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GatePair: Link〜【いいね】で始まる異世界マッチング〜 (ゲートペア)  作者: 愛崎 朱憂


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5/20

[Side Y/現代]Link: 聖女-01

 朝起きると通知が二件来ていて震えた。

 ヘッドボードに置いていたはずが、ほんの少しだけ位置をズラしている。

 夜中の内に僕より先にiPhoneが二度も戦慄していたらしい。


 ロック画面に出た文字は短いのに、短いまま心に残った。


 [マッチング成立]相手:魔女

 [マッチング成立]相手:聖女


 僕は洗面台の前で顔を洗って、歯を磨いて、服を着た。

 UNIQLOのタートルネックに、黒のスラックス。

 ANREALAGEのボールライトコートを羽織る──最近買ったばかりのお気に入りだ。

 いつものDr.Martensのチェルシーブーツに足を滑り込ませる。


 いつも通りの物があると、何かが起きても後悔しなくて済む。


 家を出て、昼の光の中で歩く。

 駅前の風が少しだけ柔らかい。


 四月の匂いは、未だ冬の乾きを混ぜたまま少しだけ花に寄っている。

 花の匂いじゃない。

 花に寄ろうとしている匂いだ。


 スターバックスは自動ドア。

 ノックしないでも入れるのが楽だ。


 土曜の昼のスターバックスは夜より少しだけ現実的だ。

 列が長くて会話の粒が多く、空気が人の体温を先に含んでいる。


 席を探して、視線を置く。

 バーの真正面にあるソファ席の――あの人が居た。


 いつもは夜の閉店間際なのに。

 昼に居るのは、イレギュラだ。

 イレギュラは良いことの便りにも、悪いことの知らせにもなる。


 白いシャツ。

 袖は肘の手前まで捲られている。

 ダークブラウンの髪は低めに纏められて、薄い前髪が目元にかかっている。

 大きめの黒目。

 穏やかな視線。

 静かなのに輪郭だけが立つ。

 視界の中で、その席だけ解像度が違う。


「ユウキさん、こんにちは」


 レジの向こうから声が飛んで来て、僕は反射で顔を上げた。

 パートナーのしおりちゃんが笑っている。


「マッチングアプリ始めました」

 

 しおりちゃんの目が一瞬だけ動く。


「冷やし──じゃなくて、お茶漬け食べたくなりますね」

「……?」


 僕はその場で置き去りになる。

 置き去りにされたまま、しおりちゃんの頭の中の階段を見上げる。


 しおりちゃんが一段降りて来る。


「あなたに恋をしてみました」


 僕は一拍遅れて、しおりちゃんの到達点に辿り着いた。

 冷やし中華の札が見えて、そこからchayの曲が聴こえて、永谷園の文字が出て来て、お茶漬けに到達する。


「へぇーーーっ!面白いよ!感動した!」

「ふふ、ありがとうございます」


 しおりちゃんは姿勢を正す。


「それでは記念に、彩愛ちゃんスペシャルをヴェンティサイズの~……グラスでドンッ!」

「ドンって何──」

「もう一回頼めるドン」

「怖い怖い怖い!」

「二杯目をドンッ!」


 レジの金額が上がる。

 現実が容赦無く積み上がる。


「やめて」

「もう一回頼めるドン」

「しおりちゃん、落ち着いて──」

「三杯目もドンッ!」


 また上がる。


「もう勘弁してドン~」

「では、三杯でお会計二一七八円──」

「違う違う!違うから!」


 ドリンクを受け取ってソファの端に座る。

 隣の席から甘い柔軟剤の匂いがした。


 iPhoneを出して、アプリを開く。


【GatePair: Link】


 トーク一覧に二つ並ぶ。


[魔女]

[聖女]


 指が止まる。

 先に、魔女。


[ユウキ]僕は、ユウキって言うよ。君は?


 送信。


 次に聖女のトークルーム。

 考えて──同じ文を打つ。


[ユウキ]僕は、ユウキって言うよ。君は?


 送信。

 送った瞬間、喉が少しだけ乾いた。

 フラペチーノを飲む。

 あの日の改札を思い出して、胸がちくりと痛む。

 僕は息を吐いた。


 隣のあの人は、いつもどおり島田荘司の『異邦の騎士』を読んでいる。

 僕が一番好きな物語だ。

 だけど『摩天楼の怪人』こそ、島田荘司の最高傑作。


 彼女は不意に本を閉じ、iPhoneを手に取った。

 時々、iPhoneの通知を確認する癖があるのは知っていた。


──今回は、少し長い。


 普段、あまり見ない光景に胸の中が騒めく。

 Dr.Martensが『考えても無駄だ』と踵を鳴らす。


 LINEを開く。

 咲希のトークが一番上にある。

 短く打つ。


『マッチングした』


 直ぐに既読が付く。

 既読が付くのが早い。

 早いのが当たり前になってるのが、少しだけ救いだ。


『はや。誰と?』

『魔女と聖女』

『属性強くて草。会いに行くの?』


 会いに行く。

 その言葉が現代の床に落ちた瞬間だけ、音がした気がした。


『会いに行くって、【リンクを申請する】を押したらどうなるの?』

『相手に通知が行く。で、相手が受け入れたらリンク成立。兄が異世界に肉体ごと飛ぶやつ』

『肉体ごと飛ぶ、って……一旦ね。一旦』

『怖いよ。小説でもアニメでも無いから、腕が吹き飛んだら腕が吹き飛ぶ。だからブロックは絶対に忘れちゃダメ、絶対。危険が危なくなったら躊躇わずブロックすること!ぷいきゅあとのやくそくだお』


──ブロック。

 帰るための操作。

 帰る、って言葉がやけに綺麗に見える。


『でも、ブロックしたら二度と会えないんでしょ?がんばえ~!ぷいきゅあがんばえ~!』

『会えない。喋れない。メッセージも無理。永久切断』


 永久。

 軽く言うには重い単語だ。


『押さない。駆けない。喋らない。戻らない。防災訓練みたいな?』

『兄の襲来は異世界人にとっての災害だから、『おかしも』はあちらの世界側で、準備が必要だな笑』

『じゃあ、会いに行くって押すのは、ほぼ互角の覚悟だね。一旦ね。一旦』

『覚悟って言うとカクゴ良いけど……多分、勢い。勢いで死なないでね。あ!あと忘れずに靴を履いて行くようにね』

『ったく、しゃーねー妹だな。死なないで!お兄ちゃん!ってか』

『ファルシのルシがコクーンでパージくらい分からん』


 僕は少し笑って、笑い切れずに止まった。

 こういう会話は簡単だ。

 簡単な会話で、自分を落ち着かせようとしているのが分かる。


 通知がまた光る。


──[魔女]


 通知のプレビューだけは読んでしまっていた。

 短い礼儀と、名乗り。

 その文面が丁寧であるほど、返事を急かされる気がしてしまう。


 既読を付けたら、追い立てられる──

 僕は内容を胸の奥に押し込んで、通知をスワイプした。


『ところで兄者、初回インストールのとき【リンクを許可】って出た?』


 僕は眉を寄せた。

 出た。確かに出た。

 通知は許可して、リンクは後回しにした。


『なんだね妹者。出たサヘキサ塩酸。良く分からないから許可してない。偉い?偉い?』

『なら良かった。とりま今夜はメッセージだけしとけ』

『一旦ね。一旦』

『それ流行ってんの?笑』

『一旦ね。一旦』


 僕はGatePair: Linkに戻る。

 スタバの騒めきが少しだけ遠くなる。


 さっき返事のあった魔女へ、何か送ってみようか。

 当たり障りのない質問。


[ユウキ]好きな食べ物は何ですか?


 送信。


──送れない。


 なぜ?

 画面に小さく出る。


[不適切な単語が含まれています]


 僕は瞬きをした。

 文のどこが駄目なんだ?


 試す。

 少し変える。

 送る。

 駄目。

 別の言い方にする。

 駄目。


 トライアンドエラーを繰り返して、僕は一つだけ確信する。


──『好き』だけが送れない。


 告白じゃない。

 『好き』という単語そのものが送れない。


 僕は一度、顔を上げた。

 何か別の話題を探す。


 隣の席のあの人は本を読んでいる。

 ページを捲る音が桜の花弁が落ちるみたいに爽やかだ。

 爽やか過ぎて清涼飲料水の代わりみたいに喉を潤す。


 僕は視線を戻して打ち直す。


[ユウキ]普段は何してるの?読書とか?


 送信。


 送った後、画面を閉じる。

 グラスを片付ける。

 現実の動作で、現実に縫い付けようとしている。


 店を出る。

 帰り道の風が朝より冷たい。

 冷たさが、逆に助かる。


 玄関を開けて、チェルシーブーツを脱ぐ。

 部屋の灯りを点けても、心の中だけが落ち着かない。


 夕食にカレーを食べているとiPhoneが産声を上げた。


 聖女のトークルームを開く。

 点が三つ、揃っては消えて、また揃う。


 暫く待つと整った文が届いた。


[聖女]はじめまして。ご挨拶ありがとうございます。私の名前はヒルデガルトです。


 ……堅い。

 堅いのに、冷たい訳じゃない。

 少なくとも、『氷』ではないことは確実だ。

 礼儀が形を保ったままこちらに差し出されている。

 僕はそれを『品格』だと思う。

 聖女って、そういうものなんだろう。


 返す。


[ユウキ]お昼ちゃんは、どれくらいリンクしたことあるの?

[ユウキ]お祈りの邪魔にならないタイミング良きです。


 送信。


 また点が三つ。

 どうやら異世界の電波は3Gらしい。


 直ぐに返事が届く。


[聖女]あなたの言葉は率直で安心できます。

[聖女]しかし、完全には理解できない部分もありました。

[聖女]無礼をしていたら、どうかお許しください。


 僕は自分が送った文章を見返した。

 『お昼ちゃん』がマズかったか……。


 一旦、引く。一旦ね。一旦。


[ユウキ]どれくらいの人とリンクしたことありますか?


 直ぐに返事が来る。


[聖女]私はこれまで誰ともリンクしたことがありません。

[聖女]でも、先ず落ち着いてきちんと話をしたいと思いました。

[聖女]あなたに会いたいです。


 僕はiPhoneを握ったまま、暫く動けなかった。

 直ぐに、追い掛けるように届く。


[聖女]……ごめんなさい。私の考えが足りませんでした。どうか忘れてください。


 会いたいです、の一文だけが頭に残った。

 消えないまま、部屋の空気の中に居座っているみたいだった。


 お風呂に入りながら考える。

 SABONの金木犀の香りが湯気に混ざって気持ちが落ち着いて行く。


 ちゃんと考えよう。

 お昼ちゃんはリンク経験が無いと言っていた。

 その上で、ロクにメッセージもやり取りしていない僕と会いたい?


──なぜ?


 何か裏があるんだろうか?

 でも、文面は丁寧で、丁寧過ぎるくらいだった。

 聖女が『会いたいです』。

 考えられる答えは見付からない──というより、分からない。

 ここから先は否定の繰り返しになる。


──会いに行こう。


 そう決めた。

 危険があれば、ブロックで帰れば良い。

 ブロックは帰還。


 僕は浴室から出、勢いのまま【リンクを申請する】を押した。

 直ぐに通知が来る。


[リンク承認]相手:聖女


 返事の早さが咲希みたいだ。

 iPhoneのロックを外し、GatePair: Linkを開く。


[リンク申請が承認されました]

[リンクは成立状態です]

[【リンク】を実行できます]


 大きく息を吸った。


 ベッドに座ってiPhoneを握る。

 Dr.Martensの重さが足元にある。

 いつもの重さがあると少しだけ落ち着く。


──会いに行く。


 リンク。

 肉体ごと飛ぶ。


 僕はLINEを開き、咲希に送る。


『聖女タンと会うことになった』


 直ぐに返事が来る。


『やるじゃん。行ってこい。靴履いた?』


 こういうやり取りも、もう出来なくなるかも知れない。

 その想像が遅れて痛い。


『カクゴ良いチェルシーブーツにした。でも、初リンクは不安』

『ルールはもう分かったでしょ。ブロックが帰還。リンクが異世界。はい終わり』

『大体ルールはわかったZE☆』

『そのテンションで異世界行くな』


 少しだけ、感傷的になる。

 感傷の形が決断の顔をしていて、人違いを起こしそうになる。


『行かないって言ったら?』

『後悔してスタバで泣くでしょ。行け』


 僕は笑って、次に胸の奥が詰まった。


──後悔。

──泣く。


 それを先に言い当てられるのが悔しいのに、嬉しい。


 iPhoneの画面を切り替える。

 聖女のトークルーム。

 あの一文が、未だ残っている。


[聖女]あなたに会いたいです。


 勢いじゃない、と言いたい。

 でも、多分、勢いが無いと押せない。


 咲希に最後のLINEを送る。

 最後くらい真面目に。


『本当にありがとう。行ってきます』


 既読が付く前に、僕はアプリを切り替え、一度だけ深く息を吸って──押した。


【リンク】


 押した瞬間、世界が無音になった。

 落ちる、ではない。

 引き剥がされる。


 床も天井も距離の概念だけが一枚ずつ剥がれていって、最後に「いってきます」の声だけが部屋に取り残される。

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