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GatePair: Link〜【いいね】で始まる異世界マッチング〜 (ゲートペア)  作者: 愛崎 朱憂


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[Side Y/異世界]Link: エルフ-08

 リュミエルの部屋を出ると、廊下の空気が少しだけ詰まっていた。

 誰も怒っていない。

 怒りじゃなく、準備が息を潜めた密度だった。


 扉が閉まる音が背中に当たる。

 シルヴィの足音が一つだけ近付いた。


「……ユウキ?」


 僕は呼ばれて振り返る。


「納得行かない顔してる」

「僕の顔って、そんなに分かり易い?」


 シルヴィは笑わない。

 笑わないまま、僕の袖口を軽く摘んだ。


「戻るよ」

「……うん」


 廊下を歩く。

 歩いているが背中が落ち着かない。

 空気の密度が昨日と違う。

 誰かの目が増えている気がした。


 角を曲がる時、白い手袋が視界の端に一瞬だけ見えた。

 見えたが顔は見えない。

 顔が見えないまま気配だけ残る。


「明日、門の外に行く」

 シルヴィが前を向いたまま言う。

「……門の外?」

「私の部隊が出る。ユウキも一緒に来て」

「僕も?」

「うん」


 理由は言わない。

 言わない言葉の方が、重い。


 拠点へ戻る道で巡回の足音が増えているのが分かった。

 なのに、声は上がらない。

 音だけが増える。

 その静けさが僕らを抱き締めた。


 夜。

 寝床に入っても森の音が戻らなかった。

 遠い水音だけが残っている。


 外で足音が一度、途切れた。

 直ぐ戻る。

 途切れと再開が何度も続く。

 数えられている気がした。


 僕は目を閉じた。

 閉じても境界の気配が瞼の裏に残る。


 枕元に置いた本に指先が触れた。

 『異邦の騎士(改訂完全版)』。

 表紙の硬さだけが僕の世界の形を保っている気がした。


 起き上がって外で読もうかと思った。

 星が明るい夜だった。

 でも、外の足音がまた止まって、止めた。


 足音は小さい。

 小さいが耳だけが拾う。

 拾う度に身体が起きる。


 僕は横を向いた。

 シルヴィが眠っている。


 寝息は静かで一定だった。

 一定の呼吸は境界より近い。

 近いだけで、少しだけ安心する。


 シルヴィのプロフィールに『長老の娘』と書いてあったのを思い出す。

 長老と大長老リュミエル。

 違うんだろうか。

 違うなら、何が違うんだろう。


 会議に居た年嵩のエルフの顔が一瞬だけ浮かんで、直ぐに消えた。

 彼が父親なのカモ知れない。


 ふと僕はシルヴィのことを何も知らないと気付いた。

 『今のシルヴィ』は分かる。

 でも、『過去のシルヴィ』のことは何も知らなかった。


 でも、恋愛に『過去』が必要なんだろうか?

 相手の『今』だけを見ているのでは駄目なんだろうか?


 どうやってココまで生きて来たんだろう。

 そもそもエルフのことも、『長寿』ということしか分からない。

 『長寿』が何を意味するのかも実感が無い。


 シルヴィが寝返りを打つ。

 掛け布団が擦れる音。


 足先が布団からちょこんとはみ出して、『早く寝ないと、明日が辛いよ』と言っているみたいだった。

 僕は布団を掛け直す。


 シルヴィの指先が少しだけ動いて僕の服に触れた。

 触れて、直ぐに離れる。


 シルヴィの髪に鼻を寄せる。

 森の匂いに混ざる石鹸みたいな匂いがする。

 混ざっているが負けていない。

 負けていない匂いが僕の呼吸を整える。


 外で足音がまた止まった。

 止まったが、今は耳が追わなかった。

 代わりにシルヴィの寝息が大きく聴こえる。


 僕はシルヴィのことを考えた。

 軽い声。

 短い言葉。

 初めて会った時の『待ってたよ、ユウキ』と言った顔。


──何で僕だったんだろう?


 その答えを考えるのは、きっと未だ早い。

 でも、早くしないと困る日が来る──そんな予感がしていた。


 外の足音がまた動く。

 動いたが、僕はもう数えなかった。

 シルヴィの寝息だけを数えて目を閉じた。


 コーヒーの香りがした気がする。

 コーヒーは飲めないが……。


 不意に頬に触れられ、目を開けた時──世界は十日目の朝だった。

 朝の集合場所は門の外だった。

 門番の目が昨日より硬い。

 きっと前を見過ぎて油が切れたのだろう。


 門の前に白い手袋が並んでいる。

 シルヴィの部隊だ。

 白の揃い方が綺麗で、綺麗過ぎて怖い。


 僕が近付くと空気が一段だけ薄くなった。

 その分、息はし易くならない。


 シルヴィが一歩前に出る。


「スリーマンセルに八つに分ける。第〇一分隊、私が指揮を執る。ユウキも〇一へ」


 シルヴィの前に並ぶ。


「同行?」


 誰かが小さく言った。

 言葉は小さいが意味は大きい。


「そして〇一に、アーク」


 アークと呼ばれたエルフが、僕を見る。

 白い手袋の指先が弓の弦に触れている。

 弦の音が鳴っていないが、張りだけが見えた。


「僕はユウキ。君はアーク。よろしく」

「……よろしく」


 アークは頭だけを僅かに下げた。

 挨拶なのか確認なのか、僕には判別が付かない。


 後ろでは、別の分隊が装備を整えている。

 名前が飛び交う。


「アルマン、槍の先を見るんじゃなくて敵を見るのを忘れないで」

「クロード、何があるか分からない。前に出る時は仲間のサポートを確認してから出る様に」

「ノエル、矢筒を忘れない様に」


 フランス語みたいな知らない名前の爆撃が森の空気に紛れて、余計に現実味が無くなる。

 でも、ここは現実だ。

 血が出る場所だ。


 シルヴィが僕に短く言った。


「今日は境界で押し返す。居住区へは入れない」

「分かった」


 分かった、は簡単に言える。

 出来るかどうかは別だ。


 境界へ向かう途中、森の音が段々減っていった。

 鳥の声が遠離かる。

 水音だけが残る。


 残った水音が逆に大きい。

 心が揺れる。

 音が少ないからだと分かった。


 境界の手前で地面が黒くなっている。

 濡れている訳じゃない。

 濡れていない黒は、燃えた跡みたいだ。


「――来る」


 誰かが言った。


 背中の向こうに居住区がある。

 だから一歩の向きだけは選び間違えられない。


 草が揺れる。


 最初に出て来たのは小さい獣だった。

 狼にも似ているけど、目が違う。

 目が逃げている目だった。


「逃げて来てる……」


 アークが呟く。

 呟きが確認の重さを持っている。


 次に、影が増える。

 増え方が普通じゃない。

 森が吐き出しているみたいに、次々出て来る。


「押し返す!」


 シルヴィの声が短く響いた。

 部隊が散る。

 形は崩れない。


 僕は木の棒を握り直した。

 軽いはずだが、手の中だけ重い。

 重さが握りの癖を暴く。


 小さい獣が跳ぶ。

 跳ぶ先が僕じゃない。

 僕の後ろだ。


 居住区の方向。

 あそこに入れたら駄目だ。


 僕は足を踏み出した。

 木の棒を振る。

 振っただけで風が鳴る。


 獣が避ける。

 次の一歩が速い。


 僕の横でシルヴィの剣が光った。


 獣が落ちる。

 落ち方が軽い。

 軽いが──命だった。


 直ぐ後ろから別の獣が来る。

 来る速度が速い。

 速いから考える時間が無い。


 僕は木の棒を引き戻す。

 戻すと同時に、アークの矢が飛ぶ。


 矢は真っ直ぐだ。

 視界に一本の線を刻んで走った。


 獣の喉元に刺さる。

 喉元で止まった。

 止まって、動かない。


 僕は息を吐いた。

 吐いた息が熱い。

 でも、身体は冷えている。


「次!〇四分隊、カバーして」


 シルヴィの声がまた短い。

 短い声が僕を現実に縛り付ける。


 次の影は獣じゃない。

 黒い羽。

 羽が音を立てない。


 鳥というより、刃物みたいだ。


 羽が切る。

 空気を切る。

 それが僕の頬を掠めた。


 痛いより先に、冷たい。

 冷たさが遅れて痛みに変わる。


「ユウキ!」


 シルヴィが呼んだ。

 呼び方が、さっきより近い。


「大丈夫」

「頬、血」

「……これくらい」


 『これくらい』と言いながら、怖い。

 怖いが、止まれない。


 別の分隊の一人が、黒い羽を槍で押さえた。

 押さえるというより、動きを封じた。

 封じた瞬間に別の矢が刺さる。


 連携が美しい。

 美しいが、余裕が無い。


 影が増える。

 境界の向こうの圧が増える。


 逃げて来てるが、こちらへ向かって来る。

 矛盾している。

 でも、矛盾は現実だ。

 あちらより、こちらの方が『安全だ』と言うみたいに──。


 昼を越えた頃、影が少し減った。

 減っただけで終わってはいない。


 未だ終わっていないが、皆が一度だけ息をした。

 息をするのが、許可みたいに見えた。


 僕は木の棒を下ろした。

 下ろした瞬間、腕が震えた。

 震えが遅れて痛みになる。


 シルヴィが僕を見た。

 叱らない。

 褒めない。

 ただ、頷いた。


 帰営の道で、アークが僕の手元を見た。


「握り過ぎ。動きが硬いと思う」

「……君、良く見てるね」

「弓を使う僕は見てないと死ぬ」


 それだけ言って、アークは前を向く。

 前を向く背中が戦場の背中だった。


 夜。

 火の匂いが近い。

 匂いの近さが命の生存を感じさせる。


 部隊の詰所で簡単な食事が配られた。

 パンみたいな硬いものと、温いスープ。


 僕が端で黙って食べていると、誰かが隣に器を置いた。


「ユウキ……だっけ?」


 呼ばれた。

 声は低い。


 振り向くと、アルマンが立っていた。

 彼は昼に槍で羽を押さえた男だ。


「アルマン」


 アルマンは目を見開いた。


「もしかして、全員覚えてるとか?」

「分隊を分ける時に聴こえた分だけ、ね」

「凄いな」

「知らない輪に入る時に一番初めにする努力は名前を覚えることだからね」

「その考え方俺は好きだな」

「仲間の名前は覚えないとね」


 アルマンは頷いた。


「今日、居住区の方へ行かせなかった」

「……皆の力だよ」

「そう言う顔じゃない。お前は間に入った」


 間に入った。

 その評価が、僕の胸の奥を少しだけ緩めた。


 クロードが笑う。

 笑い声は大きくない。


「人間、案外しぶといな」

「褒めてる?」

「褒めてない。確認してる」


 確認でも良い。

 確認が居場所の始まりだ。


 十一日目。

 朝、境界の風が冷たかった。

 冷たい風は嫌な匂いを運ぶ。


 今日の合流は自然だった。

 当たり前の様に僕がそこに居ることを受け入れる空気があった。


 呼び方も変わった。

 『外の者』じゃない。

 『ユウキ』だ。


「ユウキ、矢筒持てる?」

「持てる」

「持てるなら持って。持てないなら言う。無理するのが一番迷惑」


 ノエルが言う。

 ノエルは小柄で目が鋭い。

 不意に本屋の髪が綺麗な女の子を思い出した。

 同じ様に切れ長の目だった。


 世話を焼くというより、確かめている。

 確かめるのが優しさになっている集団だ。


 境界の様子は昨日より悪い。

 悪いというより、広い。


 押し寄せ方が一箇所じゃない。

 左右から来る。

 後ろからも来る。


 境界のどこかが薄くなっている。

 薄くなる場所が、毎回違う。


「逃げて来てるだけじゃない」


 僕が言うと、アークが頷いた。


「追われてる。方角が散ってる」

「追ってるのは、ヒュドラ?一体のはずじゃ──」

「何でも良い。エルフの森を守るために、俺達はここに居る」


 ヒュドラは未だ姿を見せない。

 けれど境界が薄くなる度、森の外側に居た生き物が押し出される。

 押し出しているのが、あの一体の圧だと分かる。


 知りたい──というより、知らされる。

 境界は黙って現実だけを見せる。


 午前、黒い獣の群れ。

 午後、羽の影。

 夕方、足の数が多い虫みたいなもの。


 虫みたいなものは、ムカデより足が多かったから『億足』と呼んだ。

 『千』や『万』では、多方面に配慮が行き届かない。

 踏んでも潰れない。

 潰れないから、嫌だ。

 嫌だが近付くしかない。


 シルヴィが剣で道を作る。

 作ると言っても切り裂いている。


 僕は木の棒で合わせる。

 合わせても、手が遅い。

 遅いが止まれない。


 ノエルが僕の背中を押した。

 押す力が強い。


「背中を見せちゃ駄目。顔を上げて」

「……分かった」

「分かったなら、目を逸らさないで」


 目を逸らさない。

 逸らさないのが怖い。

 怖いが、目を逸らすともっと怖い。

 そしてノエルはシルヴィよりも、怖い。


 夕方、影が一度だけ止まった。

 止まった時間が短い。


 短いが皆の呼吸が揃う。

 揃う呼吸は戦いの呼吸だ。

 仲間の証だ。


 帰営の道で僕は森の方を見た。

 森は変わらない顔をしている。

 変わらない顔が嫌だ。


 夜、詰所の壁に地図が貼られた。

 地図の上に印が増えている。


 増えているのは侵入の気配らしい。

 気配が増えるほど、境界が押されている。


 アルマンが指先で印を叩いた。


「ここ、ここ、ここ。全部違う」

「押し寄せるのが、散ってる」


 クロードが低く言う。


 散っている。

 それは探っているということだ。

 探っているのが知性なら──もっと厄介だ。


 クロードが僕の手元を見て、鼻で息を吐いた。


「稽古用の木刀じゃなくて、こっちの剣を使えよ」


 彼は短い剣を差し出した。

 差し出し方が、試す手付きじゃないことを物語っている。


「僕はこの木の棒が振り易いから」

「そんなんじゃ、やる前にやられるぞ」

「大丈夫。『線』を通せば倒せる」


 場が一瞬だけ止まった。

 アルマンも口を開けて止まっている。

 止まった理由が、直ぐに分かった。


 アークが僕を見た。

 ノエルも見た。


 シルヴィだけが、何も言わずに──見ない振りをしている。

 その様子で、ココが僕の通すべき『線』だと分かった。


 クロードが低く言う。


「お前……ヴェール=パッサージュ・リーニュを使えるのか?」

「……たまに」

「たまに?」

「危険が危ない時」


 笑いが起きない。

 茶化しも起きない。

 代わりに空気が一段だけ現実になる。


 シルヴィが静かに言った。


「明日も早い。交代で見張り。寝るよ」


 十二日目。

 朝、部隊は完全に八つに分かれた。

 分かれるが、声は静かだ。

 静かなまま、空気だけが張る。


 第〇一分隊。

 シルヴィと、僕と、アーク。

 この三人が並ぶのが、昨日より自然になっていた。


 各分隊が配置に就いた頃だ。

 境界を越えさせない。

 居住区へ入れない。


 昼過ぎ、救援の合図が鳴った。

 短い音。

 短い音が、嫌に胸に残る。


「〇八の方角だ!」


 アークが言った。

 言い方が、もう戻れない言い方だった。


「行く」


 シルヴィが即答する。


 僕らは走った。

 走っているが森が重い。

 重さが足を掴むみたいに纏わり付く。


 途中、倒れた草が増える。

 増え方が不自然だ。

 風のせいじゃない。


 血の匂いがした。

 血は、温い匂いがする。

 その匂いが森に似合わない。


 辿り着いた時、バティストとジュールが倒れて居た。

 倒れ方が綺麗じゃない。

 綺麗じゃない倒れ方は──きっと命の終わりだ。


 そして、レミだけが立っていた。

 立っているのに、立っていないみたいに揺れている。


──レミの片腕が無かった。

 無い部分が切断じゃない。

 千切れている。


 僕の胃が重くなる。

 重くなって持ち上がらないことが今の救いだった。


 シルヴィが膝を付いた。

 白い手袋が血に触れる。

 シルヴィは気にしない。


 シルヴィが膝を離した。

 剣を抜く音が一つした。


「……間に合わなかった」


 その言葉が森の中に落ちた。

 落ちた言葉は拾えない。


 レミが小さく息を吐いた。

 吐き方が謝罪の前の息だった。

 でも言葉にはならない。

 ならないまま、目だけがバティストとジュールを見ている。


 次の瞬間、背後で枝が鳴った。

 鳴り方が大きい。

 大きいが足音は一つ。


 振り向くと獣が立っていた。

 獣だが顔が人に近い。

 近いのに、目が人じゃない。


 獅子みたいな前脚。

 蝙蝠みたいな翼。

 そして、尻尾が長い。


 尻尾の先が不自然に太い。

 棒みたいな太さだ。


「何?あいつ……」


 シルヴィが剣を構える。

 アークが弓を引く。

 アークは僕らの背に回り、弓の射線だけ確保した。


 僕は一歩だけ前に出た。

 前に出て、口が勝手に動いた。


「多分、マンティコアだ」

「知ってるの?」

「伝説どおりなら、尻尾に──」


 尻尾が跳ねる前に、一度だけ溜めが見えた。


「シルヴィ、後ろに飛んで!」


 言った瞬間、尻尾が跳ねた。

 跳ねたものが空気を裂く。

 シルヴィの目が僅かに揺れた。


「これは──」

「毒針だ!」


 太く長い針が地面に突き刺さった。

 刺さった場所の土が僅かに泡立った。


「おい、お前。引かないなら、倒すぞ」

「面白い人間だな。俺を知ってるのか?」

「喋れるの!?」


 マンティコアが笑った。

 笑い方が人の笑い方だ。

 シルヴィが息を呑むのが分かる。


「やれるものなら、やってみろ」


 声が低い。

 低いのに余裕がある。


 僕の背中が冷える。

 冷えた背中が逆に頭を冴えさせる。


 マンティコアが一歩近付く。

 近付いても隙が無い。

 近付くほど、圧が増える。


 シルヴィが囁く。


「ユウキ、知らない魔物だから動きが読めない」

「僕も知ってるのは名前だけだ。尻尾の毒とライオンくらいの力。弱点は知らない。伝説はいつも都合良く描かれる」


 都合の悪い現実が目の前に居る。


「シルヴィ!行くぞ」


 僕らは踏み込んだ。

 踏み込むと同時にマンティコアの前脚が動く。


 爪が光った。

 光るが音が無い。


 僕は木の棒で受ける。

 受けた瞬間、腕が痺れた。

 木の棒が手の中で跳ねる。


 シルヴィが横から斬る。

 斬る角度が正確だ。

 でも、刃が肉へ届かない。


 硬い。

 毛の下に甲冑みたいな硬さがある。


 マンティコアが笑う。


「良い。だが、浅い」


 僕は距離を変える。

 近過ぎると爪。

 離れると毒針。


 どちらも嫌だ。

 だから、真ん中に居るしか無い。


 アークの矢が飛ぶ。

 矢は当たらない。

 当たらないのが当然みたいに、マンティコアが避ける。


「弓が効かない……」


 アークの声が小さい。


 小さい声は恐怖の声だ。

 恐怖の声は戦意を削る。


 マンティコアは距離を取る。

 取った瞬間、尻尾がまた跳ねた。

 尻尾が視界の端から跳ねた。


「シルヴィ!」


 僕が叫ぶより先に、シルヴィが動いた。

 動いて、避ける。

 避けた場所に針が突き刺さる。

 毒は見えないが、確かにそこにある。


 僕はアークを見た。

 目を合わせたい。

 合わせないと、伝えられない。


 でも、アークの目が揺れている。

 揺れは、戦意の喪失じゃない。

 判断の迷いだ。


 この相手は近付いても隙が無い。

 距離を取っても針が飛ぶ。


 倒すなら、長距離の一撃が要る。

 アークの弓なら届く。

 届くなら、刺せる。


 でも、今は言えない。

 言えば、マンティコアが読む。


 声に出すと理解する相手は、こんなにも面倒なのか。

 僕は改めて知る。


 その時、シルヴィが叫んだ──何を言ったのか分からない言語だった。

 短く、鋭い。


 アークの顔が変わった。

 恐怖の顔じゃない。

 受け取った顔だ。


 アークが横へ消えた。

 森の端を取りに行った動きだった。

 消え方が速い。

 無駄が無い。


「ユウキ、もう大丈夫」

「何が!?」

「畳み掛けるよ!」


 シルヴィは僕を見る。

 見る目が迷っていない。


 僕は頷いた。

 頷いた時点で、僕は任せた。

 任せたなら、信じる。


 僕らは近付いた。

 近付いて、マンティコアの爪の間に入る。


 木の棒を振る。

 振りの隙に合わせて、シルヴィが斬る。

 僕が下げる。

 下げた瞬間に、シルヴィが突く。


 合う。

 合い方が綺麗だ。

 シルヴィが合わせてくれてるのが分かる。


 それでも、マンティコアは捌く。

 捌き切る。

 全部捌き切る。


「面白いぞ、お前達」


 マンティコアの声が近い。

 不意に『死』が目の前に現れる。

 背中の汗が一気に冷えた。

 何故、見逃してしまったんだろう。


「だが──俺は切り札を最後まで取って置くタイプだ」


 尻尾が立ち上がる。


 シルヴィが居たから調子に乗ってしまったのカモ知れない。

──駄目だ。

 この距離じゃ避けられない。

 僕のせいだ。


「シルヴィ!」


 考えるより、身体が勝手にシルヴィを押す。

 違う。

 蹴った。


 蹴り飛ばした僕の足が痛い。

 女の子を蹴るのは初めてで、気分が悪かった。


 シルヴィが転がる。

 転がりながら、シルヴィが言った──


「私達の勝ちだ」


 次の瞬間、風を裂く音がした。

 音は一つ。

 そのたった一つで充分だった。


 『線』が僕の横を通った。

 マンティコアの動きが一拍だけ遅れた。


 痛みじゃない。

 理解が遅れた顔だ。


 マンティコアが雄叫びを上げた。

 雄叫びが森に響き渡る。

 響いた理由が直ぐに分かった。


 アークの矢。

 矢は超長距離から飛んで来た。

 飛んで来て、マンティコアの額へ刺さった。

 刺さり方が深い。

 深過ぎて、矢羽が震える。


 マンティコアの身体が一瞬だけ固まる。

 膝が折れる。

 翼が地面を叩く。


「……やるな!人間」


 マンティコアが笑う。

 笑いが、血の泡になる。


「覚えて置け。境界の向こうは、俺だけじゃない」


 その言葉を最後に目が動かなくなった。

 動かなくなっても、匂いだけが残る。


 シルヴィが立ち上がる。

 白い手袋が土と血で汚れている。

 汚れていても、シルヴィの顔は綺麗なままだ。


「ユウキ、ライオンって何?」

「今、それ!?」


 アークが戻って来た。

 戻って来た時、彼は何も言わなかった。


 言わない代わりに拳を前に突き出している。

 僕は拳を打ち付ける。


 そして、倒れている第〇八分隊の二人を見た。

 見た瞬間、胸の中が沈む。


 倒れているのはバティストとジュールだ。

 さっきまで確かに居た二人だ。

 でも、今は居ない。

 あるけど、居ない。

 魂の位置が『居る』かどうかなのかと思った。


 レミの腕があった場所は魔法の様に傷が塞がっていた。

 もうレミは戦えない。

 戦えないことがレミの顔に先に出ている。


 勝ったのに、勝っていない。

 生きているけど、終わっている。


 シルヴィが低く言った。


「連れて帰ろう」

「……うん」


 僕は踵を三回、打ち付けた。


 村へ戻った。

 戻る道の途中で、森の音が戻らないままだった。


 村の灯が見えた瞬間、誰かの息が一つだけ漏れた。

 安心の息じゃない。

 持ち帰ってしまった、息だ。


 村への門が近付く。

 門番が僕らを見て一瞬だけ目を細くした。


 白い手袋。

 血の匂い。

 運ばれる身体。


 門番は何も言わないで済ませようとした。

 でも、言わないと職務が崩れる顔をしていた。


「……ご苦労だった」


 短い。

 短いのに、重い。

 それ以上の言葉は村の中では増やせないのが分かる。


 シルヴィはリュミエルの執務室へ向かう。

 報告のためだ。

 扉が閉まる音が静けさを一段だけ固くする。


 僕らは門の傍、近過ぎない場所で待った。

 待つ場所が村の中であることが逆に逃げ道を無くす。


 倒れていた二人の姿は布で覆われた。

 覆われると、命の終わりが形になる。

 形になったものは、もう戻らない。


 レミがそこで膝を付いた。

 付いた膝が石に当たって小さく音がした。

 その小さな音の方がさっきの戦いより怖かった。


「……ごめんなさい」


 レミが言った。

 声は大きくない。

 声を大きくしないことがレミの罰みたいだった。


「ごめんなさい……私が守れなかった。私が弱かったから。私が、二人を帰せなかった」


 『私が』が増える度毎に、周りの誰も言葉を出せなくなる。

 出した瞬間にレミの謝罪を止めてしまう気がするからだ。

 でも、この場にいる皆は分かっている。

 レミのそれは『謝罪』では無く、『懺悔』にしかならないってことを。


 アルマンが口を開いて、閉じた。

 クロードが視線を地面に落としたまま動かない。

 ノエルはレミの方を見たまま、瞬きを減らしていた。

 アークは弓を持つ手だけを、ゆっくり握り直していた。


 誰も慰めない。

 慰める言葉が薄いと知っている集団の沈黙だ。

 レミがもう一度、言った。


「……ごめんなさい。私、もう戦えない」


 『戦えない』が村の灯を変える。

 灯は同じ色だが温度が下がる。


 僕はそれを聴いていた。

 聴いているが、言葉が出ない。

 言葉を出したら、僕がこの場の『死』を軽くしてしまう気がした。


──シルヴィの報告が長い。

 その場に居た堪れ無くなって、僕はリュミエルの部屋の前まで来てしまっていた。

 扉の向こうの声は、木の厚みで角が丸くなる。

 それでも、跳ねた語尾だけは残る。


 シルヴィの声が先に上がった。


「それに何の意味……」

「……」

「……」

「……説明されずに……おかしな……受け入れる……」

「そんな!残酷な!」

「……誠実……高い……」

「私も……」

「低い可能性で……森……皆殺し……」

「……」

「……善性に……守る……」


 シルヴィの気配が動く。

 やがて扉が開いて、シルヴィが出てきた。

 顔は整っている。

 整っている顔が一番危ない。


「……ユウキ」

「何かあったの?」

「……ううん。皆の所に戻ろう」


 僕はシルヴィが生まれて二回目の嘘を吐いたことが分かった。

 僕『対策』なのカモ知れない。


 皆の前に立ったシルヴィは、いつもの顔に戻っていた。

 シルヴィは短く周りを見て、言った。


「……終わった。今日は帰って」


 『帰って』が命令じゃないが、命令になる。

 村の中で帰れる家がある者は帰らされる。


 アルマンがレミの肩に手を置こうとして、置けなかった。

 代わりに、自分の胸の辺りを一度だけ叩いた。

 叩き方が謝罪では無く、『合図』みたいだった。


 ノエルがレミに言う。


「謝るのは、後。今は歩ける?」

「……歩ける」

「歩けるなら帰ろう。帰れる内に」


 帰れる内に──が胸に刺さる。

 今日の境界は、『帰れない』を現実にした。


 皆が少しずつ散って行く。

 村の道に吸い込まれて行く背中がやけに小さい。


 レミは最後まで立ち上がらなかった。

 立ち上がった瞬間に、『私が』が終わってしまうからだ。


 僕はその場に残って、もう一度だけ門を見た。

 門は閉まっている。

 閉まっているのに、境界より近い圧がある気がした。


 境界の方から、また風が吹く。

 風は冷たい。

 冷たい風が次の匂いを運んで来る気がした。


 このエルフの森には案山子だけが足りないなと思った。

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