ep.30[Side T/異世界]Link: 人狼-05(前編)
ここは、獣人だけが住む村──灯京。
名前を聞いた時、『東京』を思い出す。
私が住む杜ノ宮駅から東京駅までは蒼環線で二十分。
異世界まで、二十分程度ということかと思う。
「私、マッチングアプリ初めてなんだけど、この後どうするの?」
言うと、大和は頭を掻いた。
「正直、俺も分かんねーんだ」
「分かんないの?」
「だって俺さ、説明とか読まねーし」
「最悪だよ」
口にした瞬間、自分でも可笑しくて、笑いが漏れた。
大和は悪びれずに肩を竦めて、でも私の顔色を伺うみたいに一度だけ目を細めた。
「怒った?」
「怒ってない。ただ、頼りないだけ」
「それは認める」
認めるんだ、と思った。
言い訳じゃなくて、そのまま差し出してくる感じが変に安心させる。
「じゃあさ……取り敢えず、ここが危険かどうかだけ教えて」
「危険だよ。森は特に」
「危険の種類は?」
「食われる。消える。戻れない。あと、音が変になる場所がある」
「音が変になる、って何?」
「言葉が届かねーっていうか……いや、届いてるけど、違う意味で刺さる」
変な言い方。
でも大和は巫山戯て言っている様に見えなかった。
「それ、村の外だけ?」
「外が基本。村の中は……守ってる」
「誰が?」
「村長が。……俺の親父」
大和は言い終わってから、ほんの一拍だけ黙った。
言い方に少しだけ棘が混ざったように聴こえたのは、気のせいじゃない気がした。
「じゃあ、その村長の家に行けば良い?」
「行けば良いっつーか、行くしかねー」
「いきなりご両親に会わせるの?もう私が欲しいの?」
「ちがっ、そんなんじゃねーよ」
揶揄い甲斐のある狼だと思った。
「お前、初めてなんだろ?なら説明役が必要だ」
説明役。
そう言ってくれるのはありがたいのに、『必要』の語感が私をほんの少しだけ緊張させる。
ここでの私はゲストなのか、異物なのか……それとも、何なんだろう?
村の中を少し歩くと、視線が点在しているのが分かる。
人の姿をした獣人が多い。
耳や尻尾を隠している者もいれば、隠していない者もいる。
同じ『人の形』なのに、街の雑踏よりも静かで、足音が小さく感じた。
「大和。私のこと、村の人に言った?」
「言ってない」
「何で?」
「言うと面倒くせー。あとな……見られる」
「見られる?」
「品定め。敵かどうか。使えるかどうか。怖がるかどうか。泣くかどうか」
最後の一つが、急に生々しい。
泣くかどうかなんて、評価の項目に入れてほしくない。
「私、泣かなそうに見える?」
「見える」
「最悪」
「褒めてる」
「褒め方のセンスが終わってる」
大和は、分かっていないのか分かっていてやっているのか、曖昧に笑った。
村の道は土が固く踏み固められていて左右に小さな家が並ぶ。
窓は少なく、扉は低い。
灯りは少ないのに、不思議と暗くはない。
空気が軽いのか湿度が無いのか、匂いが薄い。
広場に出る。
真ん中に銅像が立っていた。
「あれ、何?」
私が指差すと大和は一度だけ目を細める。
「あぁ、あれは俺達の夢だ」
獣人の子供と人間の子供が手を繋いで歩いている像だった。
手の形は違うのに、繋いだ部分だけが嫌に丁寧に造られている。
二人の手の間に小さな林檎が浮くみたいに刻まれていた。
差し出すでも受け取るでもない。
どちらでも出来る形だった。
「……どんな夢なの?」
「人間と仲良く共存する」
「……じゃあ、今は?」
大和は大きく溜め息を吐いた。
「全然」
「まぁ、大和は顔が怖いから」
「……まぁな」
大和から笑顔が消える。
冗談のつもりだったのに、傷付けてしまった。
「ごめん。冗談のつもりだった」
「良いよ、良いよ。分かってっから」
「ほんとに怖くないよ」
「……」
大和は私の目をじっと見た。
何か言い返すでもなく、言い返さないまま見ていた。
「永遠名」
「はい」
その時、大和のお腹が鳴った。
「――最悪だよ」
私が言うと、今度は大和が可笑しそうに口の端を上げた。
「お前、普段何して過ごしてんだ?」
「私は本を読んだり、バイトしたり」
「バイト?バイトって何だ?」
「仕事のこと。私、本屋さんだから」
「本か……」
大和は困ったように顎を擦る。
困り方がさっきまでの雑さと違って見えた。
「俺は本とか読まねーから。親父の家なら、古いのがある。多分」
「多分って」
「知らねーもんは知らねー」
言い切るところが狡い。
でも、今の私にはそれで充分だった。
知らないなら、ある場所へ行く。
その短さが救いみたいに感じた。
村の中心に近付くほど家が大きくなる。
獣の骨を飾ったような門があって、その向こうに一際背の高い建物があった。
「ここ。親父の家」
「……大きい」
大和は目を丸くする。
異世界でも流行っているんだろうか?
「もう一回言ってくんねーか?」
「馬鹿じゃないの」
吐き捨てる。
「デカいのが村長だ」
大和は腰に手を当て、胸を張る。
「もう嫌だ、この狼」
「事実」
大和は門の前で息を整えるみたいに一度だけ顎を上げた。
それから、扉を叩く手付きが少しだけ硬い。
「親父。……俺だ」
中から、足音がした。
重い足音じゃない。
静かなのに、間違いなく近付いて来る足音。
扉が開く。
現れた村長は──蛇だった。
背筋が伸びている。
目が細い。
笑っていないのに、怒っているようにも見えない。
そして、視線が私を一瞬で測る。
──獣人。
だけど、大和とは違う。
耳が見えない。
尻尾も見えない。
代わりに、首元の鱗が僅かに光っていた。
蛇みたいに冷たい光り方。
「……外から来た子ですか?」
村長の声は低かった。
大和が何か言い返そうとした、その前に──
「どうぞ。靴は脱いでください」
品がある。
私は小さく頷いて、チェルシーブーツを脱いだ。
靴を揃えて、素足で上がった。
「お父さん?」
私は囁く。
大和が頷く。
「あなたの名前は?」
村長が私を見る。
「私は永遠名」
村長はその名を一度だけ口の中で転がすように黙った。
それから視線を大和へ戻す。
「……お前が連れて来たのですか?」
「そうだよ」
「勝手なことをしますね」
「勝手じゃねー。リンクだ」
大和の声が少しだけ尖った。
村長は何も言い返さない。
ただ、私をもう一度見る。
ちょろちょろと小さな舌が動く。
目には温度が無い。
無いのに、逃げ道だけは塞ぐ目だと思った。
「……それで?」
村長が言った。
「何の用ですか?」
大和が口を開こうとしたけれど、私は先に言った。
「本が読みたいです。この世界の本」
村長の目がほんの少しだけ細くなる。
笑っていないのに、笑う準備だけが見えた気がした。
「本、ですか」
短く言って、村長は踵を返す。
「こちらへ」
廊下を進む。
木の匂いが濃くて、古い紙の匂いが混じっている。
扉を開けた瞬間、紙の匂いが強くなった。
本棚。
背表紙。
並ぶ文字。
「全部読んでも?」
「えぇ、お好きなだけ」
最初に目に入ったのは、魔導書だった。
私は呼吸を止めるみたいにして、それに手を伸ばした。
「村の本は全てここにあります」
椅子に腰掛け、太腿に本を置く。
パララララ……。
火、水、土、風。
光と闇。
体系は知っている形をしている。
けれど、どのページにも必ず同じ文が繰り返されていた。
生まれつきの魔力。
適性。
出来る者と出来ない者。
魔力は体内を循環する量。
枯渇すれば意識を失う。
容量は出生時に決定し、増えない。
訓練で変わるのは精度だけ。
血統は魔力質に影響する。
炎系は炎系を、氷系は氷系を生みやすい。
突然変異は稀。
適性が無ければ魔法は起動しない。
最後まで辿り着く。
本を棚へ戻す。
次。
次に手に取ったのは魔物図鑑。
厚くて、硬い。
パラララ……。
ドラゴン。
翼開長十五メートル以上。
鱗は鋼鉄を凌ぐ硬度。
高濃度魔力反応。
古代種は言語理解個体あり。
挿絵は空を塗り潰すみたいに黒い翼を広げていた。
口の奥が炎じゃなく光って見えた。
息を吸うだけで火が出る顔をしている。
解体時、心臓部より魔石を採取可能。
炎。氷。雷。
属性は個体差。
遭遇時、退避距離の確保を最優先。
リヴァイアサン。
深海棲。
体長百メートル級。
魔法反射鱗。
遭遇時、即時撤退推奨。
挿絵の海は黒く、黒いのに泡だけが白かった。
背中の鱗が夜の街灯みたいに鈍く光っている。
それを魚と呼ぶのは少し失礼だと思った。
「何してんだ?」
背後で、大和が言った。
「読んでる」
ヴァンパイア。
夜間活動。
精神干渉。
再生能力。
アークデーモン。
高位魔族。
契約魔法。
キマイラ。
複合型。
複数系統魔力保持。
「は?」
「ちょっと黙ってて」
絵と解説。
弱点。
生息地。
遭遇した時の対処。
危険だと分かる。
大和の言っていたことが字になっている。
けれど。
──全然面白くない。
私は図鑑を戻して、次の本へ手を伸ばす。
武器の手入れ。
パラララ……。
次。
薬の調合。
パラララ……。
次。
格闘技。
罠。
地図。
採取。
生き延びるための情報だけが几帳面に揃っている。
私の手が止まる。
「ねぇ」
「どうしました?」
「物語は無いの?」
「物語?」
「うん、誰かが考えた作り話。恋愛とか、ミステリとか、冒険譚とか」
村長は少し考える仕草をした。
考えているのか、考える振りなのかは分からない。
「そう言ったモノはありませんな。作り話なら──神話でどうでしょう」
「そっか……じゃあ、神話で良いよ。読ませて」
「なぁ、本当に読んだのか?パラパラと眺めてただけじゃねーか」
大和が問う。
「あれは速読。物語の世界に長く浸りたいから、普段はあまりやらないんだけど……」
「あれで読めるのか!?」
「うん。文字を追うんじゃなくて、目に流し込むイメージ」
「お前、すげーな」
「『お前』、じゃないでしょう?」
「あ、すまん。永遠名」
「良いよ。言葉は癖になるから、中々直せないのは理解してる。だから、意識して直して、大和」
「分かったよ、永遠名」
村長は本棚の隅から本を抜き出した。
大和は腕を組んで離れ、小さい声で『永遠名、永遠名……』と繰り返している。
背表紙に、短い題だけがある。
『堕ちた林檎』。
表紙を開く。
汚れてはいない。
──いや、『読まれていない』。
今度は急がない。
文字を追う速度が自然に落ちた。
十ページほど、目を滑らせて。
そこで本を閉じる。
私は村長を見る。
「これって……事実?」
村長はゆっくり笑った。
笑い方が蛇みたいに静かだった。
「まさか。我々は生まれた時からこの身体付きです」
村長は柔らかく微笑む。
「そっか」
「人間とは共存を望んでいますが、中々どうして上手く理解してもらえないのです」
──共存。
広場の銅像。
さっき『大和達の夢』だと言った、あの像。
私は神話の背表紙を指で撫でた。
「コレ、借りて良い?」
「差し上げますよ」
「良いの?」
「えぇ、ただの『物語』ですから」
私は本を抱えて、立ち上がった。
「ご飯食べたい」
「……急にだな」
大和が言ったけれど否定はしなかった。
否定しないまま先に歩き出した。
村長は私を一度だけ見て、何も言わずに扉を閉める。
家を出ると匂いが変わった。
湯気の匂い。
肉の匂い。
焼いた何かの匂い。
大和の家は、案の定煉瓦造りだった。
手際良く料理をする。
最近流行りの料理の出来る男子だ。
木の皿に料理が並ぶ。
大和は座るなり皿へ手を伸ばした。
「ほら、食え」
言い方が雑なのに差し出し方がちゃんとしている。
私は一口食べて、温かさに息を吐いた。
食べながら、抱えた本の重さを確かめる。
「この本、持って帰れるかな?」
「多分、持って帰れるぞ」
「じゃあ、帰ったらゆっくり読む」
言った瞬間、大和の顔から笑みが消えた。
「そっか……やっぱ帰るんだよな」
しまったと思った。
『帰る』のは、イコール【ブロック】だ。
帰ることを前提にしてしまう時点で、『別れ』が含まれている。
「うん」
「もう、帰るのか?」
今日は金曜日だ。
土日はバイトを休みにしていた。
「……う〜ん」
もう少し、ここに居ても良いカモ知れない。
「折角来たんだ。一泊くらいしていけよ」
「じゃあさ──」
私は人差し指を立てた。
「大和の耳はどうしてそんなに大きいの?」
「え?」
唐突な質問に大和は狼狽える。
私は大和を見詰める。
「と、永遠名の声を良く聞くためだよ」
「大和の目はどうしてそんなに大きいの?」
「おまっ、永遠名のことを良く見るためだよ」
大和も私を見詰める。
見詰め方がさっきまでと違う。
巫山戯てるのに、逃げない。
「大和の口はどうしてそんなに大きいの?」
お互いに見詰め合う。
「こうやって、沢山ご飯を食べるためだよ」
大和はテーブルの料理を次から次に口へ運ぶ。
私はその様子を見て、今日は帰らないことに決めた。
「……村、夜になると静かだね」
食べ終えると、大和は手早く片付けた。
食器が当たる音が小さい。
大きい身体のクセに音だけは控えめだった。
「獣は夜が得意だからな」
「じゃあ、昼の私は不利?」
「不利。だから俺が付いてる」
「それって、守るってこと?」
「……守る。つーか、守るしかねー」
言い切る直前に一拍だけ遅れる。
その遅れが、嘘じゃない感じを残す。
「風呂、先入れ」
「ここ、お風呂あるんだ」
「当たり前だろ」
「当たり前の密度が違う」
「分かんねーこと言うな」
大和は笑って、私の方を見た。
その目があの人の目とは違う。
大和は見ているのに──どこかで測っている。
私は神話の本を抱え直し、立ち上がった。
床が少しだけ冷たい。
その冷たさが帰れない現実を確かめるみたいに足の裏へ残る。
浴室は石で出来ていた。
水の匂いが濃い。
髪を濡らし、身体を洗う。
いつもより丁寧に洗うのは、安心したいからだと自分で分かる。
部屋に戻ると、大和がタオルと薄い服を置いていた。
服の匂いは乾いていて、獣の匂いは混じっていない。
その代わり、壁の近くに窓があって、外の気配が薄く入って来る。
「それ、着ろ。寒いだろ」
「ありがとう」
「礼は良い。……飯、足りたか?」
「足りた。寧ろ、食べ過ぎた」
「それなら良い」
大和は椅子に座らず、壁に凭れた。
座らないのは落ち着かないからなのか、距離を測っているからなのか分からない。
私は気付かない振りをしながらベッドの端に腰を下ろし、神話の本を枕元へ置いた。
『堕ちた林檎』。
背表紙の文字を指先でなぞる。
「今日、帰らないって言ったよな」
「言った」
「……じゃあ、俺も、ちゃんとしないといけねーよな」
「ちゃんと?」
「怖がらせねーって意味だ」
大和は言ってから、視線を逸らした。
逸らしたのに、逃げてはいない。
その曖昧さが今の私には少しだけ助かった。
「ねぇ」
「ん?」
「村の夢、本当に叶うと思う?」
「……分かんねー」
「分かんないの、好きだね」
「知らねーもんは知らねー」
「それ、狡い」
「狡くねー」
私が笑うと、大和も笑った。
でも、その笑いは短い。
短いまま、空気が変わる。
大和が近付いた。
近付く速度は急じゃない。
急じゃないのに、逃げ道だけが先に消える。
「……永遠名」
「何?」
「触って良いか?」
「は?何言って──」
言い切る前に、距離が潰れた。
ベッドの軋む音が先に来て、私の身体が遅れて沈む。
肩が押さえ込まれる。
痛くはない。
けれど、逃げ道が消える速さが怖い。
「ちょ、待っ──」
声が細くなる。
細いまま、言葉が続かない。
大和の体温が近過ぎて、息が上手く入らなくなる。
目が勝手に別のモノを探した。
この世界じゃない光。
白い蛍光灯。
黄色い背表紙。
HIMAWARIの香り。
黒いチェルシーブーツの足音。
美術展の栞を取った指。
胸じゃない場所に落ちてきた視線。
あの人の目。
胸の奥には、もう私の初版を手に取った誰かが居た。
私の心の途中に美術展の栞が刺さったまま──。
未だ、最後まで読んでもらってない。
想い出した瞬間、身体の力が抜けた。
抵抗の形が作れない。
作れないまま、胸から熱い温度が昇って来て、目尻を撫で、耳を擽る。
──涙。
大和の動きが止まる。
止まったのに、重さだけが残る。
「……泣いてんのか?」
私は答えなかった。
答える言葉が無いんじゃない。
答えたら、今の自分が壊れる気がした。
涙だけが落ちる。
落ちる度にあの人の目が胸を刺す。
胸を刺されるのに、嫌じゃない。
大和がゆっくり離れた。
離れ方が乱暴じゃない。
乱暴じゃないけど、遅い分だけ重い。
「……すまねー」
大和はそれだけ言って立ち上がる。
「俺、外で寝る」
扉の前で一度だけ止まる。
何か言いかける気配がして、何も言わずに出ていく。
扉が閉まる音が小さい。
小さいのに、嫌に響く。
私はベッドの上で身体を横にした。
涙が止まらない。
声は出ない。
枕元の『堕ちた林檎』は、鹿爪らしい顔でそっぽを向いている。
読まれていないのに、ここにある。
ここにあるだけで、充分みたいに。
私は毛布を引き寄せて、身体を丸めた。
外の虫の声が続いている。
続いているのに、世界が急に遠い。




