アナスタシアと泥棒猫~デイジーは泥棒猫ではありません~
恋愛要素は皆無です
たった今、信じられないことが起こりました。
私たち家族の目の前で、殿下が私ではなくデイジーを選んだのです。
「すまない、ラングレー公。私はアナスタシアではなく、デイジーを連れて行く」
我が公爵家の応接室は、しんと静まり返りました。両親も兄も、見事に全員が固まっています。まさか殿下がこんなことを言い出すとは思ってもみなかったのでしょう。
「お、お待ち下さい、殿下!」
そんな中、衝撃からいち早く我に返ったのはお父様でした。
「いったい、アナスタシアのどこがお気に召さないのでしょうか」
口調こそ丁寧ですが、お父様の顔には私を蔑ろにされた不満が滲んでいます。
「誤解しないでほしい。決してアナスタシアが気に入らないわけではないんだ。これほど美しいアナスタシアに不満を持つはずがない」
「でしたらなぜ」
「……すまない。理屈ではないんだ」
殿下の言葉を聞いて、私は怒りに震えました。
無邪気で天真爛漫と言えば聞こえはいいですが、デイジーなんて元気が取りえの野生児です。そんな理由ともいえない理由で、この私がデイジーに負けたというのでしょうか!?
「どうかお考え直し下さい、殿下。デイジーのように躾のなっていない子を殿下のそばに置くわけにはまいりません」
「そんなことは構わない」
構わないのですか!?
殿下の言葉に、私は仰天してしまいました。
厳しく躾けられ、常に優雅であるようにと努めてきた私の努力はいったい何だったのでしょうか。
「そんな、アナスタシアはどうなるのですか」
もっと言ってやって下さい! お父様。
けれど殿下は唇を引き結ぶと、デイジーを抱く手にぎゅっと力を込めました。
「……すまない」
そんな一言で済ませようだなんて、私を馬鹿にするにも程があります!
私は腹が立ってどうしようもありませんでした。
だって殿下は『アナスタシアに会いたくて……』と、何度もこの屋敷を訪ねて下さっていたのです。
特に諍うこともなく、私達はうまくやっていたはずです。小鳥が好きだという殿下のために、贈り物として献上したことだってございました。
なのに、いきなりのこの仕打ち! 殿下はもしや、魅了魔法にでもやられてしまったのでしょうか!?
山ほど文句を言いたい私でしたが、悲しいことに私が殿下に文句を言うことなどできません。
私の怒りの矛先は、当然のようにデイジーへと向かいました。
「デイジー、あなたいったいどういうつもりなの!」
ずっと嬉しそうに殿下の顔を見ていたデイジーは、そこでようやく私へと視線を向けました。
「あなた、まさか自分が殿下に相応しいと思っているのではないでしょうね!?」
殿下の前で醜く罵る姿を見せるなんて、褒められたことじゃないのはわかっています。ですがプライドの高い私は、どうしても大人しく引き下がることができませんでした。
だって殿下のためにと選ばれたのは、本当はこの私だったのです。美しさも血筋も品格も、すべておいて私の方が勝っています。だというのになぜ、こんな理不尽なことがおこるのでしょうか。
私はデイジーに向かって叫びました。
「身の程をわきまえなさい! この泥棒猫!」
「ええと?」
怒りにまかせて怒鳴りつけてやったというのに、デイジーは脅えるでもなく、きょとんと私を見返しました。
そして。
「あたしは猫ではないわ、アナスタシア様」
……この場面での返事がこれってどういうことですか。殿下は本当に、こんな頭のネジが緩んだような子が良いのでしょうか!?
けれどデイジーは、私の怒りなどお構いましにのほほんと言いました。
「ねえ、アナスタシア様。あたしはちゃんと知っているの」
「あなたが何を知っているというの!?」
「アナスタシア様って本当は──」
……信じられません。
こんなバカな子が、どうして私の心を見抜いているのでしょうか。
デイジーの口から出た言葉に、私はそれ以上なにも言えなくなってしまいました。
* * * * *
私は幼いころより『いずれ殿下の元へ行くのだから』と、それは厳しく躾けられました。ですがさほど辛いと感じなかったのは、同時に愛情もたっぷりと注がれていたからでしょう。
「アナスタシア。おまえは私の大事な娘だよ」
お父様はいつも、私を抱き上げると口癖のようにそう言っていたものです。
お父様だけではなく、母や兄も私を大層可愛がってくれました。兄などは特に、あまりに私と遊びたがるせいで母から叱られるほどでした。
「そんなに構ってばかりだと、アナスタシアに嫌われてしまうわよ?」
「だって、アナはすぐに殿下のところへ行ってしまうだろう? 今のうちにいっぱい遊んでおかないと」
そんなふうに言った後、まだ幼い私の頭を撫でながら「僕を嫌わないでね、アナ」と、悪戯っぽく笑った兄の姿を私は今でもはっきりと覚えています。
愛しい家族に見守られながら過ごす、幸せいっぱいの日々。
……本当に、いったい誰が想像できたというのでしょうか。ずっと続くと思っていたそんな日々に、いきなり異物が入り込んで来るなんて。
* * * * *
「まあ、あなた!」
お母様の鋭い叫びが、屋敷のホールに響きました。
「なんですの、その薄汚いものは!」
いつもは優しいお母様ですが、その時ばかりはとても恐ろしい形相をしていました。
けれど無理もないでしょう。お父様がデイジーを屋敷に連れて来たのは、本当に突然のことだったのです。事前になんの相談もなくそんなことをされたのですから、お母様だって心穏やかでいられるはずもありません。
「いったいどういうおつもりなの!」
「そんな大声を出すな。この子が脅えているだろう」
「まあ、何ですって!?」
そのまま二人は、言い争いを始めてしまいました。
お父様はデイジーを屋敷に引き取りたいと主張しています。ですがお母さまは、あまりに身勝手だ、アナスタシアに悪影響があったらどうすると反論しています。
デイジーはお父様にかばわれるようにしながら、腕の中でふるふると震えていました。
その憐れな姿を見て、私はちょっぴり、ほんのちょっぴりただけ『可哀そうかな』と思いました。二人の会話を漏れ聞く限り、半分だけとはいえデイジーには高貴な血が流れているらしいのです。きちんと身の程をわきまえるのなら、この屋敷に置いてやってもいいのではないでしょうか。
……なんてことを考えた私は、とんだお人好しだったのかもしれません。
最初こそ脅えて部屋の隅で震えていたデイジーでしたが、屋敷に慣れると、それはもう呆れるほど元気一杯になりました。
ただでさえ愛くるしい容姿な上に、驚くほど人懐っこい性格です。私からすれば、誰にでも尻尾を振って節操がないと思える姿も、周りの者には好意的に受け止められたようでした。
デイジーは、あっと言う間に皆の心をつかんでいきました。特に使用人たちは、殊更デイジーを可愛がるようになりました。高貴な私相手には気後れしても、デイジー相手なら気軽に接することができたのでしょう。
「こら、デイジー! 待ちなさい!」
庭を走るデイジーを追い掛ける使用人は、口では怒っているものの、表情はとても楽しそうでした。周りの者を笑顔に変えるような魅力が、デイジーには自然とそなわっているのです。
けれど、まさか。殿下までがその魅力にやられていたなんて!
* * * * *
結局、誰から何を言われても、殿下がデイジーを諦めることはありませんでした。
「……本当にデイジーをつれて行ってしまったわ」
お母さまが、どこか気の抜けたような顔でそう言います。
「殿下はずっと、アナスタシアを気に入って下さっていたのになぁ。私達も、いずれ嫁に出すようなつもりでアナを育てていたというのに。いったいどうして……」
「どうしてというか、やっぱりデイジーに絆されてしまったんじゃないかしら。だってあの子ったら、殿下がいらっしゃる度に、ものすごい勢いで飛び出して行ってたでしょう。嬉しくてたまらないという様子で」
「確かになぁ。澄まし顔のアナとは違って、大はしゃぎしていたものなぁ。デイジーは」
「まあ、それも理由だろうけど」
と、そこでお兄様が口を挟みました。
「止めを刺したのは、アナスタシアからの贈り物だったんじゃないの」
「あー……」
お兄様の言葉で何か思い出したのか、お父様は遠い目をして呟きました。
「あの瀕死の鳩なぁ……」
いったい、瀕死の鳩の何がいけないというのでしょうか!?
いえ、確かに彼奴は、小鳥と呼ぶには少しばかり大きかったかもしれません。けれど私は『小鳥が好き』と言う殿下の為に、それは苦労して彼奴を生け捕りにしてきたのです。なのに、よくやったと私を褒めるどころか悪し様に言うなんて、あんまりではないでしょうか!?
「死んでると思ったら、突然息を吹き返したのが余計にね……」
お母様までお父様に同調するなんて!
ええ、確かにあの時、普段は物静かな殿下が珍しく叫び声を上げておりました。ですがあれは歓喜の表現に違いありません! 私の心づくしの贈り物に、きっと感激したのです。
それにだいいち『殿下に鳩を贈ってみてはどうかしら』と、私に提案してきたのはデイジーなのです! どうしてあの子ではなく、私がこんなことを言われなければいけないのでしょうか。もしかしてあれは、デイジーの策略だったとでもいうのでしょうか!?
「……でも、まあ、本音をいうとホッとしたよ」
ぷんぷん怒っていた私の前で、その時ふと、お兄様が白状するように言いました。
「こんなことを言ってはいけないけれど、本当は、殿下にアナスタシアを盗られるのは嫌だったんだ」
「あら、実はわたくしも。ずっと家の子でいてくれればいいのにって思ってしまって」
「ああ、なんだ。それじゃ家族全員で同じことを思っていたのか」
「!」
驚いた私は、ぴくりと耳を動かしました。
どういうことですか、初耳です!
私は今の今まで、家族みんなが私を殿下の元に送り出したいのだとばかり思っていました。だからずっと自分の気持ちに蓋をして、どうにか殿下と仲良くなろうと努力を重ねていたのです。
先ほどデイジーと交わした会話が、私の脳裏に浮かびます。
「ねえ、アナスタシア様。あたしはちゃんと知っているの」
「あなたが何を知っているというの!?」
「アナスタシア様って本当は、このお屋敷から離れたくないのでしょ?」
「!」
「だからねえ、あたしはきっと良いことをしたのよ。あたしは殿下が大好きだし、好きな人と一緒にいられるなら場所なんてどこだっていいんだから」
デイジーなんて元気が取りえの野生児です。美しさも血筋も品格も、すべてにおいて私の方が勝っています。
ですが私がこうして家族と離れ離れにならずに済んだのは、その野生児のお蔭に他なりません。
私はこのまま、出て行かなくても良いのでしょうか。
ずっとずっと、この屋敷にいても良いのでしょうか。
嬉しくてたまらなくなった私は、思わず隣にいたお兄様へと身を摺り寄せました。
「あらあら、甘えちゃって。ふふ、服がすっかり毛だらけよ?」
「構わないさ。……なぁ? アナスタシア」
お兄様に答えるかわりに、私は喉をゴロゴロと鳴らしました。
本当に癪ですが、あの泥棒猫……もとい、泥棒犬に感謝しなければなりませんね!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
勘の良い方なら、タイトルの時点で『泥棒猫』って……と引っ掛かりを覚えたのではないでしょうか?
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※この作品は「ハッピーエンドが好き」シリーズの一つです。読後感の良い短編をシリーズとしてまとめています。




