ep.39[Side Y/異世界]Link: エルフ-12(後編)
ヒュドラの首が間をずらしながら、けれど途切れなく踊り掛かる。
ここで通すしかない。
──面を通す。
握り過ぎない。
足は残す。
呼吸を止めるな。
振るんじゃない。
置く。
僕はいつかの感覚を思い出す。
一瞬で良い。
世界の方が僕に遅れてくれ。
首が五つ。
高低も、間も、全部違う。
なのに、その違いの上へ薄い一枚が重なったみたいに通る面だけが見えた。
ヴェール=パッサージュ・サーフェス。
剣を振った重さも感触も無かった。
通した、と思うより先に、目の前の景色の方が変わっていた。
首の輪郭が四つだけ無くなる。
斬れたんじゃない。
押し出された。
そこだけ世界から外れたみたいに、在ったものが在れなくなる。
切断面すら見えない。
血も、骨も、遅れて来る。
──通した。
そう思った直後、五つ目の口が未だそこに在った。
──足りない。五本目には届いていない。
理解が追い付いた瞬間、牙が眼前まで迫る。
無理矢理身体を捻る。
喰らい付かれる軌道だけは外した。
けれど、遅かった。
空振った首がそのまま横殴りに返って来る。
咄嗟に左腕を差し込む。
硬い。
骨の塊みたいな顎が、腕ごと僕の身体を打ち抜いた。
音が軽い。
骨が砕けた音だ。
身体が吹き飛ぶ。
木の幹で受け止められた。
地面に落ちる。
痛い。
物凄く痛い。
これが所謂『痛恨の一撃』か。
いっそ意識が飛んでくれたら楽だった。
冷や汗が止まらない。
左腕に力が入らない。
右腕の剣は必死に掴んでいる。
でも、重くて上げられない。
──死ぬ。
【ブロック】で逃げるか?
いや、駄目だ。
僕がここで消えたら、ヒュドラは間違い無く洞窟に向かう。
逃げ場の無い女の子とシルヴィは、ヒュドラに殺されるしか無い。
ヒュドラの首が蠢く。
落としたはずの所から、また肉が盛り上がる。
今落とした四つだけじゃない。
さっき足りなかった二本まで、数を合わせるみたいに戻って来る。
七つだったはずの首が、また九つになる。
「……ラスボスがベホマ使っちゃ駄目だって最早常識だろ」
笑う元気なんて無いのに、口だけが動いた。
コイツは本当に、どうやって倒せば良いんだ?
一体どうやって倒したって言うんだ。
「中々、面白そうなことになってるじゃねーか」
聴いたことの無い声が直ぐ後ろからした。
「ヒュドラ程度に苦戦してる様じゃ、期待出来無いな」
「……ヒュドラ程度?お前はヒュドラを倒したことがあるのですか?」
「記憶に無いな。ドラゴンゾンビなら、ボキボキに骨を砕いたことならあるぜ」
「はぁ……。お前と居ると、毎度疲れます」
風鈴みたいに透き通る女の子の声が、直ぐ傍へ落ちる。
次の瞬間、僕の左腕に手の平が触れた。
「っ……!」
柔らかい光。
痛みが一気に消える訳じゃない。
でも、砕けた場所を継ぎ直すみたいに熱が走る。
痺れが遠退き、指が動く。
「それより、お前。立てるのか?」
「うん……何とか」
顔を上げる。
そこに居たのは、今まで見たどのエルフよりも身体の大きい男だった。
燃えるみたいな赤い髪。
立っているだけで殴る前の空気をしている。
「お前がユウキか?」
「お前は礼儀も知らないのですか?名前を訊く時は、先ずは自分から名乗りなさい」
今度は髪の白い小柄なエルフだった。
人間の中学生くらいの女の子だ。
目が糸の様に真っ直ぐで、目を開けているのか閉じているのか分からない。
落ち着いた雰囲気から、この子も僕より年上なのかと思う。
「あーあー、うるせーな。俺はルージュ。で、お前がユウキか?」
「うん、そうだよ。よろしく、ルージュ」
「先程の『面』、見事でした。まさか、あれを実戦で通す者が、また現れるとは。……それが人間とは、森も随分衰えたものですね」
「シルヴィも通せるよ」
「へぇ……。偶には帰ってみるものですね」
「ごちゃごちゃうるせーよ。そういうのは勝ってからやろーぜ」
「お前一人で倒せるとでも?」
「はっ!俺様を誰だと思ってる?拳王ルージュ様だぞ」
「剣王?ヒュドラを倒したって言う──」
「それはきっと私のことです」
ブランシュが静かに剣を持ち上げる。
透き通る刃だった。
光を反射していることで、そこにあるのがやっと分かる。
見ているだけで息が浅くなる。
「要するに、だ」
ルージュが拳を鳴らす。
「拳王と剣王の揃い踏みって訳だ。じゃあ、さっさと終わらせちまおうぜ」




