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GatePair: Link〜【いいね】で始まる異世界マッチング〜  作者: 愛崎 朱憂
第一章:エルフ編

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32/40

ep.32[Side Y/異世界]Link: エルフ-10

 森の中は知らない顔をしていた。


 紫色の空気。

 黒色の木々。

 赤色の水溜まり。

 心無しか、太陽さえ黒く見える。


 空も地面も同じ森のはずだ。

 けれど、僕の知っている緑の世界から少しずつ押し出されているみたいだった。


 僕が先を歩き、シルヴィがその後ろについて来る。


 今、この森で命の気配はこの二つしかない。

 はっきりと言い切れる。


 シルヴィの息遣い。

 シルヴィのベル。

 僕の足音。

 僕のベル。


 そこに混ざるはずの鳥も、獣も、虫も居ない。

 森だという事実だけが残って、命の数だけが間違っていた。


「ユウキ」


 後ろから掛けられた声に、僕は前を向いたまま返す。


「何?」


 音が歪んでいる気がする。

 気のせいだ。

 そう思わないと、足が止まる。


「引き返しても良いんだよ」


 シルヴィの声は風より柔らかい。

 その優しさが今は却って怖かった。

 引き返せる道が未だ後ろにあることを声だけが教えて来る。


「ううん。決めたから」


 口にした瞬間、逃げ道が一つ消えた気がした。


 道が合っているのかは分からない。

 だけど、明らかに『こっちには行きたくない』。


 理屈じゃない。

 身体が先に拒んでいた。

 つま先だけがずっと前から怯えている。


 後ろで、チリンと鳴った。


 シルヴィの左腕のブレスレットのベルだ。

 小さい。

 けれど、音が芯を持っている。

 僕の背骨の真ん中を叩くみたいに真っ直ぐ届く。


 風がある。

 葉が揺れている。

 森の音は軽くない。

 僕の靴底だけが異物みたいに鳴って、直ぐ消えた。

 消えた後も耳の奥では未だ何かが鳴っていた。


 チリン。


 僕はその音で未だ折れていないことを確かめる。

 確かめる度、折れそうになる。

 呼吸が少し乱れる。

 乱れたまま戻らない。


 吸った空気が胸の途中で引っ掛かり、その場で固まる。


──道の端に動かない『欠け』があった。


 木の幹のはずの場所が色の板みたいに固まっている。

 近付いても輪郭が増えない。

 目がそこに意味を与えようとして、出来無いまま滑っていく。


 木だと思えば木から少し外れ、影だと思えば影から少し外れる。

 どちらにもなり切れないままそこに居座っている。


 僕は見なかったことにした。


 見なかったことにしたまま、もう一歩近付く。

 足は前に出る。

 心だけが遅れる。

 遅れた心を置き去りにしたまま身体だけが道の上を進む。


 チリン。


 背後の音が距離を教える。

 シルヴィが居る。

 僕の後ろに居る。

 見なくても分かる。

 見たら崩れる気がして振り返れない。

 振り返るという動作一つで今まで保っていたものが全部剥がれ落ちそうだった。


 風の音が薄くなった。

 葉の擦れる音がどこか遠い。

 代わりに自分の息だけが五月蝿い。

 耳の近くで誰かが息をしているみたいに聴こえて、実際にはそれが全部自分だと分かるまで一拍掛かる。


 息を飲む。

 胸の真ん中が硬い。

 心臓の直ぐ手前に見えない板が入ったみたいだった。

 鼓動は確かにある。

 だけど、その音が自分の身体の中から鳴っている感じがしない。


 欠けが増えた。


 一本だったはずが、

 二本になっている。

 森の端に点々と色の固まりが現れて、景色の意味を奪っていく。


……動かない。


 だけど視線だけが近付いて来る。

 見ているだけで距離を詰められているみたいだった。


「……ごめん」


 僕は前に向けたまま言った。


 声になったのか分からない。

 分からなくても、言わないと進めない。

 謝る相手すら曖昧だ。

 謝罪だけが先に漏れた。

 口の中で自分の声が濁って、そのまま飲み込まれていく。


 返事は無い。

 返事が無いことが、今は助かる。


 チリン。


 ベルが鳴る。

 鳴った瞬間だけ世界に時間が戻る。

 僕はその一瞬で足を出して、次の一瞬までを耐える。

 時間が戻る度、前の時間がどこへ消えたのか分からなくなる。


「ユウキ」


 もう一度呼ばれて、今度は返事をするのが少し遅れた。


「……」


 沈黙が先に答えてしまう。

 喋れば崩れる。

 そんな気がした。


「引き返そう?」


 声が近い。

 さっきより近い気がした。

 背中の後ろに居るはずの距離ではない。

 肩口に息が掛かってもおかしくない近さで名前を呼ばれた気がした。


「駄目」


 短く返した自分の声が酷く意地っ張りに聴こえた。


 意地を張っているだけなのは理解している。

 このまま腕を掴まれて、引き摺り戻してくれたら──そんな風にも思ってしまう。


 ごめん。


 言葉になれないまま胸の内側で沈む。

 誰にも届かない謝罪が胸の中に溜まり続けている。


 チリン。


 ベルが鳴った。

 その音は、今度は近過ぎた。


「ユウキ」


 呼ばれて僕は苛立ちを我慢出来ず、振り返る。


「五月蝿いな!シルヴィだけ返れば──」


 言葉が途中で切れた。


 振り返った先にある、『何か』が──『シルヴィっぽい何か』だった。


 最初の一瞬だけちゃんとシルヴィに見えた。

 肩の線も、髪の流れも、立っている場所も、全部シルヴィだった。

 見慣れたはずの形だった。


 見慣れていた。

 知っていた。

 分かっていた。


 その次の瞬間、顔の輪郭だけが遅れた。


 頬の端が薄く剥がれる。

 目の位置がほんの僅かに滑る。

 戻る。

 戻ったと思った直後、口元だけが別の所から追い付いて来る。

 髪だけが正しく揺れて、皮膚の上を影が一枚余計に這った。


 瞬きをする。


 シルヴィに見えた。


 もう一度見る。


 見えた。


 けれど、顔の周りだけ空気が一枚遅れて捲れている。

 睫毛の先が欠けに触れたみたいにぼやけて、鼻筋の途中で輪郭が掠れる。

 次の瞬きで全部戻る。

 戻ったと思った時には、今度は目の奥だけが妙に深い。

 暗くて、底が無い。

 シルヴィの目なのにシルヴィの目の奥行きじゃない。


「……っ!」


 息が止まる。


 命の気配は二つのままだった。

 増えてはいない。

 そこだけははっきりしている。


 つまり、目の前のそれは本当にシルヴィだ。

 シルヴィであるはずだ。

 そうとしか思えない。

 思えないまま僕の目だけがそれをシルヴィとして受け取れない。


「ユウキ?」


 『何か』がシルヴィの声で僕を呼ぶ。


 声は目の前から届く。

 チリンと鳴る音だけが背中側から返って来た。


 頭の中で何かが冷たく軋んだ。


 目の前にシルヴィが居る。

 ベルは後ろで鳴る。

 どちらが本物かではない。

 どちらも本物だ。

 きっと僕の方が壊れている。

 その事実だけが嫌に鮮明だった。


……それが近付く。


 靴が土を踏む音はする。

 そこに重さが無い。

 地面が一拍遅れて僕を受け止めて来る。

 シルヴィの形は近付くほど細部を失う。


 耳の輪郭が欠け、唇の端が滲み、笑っていないはずの口元だけが笑いそうな形に揺れた。

 見たくない。

 目を逸らしたい。

 逸らした瞬間に、二度とシルヴィへ戻れない気がして逸らせない。


──怖い。


 僕は柄を握る。


 握ったつもりだった。

 次の瞬間には親指が鍔を押していた。

 鞘の中で細い金属音が鳴る。

 抜き切る前の刃の悲鳴。

 ほんの僅か。

 けれど確かに刃が前へ滑った。


 違う!


 これはシルヴィだ!!


 斬るな!!


 そう思った。

 思った直後、手がもう一度力む。

 自分の手なのに自分の物じゃないみたいだった。


 手の中で汗が冷え、柄の感触だけが嫌に硬い。

 あと少しだけ押したら抜ける。

 抜けたら終わる。

 何が終わるのか分からない。

 分からないまま、今が終わることだけははっきり分かった。


「ユウキ?」


 今度の声は泣きそうに聴こえた。


 その声で余計に怖くなる。


 僕が今見ているのが本当にシルヴィで、僕の手が本当にそれに向かおうとしているのなら、怖いのは目の前の異常じゃない。


──僕だ。

 僕の方だ。

 壊れているのは僕の目で、僕の認識で、僕の手だ。


 手が震える。

 指先の感覚が遠い。

 心臓は速い。

 胸の奥だけが妙に静かだった。

 その静けさが嫌だった。

 自分の中に、自分の知らない空洞が開いた気がした。


「大丈夫?」


 その声だけが酷く近い。


 優しい声だった。

 優しいまま近付いて来ることが耐えられないほど怖かった。

 目の前がぶつりと暗くなった。


 最初に戻って来たのは柔らかさだった。


 後頭部を受け止める温度。

 頬に落ちる影。

 遠くで鳴っていたはずのベルが今はちゃんと一人分の距離の間で揺れている。

 硬く縮んでいた胸の真ん中へ……少しずつ空気が戻って来る。


「大丈夫?」


 シルヴィが覗き込む。


 目を開けると輪郭は今度こそ一人分だった。

 髪も、睫毛も、目の形も、欠けずにそこにある。


 さっきまで壊れて見えていたものが、同じ相手の中に収まっていることが信じられなくて、暫く言葉が出なかった。


「……シルヴィ」


 名前を呼ぶだけで、胸の硬さが少しだけ解けた。


「ヒュドラの毒気に充てられたみたい」


 シルヴィは僕の額に掛かった前髪をそっと避ける。

 言い方は落ち着いている。

 指先だけが少し急いでいた。


「あぁ……」


 声を出すと自分でも情けないくらい掠れていた。


「もう、平気?」


 訊かれて、自分の身体の内側を探る。

 頭は重い。

 目の奥も少し痺れている。

 けれど、目の前のシルヴィはちゃんと綺麗だ。

 綺麗過ぎて少し笑いたくなる。


「分からない。絶世の美女が目の前に居る」


 そう言うと、シルヴィの表情がふっと緩む。

 毒気の中でもその笑みだけは真っ直ぐ届いた。


「うふふ。それ、私だよ。間違い無い」


 当たり前みたいに言うのが狡いと思った。


「あぁ、僕……今までシルヴィの美しさに目が眩んでたのカモ」


 僕は未だ完全には起き切っていない頭で本音のまま訊いてしまう。


「そうだよ。ずっと私の美しさに気付いてなかった」


 迷い無く頷く。その自信の持ち方が如何にもシルヴィだった。


「じゃあ、格好付けないとね」


 身体は重い。

 けれど……いや、だからこそ口だけでも強がりたかった。


「ううん。もう、無理しないで」


 その言葉は優しい。

 優しいまま甘え切るのは違う気がした。


「無理っつーか、シルヴィの前では格好付けさせて」


 言うと、シルヴィの目が少しだけ丸くなる。

 それから思い出したみたいに柔らかく笑った。


「格好良かったよ。リュミエル様に逆らってた時……『僕がヒュドラを倒す』って言った時」


 会議室の空気が一瞬だけ戻って来る。

 あの視線。

 あの静けさ。

 あの中で立った僕をシルヴィはちゃんと見ていた。


「そっか。……じゃあ、足りない」


 未だその先があると思ってしまう。


「どういうこと?」


 シルヴィの膝の上で僕は天井の代わりに青の空を見た。

 足りないモノの名前は、もう知っている。


「『格好良かった』じゃ嫌だ。『格好良い』が良い」


 過去形では駄目だ。

 今この先でも。

 そうで在りたい。


「格好良いよ。ユウキは一番、格好良い」


 シルヴィは即答した。

 即答されると、余計に試したくなる。


「でも、僕はもっと格好良くなれる方法、知ってるから」


 膝枕の柔らかさに甘えたまま、そんなことを言う自分が馬鹿だと思う。

 けれど、言わずにはいられなかった。


「どうするの?」


 訊き返す声に期待と不安が混ざっている。


「シルヴィの前でヒュドラを倒す」


 言葉にした瞬間、少しだけ身体に力が戻った気がした。


「……ユウキ。大丈夫だよ、そんなことしないでも。ユウキは格好良い」


 慰めるみたいに言われて、胸の奥が擽ったくなる。

 だけどその時、もっと別の違和感が口元に引っ掛かった。


「……アレ?シルヴィ、マスクは?」


 そこで初めて自分の口元に掛かっている感触に気付く。

 これは僕に渡された物じゃない。


「私は大丈夫」


 軽く言うけれど、その言い方が軽過ぎて却って怪しい。


 指先で触れた瞬間、分かった。

 これはシルヴィのマスクだ。

 ヒュドラの毒を防ぐため、加護を込めて僕に渡したあの時と同じ……微かな香りが残っている。


「これ……シルヴィ」


 僕が見上げると、シルヴィは少しだけ視線を逸らした。


「大丈夫だから」


 短い返事だった。

 少ない言葉は押し返す力が強い。


「でも、これ……」


 僕は身体を起こしかける。

 未だ少し眩暈がした。


「私は部隊長だから、このくらい平気」


 平気と言い切る顔は凛としている。

 けれど、僕より少しだけ呼吸が深い。

 完全に平気じゃないことくらい分かる。


「……シルヴィ」

「ユウキ」


──僕は気付いてしまった。


「間接キスだよ、これ!!」


 言った瞬間、シルヴィの耳が少し赤くなる。


「もう!!ほんとに馬鹿じゃないの!!」

「あははは、これ良い匂いする」

「うふふ、ほんと馬鹿」


 笑い声が森の中で小さく弾んで、さっきまで耳に絡み付いていた不快な圧が少しだけ遠退く。


 未だ胸の芯は硬いままだったけれど、息はもう普通に出来た。

 シルヴィの輪郭も、ベルの位置も、ちゃんと現実としてそこにある。


 シルヴィが目を細める。

 その表情だけで壊れていた世界が少しずつ元の形を思い出──不意に呼吸が楽になった。


 森の空気が『異常』を嗅がせる。

 木々の砕ける音が『暴力』を語る。

 噛み合わない歯が『恐怖』を鳴らす。

 開けた視界が『死』を魅せた。


──何故気付かなかった?


 切り立った崖を背に、ヒュドラがのた打つ。

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