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GatePair: Link〜【いいね】で始まる異世界マッチング〜 (ゲートペア)  作者: 愛崎 朱憂


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[Side T/現代]Link: 人狼-01

 アラームで頭が覚醒する。

 枕元にあるiPhoneを手に取り、右目だけを開けて【スヌーズ】ボタンを押した。


 後十分だけ──。


 アラームで頭が覚醒する。

 枕元にあるiPhoneを手に取り、右目だけを開けて【スヌーズ】ボタンを押した。


 もう十分だけ──。


 アラームで頭が覚醒する。

 枕元にあるiPhoneを手に取り、右目だけを開けて【スヌーズ】ボタンを押した。


 最後に十分だけ──。


 アラームで頭が覚醒する。

 枕元にあるiPhoneを手に取り、右目だけを開けて【スライドで停止】ボタンをスライドさせた。


 うつ伏せになり、お尻を上げて伸びをする。

 猫みたいだと自分では思っているけれど、今まで誰にも見せていないから実際どう見えているのかは分からない──いけない!また寝てしまうところだった。


 スヌーズで三十分微睡むなら初めから三十分後にセットすれば良いとお母さんは言うけれど、スヌーズの微睡みが二度寝、三度寝を再現しているということを高校卒業まで遂ぞ理解してもらうことは出来なかった。


 洗面所に行き、パジャマを落とす。

 下着を脱ぎ、浴室に入る。


 シャワーを開け、歯ブラシを手に取り歯磨きをする。

 シャワーの水がお湯になったら、頭から被る。


 一気に身体が目覚めるのを感じる。

 顔を洗い、HIMAWARIで髪を洗う。


 シャンプとトリートメント、コンディショナと洗って行くと浴室にHIMAWARIの香りが満たされる。

 私はこの香りが好きだった。


 朝にシャワーを浴びるというと、いつも『髪の毛を乾かすのが大変じゃない?』と言われるけれど、肩までのボブであることとドライヤをする時にタオルで梳かす様に水気を取っていると割りと早く乾くから、私は大変だと思ったことは無い。


 シャワーを止め、バスタオルで身体を拭く。

 胸の下を拭く動作の方が煩わしいと私は思う。


 私は身長が高くない。

 一四八センチの身長に大き過ぎる胸が邪魔だった。

 うつ伏せで本を読むことが出来ない。


 この胸の分だけでも縦に伸びていれば……友達に言うと、いつも怒られるが私も私で悩みはそれぞれだ。

 そんなことを考えていると化粧とヘアセットは終わっていた。


 駅のホームで電車を待ちながら本を読む。

 大学までの一時間、遠い場所に住んだのは本を読む時間が欲しかったからだ。

 始発駅だから、いつも座れる。


 三駅ほど進むと車内は満員になる。

 スーツ姿の男性が私の前に立つ。

──いつもの人だ。


 この人は、いつもスマホを観ている振りをしながら私の胸を見ている。

 この人だけじゃない。

 私と会話する時、皆、胸に向かって話をする。

 『人の目を見て話しなさい』。

 私は小学生の頃に、先生にそう言われそれから相手の目を見て話すようになった。

 皆は私の胸が目に見えているのだろうか?

 或いは、義務教育を受けていないのだろうか?


──読書は、作家との一対一の対話である。

 誰の言葉だったかは覚えていない。

 でも、私にはその言葉が強烈だった。

 対話をしていても、作家は私の胸を見てこない。


 大学の最寄り駅に着き、私は改札を出る。

 駅前のコンビニに寄り、ロングピースを買った。


 煙草を吸い始めたのは、本当に二十歳を過ぎてからだ。

 お酒を飲んだのも、二十歳を過ぎてから。

 煙草は好きだったけれど、お酒はどうにも好きになれなかった。

 酔っ払って吐いて、知らない人に絡んでいる同級生を見て、『お酒は他人に迷惑をかける』と思ってしまった。


 私は、コンビニ前の灰皿でピースを加え、Zippoで火を点けた。

 駅から出て来るスーツの人、同じ大学生、高校生、会社員……。

 それらの流れをぼうっと見ながら、ニコチンを身体に巡らせる。


「おはよ」


 人波から外れて、江口エグチさんが声を掛けて来る。


「おはよ」


 そこまで親しい訳じゃない。


「眠い」

「遅かったの?」

「カラオケでオール」

「そう」


 同じ大学の同級生で、朝、この時間に煙草を吸うだけの仲だ。


永遠名トワナもカラオケ行こうよ」

「私はあまり音楽聴かないし」

YOASOBI(ヨアソビ)とか」

「夜は家でゆっくりする」

「そうじゃなくて」


 何が可笑しいんだろう。


「aikoは?」

「聞いたことあるけど」

「何なら歌えるの?」

「『旅立ちの日に』」


 江口さんは一瞬目を見開き、爆笑する。


「何それウケる。因みに、パートは?」

「ソプラノ」

「でしょうね。あんた声高いもん」

「そうかな?」

「アニメ声」

「アニメはあまり観ない」

「何が楽しくて生きてるの?」

「ん~……」

「小説でしょ?どうせ」

「どうせ、ね」


 江口さんは大きく溜め息を吐く。


「それでも、あんたはモテるから良いよね」

「そうなの?」

「は……?無自覚ですか?」

「無自覚です」

「羨ましいよ」

「う~ん……ありがとう?」

「そういう時は、『そんなこと無いよー』って言うこと」

「はぁい」

「よろしい」


 江口さんは人波の中で、知り合いを見付けたらしく「先に行くね」と言って波に飲まれて行った。

 救命具を着けて行ったかしら?


 大学に着く。


 講義室は、音が薄い。

 話しているのは教授のはずなのに、言葉が空気の層みたいに前から後ろへ滑って行く。

 ノートを取っている人のペンの音だけが、やけに正直だった。

 私はいつも一番前に座る。

 前の席は視界に誰も入らない。

 後ろの席は気配だけがある。

 それで充分だった。


 板書は整っている。

 整い過ぎていて、読み返す気にならない。

 退屈には種類がある。

 眠くなる退屈と、苛々する退屈と、時間が紙のように薄くなる退屈。

 今日のは三つ目だった。


 昼が来る。

 学食は、音が濃い。

 食器の擦れる音、笑い声、椅子の脚、呼ばれる名前、落ちるトレー。

 私は空いている席を探すのではなく、空いている音を探した。


 壁際の端。

 背中が壁に触れる席。

 通路から一段だけ遠い席。

 テーブルの角が欠けている。

 私はそこが好きだった。


 食べるのは早い。

 味がどうこうではなく、口に運ぶという作業に集中すると、周りの音が少し遠くなる。

 飲み物を一口。

 その一口で、午後が始まる気がする。


 文庫を開く。

 カバーが掛かっている。

 カバーを整え、栞を人差し指と中指に挟む。

 それを文字に合わせながら、読み進める。


 三十分ほど読み進めると、不意に声を掛けられた。


「いつも本読んでるけど、何を読んでるの?」


 声が、胸の辺りに落ちて来る。

 顔を上げると、知らない男の人が立っていた。


 遠くの席で、私達を盗み見る四人組が居る。

 笑う準備の顔。

 何かが起きるのを待っている顔。


 男の人はカバーを掛けた文庫を片手に持っている。


「俺、趣味が読書でさ。交換しようよ」


 少し感動する。

 私『対策』だけをして来る人が殆どの中、センスのある誘い文句まで用意されていた。

 これは、正に『特効』だ。


「へぇ……それ、ちょっと面白そう。それ、見せて」


 文庫を受け取り表紙を開くと、『乳と卵』──川上未映子カワカミミエコ

──くだらない。作品に対してのセンスまでは持ち合わせていなかった。

 それでも、小説を交換して読むというのは面白そうだと思う。

 パラパラとページを繰りながら。


「良いよ。交換しよう。じゃあ──」


──ドッグイヤー。


「これ、何?」

「あ、そこ好きだなと思って」


 巫山戯てる。

 作家に対しての敬意が感じられない。


「ごめん。やっぱり止めとく」


 私は文庫を返した。


「恋愛小説好きじゃない?」

「恋愛小説って言うか、読書好きな人と繋がりたい」

「ハッシュタグみたいなこと言うじゃん」


 男の人は笑う。


「ハッシュ、何?」

「良いよ。じゃあ、LINE交換しようよ」

「LINEやってない」

「断り方下手クソ過ぎだろ」


 また笑う。


「ほんとにやってないよ」

「分かったよ。じゃあ、今度飯食いに行こうよ」

「……行かない」

「は?」


 男の人の口元だけが動く。

 言葉より先に笑いの準備が見えた。

 遠くの四人組がこちらの温度を確かめるみたいに身を寄せ合う。

 空気が薄くなる。

 胸の前に、目に見えない手が伸びて来る感じがした。


「行かない」


 近付く。

 近付く理由だけが丁寧に隠されている。

 私は文庫を閉じて、胸に抱える。

 視線は相手の顔に置いたまま、喉だけが固くなる。


「何だよ、そんな言い方──」

「あっち行って!」


 声が思ったより高く出た。

 大きい声にしたかった訳じゃない。

 止めたかっただけだ。

 周りの視線が一斉に寄るのが分かって、遅れて手が震えた。


「そ、そんな大きな声出すなよ。良いよ、行くよ」


 男の人は肩を竦めて、四人組の方へ戻って行った。

 四人組が笑った。

 私に対してじゃない笑い方で。

 でも、私の方を見ている。


 呼吸を整える。

 それでも耳の中に笑い声の欠片が残る。


 外へ出る。

 喫煙所の空気は、少しだけ正直だった。

 ロングピースに火を点ける。

 煙を吸って、吐く。

 ニコチンが身体に回ると世界が一枚だけ静かになる。

 音が薄くなる。

 視線が軽くなる。

 時間には早いが、もう行こうと思った。


 駅直結のショッピングセンター。

 そこの五階に上がるとバイト先の丸善だ。


 本屋特有の匂い。

 静かな店内。

 誰かが『私語禁止』と言ったのだろうか?


 内向的な私には、この店内が好きだった。

 喫茶店で働くことも考えたけれど、孤独の皮を被ったマウント合戦みたいな某喫茶店しか無かったから私はこっちを選んだ。


「おはようございます」


 バックヤードに居た山本ヤマモトさんに声を掛ける。


「永遠名ちゃん、おはよう」


 山本さんは私に仕事を教えてくれたパートさんだ。

 学生の頃に結婚して、子供も居て幸せそうな人生を歩んでいる。


 私は、恋愛がしたい。

 でも、今日みたいなやり方ではない。


 誰かの後ろで笑いながら、誰かを前に押し出す。

 それは『誘い』じゃなくて『保険』だ。

 断られても、笑って帰れるための。


 恋愛は最終的には一対一だ。

 誰かにサポートしてもらうことは、狡いと思う。


 一対一のコミュニケーションの極地が恋愛ならば、私はそれに逃げずに居たいと思う。

──私から声を掛けることは出来ないけれど。


 制服のエプロンをし、店内に出る。


「いらっしゃいませ」


 大きな声を出さなくて良いのが、本屋を選んだ理由だ。


 発注していた本が届いている。

 それをパソコンに入力して、本棚に収めて行く。


 私はミステリが好きだ。

 森博嗣、京極夏彦キョウゴクナツヒコ綾辻行人アヤツジユキト清涼院流水セイリョウインリュウスイ、島田荘司。

 名前を並べるだけで、講談社文庫の背表紙の色が浮かぶ。


 ふと、辺りを見回す幼稚園にも入らないくらいの女の子が目に留まった。

 モカ子(モカコ)の『うめぼしくんのおうち』を大事そうに胸に抱えている。

 私は思い立って声を掛けた。


「こんにちは」


 屈んで顔の高さを合わせると、女の子の目に涙が溜まっているのが分かる。


「……ママ」

「ママ、見付からないの?」


 女の子は私の目を真っ直ぐに見据えて頷く。


「そっか。じゃあ、一緒に探そうか」


 そう言うと女の子は頷く。

 当ても無く店内を周るよりも、この子の不安を取り除いてあげたいと思った。


「ねぇ、それ、『うめぼしくんのおうち』読んだことある?」


 大事に抱えている本を指差して言う。

 女の子は首を振った。


「そうなんだ。ちょっと貸して」


 女の子は素直に絵本を渡した。

 私は平積みの本の上に『うめぼしくんのおうち』を置いた。


 少しだけ、声を張る。

 静かな店内で、表紙を読む声が少しだけ遠くまで届いた。


「うめぼしくんのおうち。モカ子」


 女の子は一歩、私の方に寄って来る。

 私の隣に立ち、絵本を覗き込んだ。

 ページを捲る。


「うめぼしくんのおうちに、しゃけくんがあそびにやってきました」


 女の子は絵本を見ていない。

 絵本の挿絵より、私の声の方を見ていた。

 絵本を読むには少し声が大きいのは分かっている。


「うめぼしくんのおうちは、ぎゅうぎゅうのぎゅうぎゅうです」


 私は読み進める。

 読む速度も、声の高さも変えない。


「ぐっしゃーん」


 女の子が笑う。

 私も少しだけ笑う。


 そのまま、読む。


 視界の端で、誰かがゆっくり近付いて来るのが分かった。

 急がない足取り。

 音を立てないように、でも焦りだけは隠せない歩き方。


 私はページを捲る。

 女の子の視線がずっと私の目を見て絵本に戻らないのも分かっている。

 それでも、ここで止める理由は無かった。


「なかよしのみんなともいっしょだね」


 そう言って、私は本を閉じる。


「お母さんも、一緒だね」


 女の子の後ろを指差して、笑う。

 女の子は不思議そうな顔で振り返る。


「ママー!」

「えみり、ごめんね」


 お母さんは少し息を整えるみたいにしてから私に頭を下げる。


「ママ、おねーさん。じょうずにえほんよめるんだよ」

「私、本屋さんだからね」

「ママも聴こえてた。上手だったね。ありがとうございます、ほんとすみません」

「途中で止める方が、嫌かなって」


 女の子はもう泣いていない。

 『うめぼしくんのおうち』を胸に抱えたまま、私とお母さんを交互に見ている。


「ママ、えみりこのえほんがいい」

「そう。じゃあ、これにしようか」


 お母さんは値札を確かめて、頷く。


「帰ったら、お母さんにも読んでもらって。この絵本、私も好きなんだ」


 女の子は手を振る。

 私も、それに応えた。


 夕方、山本さんに声を掛けられた。

 慌てているのが分かる。


「永遠名ちゃん、お願いして良い?」

「はい」


 こっちへ来いと手招きされる。

 歩きながら、事情を聞いた。

 どうやら、お客さんが探している本のタイトルが分からないらしい。

 ミステリだと言うことで、私に白羽の矢が立った様だ。


 四十代くらいのスーツ姿の男性がレジ横に立って居る。


「すみません。昔に読んだ本をまた読みたくて──登場人物で、九十九十九ツクモジュウクって──」


 三番目の距離から言葉が飛んで来る。

 これなら、目を見られているのか胸を見られているのか私にも判断が付かない。


「清涼院流水ですね。こちらです」

「え!?」


 私は踵を返して歩き始める。


「あれはシリーズ物なので、お客様が探されているのがどれかまではストーリー次第ですが……」


 私は講談社文庫の棚に案内する。


「この『コズミック 流』から物語が始まります。刊行順で行くと『コズミック 水』、その後『ジョーカー 清』、『ジョーカー 涼』、『カーニバル』の一輪から五輪の順ですが……流、清、涼、水の順で読むのをお勧めします」

「それは、なぜ?」


 私は四冊抜き出し、順に並べ替える。


「清涼in流水だからです」

「流水の中に清涼を挟むんだね?面白いね」

「ここに『面白い』と言えるなら、清涼院流水は絶対に読むべきです。あ、読んだんでしたっけ?」

「大学生くらいの頃にね」


 男性は『コズミック 流』を手に取る。


「あぁ!これだ。助かったよ、凄いね」

「本屋店員なので」

「じゃあ、これ買うよ」


 私は文庫を受け取り、男性をレジに案内する。


「カバーを掛けますね」

「いや、そのままで良いよ」

「いえ、どうかカバーを掛けさせてください」


 私は強く懇願する。


「……もしかしてだけど、それにも理由が?」


 私は丁寧にカバーを掛けながら応える。


流水大説リュウスイタイセツですから」

「大切にしろってこと?」


 私は人差し指を立て、唇に当てる。


「本屋は多くを語らないのが物語に対しての礼儀です」


 私はカバーを掛けた文庫と笑顔を渡しながら言う。


「この本はお客さんに出会えて幸せですね」


 閉店三十分前。

 ふと、島田荘司の列で私は目を止めた。

 新刊ではない。


 背表紙の色も、もう見慣れている。

 それでも指が吸い寄せられる。


 『異邦の騎士(改訂完全版)』。


 文庫は未だ誰にも触れられていない処女みたいな身体で棚に収まっている。

 私は棚の前で、ほんの一瞬だけ黄色の本を引き抜き、奥付を確認した。


 1998年3月15日 第1刷発行

──初版。


 何度も見た数字なのに、毎回確かめてしまう。

 私はこの本が人生で一番好きだ。


 理由は説明出来る。

 作品に流れる優しい温度が好きだ。

 免許証を読み上げる御手洗潔が好きだ。

 でも、それとは別の場所で好きだと思っている気もする。

 説明出来ない方が、本当の理由なのかも知れない。


 本を戻そうとした、その時だった。


「……すみません」


 女性の声がした。

 近いけれど、近付き過ぎていない距離。


 本屋で声を掛けられる距離は、大体三種類ある。

 この人は二番目だった。


「この本……面白いですか?」


 『すべてがFになる』。


 私は一拍置いた。

 即答はしない。

 即答すると、軽くなる。


「面白い、です」


 それだけ言って、少しだけ言葉を探す。


「ミステリとして、というより……物語として、ですけど」


 女性は頷いた。

 頷き方が静かだった。

 大袈裟じゃない。

 分かった振りもしない。


「森博嗣、他にも読みます?」

「はい。割りと……」


 それだけで、胸の奥が少しだけ緩んだ。

 同じ森博嗣を読む人は、珍しくない。

 でも、『割りと』と応える人は少ない。


「もし、でしたら──」


 私は一瞬迷った。

 迷ってから、棚から灰色の本を抜き出し、言った。


「『φは壊れたね』。Gシリーズには、萌絵ちゃんが出て来ます」


 名前を出した瞬間、相手の目が僅かに動いた。

 ほんの僅か。

 でも、私は見逃さなかった。


 この人は、分かっている。

 既に知っている。

 知っていて、ここに居る。


 それ以上は言わなかった。

 本屋の店員は話し過ぎてはいけない。

 話し過ぎると、物語の邪魔になる。


「ありがとうございます」


 そう言って女性は本を受け取った。

 買うかどうかは分からない。

 分からないけれど、私はそれで良かった。


 本屋はそういう場所だ。

 物語が擦れ違うだけの場所。


 私は棚を整えながら、さっきの本の背表紙をもう一度だけ見た。

 『異邦の騎士(改訂完全版)』。

 誰がこの初版を手に取るだろうか。

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