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GatePair: Link〜【いいね】で始まる異世界マッチング〜 (ゲートペア)  作者: 愛崎 朱憂


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7/20

[Side M/異世界]Link: エルフ-03

 ヤマタノオロチの咆哮が森を押し潰した。

 空気が揺れて、葉の裏側の水滴が一斉に落ちる。

 落ちた雫が土に刺さる音まで聴こえた気がした。

 私の呼吸だけが、逆に聞こえない。


 影が滑る。

 滑る影の下で土が押し固められていく。

 足じゃない。

 重さだけが進んで来る。


 九つの首が同時にしなった。

 しなる動きが蛇みたいにしっとりしていて。

 その『しっとり』が一番嫌だった。


 泡立つ唾液が糸を引いて落ちる。

 落ちた場所の草が色を変えた気がした。

 気がしただけなのに、目が離れない。


 匂いが来る。

 鼻の奥が痛い匂い。

 葉が焼けるような刺激。


 強いお酒?

 消毒用アルコール?

──違う。

 これは酔わない。


 喉が勝手に閉じる。

 閉じるのに吸ってしまう。

 吸って、中の物を吐いた。


 胃が──内臓全部が裏返るみたいだった。

 身体全てが、今直ぐこの異物を全力で体外に排出しなくてはいけないと叫んでいる。


 吐き気が止まらない。

 なのに視線だけが逸らせない。

 逸らした瞬間、次に来るものが見えなくなる。


 ヤマタノオロチ。

 九つ。

 お酒?

 草薙剣?

 天叢雲剣?

 記憶から単語だけを滅茶苦茶に引っ張り出す。

 未来の猫型ロボットみたいに。


 お酒は無い。

 剣も無いし、あっても使えない。

 尻尾なんて、どれが尻尾だか分からない。

 分からないまま首だけが増殖するみたいに迫って来る。


──ブロック。


 その単語が先に浮かんだ。

 帰る、じゃない。

 消す、だ。


 私の手が勝手にポケットを探った。

 iPhone。

 指が震えてガラスの縁に爪が当たる。

 画面が点く前に、また匂いが来た。


 咆哮じゃない。

 息。

──ただの呼吸。


 それだけで森の空気が変わる。

 肺が焼ける。

 目が滲む。

 涙じゃない。


 吐き気が、また来る。

 私は一歩下がって靴底で草を潰した。

 潰した音がやけに大きくて位置がバレた気がした。


 九つの首が同時にこちらを向く。

 目が光る。

 光が、冷たい。


──終わる。

 そう思った瞬間。


 白が走った。


 森の暗さの中で、白い手袋だけが先に見えた。

 白い手袋が刃を握っている。


 次に、風が遅れて来た。

 風が遅れて来た分だけ、私は『助かった』と思いそうになって──直ぐに恥ずかしくなる。

 未だ終わってないのに。


 白い手袋の人が私の前に入った。

 細い背中じゃない。

 迷いの無い背中だ。


 九つの首が一斉にしなる。

 唾液が跳ぶ。

 泡が散る。


 白い手袋が上へ振り抜かれた。

 音が遅い。

 遅いのに、結果だけが先に来る。


 木の枝が千切れるみたいな音がした。

 首の一つが、落ちた。


 落ちた瞬間。

 匂いがもっと濃くなる。

 鼻の奥が痛い。

 葉が焼ける。


 私はその場に膝をつきそうになって、堪えた。

 堪えたけど、喉の奥が勝手にえずく。

 音が出るのが怖い。

 怖いのに止められない。


 白い手袋の人が短く言った。

 言葉は聞き取れない。

 でも命令の形だけは分かった。


 次の瞬間、森の奥が動く。

 影が複数、滑る。

 白い手袋と同じ白が、いくつも増える。


 精鋭部隊──。

 そういう単語が勝手に頭に貼られた。

 貼られた瞬間、逆に怖くなる。

 こんなモノが『森の中に居る』って、どういうことなんだろう。


 九つの首が怒ったみたいに揺れる。

 揺れる度に匂いが来る。

 来る度に身体が裏返る。


 白い手袋の人が私の方へ半歩だけ振り返った。

 視線が来る。

 視線だけで、走れと言われる。


 私は動いた。

 動くしかない。

 靴が草を踏む。

 踏む音が、また大きい。


 背中で、咆哮がもう一度森を押し潰した。

 押し潰される音の中で、私は未だ呼吸の仕方を思い出せない。


 走る。

 今は、それしかない。

 ブロックを探した手は、もう何も掴めないまま揺れていた。


 走ろうとして、足が自分の物じゃない。

 吐き気が身体の中心に居座って、心臓の鼓動だけが勝手に速い。

 回転数が上がるだけのポンコツなエンジン。

 葉を裂く音が何度も近付く。

 背後で九つの首が揃って滑る気配がした。


 気配だけで捕まる未来が見える。

 狙った獲物は決して逃さない。

 そんな気配が、もう森の空気そのものに混ざっていた。


 振り返る。

 白い手袋の人が、もう一度だけ口を動かした。

 手が、低く下を指した気がした。


 伏せろ──?

 逃げろ──?


 分からない。


 だから背中を向けて、もう一度走ろうとした。

 走り出す、その瞬間。

 ヤマタノオロチが、逃がさない為に声を出した。


 声は咆哮より細いのに、刃みたいに鋭かった。

 空気が一枚、裏返る。

 森が、一瞬だけ凍る。


──え?


 私は聴こえなかった。

 耳が遠いんじゃない。

 世界が遠い。

 世界が水槽の中みたいに遠くなる。


 音が消える。

 ヤマタノオロチの音がしない。

 精鋭部隊の人達の音がしない。

 森の音がしない。


──私の心臓の音がしない。


 耳から何かが出て来る感触に手を触れた。

 指先が濡れる。


──血?


 血?

 何で?

 何で、血?


 助けを求める様に白い手袋の人を振り返る。

 その人の手が、今度ははっきり下へ押す形になっていた。

 遅い。遅過ぎる。


 視界の奥で、九つの首が一斉に持ち上がっていた。


 腹が、大きく膨らむ。

 膨らんで、昇って行く。

 息を吸う為の動きじゃない。

 吐く為の溜めだ。


 紫の煙が視界を埋めた。

 触れたら溶けると身体が先に理解して足が止まる。


 それが、私が見た最後の色だった。

 意識が落ちる瞬間、怖いより先に安心が来た。

 もう選ばなくて良い──そう思ってしまった。


 次に目を開けた時、天井が木目だった。

 森の闇じゃない。

 部屋の暗さだ。

 鼻に薬草の匂いが入る。

 湿った土と違う。人が整えた匂い。


 耳の奥が痛い。

 痛いのに音が戻って来る。

 布が擦れる音。

 どこかで水の滴る音。

 遠くで鳥みたいな鳴き声。


 私はベッドの上だった。

 毛布の縁が手の甲に触れて体温が遅れて戻る。


 視界の端に写真で見た『エルフ』が居た。

 目が綺麗で、綺麗過ぎて嘘っぽい。

 嘘っぽいのに、目を逸らせない。


「お目覚めですか。怖かったでしょう?」


 声は落ち着いている。

 落ち着きが、逆に怖い。

 こちらの呼吸だけが乱れているのが分かる。


「あ……初めまして、ミユです」


 自分の声が掠れていた。

 喉が乾いている。


「初めまして。私はリュミエルです。エルフの森の長をしております」


 『長』。

 単語だけが部屋の中で浮いたまま落ちない。


「あなたの耳は救護班が直しました。鼓膜が破れていました。命に関わる損傷ではありません」


 命。

 それがあまりにも簡単に出て来る。

 簡単に言われるほど、さっきまで近かったのが分かる。


「隊長の防御魔法が間に合って良かった。毒の息は防がれました。ですが、あなたは吸い込み過ぎた。意識を失うのは当然です」


 当然。

 当然と言われると自分の弱さだけが確定する。

 私は返事を探したが、言葉が喉の奥で引っ掛かった。


「それと」


 リュミエルが視線だけを少し下げた。

 私は自分の胸の辺りに視線を落とす。

 ポケットの重みが無い。

 指が勝手に探る。

 そこにあるはずの硬い角が──無い。


「あなたの所持品は保管しています。返却は、あなたの体調が戻ってから」


 保管。

 返却。

 丁寧な手順の言葉なのに鍵の音が混ざって聴こえた気がした。

 私はもう一度、ポケットに指を差し込む。

 何も掴めない。

 掴めないまま、爪先から冷えていく。


「……返してください」


 声が思ったより小さくなった。

 お願いの形にもならない。


「あなたの体調が戻ってから」


 同じ言葉が同じ温度で戻って来る。

 そこに他意が無いのが分かる。

 分かるのに恐怖だけが増える。

 私は帰り道のボタンの位置を頭の中で探した。

 探して、どこにも無いことに気付く。


 考えると壊れそうだった。

 だから、壊れない話から触れた。


「あの……さっきの……九つの首の」


 息を吸うと喉の奥が未だ湿っている。


「ヤマタノオロチは……?」


 名前を付ければ落ち着くと思った。

 落ち着かなかった。


「……あれは、ヤマタノオロチではありません」


 分かっていなかったから、名前を付けた。

 その名前が折られて足場が崩れた。


「ヒュドラです。首は再生します。隊長が一つ落としましたが、直ぐに戻った」


 直ぐに──。

 その言葉が冷たい。

 切ったはずのものが戻るなら、逃げた距離も戻って来る。


「我々はあなたを抱えて退きました。ヒュドラは狙った獲物を逃がしません」


 逃がさない。

 私は笑おうとして、出来なかった。

 笑い方を思い出せない。


「エルフの森に来ますか?」


 問いの形をしている。

 でも、選べる順番の声じゃない。

 もう決まっているものの確認に近い。


「来ます。遭遇したが最後、選択肢は二つだけです。死ぬか、殺すか」


 私は喉の奥を押さえた。

 吐き気は止まっているのに身体が拒絶の形を覚えたままだ。


「すみません」


 口から勝手に出た。

 止められない。


「……何を謝る必要が?」


 リュミエルの声は変わらない。

 変わらないから余計に怖い。


「いえ……私のせいで、皆さんにご迷惑をお掛けしてしまって」

「エルフは嘘を吐きません。どの様な嘘も時間には勝てません」

「……?」

「時間が経てば、嘘はバレるのです。だから、我々は嘘を吐くことに意味を見出しません」


 それは優しさじゃない。

 私の胸が盾から剣に変わろうとする。

 倫理でもない。習性だ。

 その習性の中に自分の逃げ道が一つも無いことに気付いた。

 熱が無いから、形は変わらなかった。

 だから、盾だけ堅くはなった。


「私はあなたを守る、とメッセージでお伝えしました。ですから、どうか。私にミユさんを守らせてくれませんか?」


 お願いの形をしている。

 でも、拒む言葉が見付からない。

 拒めば、次にどこへ行けば良いのか分からない。

──優しさの形をした要求は断り方が分からない。


 返事を探した。

 探している間に、耳の奥がまた少し痛んだ。

 痛みだけが、現実だった。

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