分小さい時に、
2つの結果には差があるとみなすことができるんだ。
一般的には、意味が無い確率が5%以下ならそれは誤差じゃないって言うことができる。
1%以下ならほぼ確実だ」
カズマは地面に棒きれで標準偏差を用いて有意差を検定するための数式を書く。
必修の授業で習ったばかりだったが、まさかこんなところで役に立つとは。
「……おい、研究データと紙とペンを頼む」
イプシロン博士は学生を研究室に走らせ、ナスダ博士もそれに倣う。
お花見会場は一転、紙にペンを走らせる静謐さに包まれた。
カズマもペンを受け取り、計算する学生の輪に加わる。
観客たちが固唾を飲んで見守る中、ついに全ての検定の計算が終わり――
「魔導炉の燃焼効率、有意水準1%以下で、イプシロン博士の方式がより有効」
「塔の耐久性、有意水準1%以下で、ナスダ博士の方式がより有効」
「その他の結果、全て有意差なし。同程度の水準に達していると考えられる――」
学生たちは、それぞれの計算結果を読み上げる。
「つまり、ナスダ博士の塔にイプシロン博士の魔導炉を積めば、皆ハッピー……って、そういうことですか?」
尋ねるエルの目の前で、二人の博士はがっしりと握手を交わした。
「ナスダ・イプシロン研究室発足の瞬間だ! 皆、もういっぺん飲み直そう!」
盃と料理の皿を手に、ふたつの研究室の学生たちは歓声を上げる。
梅の花の下に、再び暖かな賑わいが戻っていた。
「エルさんの魔法、やり方こそ少し違いますがあなたにも使えているみたいですよ?」
司書の言葉に、カズマは照れくさそうな笑みを返す。
「なぁエル」
「なんですかカズマさん」
「……ありがとな」
視線をそらし、少し顔を赤らめながら言うカズマに、エルはきょとん、と首をかしげる。
「戦う敵もいない異世界なんてつまらないと思ってたけど、お前のおかげでちょっとは、楽しめてる気がする」
「えへへ。えへへへへへへへ」
浮かれたエルはカズマの手を掴むと、上下にブンブンと振るのだった。
「しっかし、エドワード閣下もこの宴においでになればいいのに。
閣下がくれば、皆も喜ぶ」
ナスダ博士つぶやくと、
「そう思ってうちのをひとりご招待に遣わせてある。そろそろお連れして戻ってくるころだろう」
イプシロン博士は得意気に胸を反らす。
「ほら、噂をすれば――」
しかし肩で息をしながら駆け戻ってきた学生の傍らに、エドワード公の姿はなかった。
「閣下は?」
「はぁ……っ、はぁ……っ。エドワード閣下はつい今しがた、王都ミトへ向かって発たれました!」
「な……っ、どうしてまたそんな、急に!?」
「謀反です! 陛下が密かに後継者を探していると知り、大臣たちが私兵を用いて蜂起したのです!
エドワード閣下は陛下をお救いするために……」
カズマとエルは顔を見合わせる。
「……エル!」
「ええ、カズマさん。エルたちもミトへ急ぎましょう!!」
(担当:伊織ク外)