ep.35[Side Y/異世界]Link: エルフ-12(前編)
「どうやって?」
僕は切り立った崖の洞窟を指差す。
「きっと、女の子はあそこに居る」
ヒュドラは動かない。
動かないまま、九つの首だけがゆっくり揺れていた。
「……うん。あそこに居る」
「だから、僕がヒュドラを引き付ける」
「それは駄目」
「ううん。大丈夫」
「私の方が強い」
「僕の方が男だ」
「男とか女とか、もう関係無い」
「関係ある」
「関係無い。命が賭かってる」
「違う。女の子に命を賭けるのが男だ。だからここは譲れない。何より、シルヴィより僕の方が──」
ヒュドラが動く。
僕らは左右に分かれる。
「格好良いから!!」
僕はヒュドラに向かって走り出す。
「ユウキ!!」
シルヴィの声が背中に刺さる。
でも、振り返らない。
振り返ったら足が止まる。
止まったら死ぬ。
死ぬのが僕だけなら未だ良い。
シルヴィまで終わるのは嫌だった。
ヒュドラの首が三つ、同時に持ち上がる。
来る。
僕は右へ跳ぶ。
次の瞬間、さっきまで居た場所を紫の息が薙いだ。
草が焼ける。
岩肌が泡立つ。
鼻の奥が痛い。
肺が嫌がる。
嫌がるのに、息を吸ってしまう。
「っ……!」
苦しい。
でも、生きてる。
生きてるなら、未だやれる。
「こっちだ!!」
叫ぶ。
声が少し上擦る。
格好悪い。
でも、ヒュドラの首の一本が明らかに角度を変えた。
もう一本。
崖の方を見ていた首が、こっちへ戻る。
それでいい。
そのまま走る。
真っ直ぐじゃない。
右へ、左へ、半歩だけ戻って、また前へ。
読まれたら終わる。
終わるのに、身体が勝手に前へ出る。
低い首が地面を這うみたいに滑って来た。
速い。
僕は半歩だけ前へ出る。
逃げるんじゃない。
向こうが来る線へ、剣を置く。
怖い。
普通に怖い。
でも、今はそれを丁寧に感じてる暇が無い。
刃が擦る。
浅い。
でも、軌道が逸れる。
牙が服の端を掠めて通り過ぎた。
風圧だけで身体が持って行かれそうになる。
転び掛けて、足を捩じ込んで堪えた。
その一瞬で、白い影が崖へ向かう。
シルヴィだ。
視線を追いたい。
でも、追わない。
追ったら足が止まる。
止まった瞬間、首が洞窟へ向く。
ヒュドラが吼える。
空気が揺れる。
耳の奥まで震える。
九つの首が、ばらばらの角度で持ち上がる。
さっき切り落としたはずの首も、もう当たり前みたいにそこにある。
一、二、三、四、五、六、七、八、九。
ちゃんと九つ。
嫌になる。
でも、数えてしまう。
八じゃない。
ヤマタノオロチじゃない。
ヒュドラだ。
尾が岩を叩き割る。
砕けた石が肩を掠める。
鈍い痛みで、逆に目が醒めた。
「来いよ……!」
全然強そうじゃない声だった。
それでも、ヒュドラはちゃんと僕を見た。
首が四つ、同時に来る。
左から二本。
上から一本。
少し遅れて、正面から一本。
全部見たら死ぬ。
だから一本だけ見る。
目の前の一本だけ。
呼吸をする。
握り過ぎない。
足を残す。
振るな。
通せ。
首が落ちて来る。
泡立つ唾液が糸を引く。
光る牙の並びの奥に、一本だけ、嫌に真っ直ぐな筋が見えた。
そこへ剣を置く。
ヴェール=パッサージュ・リーニュ。
抵抗が走る。
浅い。
でも、切れた。
首が軌道を乱して、僕の脇を抉る様に通り過ぎる。
次の一本が真上から来る。
避け切れない。
咄嗟に転がる。
背中に土が張り付く。
呼吸が潰れる。
肺の中の空気が全部零れたみたいに苦しい。
立て。
立たないと死ぬ。
身体を起こした瞬間、崖の方からシルヴィの声が飛んだ。
「ユウキ!」
洞窟の入口。
シルヴィが振り返っていた。
その向こうは暗い。
暗いのに、もう引き返すつもりの無い顔をしている。
僕はシルヴィを見る。
ヒュドラの首が唸る。
未だ来る。
未だ止まらない。
でも、その一瞬だけ、僕の目はシルヴィだけを見た。
「生きてたら、直接してあげる!!」
──何を?
そう思った時には、シルヴィはもう洞窟へ消えていた。
「は!?」
間の抜けた声が出た。
最悪だと思う。
こんな時に何を言われたのかも分からない。
分からないのに、胸の真ん中だけが一気に熱くなる。
その熱を叩き潰すみたいに、ヒュドラの首が迫る。
「っ、ちょ……!」
横へ跳ぶ。
遅い。
肩を掠める。
服が裂ける。
皮膚が熱い。
でも、未だ浅い。
未だ死んでない。
「何だよ、それ……!」
笑いそうになる。
泣きそうにもなる。
こんなタイミングで置いて行く言葉じゃない。
最低だ。
でも、その最低さのせいで、死ねなくなる。
死んだら分からないままだ。
それは嫌だ。
すごく嫌だ。
「……絶対、生きる」
自分で言って、自分の声の情けなさに少しだけ笑う。
情けない。
でも、本音だ。




