女王様の尋問
『・・・なっ?!』
『ごめんね。でも、もう我慢できないんだ。』
って、どういう意味ーーー???
あれからずっと、エントランスでのやり取りが頭から離れない。冷凍庫に残っていたいつかのカレーを食べている時も、シャワーを浴びている間も。
あの後、甲斐くんは意外にもあっさりと帰っていき、私は一人呆然としたまま残された。
そして今、一人悶々と甲斐くんの残していった『宿題』を考える破目になっている。
もちろん、片手にはビール。だって、こんなの素面じゃいられないよ。
こういう時は奈菜に相談するべきなんだけど、有斗の事も話してしまいそうで言えない。
もう、どうしたらいいんだろう・・・はぁ。
思わず、携帯を片手にラブソファの上で大きくため息を吐いた。すると、タイミングよく携帯が鳴り始める。
『奈菜』
・・・やっぱり。このタイミングで掛けてくるのってあの姉弟のどちらかしかいない。
もう、なるようになれ。そう、半ば諦め気分で受話ボタンを押した。
「もしもし?」
「あ、衣里?突然なんだけど今夜、有斗がそっち行くかも。」
「え・・・」
「今、バイト仲間と飲んでるんだけど終電逃しそうなんだぁ。」
確かに電話の向こうからは、居酒屋独特の騒がしさが聞こえてくる。
片や私は一人で缶ビールって、寂しすぎ。ま、いつものことなんだけど。
「珍しいじゃん、連絡してくるなんて。でも、気にしないで良いよ。有斗なら彼女のとこに行くんじゃないかな。」
「・・・はぁ?どういうことよ。」
奈菜ってば、絶対顔歪んでるよ、今。普通にしてれば美人なのに。
でもあれ、有斗ってば奈菜にも言ってないんだ。って、言わないか。
「とにかく、大丈夫だから。気にせず酔っ払って!じゃあね。」
「ちょっと・・・」
それだけ言うと、奈菜の追及スイッチが入ってしまう前に電話を切った。
今頃、あの彼女の所かなぁ。
奈菜との会話も終わって、再びラブソファでぐだぐだする私。
いい感じに酔いが回ってきて、さっきまでのモヤモヤもどこかへ消えてしまった。
それにしても、あの女の子かわいかったなぁ。
有斗に彼女が出来たなら、ここに来る必要もないんだし、私も安心して彼氏を家に呼べる。有斗が来るかもしれないって心配しなくていいし。
まぁ、彼氏が出来ない事には心配も何もないんだけど。
それにしても、彼氏、かぁ・・・
ピーンポーン、ピーンポーン。
ん?誰か来た?でも、この音はエントランスじゃなくて、部屋のドアチャイムだ。
こんな時間に来るなんて、有斗か奈菜。でも、奈菜は飲み会だし・・・
もしかして、有斗?!いや、でも彼女がいるのに、何で?っていうか、どんな顔して会えばいいの??
・・・ポーン、ピーンポーン。
一人考えている間もチャイムは鳴り続けている。
こうなったら、仕方ない。テレビの音で居留守は使えないし、出るしかない。
覚悟を決めて、重くなった腰を上げて玄関に向かった。
何故か抜き足差し足でドアの前にくっついて、覗き窓をそうっと覗く。
「は?!」
なんとそこには、恐ろしい形相の奈菜が腕組みをして立っていた。
「有斗に彼女がいるってどういうこと?!」
開口一番、奈菜は私を見るなり怒鳴った。
やめてよ、ご近所に迷惑じゃん。
私は、廊下に誰もいないことを確認してドアを閉めた。
「衣里、どういうこと?」
鍵を閉めている間も奈菜の追求は止まらない。
こうなったら、奈菜が納得するまで怒涛の質問攻めが終わらない事を私は知っている。
「だからぁ、甲斐くんから聞いたし、私も見たし。それ以上は分からないけど、それが事実なの。」
本気で、近所から苦情が来たら奈菜に出てもらうんだから。
そう思うほど、奈菜の声は大きい。だから、少しでも落ち着いてもらう為に、冷蔵庫から缶ビールを取り出して奈菜に手渡した。
「ありがと。それより、衣里。それ本当なの?」
手の平に収まった缶ビールに満足したのか、幾分抑え目な声で奈菜はつぶやいた。
「うん。私の知ってる限り、本当だと思うよ。っていうか、何でそんなに疑うわけ?」
私はさっきから沸き起こっていた疑問を素直に打ち明けた。
有斗に彼女が出来たのはこれが初めてじゃない筈だし、たかが弟に彼女が出来たくらいでこんなにも取り乱すなんておかしい。
特に奈菜は、有斗に対してそんなにも興味があるわけじゃなかったし。
「それで、衣里はいいの?」
ビールを一口飲んで、一息おいた後、奈菜は私の目を見つめて言った。
有斗に彼女が出来て、私は良いのかって?
奈菜ってば、まったく今度は何を言い出すんだろう。
「良いに決まってるじゃん。これで、有斗が来るのを心配せずに家に呼べるし。」
「今までだって呼ぼうと思ったら呼べたでしょ?有斗なんて友達の所だって、どこだって行けるんだし。」
早速、ラブソファを陣取った奈菜が私を見下ろしている。私はいつものお気に入りの場所で体操座り。
この状態からも分かる通り、この姉弟に「NO」なんて言っても通じない。私がどんなにもがこうと、二人の思い通りに事が進んでいくんだから。
「いや、そんなに簡単なら最初からそうしてるし。それに原因は奈菜なんだからね。」
奈菜が有斗の部屋を占領しなければ、有斗だってここに非難してくる必要なかったんだし。むしろ、もっと大学に近い場所に住めたのに。全ては奈菜のわがままから始まったのに、当の本人は少しも反省していない。
まぁ、それが奈菜だから諦めてるけど・・・
「本当にそう思ってるの?私は、有斗が・・・」
奈菜はそこまで言いかけて、ぐいっとビールを飲んだ。
もしかして、今日はこのままうちにお泊りかな・・・
そんな私の心配はよそに、奈菜はもう一口飲んで再び私を見下ろした。
「・・・衣里は、有斗を好きだと思ってたのに。違うの?」
「っ??!」
奈菜の口から『好き』の言葉が出た瞬間、口に含んだばかりのビールを噴き出しそうになった。
だって突然、胸の奥がひどくドキドキして苦しくなったから。
それに、この間のキスがフラッシュバックして・・・わわわわ!
「ちょっ、ちょっと何言ってるの?!私が有斗を好きなんて!」
どうにかビールを流し込んで見上げると、奈菜は口の端を微かに上げて笑っていた。
その後、奈菜が有斗の名前を口に出すことはなく、講義やバイト、自分の彼氏の話題へと移っていった。
私もそれに相槌を打ちながら、ビールを飲み、笑って話していたけれど・・・
その間もずっと私の頭の中に巡り続けのは有斗の事。
有斗を『好き』?弟みたいだと思ってた有斗の事を?
前なら100%否定していたと思う。そんなのありえないって。だからこそ、一人暮らしの部屋にも迷わず有斗を招き入れていたんだから。
でも今は、はっきり言えない。それは、あの朝の有斗のキスが原因なのか、奈菜の言っている事が当たっているからか。
どうして?自分の気持ちなのに全然わからない。
もっと詳しく奈菜に聞いてみたいのに、酔いが回ったのか奈菜はラブソファで眠っている。
まったく、奈菜が言い出したせいで悩んでるのに!これじゃあ、モヤモヤして眠れない!!
忌々しげに奈菜の寝顔を睨みつけながら、テーブルに散乱したビールの缶やおつまみの残骸をを片付けた。ついでにキッチンのシンクからコンロまでピカピカに掃除した。
ストレス発散に掃除。いいかもしれない。
それでも気分は晴れなくて、ベッドに寝転がって携帯を開いた。
待受画面には誰からの電話もメールもなく、キラキラと天の川が光っている。
そう、この待受画面も有斗がくれたもの。
毎年、七夕になると天の川が見たいと楽しみにしては、結局見れなくてがっかりしていた私。
それを有斗に言った覚えはないのに、どこで知ったのか、雨模様だった昨年の七夕に有斗がメールで送ってきた。
その時、私は合コンで出会った人とデートの最中だった。でも、なんとなく合わないなってって思っていた時にメールが来たから、それを口実に早く引き上げて奈菜の家に行ったんだった。
少し落ち込み気味で奈菜とデートの話をしている時、有斗がやってきて私の携帯を勝手にいじりだし、次に携帯を開いたときには今の画面に設定されていた。
あれからずっと、私の携帯の画面はキラキラ流れる天の川のまま。