[Side Y/現代]Link: エルフ-01
休日の昼のスターバックスは扉を押した瞬間に匂いが先に来る。
甘い。人の体温。紙袋。ミルク。
音も多い。
声が重なって、店内の輪郭が厚くなる。
僕は左手にiPhoneと『異邦の騎士(改訂完全版)』を持っている。
さっき買ったばかりの重さが未だ掌に残っている。
ページは開かないまま理由だけを握っている。
いつも来る夜の時間帯より混んでいる。
でも、入口から判断しない。
L字の角まで歩いて奥を見てから決める。
混んでる日に来たときの、僕の手順だ。
角まで行って視界を折る。
レジ前の喧騒が薄くなって代わりに小さい音が増える。
椅子の脚が擦れる音。
テーブルの端を指で叩く癖。
蓋が指に当たる乾いた音。
ラップトップの軽快なタップ。
席は埋まっている。
埋まっている、というより皆が自分の休日を固定している。
ペストリの前でカップルが小さく揉めていた。
ガラス越しに指が同じ場所を何度も示す。
声が跳ねる。
「これ、温めてもらう?」
「軽食って言ったのに、甘いやつ選ぶの?」
「甘いのは一口でいい。じゃあ、半分こ」
半分こ、って言葉だけがBGMの上に一瞬浮いた。
浮いては消える。
僕はそれを聞いて、遅れて分かる。
この時間帯のスタバは、誰かの『日常』じゃない。
皆の『休日』の場所だ。
僕は視線を滑らせる。
探す場所は決まっている。
窓際でもない。
入口から遠過ぎない。
バーの真正面のソファ席の隅。
ソファとソファの間の低いテーブル。
そこにいつも、小さな鞄が置かれている。
申し訳無さそうで、丁寧で、雑さが無い。
丁寧さだけが勝手に輪郭を立てる。
──今日は、その鞄が無い。
別の人が座っていて、低いテーブルは紙袋と鞄で埋まっている。
理解する。
理解して、終われる。
前回がイレギュラだった。
週に二回か三回。
毎日じゃない。
分かっているのに視線が一度だけ戻る。
戻って、同じ結論をもう一回だけ触る。
触って、離す。
確認。僕はそれを確認と呼ぶ。
『異邦の騎士』を持って来たのにページを捲る前から物語は始まらなかった。
その時点で建前は崩れている。
崩れているから列に並ぶ勇気は無い。
この時間帯は余白が少ない。
余白が少ないと、話し掛ける言葉が居場所を失う。
僕の欲しいモノは、きっと夜にだけある。
閉店間際の息の遅い店内。
声が薄くなって、動きがゆっくりになる時間。
バーの中に知っているパートナーが見えた。
あかりちゃんと、みおちゃん。
知っている、というだけで少しだけ息が戻る。
注文の列に並ばなくても会釈だけなら出来るかも知れない。
一言だけでも交わせたら今日はそれで充分だ。
動きが早い。
早いのに雑じゃない。
仕事の流れに組み込まれていて歯車みたいに止まる時が無い。
目が合った気がした。
でも二人の目線は、次のカップへ移る。
次のシロップへ移る。
次のラベルへ移る。
僕の方へ戻って来ない。
気がしただけで二人は止まれない。
──僕の中で勝手に『僕の居場所が無い』に変換される。
席が無いからじゃない。
時間の流れが違うからだ。
列に並べばドリンクは買える。
買って、座って読むことも出来る。
でも僕が本当にしたいのは読書じゃない。
それを認めると恥ずかしいから、『異邦の騎士』を盾にしている。
盾を構えて別の賭けをしている。
イレギュラが起きる可能性に。
ただ一度、針を落としてみたかっただけだ。
僕は踵を返した。
ガラス扉を押すと店内の音が一枚薄くなる。
昼の光が正直過ぎて、ガラスに自分が薄く映る。
僕は自分の顔を見た。
帰る側の顔をしていた。
考えて答えを出した顔じゃない。
表情だけが先に結論を言っている。
歩幅を落として帰り道を歩く。
ポケットの中でiPhoneが震えた。
[エルフ]会って話がしたい。
[エルフ]あなたが来られる時で構わない。
[エルフ]受け入れはいつでも出来る。
淡々としている。
淡々としているのに、断り文句の余白が無い。
『いつでも出来る』は優しさの形をしている。
同時に、逃げ道を塞ぐ形でもある。
優しさの形をした要求は断り方が分からない。
返事は家で打つ。
自分の部屋の明かりの下で、ちゃんと打つ。
家のドアを開けて靴を脱ぐ。
鍵を置く。照明を点ける。
いつもの机。いつものマグカップ。いつもの生活。
いつものはずなのに、胸の真ん中だけが落ち着かない。
僕は『異邦の騎士』を机に置いた。
まずLINEを開いて、咲希に送る。
『これからリンクする』
直ぐに既読が付く。返信も直ぐに来る。
『あらま、お早いのね。どんな人?』
『エルフ。あのエルフ』
『あー。どーせ、ふ、ふつくしい……とかなってるんでしょ?』
図星は刺さる。
刺さるのに、咲希の言葉は軽い。
軽いから、僕は返せる。
『否めない!』
『否めよ!笑。でも、まぁ元気で良かったよ。綺麗に終わるほど辛くなるのがマッチングアプリだよ』
『ほむ。言い得て妙。良いこと言うじゃん』
少し間が空いて、次が来る。
『まぁ、ね。有り体に言えば、にいには優しいから』
『褒めて〜!もっと褒めて〜!』
『逝ってヨシ!あ、でもエルフは気を付けなね。決して悪い人達じゃないんだけれど……』
『大丈夫。僕は自分で見極めるから』
『おう!自分の心を信じろ!』
理由は聞かない。
聞けば、咲希はちゃんと答える。
ちゃんと答えられたら、僕はそれを『知識』にしてしまう。
知識にしたくない。
僕は僕の目で見たい。
僕はそこで指を止めた。
画面を閉じる。
代わりにGatePair: Linkを開く。
トーク一覧の上の方に[エルフ]が居る。
メッセージ欄に指を置く。
[ユウキ]会って話すよ。
[ユウキ]今、行ってもいい?
[ユウキ]僕が申請して、君が受け入れたらリンク成立だよね?
送信して画面を見たまま待つ。
相手の受け入れが無いとリンク出来ない。
既読が付く。
返事が来る。
[エルフ]今で構わない。
[エルフ]受け入れる。
[エルフ]あなたの手順に従う。
短いから余計な感情が乗らない。
僕だけが勝手に重さを感じる。
立ち上がって持って行く物を揃える。
今回はお昼ちゃんの時よりも長く滞在するつもりだ。
『異邦の騎士』を手に持つ。
眠れない時用に。
読む暇が無いかも知れない。
それでも持って行く。
持って行くことで、覚悟が形に出来る。
ポケットに充電ケーブルを入れる。
そこで、ふと気付く。
お昼ちゃんの世界の宿屋にはiPhoneの充電ケーブルがあった。
同じアプリを使ってるんだから、異世界にも当然スマートフォンがあって、iPhoneもある。
現代の小物は向こうでは重さだけになる。
でも……もし無かった時に充電が切れてしまうと、ブロックの手段が無くなる。
念のため、今回は持って行こう。
玄関からDr.Martensのチェルシーブーツを持って来る。
紐が無い。迷いが増えない。
足首が固定されると、身体の方が先に『行く』を受け入れる。
ベッドに腰掛ける。
iPhoneを握る。
画面の【リンクを申請する】が事務的な光で待っている。
一度だけ深く息を吸って、吐いて、押す。
【リンクを申請する】
[相手の受け入れを待っています]
もう受け入れると言われているのに、手順は手順として進む。
アプリは感情に興味が無い。
興味がないから容赦が無い。
iPhoneが一度だけ震えた。
[リンク申請が承認されました]
[リンクは成立状態です]
[【リンク】を実行できます]
僕は前回と同じ様に咲希にLINEを送る。
『行って来る』
既読が付く前に──
【リンク】
視界が白くなる。
白は光じゃない。
切り替わりの色だ。
部屋の生活音が薄くなって、代わりに鼓動だけが近付く。
足元の感触が変わる。
硬い床じゃない。
土だ。
落ち葉だ。
湿り気がある。
木の匂いが空気の基礎になっている。
僕は立っている。
立っている実感が少し遅れて来る。
目の前に森の道がある。
背の高い木々。
空は葉の隙間に切り取られている。
緑の影が風で静かに揺れる。
目の前に女性が立っている。
派手じゃない。
作っていないのに整っている輪郭。
目がとても綺麗で目線がブレない。
白い手袋が目に残った。
近付いて来ない距離を守って、僕がここに居ることを確認する。
その人が声を落として言った。
「待ってたよ、ユウキ」




