[Side Y/異世界]Link: 聖女-03
その夜、僕は一人で城下へ出た。
iPhoneを握る。
画面を点けないまま。
ポケットの中で角が掌に当たる。
それだけでそこに帰り道があるのを思い出す。
【ブロック】。
帰るための操作。
帰る、なのに。
切る。消す。永久。
単語が重い。
その重さが現実になる前に僕は歩いた。
夜の城下町は昼より好きだった。
音が少ない。
人の声が薄くなって代わりに足音が残る。
灯りが優しい。
店先の火が揺れて石畳の陰影が柔らかい。
生活の匂いがする。
煮込み、木、服、洗った髪の匂い。
誰かが今日を終えて、明日を始める匂い。
──ここで暮らす。
その言葉がほんの少しだけ現実味を持つ。
現実味を持つから直ぐ次が来る。
──仕事。
現代の僕には、現代の僕の席がある。
行かなければ回らないものがある。
回らなくなったら誰かが困る。
「まあいっか」
口に出してみる。
投げるみたいに言ったのに、釣り針みたいに自分で引っ掛かった。
投げ方が雑過ぎる。
雑に投げたものが僕の足首に絡まって戻って来る。
──咲希。
会えなくなる。
LINEは──出来る。
僕は兄で居たい。
そう思っているのに思っているだけで守れている訳じゃない。
僕は立ち止まって、ふと息を吸った。
──スターバックス。
スタバに行けなくなるのが嫌だ。
それはコーヒーじゃない。
フラペチーノでもない。
──隣の席の、あの人。
ページを捲る音。
視界の端で勝手に輪郭が立つ横顔。
僕はお店に行きたいんじゃない。
あの人が居る可能性に毎回賭けているだけだ。
窓があった。
夜の店のガラスに自分が薄く映る。
僕は自分の顔を見た。
帰る側の顔をしていた。
考えて答えを出した顔じゃない。
表情だけが先に結論を言っている。
僕は目を逸らせなかった。
iPhoneが震えた。
魔女からの返信。
短い文章なのに読み終わる前に胸の奥が先に重くなる。
頼み事じゃない。
質問でもない。
言葉にする直前で、何度も手前に引き返した跡だけが残っている。
僕は立ったまま返せなかった。
石畳の冷たさが靴底から上がって来てこっちの心拍だけが急ぐ。
画面を閉じても重さは消えない。
閉じたら、きっと彼女はまた一人で抱え直す。
指を動かす。
いきなり慰めない。
大丈夫だ、とも言わない。
先に聞く。
何が実際に起きていて、何が想像の中で膨らんでいるのか。
言えないまま抱えてきた理由は──弱さじゃなくて、守りたいモノがあるからじゃないか?
送って、直ぐまた震える。
読み、止まり、返す。
言葉の形は毎回違って、同じ所で躓いているのだけが分かる。
それを何度か繰り返す内に僕の呼吸が揃っていく。
揃うのは僕のためじゃない。
彼女に答えを示したい訳じゃない。
ただ、絡まった糸の端を一つだけ見付けて、指に巻き直してあげただけだ。
そのくらいで良い夜がある。
僕は送信を終えて、漸く歩き出した。
足音が戻る。
火の揺れも戻る。
生活の匂いも戻る。
帰る側の顔は未だ消えないのに、誰かの心だけは置き去りにしなかった。
石畳を踏む。
硬い音が戻って来る。
戻って来る音が妙に安心だった。
この世界は優しい。
優しいのに引き留める。
昼の大聖堂は白い。
夜の城下は色がある。
色があるから迷いが紛れる。
でも紛れた分だけ戻った時に白が刺さる。
僕は早足になった。
戻ったのは大聖堂の客間だった。
白い壁、白い器、白い灯り。
白が綺麗に整列している。
整列していると、自分の呼吸の乱れだけが浮く。
祈りの部屋の静けさより、ページを捲る音の方が僕を呼ぶ。
扉の向こうで白い空気が待っていた。
──お昼ちゃん。
居るのに、近付いて来ない。
近付けない距離を守って、待っている。
待つのが仕事の人の待ち方だ。
仕事なのに、待ちたくない人の目をしている。
僕はiPhoneを取り出した。
真っ暗な画面を見ただけで心臓が一度だけ跳ねる。
──【ブロック】。
帰るための操作。
でも同時に……永久切断。
重さがやっと手の中の重さになった。
僕はお昼ちゃんに言う。
客間の床の上で、ちゃんと立って言った。
「僕は、帰りたい」
自分の声が妙に落ち着いて聴こえた。
落ち着いているのが怖い。
お昼ちゃんは直ぐに泣かなかった。
泣かないまま笑った。
涙を溜めたまま、笑った。
笑い方が聖女の笑い方じゃない。
人の笑い方だった。
「……ごめんなさい」
責めない。
責めないのに胸が痛い。
「聖女は、待つのが得意なはずなのに」
その一文が胸の辺りから出て来たみたいに聞こえた。
出したくないものを出してしまった音だ。
僕は言葉を探した。
探して、出て来たのがこれだった。
「お昼の太陽は、沈んで良い」
自分で言って、何様だと思う。
でも止められない。
「沈んで良いんだよ」
お昼ちゃんの涙は落ちなかった。
落ちないまま睫毛の上に留まっている。
「一旦、帰るのですね。一旦」
お昼ちゃんは笑顔を見せる。
「お昼ちゃん──」
「良いのです。一旦帰る、で」
お昼ちゃんは天井を仰ぎ。
「またね、で」
僕は何も言えなくなってしまった。
嘘は吐けない。
でも、真実の刃で傷付けることは躊躇われた。
「……では」
お昼ちゃんは指先を揃えた。
祈りの癖の形。
「ブロックは、私が押します」
その声は震えていない。
震えていないから強い。
その時、iPhoneが一度だけ震えた。
僕は見ないつもりで、でも見てしまう。
[マッチング成立]相手:エルフ
僕は直ぐに画面を伏せた。
今ここで増えた入口が一番要らなかった。
「だって私は聖女だから。あなたを守る」
重さがそこで反転する。
重さが強さに変わる。
強さが──そのまま痛みになる。
僕は息を吸って、吐いて言った。
「でも、僕はセイントガードだから──」
単語を口にした瞬間、少しだけ照れて笑いそうになる。
「君を守るよ」
お昼ちゃんが目を見開く。
目を見開くのに、涙は落ちない。
「君に、誰かを自分の手で消す痛みを遺して行けない」
それが言えた瞬間、僕の中の【ブロック】が『操作』じゃなくなる。
『守る』になる。
僕はiPhoneを取った。
画面を開く。
指が震えなかった。
震えないのが、一番残酷だと思った。
お昼ちゃんの手が伸びる。
伸びるのに、触れない。
触れないまま、止まる。
お昼ちゃんは待つ。
待つのが仕事だから。
僕は画面を見た。
【ブロック】。
押せば終わる。
押せば二度と戻らない。
押せば、お昼ちゃんの待つが宙に浮く。
僕は勝手に押した。
視界が白くなる。
白い光が大聖堂の白と重なる。
「元気でね」
「ユウキさんも」
「風邪引くなよ」
「ユウキさんも」
「ちゃんと寝るんだよ」
「ユウキさんも!」
「ちゃんとご飯──」
「また会いたい!」
言われた瞬間、胸が詰まった。
詰まって息が短くなる。
お昼ちゃんの涙が漸く落ちた。
落ちたのに、お昼ちゃんは笑っていた。
聖女は、待つのが仕事だから。
だけど、お昼ちゃんは待つのが苦手で。
そして、待つのが苦手な人ほど──別れが上手い訳じゃない。
『またね』
僕は最後に口の形だけをお昼ちゃんに遺した。
嘘は吐いていない。
世界が無音になる。
無音のまま、帰る。
世界が戻った瞬間、最初に聴こえたのは冷蔵庫の低い唸りだった。
音がある。
現代の音だ。
僕はベッドの端に座っていた。
同じ姿勢。
同じ部屋。
同じ天井。
なのに、さっきまでの白が目の裏に残っている。
ふと、時計を見る。
長針が右から左に回っているだけだった。
──たった三十分しか経っていない。
どういう仕組みだろうか?
一旦──取り敢えず、考えるのを放棄した。
次にiPhoneの画面を観る。
【ブロック】。
帰るための操作。
帰るための操作なのに、帰る前より重い。
画面には短い表示が出ていた。
[ブロックが完了しました]
完了。
この単語だけが異様に事務的だ。
僕は親指を動かした。
GatePair: Linkのトーク一覧を見る。
[聖女]が無い。
消えたというより存在しなかったみたいに綺麗に消えている。
最後の言葉を確認したくて指が勝手に探す。
探して、何も見付からない。
『また会いたい!』。
声だけが残っている。
残っているのに文字が無い。
僕は咲希にLINEをしようと思って止めた。
この痛みは独りで処理しなくてはならないモノだ──お昼ちゃんも、きっと同じだから。
朝、いつもより早く起きた。
いつも通り出掛ける準備をしても、きっとスタバは空いていない。
iPhoneを観ると。
[エルフ]初めまして。よろしくお願いします。
[エルフ]私は恋愛をしたことがありません。あなたはそれをしたことがありますか。
返事を考える。
少し気持ちが落ち着いてしまうのが嫌だった。
きっとスタバに行って、そこにしおりちゃんが居たら……
いつもの様に振る舞うんだろう。
いつもの様に会話をして。
いつもの様に笑う。きっと。
[ユウキ]初めまして。僕はユウキって言うよ。
[ユウキ]僕は恋をしたことあるよ。
[ユウキ]エルフは寿命が長かったりするの?
不意に思い立つ。
本屋に行こう。
外に出て、駅直結のショッピングセンタまで歩く。
日曜日だと言うのにスーツを着て駅に向かう人が存外多い。
僕は意識していつもよりゆっくり歩く。
平日の『まぁいっか』と同じリズムを休日に持ち込みたくなかったから。
本屋に着いた。
文庫本のコーナーを見る。
本屋に来ると大抵、いつも森博嗣の棚を見て、澤村伊智の棚を見る。
そして、最後に──『異邦の騎士(改訂完全版)』が目に飛び込む。
ちゃんと準備体操していただろうか?
『改訂完全版』。
実家の本棚にあるのは初版だ。
わざわざ改訂した完全版だと銘打ってある。
──欲しい。
気付いたら手に持ってレジに並んでいた。
「いらっしゃいませ」
小さな丸い目。
前髪は眉の下に切り揃えている。
黒いボブヘアーは顎の真下まで。
艶のある髪には天使の輪が出来ていた。
背が低い──スタバの天羽ちゃんと同じくらい。
僕は思わず。
「君、凄く綺麗な髪だね。天使の輪が綺麗に出てる」
「え?あ……」
警戒より戸惑いが先に出るタイプ。
慣れていないのが分かる。
僕は、ほんの少しだけ会話のスピードを落とす。
「そういうのってさ、美容院でやるの?それとも、毎日のお手入れの仕方にコツがあったりするの?」
本屋の子の目に『理解』の色を見た。
「僕も、そんな風に艶々な髪になりたいな〜って」
「……あ、いえ。美容院とかじゃなくて、普通に家でトリートメントしてます」
「へぇ、何てやつ?特別なトリートメント?」
「普通に、どこでも売ってます」
「僕も欲しいから教えて」
「あ、はい。HIMAWARIってやつ──」
「僕と同じじゃん。流石にトリートメントは使ってなかった。シャンプとコンディショナだけだ。今度、トリートメントも買ってみるよ」
「はい。ありがとうございます」
「ありがとうって……君、ディアボーテの営業さんだったっけ?」
僕は少し大袈裟に笑顔を見せる。
「あ……」
「君は本屋さんなんだから、本屋さんの仕事をしてください」
「あ、すみません」
本屋の子は慌てて、レジを打つ。
「ごめんごめん。揶揄っただけ、僕が関係無い話したんだよ。あ、カバー掛けてください。袋は不要です。PASMOで」
「はい。すみません」
「だから謝らなくて良いって。寧ろ、僕は楽しかったよ。ありがとう」
レジ横にある栞を選ぶ。
スタンダードな花の栞。
美術展の栞。
──僕は美術展の栞を手に取った。
「商品は、こちらです」
「綺麗にカバーしてくれてありがとう。お仕事頑張ってね」
栞を挟んで、本を受け取った。
iPhoneを観る。
さっき本屋の子と話している最中に通知が来ていた。
一つはLINE。咲希からだ。
『聖女タソどう?萌え萌えきゅん?』
僕は返事を打つ。
『ブロックした』
送ってから、胸がちくりと痛む。
『まぁ、そんな時もあるっつーか……殆どがそんなもんだよ』
『そんなもんなのか?でも、良い子だったよ。もうちょっと居ようかなと思ったけど、長く居るほどブロックの時にお互い傷付くかなと思って』
『情が移るってやつね』
『それな』
『でも、兄者よ。情が移ったら何が駄目なの?』
『妹者よ。情は移っても良いよ。でも、離れるときに傷付く。たった二日間なのにヘビーだぜ』
『あ〜、ね。二日間なら……四十五分くらいか?』
『そうそう!それ、どーゆー仕組み?あ……ありのまま、今起こった事を話すぜ!向こうで二日間居たのに、こっちでは三十分くらいだった』
既読が付かない。
もう一つの通知を見た。
[エルフ]どの様な恋をしたことがありますか?
[エルフ]エルフは長寿です。
[ユウキ]恋はメッセージでは説明出来ないよ。一つひとつの恋には一人ひとりの『本気』だけが詰まってるから。
[ユウキ]長寿と繁栄を。
咲希からのLINEが送られてくる。
画像だ。
──壊れた時計の画像。
まさか……咲希……。
お前の伝えたいことというのは……アプリの仕様の謎をおまえは解いたのか?
『時計を破壊……』。
『時計の針を破壊』……。
『時計をとめる』……?
また通知がくる。
[エルフ]とても興味深いです。私はあなたと会って話をしてみたい。
お昼ちゃんもエルフさんもどうしてこうも、躊躇無く無防備なんだろうか?
[ユウキ]一度しか会えないよ?ちゃんと付き合う気がある?
[ユウキ]会って、合わなければ……それは仕方無いけど。
iPhoneをポケットに入れ、本を手の中に確かめて、スタバに向かった。




