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GatePair: Link〜【いいね】で始まる異世界マッチング〜 (ゲートペア)  作者: 愛崎 朱憂


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[Side M/異世界]Link: エルフ-08

 言葉を置いた瞬間、部屋の空気が一段、固くなった気がした。

 固くなったのに、私の肺は規則正しく息を吸っては吐く。

 規則正しさだけが、世界が壊れていない証拠みたいで余計に怖い。


 リュミエルは直ぐに答えない。

 直ぐに否定もしない。

 直ぐに慰めもしない。


 彼は私を見た。

 見て、視線を逸らさない。

 そして、少しだけ瞬きをした。


「あなたは、今の質問で何を得たいのですか?」


 質問を返されて、胸の中が少しだけ焦げた。

 焦げたのに匂いはしない。

 だから、私の中だけが騒いでいるのが分かる。


「……事実」

「事実」

「それと──意味。どっちも」


 言い切ると、息が少しだけ入った。

 入ったのに、身体は未だ冷たい。

 私は自分の指先を見た。

 冷たさが、現代の私みたいだ。


 リュミエルは小さく頷いた。

 頷きは肯定というより、覚悟の確認に見える。

 彼の覚悟が私の質問の重さを認めているみたいで、背中が少しだけ楽になる。


「では、事実から」


 リュミエルは淡々と言った。

 淡々とした声はいつも通りの温度。

 いつも通りなのに、今日はそれが刃に見える。


「あなたは、あのアプリを『恋』の道具だと思っていますか?」


「……そうじゃないんですか?」

「あなたの世界では、そういう使われ方もあるのでしょう」


 ある。

 寧ろそれしか無い。

 私は曖昧に頷いた。

 リュミエルは続けた。


「私があれを見つけた時、私の理解は違いました。あれは『会う為の道具』です。異世界の者同士が会うなら、相手の世界へリンクして会いに行く必要がある。そうでしょう」


 私は頷いた。

 頷くしか出来ない。

 リンクの仕組みは、私の恐怖と一緒に既に身体に馴染んでいる。


「会う為に必要な操作が【いいね】だと書かれていた。私は、指示に従いました」

「従った、って……」


 言葉が喉元で詰まる。

 私は続きを言えない。

 言えないまま、彼の口が動く。


「私は、【いいね】を押す相手を選別していません」


 部屋の灯りが一瞬、暗く見えた。

 暗くなったわけじゃない。

 私の目が勝手に暗くなった。


「……は?選別、していない?」

「えぇ」


 リュミエルは、ほんの少しだけ眉を寄せた。

 寄せ方が、分かり易い言葉を選んでいる表情に見える。

 分かり易い言葉が怖いのに、私はそれを求めてしまう。


「私は表示された相手に、全員に押しました」


 耳の内側が熱くなる。

 熱くなるのに頬は冷たい。

 心臓がナースコールを探す。


「全員……?」

「全員です」


 エルフは嘘を吐かない。

 その前提が私の逃げ道を塞いで来る。

 塞がれるのに、私は未だ違う意味を探してしまう。


「それは、どうして……」


 リュミエルは、私の言葉を最後まで待った。

 待ってから言う。


「誰でも良かったからです」


──誰でも良かった。

 胸の中で、その言葉が落ちて割れた。

 割れた音はしない。

 音がしないのに、割れ方だけが見える。


 私は息を吸った。

 吸った空気が痛い。

 痛いのに、部屋は静かなままだ。


「……じゃあ」


 じゃあ、私じゃなくても良かった。


 じゃあ、私がここで暮らしたいと感じたことも。

 私がリュミエルを羨ましかったことも。

 私が胸を熱くしたことも。


 全部が私の一人相撲だった。


 その続きを口に出したくなくて、私は唇を噛んだ。

 噛んだ痛みで涙を押し戻す。

 押し戻せると思ったのに、胸の中の方が先に崩れる。


「……どうして誰でも良かったのに、私を……」

「あなたが知りたいのは、『なぜあなたがここに居るのか?』ですね」

「……はい」


 リュミエルは小さく頷いた。

 頷いてから、窓の外へ一瞬だけ視線を滑らせた。

 滑らせた視線が外の気配を数えているみたいで、私は背筋が少しだけ固まる。


 彼は、直ぐに私へ戻った。


「あなたがここに居るのは、あなたがマッチしたからです」

「それは……」

「そして、あなたがマッチしたのは、私が全員に押した結果です」


 説明が正しい。

 正しいから残酷だ。

 私は椅子の背に手を置いた。

 置いた手が震える。

 リュミエルは淡々と続ける。


「あなたの世界では、選ぶことに意味があるのでしょう?誰か一人を選ぶことに、特別が宿る」

「……」

「ですが、私達エルフにとって『数十年』は尺度にならない」


 その言葉が部屋の中央に落ちた。

 落ちた言葉は硬い。

 硬いのに、彼の声はいつも通りだ。


「永遠を生きるエルフにとって数十年は尺度にならない。あなたが感じる長さと、私が感じる長さは違う」

「……だから、誰でも良かった?」

「だから、『一人に賭ける』という発想が私には最初から薄い」


──薄い。

 薄いという言い方が私の心を薄く削って行く。

 薄く削られて私は形を保てなくなる。


「私は、森の長です。私の役目は、誰か一人を幸せにすることではない」

「……」

「森を保つこと。森の人間の生活を保つこと。私が倒れれば、森が倒れる」


 彼は昨日の執務室の顔をしている。

 必要な分だけの硬さ。

 その硬さに、私は昨日、安心を見たはずだった。

 昨日の安心が、今日は私を刺す。


「私は、自分に逃げ道を作ることを嫌います。自分が壊れる時、森が巻き込まれるから」

「壊れる……」

「えぇ。あなたは昨日、私の安心を訊きましたね。私は、あなたが与えていると言いました」


 その言葉がまた戻って来る。

 戻って来るのに、体温計が壊れたみたいに温度が真逆だ。

 私は息を止めた。


「私はあなたの世界の言葉を借りて、恋と呼ぶべき衝動を初めから求めていませんでした」

「……」

「私は会う相手を必要としていた。必要としていたのは──森の為です」


 森の為。

 正しさ。

 冷たい正しさ。


 私は膝の上で手を握った。

 握ると指先が白くなる。

 白くなるほど、私は自分の存在を確かめたくなる。


「誰でも良かった、は……森の為?」

「森の為。そして、私の為です」


 リュミエルは言い切ってから一拍置いた。

 一拍置くのは、言葉が軽くならないようにしているからだと気付く。

 軽くならない分だけ、刺さり方が深い。


「私は、長い時間を生きてきました。長く生きると、決断の回数が増える。決断の回数が増えると、背負うものが増える」

「……」

「背負うものが増えると、心が摩耗します。摩耗は、音を立てません」


 私は昨日の言葉を思い出す。

 摩耗した心は折れる。

 折れたことに気付けないまま笑うこともある。

 それを彼は淡々と言った。


「私は、自分が折れないようにする必要がある。折れれば森が折れる」

「──だから、誰かが必要だった」

「えぇ。誰かが必要だった。誰か一人ではなく、誰かという存在が」


 存在。

 私はその単語を胸の中で転がした。

 転がすほどに、私は代替の形を想像してしまう。


 代わりは居る。

 代わりは無限に居る。

 アプリの画面に並ぶ白い文字みたいに。


 私の心が死んだみたいに冷たくなる。


「……じゃあ、私は──」

「あなたは、そこに現れた」


 そこに現れた。

 偶然。

 運。


 私は笑いそうになって、笑えない。

 笑えないまま、視界だけが揺れる。


「あなたの世界では、それを『選ばれた』と感じるかも知れない。ですが、事実は『出会った』だけです」

「出会った……」

「出会いは、選別とは違う。私達は出会った」


 リュミエルは、私の言葉が崩れるのを待ってくれない。

 待ってくれないのに追い詰める為の速さじゃない。

 彼はただ、正しい順番で言葉を置く。


 その順番が私を奈落へ運ぶ。


 私は頬の内側を噛んだ。

 噛んだ痛みで泣かないで居る。

 泣かないで居るほど、胸の奥の方が痛む。


「……意味は?」

「意味?」


 意味を聞けば、何か救いがあると思ってしまう。

 救いが欲しいのが恥ずかしい。


 リュミエルは少しだけ目を細めた。

 笑ったのかどうか判別出来ない程度に。

 その曖昧さが今日は怖い。


「意味は、あなたが決めます」

「……決められない」

「昨日、あなたは言いました。ここで暮らしたいと──」


 言った。

 言ってしまった。

 言っただけで、私はもう戻れない気がした。


「それがあなたの決めた『意味』です」

「でも……」


 でも、私はあなたに選ばれて、ここに居たかった。

 でも、私は誰でも良かった、なんて場所に居たくない。


 言葉が出ない。

 出ないのに、胸の中で全部が叫んでいる。


 リュミエルは淡々と続けた。


「あなたが問う意味は、もう一つあるのでしょう」

「……」

「あなたは、『私はあなたにとって特別か?』を訊いている」


 当てられて、身体が熱くなる。

 熱くなるのに心臓が冷たい。

 私は首を振りたいのに──振れない。


 リュミエルは私が否定しないことを受け取った。

 否定出来無いことを知っている目だ。

 受け取って、言う。


「それは、事実とは別の層です」

「別の層……」

「えぇ。森の為に誰でも良かった。その事実は変わりません」


 変わらない。

 その言葉で私の希望が一度、死ぬ。

 AEDが必要カモ知れない。

 死んだ希望の上に、彼が次の言葉を置く。


「それでも」


 それでも。

 その接続詞が──今日の刃になるか、明日の救いになるか。

 私はどちらも想像出来てしまった。


「それでも、初めてあなたを見た時、私は美しいと思った」

「……」


 胸の中で何かが跳ねた。

 跳ねたのに、それが喜びか恐怖か分からない。

 分からないまま、私は息が出来なくなる。


「美しい、は……」

「あなたの世界の褒め言葉として受け取って構いません」

「……」

「ですが、私にとっては危険な言葉です」


 危険。

 その言い方が、私を突き放すのに、同時に近付けて来る。

 私は椅子の端を掴んだ。


「危険?」

「美しさは、変わるからです」


 変わる。

 私はその単語を聞いた瞬間、未来を見てしまう。

 見たくない未来。

 見たくないのに、見える未来。


 肌が老いる。

 髪が変わる。

 目が曇る。

 私の時間は減って行く。


 リュミエルの時間は減らない。


 私の胸の奥で恐怖が形になる。

 形になると逃げたくなる。

 逃げたいのに、逃げられない場所に私は居る。


「あなたの世界では、美しさに期限がある。あなたは既に、それを知っている顔をしている」

「……」

「だから私は、美しさを理由に選んだと言いたくなかった」


 言いたくなかった。

 なのに、言う。

──嘘を吐かないから。


 その正直さが、優しさじゃなく制度みたいで、私は震える。


「では、どうして今、言うんですか」

「あなたが訊いたからです」


 正しい。

 正しいから、逃げられない。

 私は視線を落とした。

 落とすと涙が落ちそうで、直ぐに戻す。


 リュミエルは静かに言う。


「あなたがここで暮らすなら、あなたは待つ側ではない。あなたは待たせる側にもなる」

「……」

「あなたが決めないことで、誰かの心が摩耗する。私は昨日、それを話しました」


 私はゆっくりと頷いた。

 頷くしか出来ない。

 頷くほどに、自分が酷い人間に見える。


「だから、あなたが決める必要がある」

「……私が決めたら」

「私の心は摩耗し難くなる」


 その言葉が私の胸を削る。

 削るのに甘い。

 甘いのに、毒だ。


「あなたが居ると私は安心する」


 昨日の言葉が今日の鎖になる。

 鎖なのに、私はそれに縋ってしまう。

 縋るのが恥ずかしいのに、縋りたい。


 リュミエルは僅かに息を吐いた。

 吐いた息が疲れの形だと分かる。

 分かってしまうほど私は彼を近くで見てしまっている。


「私は、森の長として、あなたに居てほしいと言う資格はありません」

「……」

「ですが、私という個としては」


 個。

 その単語が彼の声の温度を少しだけ揺らした気がした。

 揺れは短い。

 短いから、胸が痛い。


「帰らないでほしい」


 言われた瞬間、世界が一度だけ美しく見えた。

 美しく見えたのに、直ぐに暗くなる。

 暗くなる理由が分かる。


──誰でも良かった。

──それでも美しいと思った。

──帰らないでほしい。


 この順番だからこそ、私は立ち上がれない。

 立ち上がれないくらいに、折れる。


 私は自分の手を見た。

 手は、普通にそこにある。

 普通にあるのに、私の中の特別だけが死んで行く。


「……じゃあ、私は」


 声が掠れた。

 掠れる声が私の価値みたいで嫌になる。

 嫌になるのに、私は続きを言う。


「私は、誰でも良かった中に居た」

「えぇ」

「その中でのこのことリンクして来て……出会って、美しいと思った」

「えぇ」

「だから、帰らないでほしいって言える」


 言いながら、私は自分の言葉で自分を殺している。

 殺しているのに止められない。

 止められないのが、もう終わりみたいで怖い。


 リュミエルは否定しない。

 否定しないまま、正しさを足す。


「あなたがそう受け取るのは自然です」

「……」

「あなたの世界では、特別は選別から生まれることが多い。だから、特別ではないあなたは傷付く」


 傷付く。

 その言葉が私の傷を正式なものにする。

 正式になると余計に痛い。


 私は笑ってしまいそうになった。

 笑えない。

 笑えないのに、胸の中が空っぽになる。

 きっと、これ以上は心が受け止め切れないと匙を投げたんだろう。


「……私、さっきまで」


 言葉が途切れた。

 途切れた先が言えない。

 言えば、私の恥が完成する。


 さっきまで私は──ここで暮らして行ける自分になる、と決めた。

 さっきまで私は──リュミエルの歩幅が私に合っていることが嬉しかった。

 さっきまで私は──森の匂いが生活になることを許してしまいそうだった。


 それが全部、私の勘違いに見える。


 リュミエルは淡々と言った。


「あなたは、何を期待していましたか?」


 言われて、私は目を閉じた。

 閉じると涙が落ちる。

 落ちても良いのに、落ちたら戻れない気がした。


「……私だけを、選んだって」

「それは、嘘になります」

「……」


 エルフは嘘を吐かない。

 だから、救いの嘘も無い。

 私はそれを知っていたのに、期待してしまった。


 期待した自分が愚かで、恥ずかしくて、痛い。

 痛いのに、痛みの場所が分からない。

 胸なのか、頭なのか、指先なのか。


 私はiPhoneに視線を落とした。

 落とすと数字が見える。

 数字は減っている。

 減っているだけだ。


 減っているだけなのに、今は減るより残るが怖い。

 残る未来。

 残る時間。

 残る間に、私の美しさが失われる。


 その時にあなたはどうする?

 永遠のあなたは、どうする?


「……数十年が尺度にならないなら」


 声が震えた。

 震えたのに、私は止めない。


「数十年経って私が変わっても、あなたは、変わらない」

「えぇ」

「変わらないあなたの目に、変わった私が映ったら」

「……」

「その時、あなたはまた、別の誰かを『美しい』思う」


 リュミエルは否定しない。

 否定しないことが、答えになる。

 私はその答えを受け取ってしまう。


「あなたは、そういう恐怖を抱く」

「抱きます!」

「だから、あなたは今、ここに居られないと思う」


 言い当てられて、私は息が詰まった。

 詰まった息が、涙に変わりそうで怖い。

 怖いのに、私は頷いた。


「……居られない。居られない!居られない居られない!」


 言ってしまうと、現実になる。

 現実になるのに現実にしたかった。

 私はもう、ここで暮らす自分を守れない。


 守れない自分が、ここで暮らすのは無責任だ。

 無責任という言葉が昨日の執務室みたいで嫌になる。

 嫌になるのに、私はその言葉で自分を殴るしかない。


「ミユさん」


 リュミエルが私の名を呼んだ。

 呼び方はいつも通り。

 いつも通りだから、余計に苦しい。


「あなたに、私が出来ることは少ない」

「……」

「嘘で慰めることは出来ない。選別していない事実は変えられない」

「……」

「それでも私は、あなたに帰ってほしくない」


──帰ってほしくない。

 その言葉が、遅れて効く。

 効くのに、効いた分だけ私は壊れる。


 私は立ち上がった。

 立ち上がると視界が少し揺れた。

 揺れは眩暈じゃない。

 涙が溜まっているだけだ。


 私は机の端に手を置いた。

 置くと、手が震える。

 震えが私の現実だった。


「……私、決めました」


 口に出すと、胸の中で何かが折れた。

 折れたのに、音はしない。

 音がしないから、私は自分で自分を折ったのだと分かる。


 その時。


 ドアが三回叩かれた。


「何です?」


 リュミエルが返事をする。

 ──私の部屋なのに。


「リュミエル様!境界を超えました!」

「分かりました」


 リュミエルはドアの向こうの誰かに言う。


「失礼します!」


 誰かが走って行く音だけがこの部屋を埋めた。


「……私……決めました」

「返事を聞かせてください」


 リュミエルはいつもの声で。

 リュミエルはいつもの様に微笑んで。

 リュミエルは私の言葉を待った。


「【ブロック】します」


……無言。

……沈黙。

……静寂。


 リュミエルが小さく息を吐いた。


「分かりました。あなたが決めたことです。私に引き止める権利は無い」


 その言葉が私に追撃を与えた。

 追撃なのに、彼は優しい顔をしている。

 優しい顔が制度みたいで怖い。


「ですが、【ブロック】をするならエルフの森の長として、あなたにお願いがあります」


 リュミエルの目はあの執務室での目に変わっている。


「今、ヒュドラがあなたを追ってここに向かって来ています。先程、境界を超えたと聞きましたね?」


 私はリュミエルを真っ直ぐ見たまま頷かなかった。

 私のせいでエルフの森の平和が脅かされている。

 ──私のせいで。


「その【ブロック】で、私達を救っていただきたいのです」


 救って。

 その単語が胸の中へ落ちた。

 落ちた瞬間、私は自分の底が抜ける感覚がした。


「……私が、ブロックすれば……助かる?」

「助かります。少なくとも、森の外縁は立て直せる」


 立て直せる。

 その言い方が今までの会話と同じだ。

 森の為の言葉。

 制度の言葉。

 正しさの言葉。


「……私が──」

「あなたが『獲物』だからです」


 獲物。

 その言い方が私を人間から物に変える。

 物になった瞬間、私は軽くなる。

 軽くなって、怖くなる。


「あなたがリンクして来た時にヒュドラに獲物として判定されました」

「……なぜ、私が?」

「ヒュドラもまた、誰でも良かったんでしょう」


 私は唇を噛んだ。

 噛むと痛い。

 痛いから、私は未だ人間だと分かる。


「……私、逃げたい」

「逃げて構いません。帰るのは、あなたの権利です」


 権利。

 その言葉で、私は少しだけ息が出来た。

 息が出来たのに、次の言葉が私の肺を潰す。


「ですが、あなたが【ブロック】するタイミングを、私に預けていただきたい」


 預ける。

 その単語が、私の胸の中で音も無く引っ掛かった。


「……どんな、タイミングですか」


 声が自分のものじゃないみたいに薄い。

 薄いのに、言った瞬間だけ部屋が冷たくなる。


 リュミエルは直ぐに答えない。

 私の顔を見て、視線を逸らさない。


「今は未だです」


 未だ。

 その二音が、私の指を止める。


「……じゃあ、私は……ここで、待つんですか」


 言い切れない。

 待つという言葉に体温が付いてしまうのが怖い。


「この部屋に居てください。私は執務室に行きます」


 行く。

 置いていかれる、と思ってしまって、私の喉が詰まる。

 詰まるのに、私は言う。


「……傍に、居てください」


 願った瞬間、自分が惨めになる。

 惨めになるのに、やめられない。


「出来ません」


 即答だった。

 即答だから、余計に刺さる。


「……じゃあ、私が……」


 言い掛けた所で、息が揺れた。

 揺れた息が涙に変わりそうで、私は唇を噛んだ。


「いけません」


 リュミエルの声は淡々としている。

 淡々としているのに、今日だけ硬い。


「あなたを追ってヒュドラが来ている」


 来ている。

 現在形が、私の身体を現実に戻す。


「……」


 返事が出来ない。

 返事をしたら、理解したことになる気がした。


「あなたをヒュドラに差し出そうとする者達が陰に居ます」


 陰。

 私は一度だけ瞬きをした。

 瞬きをすると、視界が少しだけ滲む。


「……どうして……」


 言ったのに、声が途中で折れる。

 どうして、の先が怖い。


 リュミエルは息を吸って、吐いた。

 吐いた息が疲れに見えるのが、今日一番怖い。


「ミユさん。今あなたが【ブロック】を押せば、あなたの痕跡は消えます」


 痕跡。

 その単語が現代みたいで、私の胃がきゅっと縮む。


「……消えたら……助かるんじゃ……」


 希望みたいに聞こえた自分の声が、直ぐに恥ずかしい。

 恥ずかしいのに、取り消せない。


「ヒュドラは『獲物』を見失います」


 見失う。

 良いことの筈なのに、彼の言い方は救いじゃない。


「見失ったヒュドラは探します。探して、森の外縁を焼きます。あなたの匂いが残っている可能性を、潰しながら」


 潰す。

 私の胸の中が、音も無く沈む。


「……私が、押したら……」


 言葉が震える。

 震えを止めたくて膝に手を置くのに、指先が冷たいままだ。


「あなたのせいで、森が焼ける」


 リュミエルはそう言わなかった。

 でも、言われたのと同じだった。


 私は小さく息を吸って、吐いた。

 吐く音が、部屋に戻ってくる。

 戻ってきた音が、私の罪みたいで怖い。


「……勝手に……帰れない……」


 声が掠れた。

 掠れた声のまま、私は笑えない。


 リュミエルは頷いた。

 頷きは責めない。

 責めないのに、逃げ道も無い。


「ですから、あなたの【ブロック】は必要です。ですが、それは『今』ではありません」


 私は首を振り掛けて、止めた。

 否定出来る材料が無い。


「……お願いがあります」


 自分の声が遠い。

 遠いのに、リュミエルは確かに頷く。


「言ってください」

「私を、綺麗だって言わないで……もう、耐えられない」


 言ってしまって、胸が痛い。

 痛いのに、少しだけ楽になる。

 楽になるのが、終わりみたいで怖い。


 リュミエルは僅かに目を伏せた。

 伏せたのは一瞬。

 一瞬だけの揺れが私には刃より痛い。


「分かりました」


 その言葉が私の背中を押す。

 押すのに抱き締めない。

 だから、私は崩れないで居られる。


「この部屋に居てください」

「……はい」


 はい、しか出ない。

 はい、と言った途端に私の肩が少しだけ落ちる。

 落ちた肩が情けない。


「その時が来たら、遣いを寄越します。合図は覚えてますか?」

「……ノックを、四回」

「はい。四回する者が伝えることが私の意思です」


 私は頷いた。

 頷くと、涙が落ちそうで顎に力を入れる。


「傍に居られないなら……せめて……」


 言い掛けて、言葉が死んだ。

 何を望んでいるのか自分でも分からない。

 リュミエルは淡々と言った。


「私は執務室に行きます。あなたはここに居てください」


 もう一度言い、リュミエルは私の部屋から出て行った。


 ドアが閉まる音は小さい。

 小さいのに閉まった瞬間に部屋が狭くなる。

 狭くなるのは部屋じゃない──私の方だ。


 私は立ったまま動けなかった。

 動けば何かが崩れる気がして、私はまた息だけを数えた。

 一つ、二つ、三つ。

 数え方は正しくない。

 正しくないのに縋るしかない。


──誰でも良かった。

 その言葉が口から出た順番のまま胸に残る。

 残ったまま何度も形を変える。


──誰でも良かった。

 それは『私じゃなくても良かった』じゃない。

『私が、私である理由が無い』だ。


 私は『私』として来たつもりだった。

 怖くて、必死で、選んで、決めて、ここに立っているつもりだった。

 なのに、入口から違っていた。

 入口が『選ぶ』じゃなくて、『押す』だった。

 リュミエルの押す指に顔は要らなかった。

 私の名前が要らなかった。

 存在の意味が要らなかった。


 私は画面に並ぶ白い文字を想像した。

 肩書き。

 知らない世界の肩書き。

 知らない世界の人の輪郭。

 輪郭が薄いまま指だけが進む。

 進んで、当たった。

 当たったのが私だった。


 当たり。

 外れ。

 そういう言葉を使った瞬間に私が『モノ』になる。

 物になりたくないのに、物になった方が楽に見える。

 楽に見えるのが一番怖い。


──誰でも良かった。

 その言葉は優しさの反対側にある。

 優しさの反対側にあるのに、正しさの顔をしている。

 正しい顔をしているから、殴り返せない。


 私はポケットの石に触れた。

 石は乾いていて、温度が無い。

 温度が無いから、逃げ道みたいに見える。

 逃げ道に触れているのに、私は逃げられない。


 私が【ブロック】を押したら、森が焼ける。

 私が押さなければ、私は獲物のまま。

 どちらでも誰かが壊れる。

 壊れるのが怖い。

 怖いのに、怖がっている時間が誰かの心を削る。

 削るのが、私だ。


 私は椅子に座ろうとして、やめた。

 座ったら、もう立てない気がした。

 立っていれば強い人間に見える気がした。

 見えるだけだ。私は強くない。


──誰でも良かった。

 その言葉は、私のしたことを全部、薄い紙にする。

 胸を熱くしたこと。

 森の匂いを許しかけたこと。

 昨日の続きを信じたこと。

 全部が紙みたいに薄くなって指の間から落ちる。


 落ちても音がしない。

 音がしないから、私は拾えない。

 拾えないのに、拾いたいと思ってしまう。

 拾いたいから、私はまだ『私』を諦め切れていない。


 私は自分の手を見た。

 指先が少し震えている。

 震えは止められない。

 止められないことが、今の私の現実だ。


 私は小さく息を吸って、吐いた。

 吐いた息が静かに戻る。

 戻る音が誰かが森のどこかで息を出来ている証拠だと思ってしまう。

 思ってしまうのが怖い。


 私がここに来たせいで──。

 私がリンクしたせいで──。

 私が『出会った』せいで──。


 そうやって並べるほど、私は自分を責める形だけ上手くなる。

 上手くなっても何も償えない。

 償えないのに、償いたいと思ってしまう。

 思ってしまうから私は余計に卑怯だ。


 私はiPhoneに手を伸ばして、止めた。

 数字を見たら今の私が一気に現代へ戻る。

 戻ったら、ここに居る私が嘘になる。

 嘘にしたくないのに、現実にしたくもない。


 私は口の中で『ごめんなさい』と言いそうになって、飲み込んだ。

 誰に言うのか分からない。

──届かない謝罪は、謝罪じゃなくて懺悔になる。


 その時、ドアが叩かれた。

──四回。


 私の心臓が一度だけ跳ねる。

 跳ねた後、息が遅れて戻る。


 ドアを開く。

 警備のエルフが居た。


「あなたは──?」


 私が訊くより先に、彼が言う。


「リュミエル様の遣いです」


 遣い。

 『信用』という形の言葉が、今は怖い。


「【ブロック】を……?」


 声が掠れて最後が上がる。

 訊きたいのに、訊きたくない。


「いえ。ついて来てください。ヒュドラに見つからないルートで森を抜けます」


 抜ける。

 理解が追い付かない。

 追い付かないまま、身体だけが冷える。


「それは……どういう──」

「石は持ってますか?」


 私はポケットに手を入れた。

 指先が石の乾いた感触に当たる。

 私はそれを掴んだまま、頷いた。


「今直ぐ、出ます」

「……分かりました」

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