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GatePair: Link〜【いいね】で始まる異世界マッチング〜 (ゲートペア)  作者: 愛崎 朱憂


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9/20

[Side M/異世界]Link: エルフ-04

 返事は出来なかった。

 口の端まで来た言葉がそのまま胸の奥に落ちる。

 視線の先に居る人は、待っているようで待っていない。

 沈黙を責めない、という態度だけが残る。


 ここに居ていいのか。

 私は帰れるのか。

 何を選んだことになっているのか。


 分からないことが多過ぎて、同じ場所に居続けるのが苦しくなった。


「……少し、外に出ても良いですか」


 私はリュミエルにそう言った。

 短い間があって、頷きが返る。


「庭園があります。遠くへは行かないでください」

「はい」


 それだけで会話は終わった。

 終わったのに、胸の中の音だけが終わらない。


 建物を出ると、空気が変わる。

 森の奥ほど濃くはない。

 けれど、整えられた緑の匂いがする。


 石畳の向こうに、小さな庭園があった。

 水の音。

 葉の擦れる音。

 静かで、静か過ぎて、今度は私の呼吸が目立つ。


 そこで白い手袋の人を見つけた。


 昨日、前に立っていた背中。

 剣を振るった腕。

 あの時は輪郭を意識する余裕が無かった。


 今は、近い。

 背は高くない。

 肩幅も思っていたより狭い。

 顔が見える距離になって初めて分かる。


 マスクをしていない。

 隠すものが無い顔で、こちらを見ている。

 目が、優しい。


 ──あ。


 そこで初めて、白い手袋の人が女性だったことに気付いた。


 声を掛ける前に、こちらに気付く。


「もう歩いて大丈夫?」


 低い声じゃない。

 落ち着いた声だった。


「……はい」


 反射で頭を下げる。

 けれど、続く言葉が出て来ない。


 お礼を言えば良い。

 そう思うのに、胸の奥で何かが固まっている。


 沈黙が落ちる。

 その沈黙に圧は無い。

 でも、勝手に手順を失ったみたいで、身体が落ち着かない。


「耳に違和感は無い?」

「……はい」

「良かった」


 問い詰めない。

 距離を測らない。

 その『しない』が、私の立ち位置を私に返す。


 だから、私は自分で立たないといけない。


 ここで名前を聞く勇気は未だ無い。

 でも、昨日のことをそのままにしておくのも違う。


 私は一度、息を整えた。


「あの……。あなたが前に出たのは……何故ですか?危険だったのに」

「私なら守れると思ったから……かな」


 誇らない言い方だった。

 近付かない。

 でも、突き放さない。


 胸の中で固まっていたものが、少しだけ緩む。

 ここで話を終えても、きっと怒られない。


 私はやっと言える場所を見つける。


「……昨日は、助けてくれて……ありがとうございました」

「うん」


 礼を受け取った、というより、事実を確認したみたいな返事。

 それでも、受け取られたのが分かる。


「私は──シルヴェーヌ」


 そこで初めて名前が落ちる。

 落ちた名前は音が綺麗で、綺麗だからこそ、触り方を間違えそうになる。


「……シルヴェーヌさん」

「あなたは?」


 私は一拍遅れて答えた。

 遅れたのは、整える時間が必要だったから。

 でも、遅れても答えられたのは、私が未だここに居るからだ。


「ミユ、です」

「ミユ」


 呼ばれる。

 名を呼ばれるだけで、身体の中の散らかった部品が少しだけ揃う。


「私のことは、シルヴェーヌって呼んでほしいな」

「はい……じゃあ、シルヴェーヌ」


 シルヴェーヌは私の耳の辺りに視線を移して、直ぐ戻した。

 気にしてくれているんだと分かった。


「もう痛くない?」

「大丈夫──」


 反射で敬語になりかけて、途中で飲み込んだ。

 飲み込めたのが、自分でも意外だった。


「うん。それでいい」


 シルヴェーヌは優しく笑った。

 噴水に跳ねた水音が、少しだけ近く感じた。


 私は胸の中に残っている別の重さに触れる。

 触れたくないのに、触らないと戻れない種類の重さだ。


「……シルヴェーヌ」

「どうしたの」

「私の所持品のこと……今はリュミエルが預かってるって」


 命を助けてもらった後で、物の話をしている。

 言った瞬間、情けなさが先に来た。


 でも、シルヴェーヌは表情を変えない。

 変えないまま、ちゃんと頷く。


「大事な物だよね」

「……うん」

「体調が戻ったら、返却するって……そう言ってた」


 『そう言ってた』──その言葉は優しいのに、私の胸には残酷に響く。

 シルヴェーヌのせいじゃない。

 私が勝手に音を足している。


「……私、身構えてるんだと思う」

「うん」

「約束を信じたいのに、信じ切れない」


 言ってしまってから息を止めそうになる。

 言葉は吐いたら戻らない。

 でも、今は吐かないと前に進めない。


「そっか。じゃあ、言わないと伝わらない」

「……」

「リュミエル様は、察さない。悪気じゃなくてね」

「察さない……」


 『様』って呼び方の方が距離を保てる気がした。


「普段、察する必要が無いだけ。リュミエル様はケン王の一人だから」

「ケン王?」


 シルヴェーヌは水音に耳を預けるみたいに言う。

 説明のために声色を変えたりしない。


「冠の名。役目の名でもある」

「エルフの永い歴史の中で、ケン王と呼ばれたのは三人だけ」

白冠ハッカンの剣王ブランシュ様。朱冠シュカンの拳王ルージュ様。翠冠スイカンの賢王リュミエル様」

「……」

「エルフの森の秩序は、今の大長老であり翠冠の賢王である──リュミエル様が護ってる」


 私は自分が居る場所の重さを遅れて理解する。

 理解すると張り詰めた部分が形になる。


「そんなに凄い人だったの?」

「うん。凄い、で合ってると思う」

「リュミエル様は、どんな現実も有りのままに受け入れる」

「そうしないと判断が曇る──って、皆に言ってる」

「だから私達もリュミエル様には嘘は吐かない。思うことを正直に言う」

「……怒られたりは?」

「無いかな。咎めること、責めることは……嘘の火種って言ってた」


 言い切りが真っ直ぐ過ぎて眩しい。

 でも、真っ直ぐだから分かり易い。

 分かり易さは、時々、救命具みたいに浮く。


 私は小さく息を吐いた。


「私、壁を作る癖があるのかも」

「うん」

「守られてるのに『怖い』って思ってしまう」

「うん」

「……相手のせいにしたくない。したら、ずっと戻れないから」


 シルヴェーヌは覗き込まない。

 距離を詰める言葉だけを置く。


「思うことを言ってみたらいい」

「私が、思うこと……?」

「自分の思うことは自分にしか届かないから」


 水音が戻って来る。

 戻って来た水音の中で、私はやっと息を吐けた。


 私は頷いた。

 頷くしか出来なかった。

 それでも──頷けた。


 二日後。


 耳の痛みが薄くなる。

 薄くなるだけで世界が戻って来る。

 戻って来るのに、張り詰めた部分は残る。

 残るものの居場所だけが変わる。


 私は庭園の端に座っていた。

 膝に手を置く。

 手の置き方だけが、現代の仕事のままだ。


「ミユさん」


 呼ばれて身体が跳ねる。

 跳ねて、振り向く。


 翠冠の賢王──リュミエルが、私の前に立っていた。


 手の中にiPhoneがある。

 硬い角の重さ。

 帰り道の形。


 ──エルフがiPhoneを持っている。


「返却は体調が戻ってから、と言いました」

「……はい」


 私は取りに行きたいのにその半歩が出ない。

 出ない理由を私はもう知っている。


「怖がらせましたか?」

「……いえ」


 反射で否定しそうになって、途中で止めた。

 止められた、と自分でも驚く。

 でも、止めないと同じ場所に戻る。


「……怖かったです」

「なぜ?」

「あなたが嘘を吐くとか、そういうことじゃなくて」

「……」

「私が、勝手に物語を作ってしまっていた。預けた、が……奪われた、に変わる物語を」


 言いながら胸が苦しい。

 苦しいのに言葉は途中で逃げなかった。

 私が逃がさなかったからだ。


「返却の約束を守ってくれたのに。私が勝手にリュミエル様を疑ってました」

「……理解しました」


 淡々。

 淡々なのに受け取られたのが分かる。

 『受け取られた』は、安心の形に近い。


 私は一度だけ息を吸って、続けた。


「だから……お願いがあります」

「言ってください」


 逃げ道を作る言い方だった。

 逃げないための逃げ道。


「私に、返してください」


 言えた。

 命令じゃない。

 要求でもない。

 私が欲しいものを、私の言葉で出しただけ。


 リュミエルはiPhoneを少し持ち上げた。


「私からも」

「……はい」

「私を、『リュミエル』と呼んでください」

「でも……」

「私は、あなたに距離を作られたくない」


 言い方が鋭い。

 でもそれは刃じゃなくて方向指示に近い。

 私は唇を一度だけ噛んでから言った。


「……リュミエル」


 名を落とすと、胸の固さが少しだけ割れた。


 リュミエルはiPhoneを私の手に渡した。

 硬い角が掌に戻って来る。

 戻って来るだけで息が出来る。


「あなたは自分で壁を作る癖がある」

「はい」

「壁は必要な時もある」

「……はい」

「しかし、壁の内側であなたが苦しくなるなら、それは『壁』ではなく『檻』になる」


 私は返事が出来なかった。

 返事の代わりにiPhoneを強く握った。


 怖かったのはリュミエルが嘘を吐くことじゃない。

 私が勝手に嘘の形を作っていたことだ。


「……ありがとうございます」


 最後に敬語が出た。

 直そうとして、直せなかった。


 リュミエルは咎めない。

 咎めないまま、視線だけで『次からで良い』と言う。


 庭園の水音が戻って来た。

 戻って来た水音の中で、私はやっと息を吐けた。


 その夜。


 部屋に戻ると静けさが戻って来た。

 静けさが戻ると考えが戻る。

 戻る考えは音じゃなくて形だ。

 形になったものは押さえなくてもそこに居る。


 私はベッドの端に座って手の中の重さを確かめた。

 黒い角。

 掌の線に沿って帰り道の輪郭が収まる。


 ──iPhone。


 返って来た。

 返って来たのに安心は遅れて来る。

 私は余計な物語を作ってしまう癖がある。


 部屋の灯りは暖かい。

 それでも指先は冷たい。


 私は画面を点けた。


 GatePair: Link。


 【メッセージ】。


 押すだけで世界が一つ増える。

 増えた世界の中に二つの重さが並んでいた。

 一つは森の外側にある死。

 もう一つは、ここに居続けた後の──私の中の変化だ。

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