暴走、再び
部屋に戻って荷物を置くと、バスルームに直行した。
メイクを落として髪も洗って、嫌な事、面倒な事、全てシャワーと一緒に流れていくように。
無心で隅々まで洗って、バスルームを出る頃には幾分、気持ちも落ち着いてすっきりしていた。
濡れたままの髪をポニーテールにして、膝丈のスウェットワンピを着ると、あとは買ってきた物をひたすら消費するだけ。
テーブルの上に缶ビール、スナック菓子、好きな雑誌の最新号を並べ、テレビを付けると音楽番組のスペシャル放送が始まったばかりだった。
缶ビールを開けて、ごくごくごくと一気に流し込むと炭酸が喉と胃を刺激する。
「ぷはぁーー。」
やっぱり、モヤモヤした時はビールだな。それに、このジャンクな味のスナックが堪らない。
ビール、スナック、ビール、ビール・・・
その両方の相乗効果と一日のストレスが飲むスピードを早くさせ、瞬く間に頬が熱く火照り始めた。
奈菜の言葉、有斗への気持ち、甲斐くんからの告白、有斗との久しぶりの会話・・・
それらが一気に起こった今日は、本当に嵐のような一日だった。
気のせいか、肩も凝った気がする・・・
「うーーーん・・・」
ベッドにもたれながら腕を広げて思い切り伸びをする。ぐぐっと右腕を伸ばすと、手の先に携帯が当たった。
気にしないように、でも聞こえない場所には置けず、ベッドに放り投げたままの携帯。
手に取って開いてみたけど、そこには天の川が流れているだけ。
そういえば、今朝の有斗の電話は何だったんだろう?
エントランスで会った時は何も言ってこなかったけど・・・気になる。
今は家にいる筈だし、今度は出るかもしれない。
さっき普通に話しかけてくれた事で気が大きくなっていた私は、着信履歴から有斗の番号を表示して発信ボタンを押した。
1,2,3,4,5・・・
いくら待っても聞こえてくるのはプルルルという発信音だけ。
どうして?さっきは普通に話しかけてきたのに。今朝だって、電話を掛けてきたのは有斗なのに。
なのに、何で出てくれないの?
頭の中で嫌な想像が膨らんでいく。もしかしたら、なんて考えたくない。でも・・・
どんどん加速していくそれを打ち消すように携帯を閉じた。
もう携帯なんていらない。見たくない。見れば期待してしまう自分が嫌。
大きくため息をついてから、握り締めていた携帯を枕の下に隠すと、テーブルの上の鍵を掴んで立ち上がった。
「わ?!」
勢いが良すぎたのか、それともアルコールのせいなのか、一瞬くらりと揺れる視界。
でも酔ってるなら、それはそれで好都合だ。だって、何をしでかしても酔いのせいに出来るから。
そうだ、もっと酔っ払っちゃえ!
実は少し怯んでいた心を奮い立たせるように、飲みかけだった桃チューハイを飲み干してから部屋を後にした。
ぼんやりと白熱灯が照らす中、有斗の部屋に近づけば近づく程、鼓動が早くなっていく。
でも、前にやってしまったピンポンダッシュだけは避けたい。逃げちゃダメ。
そう思っていても、有斗の部屋の前まで来てしまうと、やっぱり逃げてしまいそうになった。
うぅ、ドキドキしすぎて息が止まりそう。
じっとドアチャイムを見据え、大きく深呼吸してから、おそるおそる腕を伸ばす。
『ピーンポーン・・・』
ドアの向こうから小さなチャイム音が耳に届くと、勝手に足が回れ右を始めた。
やばい、やばい、やばい!逃げなきゃ・・・
そう思うが早いか、くるっとドアに背を向けて走り出そうとした瞬間、背後でガチャリと鍵の開く音がした。
「衣里。」
もう逃げられない。恐々ながら、ちらりと振り返って見ると有斗が腕組をして立っていた。
切れ長な有斗の目が私を捉える。金縛りのようにその場から動けなくて、まるで蛇に睨まれた蛙の気分。
そんな視線に観念して有斗に向き直った。
何か言わなくちゃと思っているのに、言うべき言葉が見つからない。頭の中は真っ白でパニック寸前だ。
思わず泣きそうになって有斗から視線を外すと、部屋の奥から誰かが出てくるのが見えた。
「有斗?」
その瞬間、ふわりとした声と脳裏に映った記憶が胸を突き刺した。
あの子だ。前にエントランスで見た、あの可愛い子が不安そうな顔でこちらを見ている。
「ちょっと待ってて、彩。」
そう言った有斗の声は落ち着いていて優しかった。きっと、彼女へ向けている眼差しも柔らかいんだろう。
納得したように彼女は微笑むと、小さく頷いてから部屋の中へ戻っていった。有斗はそれを見届けると、再び私を冷たく見下ろした。
「ご、ごめんね。邪魔するつもりじゃなかったんだけど・・・」
有斗と彼女のやり取りを見てしまった今、思いのほかショックが大きくて声が震えそうになった。
胸は痛いくらいに締め付けられている。こんな思いをするなら、ピンポンダッシュした方がよかった。臆病でもいいから逃げ出しておけばよかった。
そう考えれば考える程、滲んでいく視界。涙で潤んだ目を見られない様に自分の足元を睨み付けた。
「衣里、どういうつもり・・・」
彼女に対してとは違う、冷たさを含んだ声で呼ばれた私の名前。
そうだよね。やっぱり私なんか、そんなもんなんだ。それに気がついた瞬間、私はその場から逃げ出した。
「おい・・・」
後ろで有斗の声がしたけれど、急いでエレベーターに乗り込んで閉ボタンを押した。
エレベーターの扉が完全に閉まってしまうと、我慢していた涙が溢れ出した。
切なくて切なくて、体が千切れてしまうんじゃないかと思う程、悲しくてどうしようもない。
好き。私は有斗が好き。ふわふわと不安定なものじゃなくて、本気で。
こんな気持ち、今更気づいても遅いけれど・・・
きっと有斗は変に思っただろう。もしかしたら、ものすごく怒っているかもしれないし、呆れてるかもしれない。部屋にいきなり押しかけて、彼女との時間を邪魔して、挙句の果てには逃げ出してきたし。
もう会えない。合わせる顔がない。いっそのこと引っ越そうかな・・・
あっという間に自分の部屋の階で止まったエレベーターの中、涙でびしょ濡れの顔を両手で拭った。それでも、まだ溢れてくる涙。
これじゃあ、明日は外に出られない顔になってるだろう。
はぁ・・・大きくため息をつくと、滲んだ視界の中でエレベーターの扉が開き始めた。
誰かに見られないうちに部屋に戻ろう。鍵を握り締めて、エレベーターを降りると一目散に部屋へ向かった。
ほとんど駆け足で、エレベーターホールから部屋へと続く廊下を曲がった瞬間、思い切り何かにぶつかった。
「すいません・・・」
泣いている顔を見られないように俯いたまま、突進してしまった相手に謝罪した。
余程、強くぶつかってしまったんだろうか。相手は黙ったまま、動こうとしない。
「本当に、すいませんでした。」
もう一度謝って、私はその場から離れようとした。その瞬間、ぐいっと腕を引っ張られて、さっきまで動かなかった相手の前に引き戻された。
「あの?」
もしかして、怒鳴られるのかな・・・
ひどい顔をしていることも忘れて、伺うように目の前の相手をそろりと見上げた。
見覚えのある服。すらりとした身体。そして・・・
そこには、一番会いたくなくて会いたい相手。有斗が私を見下ろしていた。
「・・・有斗?!」
私をじっと見据えている切れ長の目には怒りが見え隠れしている。
キレイな顔をしている分、マジで恐い。思わず、視線を逸らして俯いた。
まさか私を怒鳴りに追いかけてきたとか?!
「ごめ、」
「どういうつもりだよ。」
強く掴んだ腕を離すことなく、私の言葉を遮る有斗。ぎりぎりと音がしそうなくらい強い力にぴくりとも動けない。
それ以上に、有斗の視線が、声が、私の動きを封じる。
「だから、ごめん・・・って。」
「そうじゃなくて、どういうつもりか聞いてんだよ。」
いつもは冷静な有斗の声が苛立っている。それが、余計に顔を上げる事をためらわせた。
さっき以上に冷たい目で私を見ていたら、もう立ち直れないかもしれない。
それに、どういうつもりかと訊かれても、自分でもよくわからないのに答えられるはずがない。
「・・・」
「衣里。」
いつまでも黙ったまま俯いている私に痺れを切らしたのか、有斗がふと腕を掴んでいる力を緩めた。
あぁ、もう本当に終わりなんだ・・・
ぼんやりと再び滲んでいく床を見つめながら、有斗が去っていくのを待った。
有斗の手が私の腕から離れ、胸の奥が大きく軋み悲鳴を上げる。
その瞬間、有斗は私の手から鍵を奪い取り、だらりと下ろしたままの私の手首を掴んで引っ張った。