悪魔の駆け引き
ガチャリと鍵を開ける音。ドアノブが回り、扉が開く。
何?一体、何が起こってるの???
玄関の前で立ち尽くしたまま、まるで自分の部屋のように中に入っていく有斗を私は呆然と眺めていた。
「衣里。」
有斗が振り返って、突っ立ったままの私の腕を引いた。その手はいつもみたいに冷たい。
さっぱり訳が分からないまま部屋に上がらされ、さっきまで居た部屋を観察した。さっきまで飲み散らかしていたせいで、お世辞にもキレイとは言えない。
しまったなぁ。
そんな事を考えていると、後ろでガチャリと再び鍵の閉まる音がして、有斗が近づいてくる気配を感じた。
「有斗?」
振り返ると、真後ろまで来ていた有斗にぶつかりそうになった。
嫌だな。こんなに距離が近いとドキドキしてるのがバレてしまいそう。
「本当、ごめん。謝る。自分でもどうしてなのか、わかんないんだけど・・・ごめん。」
高鳴っていく胸を誤魔化すように、早口でまくし立てた。顔が熱い。
それなのに、有斗は私の顔を覗き込み、口の端だけで笑っている。
え、なんで笑って・・・?
「こないだの、ピンポンダッシュも衣里?」
それでも声は冷たいままで、思わず身体に力が入り、縮こまってしまう。
「はい・・・」
「何で?」
「何でって・・・有斗が・・・っ」
「俺が?」
繰り返される淡々とした尋問に、思わず口が滑りそうになった。
有斗が好きだから、と。
「衣里。」
問い詰めるような有斗の声が、また私をがんじがらめにする。でも、もういい。さっき覚悟したんだから、どこで終わりにしても一緒。
だって、答えは決まっているんだから。
「有斗が私のこと避けてるみたいで、気になって・・・」
「で?」
「メールも電話も返ってこないし・・・それに・・・」
「それに?」
「あの子と一緒にいたの見て・・・」
きっと今、私は顔から火を噴きそうなほど真っ赤になっているだろう。
こんなあからさまに嫉妬していることを口にするなんて初めてだ。
「彩のこと?」
有斗の問いかけに頷く事しか出来なかった。
だって、その名前を有斗が口にする度に、切なくて息が止まりそうになる。
「それが?」
「そ、それがって・・・彼女が居るから、もううちには来ないんだって思って。」
「彼女?」
再び、頷くだけの私。もう勘弁して欲しい。こんなの拷問だよ。
鼻の奥がツンとして、じわりと涙が溢れてくる。
「でも、衣里がそれを望んだんじゃなかったっけ?」
有斗の言葉に、はっとして顔を上げると涙がぽろっと零れ落ちた。
しまった・・・見られた。
何故か、後悔のような後ろめたい気持ちになってしまう。
それはきっと彼女を放って、私なんかの部屋にいる有斗を涙で引き止めているような気がしたから。
でも、有斗にとって私の涙なんて何の価値も無い。
「それに、衣里には甲斐がいるだろ?」
そう言った有斗の視線が冷たく突き刺さる。まるで、私を強く非難しているみたいに。
「どういう、意味?」
「どういう意味って。甲斐と付き合ってるんだろ?部屋に泊めたり、一緒に夜に出歩いたり。」
嘲笑うような有斗の言い方が既にぼろぼろの私を更に追い詰める。
確かに部屋には泊めたし、一緒に行動はしたけど、それは有斗がしてきた事と同じでしょ!
そう言いたかったけど、甲斐くんの気持ちを知ってしまった今、それを強く否定出来なかった。
「・・・付き合って、ない。全部、偶然だもん。」
「へぇ。」
私の言う事なんて、全く信じてないかのような返事。
悲しくて、切なくて、もうこのまま消えてしまいたいとさえ思った。
「じゃあ、俺も。彩との事はただの偶然だって言ったら?」
そう意地悪く微笑む有斗の目は笑っていなかった。
でも、これ以上ないほど傷ついた私は滲む視界の中、有斗を睨みつけた。
「そんなの嘘でしょ。甲斐くんから有斗に彼女が出来たって聞いたし。」
「は?!」
それを聞いた有斗は眉間に皺を寄せて顔をしかめた。
そして、私に背を向けて携帯を取り出し、誰かに電話を掛け始めた。
ふいっとそっぽを向いた有斗の後姿を見つめて、何故だかものすごく悲しくなってきた。
もういい。私が誰と付き合ってると勘違いされようと、有斗にどう思われようと・・・
どう言い訳しても、どう伝えても、有斗には伝わらない。
電話の相手と苛立った様子で話し込んでいる有斗をその場に残して、私は部屋にあるラブソファに腰掛けた。疲れきった体がゆっくりソファに沈んでいくと同時に我慢していた涙が再び溢れ出す。
「・・・っ、ぅ。ひっ・・・。」
堪えようとしても嗚咽が止まらない。
傍に転がっていたクッションを抱え込み、顔を埋めてひたすら泣き続けた。
もう早く出て行ってほしい。放っておいてほしい。私なんて記憶から消してしまってほしい。
そう強く念じながら、ただただ俯いて有斗が部屋から出て行くのを待った。
それなのに有斗は電話を切ったにも関わらず、まだキッチンで何かしているようだった。
ガタガタと物音がする度に、私以外に人がいることを嫌でも思い知らされる。
一体、どれくらい待てば一人になれるのだろうか。
そう思った矢先、キッチンからの物音が消え、部屋の中がしんと静まりかえった。
何だろう?そう思って顔を上げた瞬間、何かにふわりと包まれた。
それが有斗に抱きしめられているということに気づかず、ただぼんやりと温もりに安らぎを感じていると、ひんやりとした手が頬に触れた。
「衣里?」
そう囁く声は今までになく優しい。
初めて聞く有斗の声に戸惑いながらも頬に触れている手に導かれるまま振り向いた。
そして、今までに見たこともないくらい真剣な眼差しの有斗と目が合い、止め処なかった涙が一瞬にして止まった。
「ごめん。」
涙で濡れた頬を拭いながら、有斗が囁いた。その目は包み込むように優しい。
何?今度は一体何なの?
急な態度の変化に付いていけなくて、ただおろおろするばかりの私。
さっきまで冷たくて素っ気無いどころか、ひどく責めてるみたいだったのに・・・
「なぁ、衣里。どうして泣いてるのか教えてよ。」
話し方こそ優しくなったけど、私に対する質問は終わらないようだ。
すっかり涙は止まっているのに、有斗はまだ私の頬を撫でている。それは心地いいけど、同時に辛くもあった。
「・・・衣里?」
柄になく優しい声で問いかける有斗に、私はぽつりぽつりと白状し始めた。
もちろん、それは恥ずかしくて、切なくて、再び逃げ出したいほどだったけれど。
「だって違うのに・・・甲斐くんとは付き合ってないって、言ってるのに、信じてくれないし・・・」
「うん。」
「それに、有斗には彼女がいるのに、部屋まで押しかけたりした自分が恥ずかしくて・・・」
「うん。」
「でも、ずっと、有斗は冷たくて、もう口も利いてもらえないと思うと・・・寂しくて・・・悲しくて・・・」
「本当にごめん。」
そこまで言うと、有斗はもう一度私をぎゅっと抱きしめた。
ドクン、ドクン、と胸の音が肌を通して有斗にまで聞こえてしまいそうで恥ずかしい。
「有斗?」
抱きしめられるのは嬉しいけど、何が何だかわからないままで、今度は私が問いかけてみる。
けれど、有斗は更に強く抱きしめて耳元で囁いた。
「今まで、ごめん。衣里は何も悪くないから。」
「え?」
そう私が呟いたのと有斗の腕が緩んだのは、ほぼ同時だった。
少し上にある有斗の顔を見上げると、何度も見たあの冷たい表情をしていて思わず凍り付いてしまう。
すると、有斗は整った唇を少し歪めた。
「悪いのは全部、奈菜と甲斐だから。」
「は?!」
さっぱり意味がわからなくて、思わず有斗を押しのけて身体を離した。
突然、腕から離れたのが不満だったのか、じろっと冷たい視線を送られたけど今はそんなの関係ない。
「どういうこと?」
有斗はふいっとそっぽを向いて、大きなため息をひとつ吐くと、再び私の目を見て話し始めた。
「だから、奈菜と甲斐のせいなんだよ。」
「何が?」
「・・・全部。」
「全部って?」
有斗が口を開く度に間髪いれず聞き返す私を、少し鬱陶しそうにしながらも説明していく有斗。
そんなに嫌そうな顔しなくても・・・全く話が掴めなくてモヤモヤして仕方ないんだから。
「だから・・・衣里と甲斐が付き合ってると勘違いしたのも、衣里が俺に彼女がいると思ったのも。」
そうそう、私と甲斐くんは付き合ってない・・・うん。で・・・え?今、何て???
「有斗、彼女いないの?」
「ああ。良かったな?」
「うん・・・・・・いや!そういう意味じゃなくて・・・」
しまった!ひっかかった!
頬が見る見るうちに熱く真っ赤になっていくのを感じながら、有斗を見上げて睨むと、にやりといつもの嫌味な微笑を浮かべている。
もうっ、こいつ性格悪すぎっ!
ふいっと顔を背けて、ぶつぶつ文句を言っていると、そっと有斗の手が私の髪を撫でた。
「っていうか衣里、まだ聞いてないんだけど。ピンポンダッシュの理由。」
妙に猫なで声な有斗。変に優しすぎて気持ち悪いし・・・
もう絶対わかってるはずなのに、私の口から言わせたいのか、有斗はねちねちと迫ってくる。
でも、そう簡単に観念してやらないんだから!変なところで負けず嫌いな性分が素直になんてさせてくれない。
「私だって、まだ聞いてないよ。有斗が何でここにいるのか。」
まだ顔は熱いけど、有斗の不適な微笑みに負けないように、にっこり微笑んで問いかけた。
どうだ。今まで、自分の気持ちを滅多に口にしなかった有斗には最高の意地悪だろう。私は微笑みの裏でべっと舌を出した。
ところが、有斗は王子様のように甲斐くんにも負けないキラキラ笑顔で微笑んでいる。
「俺は、衣里が好きだけど。ずっと前から。」
「へっ・・・」
完璧な微笑を崩さないまま、あまりにさらっと告白されて、意気込んでいた私は拍子抜けしてしまった。
そんな私をぐっと引き寄せて、再び腕の中に収める有斗。静かな息遣いが耳をくすぐる・・・
っていうか、本当にくすぐったい!
思わず、身を捩じらせると有斗はふっと息を漏らして笑った。
「好きだよ、衣里。」