ep.26[Side T/現代]Link: 人狼-04(前編)
お母さんの隣に立つ女性は、私が勝手に思っていた輪郭と違った。
違いは派手じゃない。
けれど、誤差でもない。
黒髪で頬の辺りまで短く切った髪、小さな丸顔。
前髪の直線が目元を際立たせている。
目は大き過ぎ無いのに、横に長くて視線が良く通る。
目尻がほんの少しだけ持ち上がって見えて、笑ってないのに目元が先に笑いそうな印象を受ける。
黒目勝ちの瞳は思いのほか大きく、光を弾かず奥へ沈むような艶を湛えていた。
笑っていないのに柔らかい目だった。
頬はほんのりと血色が差し、輪郭は丸いのに視線だけが鋭く真っ直ぐこちらを射抜く。
口元は小さく、色が薄いのに言葉が要りそうで要らない。
言葉を選ぶ人の口元だった。
──そして何より……明らかに私と同年代だった。
季節外れの真っ白なVivienne Westwoodのマフラが印象的だった。
白シャツに黒のカーディガンを羽織り、黒のロングスカート。
黒のローファー。
揺れるスカートの隙間から白のソックスが見えた。
私は立ち上がることも忘れた。
視線だけが釘付けになった。
「永遠名、こちら朱憂ちゃん。朱憂ちゃん、こちら永遠名」
朱憂と呼ばれた女性は背筋を崩さないまま、綺麗に頭を下げる。
口は開かない。名乗らない。
私も声を出せなかった。
一昨日、丸善で『すべてがFになる』が面白いか?と訊いてきた女性だった。
これから始まるディナーが私の何かを変える──そんな予感がした。
私の向かいに愛崎朱憂が座り、その隣にお母さんが座る。
予想に反して口火を切ったのは愛崎朱憂だった。
「永遠名さん」
「はい」
返事は出来たのに、声が自分の物に聴こえなかった。
コップの水滴が指先に冷たい。
「『取り急ぎ、コスモスだけの花束を』読んでくれたと聞きました」
「はい」
「感想を訊いても良いですか?」
真っ直ぐ見て来る。
真っ黒な瞳が私を捕らえる。
目が離せない。
「あれは……ノンフィクションではないですか?」
言い終えた瞬間、空気が少しだけ止まった。
愛崎朱憂の瞳が揺れた。
「……どうして、そう思うのですか?」
「恋愛小説の顔を隠して、ヒューマンドラマを書いてる。大きなイベントで読者を惹き込むことも無く、淡々と過ぎる日常を描きながら、小さな出来事に意味を持たせて──それを糧に彩愛が成長していく」
愛崎朱憂は瞬きをしない。
「叶わなかった片想いをヒューマンドラマとして『成長』をテーマに描くことで……」
最後の一言は憚られた。
「……描くことで?」
愛崎朱憂は瞬きをしない。
「……『恋愛』を描くことから、逃げた」
愛崎朱憂はやっと目を瞑り、背凭れに寄り掛かる。
「私、逃げたのかな?」
私は首を振る。
「いいえ。その『逃げ』が恋愛小説としての『痛み』になってる。上手く行かなかった恋愛の傷を『成長』として糧にして生きるのも、また──」
「恋愛小説」
愛崎朱憂が続けた。
私は頷く。
「はい。だから、そこまでのリアリティをフィクションで語れる作家であれば──寧ろ本物です」
愛崎朱憂は大きく溜め息を吐いた。
「流石、碧さんの娘さんですね」
「でしょ?私の誇りであり、喜び」
「Pride and Joyですか」
ドリンクが運ばれて来る。
運んで来た女性がお母さんに声を掛ける。
「あの、すみません。長尾碧さんですよね」
いつもの光景だ。
「はい。そうですよ」
「あの、私、ずっとファンで……」
「ありがとう」
お母さんはにこりと微笑む。
「もし良ければ、写真でも撮る?」
「良いんですか!?」
「えぇ、永遠名、お願い」
お母さんは立ち上がり、女性の肩を抱く。
女性は自分のiPhoneを「お願いします」と言って私に差し出す。
二、三枚写真を撮り「確認してください」と言ってiPhoneを返した。
「わぁ~!ありがとうございます!ありがとうございます」
私は軽く会釈を返す。
「この子ね、長尾永遠名。私の娘」
唐突に紹介される。
「それと──こちらが、愛崎朱憂先生」
女性は何度も何度も頭を下げる。
「今度、この愛崎先生の小説が映画化されるの。今は、その打ち合わせ」
「そうだったんですね。大切なお仕事の時間にすみません」
「ううん。そうじゃなくて──」
お母さんは人差し指を唇に当てる。
「『取り急ぎ、コスモスだけの花束を』って映画が上映されたら、観てね」
「はい。必ず観ます!」
「未だ撮影の前だから、先に原作を買って読んでおいてね」
「はい!今日買います」
「ふふ、ありがとう。約束ね」
「はい!約束します!友達にも薦めます」
「ありがとう。じゃあ、私達、打ち合わせがあるから」
「はい!頑張ってください!お邪魔しました」
女性は何度も何度も振り返り、お辞儀をする。
私はその光景を見て、流石だなと思う。
お母さんが店内に入って来てから、周りからの視線がこちらに集中していた。
それを今の会話で場を制した。
言った言葉は『打ち合わせがあるから』だが、裏を返せば『仕事中だから邪魔をするな』だ。
周囲の注目を浴びている状況で、たった一人に向けた言葉で周囲を黙らせた。
そして、お母さんはパシフィコの瓶の首を二本指で摘んだ。
「じゃあ、朱憂ちゃんの映画化を祝って、乾杯」
私はフロリダ産一〇〇%オレンジジュースを待ち、コップを合わせる。
アップルジュースを一口飲み、愛崎朱憂が言う。
「永遠名さんは、私と同年代です。だから、お互いに敬語は止めませんか?」
「……良いですけど」
「じゃあ、永遠名ちゃんって呼ぶね」
「……うん。朱憂ちゃん」
朱憂ちゃんの頬がほんのり桃色になる。
「あのさ、コレって何て言う?」
アップルジュースを持ち、朱憂ちゃんが問う。
「アップルジュース?」
「違う。この容器の方」
「……?コップ?」
応えると、朱憂ちゃんは嬉しそうに──
「だよね。コップって言うよね。コップとカップって何が違うのかな?」
考えたことも無い問いに戸惑う。
不意に、昔の洋画を思い出した。
「ロボットになれるかどうか──カモ」
「……え?」
「カップはロボットになれないけれど、コップはロボットになれる」
瞬間、朱憂ちゃんの時間が止まった。
──変なことを言ってしまったのカモ知れない。
私は慌てていることを悟られない様に取り繕う。
「ロボコップって、知らない?昔の洋画」
そこまで言うと、朱憂ちゃんの目尻から涙が溢れる。
何が起こったのか理解が出来ない。
「あ、私……変なこと──」
「ううん。違う。驚いただけ」
言いながら、涙を拭う。
「碧さん」
お母さんは朱憂ちゃんに顔を向ける。
「私、決めました。永遠名ちゃんに彩愛ちゃんをやってもらいたいです」
──これだ。これだったんだ。
お母さんはにこりと笑って、私を見る。
五年後の映画の話。
お母さんの年齢に合わせて作家に原作を書き下ろしてもらう。
そんな困難な道よりも、もっと良い方法をお母さんが思い付かないはずが無い。
その書き下ろしプランこそがプランBだった。
本当のプランAこそ──『私を主演に映画を撮る』。
朱憂ちゃんが丸善に来たのも、私にその器があるかのオーディションだった。
わざわざプランBを私に話したのも、朱憂ちゃんに会わせるのも、このディナー自体が『私に主演をやらせる』ための計画だったんだ。
無警戒で朱憂ちゃんに会った私は、愛崎朱憂が同年代の少女ということに驚く。
同年代の少女が処女作で掴んだ映画化という夢。
夢の無い私が、朱憂ちゃんの夢を最高の形にするためのピースになっている。
朱憂ちゃん本人から、『永遠名ちゃんにやってもらいたい』と言われて断れる訳が無い。
私が断るということは、朱憂ちゃんに『夢を妥協しろ』と言っているのと同義だ。
朱憂ちゃんの夢を、朱憂ちゃんの思う最高の形で叶えることが出来るのは私だけだ――そう、朱憂ちゃんから言われている。
私はやっぱりお母さんには敵わないなと思った。
あの涼しげな顔をトルティーヤで挟んでやりたいと思った。
『永遠名、どうする?』。
顔がそう言っている。
私は長めに息を吐く。
答えはもう決まっている。
「私が主演をやる」
朱憂ちゃんが今までで一番の笑顔を見せる。
やっと気付いた。
朱憂ちゃんは、大人しそうな雰囲気とは裏腹に喜怒哀楽の表現が素直で振れ幅が大きい。
私が演じる『彩愛ちゃん』もそんな人物だっただろうか?
もう一度、『取り急ぎ、コスモスだけの花束を』を読み直さなくてはいけない。
それに、さっきは曖昧なまま流されたけれど、あの反応はノンフィクションなのだろうか?
「プランAで決まりました」
そうなると、さっきのあの発言は朱憂ちゃんを『本物ではない』と言ってしまったことになる、
「はい……はい。月曜日〜土曜日ですね?はい。時間作らせます」
『彩愛ちゃん』役を演じるならモデルが居るのか?は最重要事項だ。
きっと訊いても構わないだろう。
「大丈夫です。バイトも大学も問題ありません。はい」
先ず稽古が必要だ。
台本を覚える時間と身体を動かす時間。
あまり記憶力には自信が無いから、徹底的に反復して身体に叩き込むしか無い。
「詳しい話は明日で。兎に角、主演が決まったことだけ確定事項です。愛崎先生も隣に居ますので、伝えておきます。はい。失礼します」
今の生活のままでは無理だ。
「プロデューサも承知した」
バイトは辞める。
迷う理由が無い。
「追い込み過ぎでは?もっと段階を踏んで──」
「永遠名は自分から『やる』と決めたことは必ずやり遂げる」
稽古と撮影の拘束は固定で、シフトは柔らかい分だけ破綻する。
破綻するモノは先に捨てる。
「へぇ……やっぱり碧さんの娘さんですね」
「違う。私なんかより、この子の方が余程ストイック」
いつまでも持ってることは『無責任』に名前を変える。
大学は単位が取れている。問題は無い。
睡眠時間は四時間取れれば何とかなる。
「あぁやって、行ったり来たり歩き周ってる時は考えを整理してる時」
「御手洗潔みたい」
「きっと、今頃バイトと大学、睡眠を削ることを『決めて』る段階だと思う」
「……そこまでするんですか?」
不要なモノから削って行く。
私には夢が無い。
「あの子、演技の経験無いから。自分の実力を冷静に見極めた結果、切り捨てないと届かない夢だと判断していると思う」
「私、永遠名ちゃんの人生を賭けさせちゃったんですね」
「違う。いや、それは合ってるけど……朱憂ちゃんの物語にはその価値があるし、何より──決めたのは永遠名」
「……はい」
夢が無いから、朱憂ちゃんの夢に全て払えば良い。
私は朱憂ちゃんの夢の銀弾になる。
「ありがとう」
「何が?」
「永遠名を女優にしてくれて。永遠名を主演に選んでくれて」
「いえ、本屋で話した時から決めてました。さえさんを演じるのは、この子しか居ないって。私が負けた女性──」
主演の私にはどうしても必要な答えだ。
「朱憂ちゃん」
朱憂ちゃんは私を見る。
「あの物語は、ノンフィクション?」
朱憂ちゃんは躊躇い、小さく頷いた。




