第4話 名前を与えなかった社会
この話は、
誰かを批判するためのものではありません。
特定の国や文化を
優れているとか、遅れているとか、
そういう評価をする意図もありません。
ただ、
言葉に名前を与えたときと、
あえて与えなかったときで、
人の役割がどう変わって見えるのか。
その違いを、
少し引いた位置から眺めてみる章です。
日常の中で
「なんとなく、そうなっている」ことが、
どういう構造の上に成り立っているのか。
その輪郭だけを、
ぼんやりと描いていきます。
請負人という言葉は、ある。
辞書にも載っているし、
法律の文章にも出てくる。
それなのに、
日常会話でこの言葉が使われる場面は、
それほど多くない。
代わりに、こんな言い方が選ばれる。
「あの人がやってくれてる」
「詳しい人がいるから」
「前から関わってる人で」
役割ははっきりしているのに、
名前だけが、ぼかされる。
日本の組織では、
こういう場面をよく見かける。
仕事は存在する。
責任も存在する。
でも、それを指す言葉が、
意図的に曖昧なまま残される。
これは怠慢というより、
むしろ一種の知恵なのかもしれない。
名前を与えなければ、
境界も曖昧になる。
境界が曖昧なら、
融通が利く。
今日はここまで、
明日はそこまで。
請負なのか、
手伝いなのか、
善意なのか。
その都度、
空気で調整できる。
日本の組織が、
長い間それで回ってきたのは、
事実だと思う。
ただし、
それがうまく機能するのは、
前提条件が揃っている場合だけだ。
・人数が少ない
・顔が見える
・関係が長期的
・失敗しても致命傷にならない
この条件が崩れると、
曖昧さは、
急に牙をむく。
役割は消えない。
ただ、
人格に吸収される。
「あの人はそういう人だから」
「昔から面倒を見てくれてる」
「断らないタイプだよね」
仕事の話だったはずが、
いつの間にか、
人の性格の話に変わる。
ここで初めて、
請負という言葉が持っていた
本来の意味が失われる。
仕事ではなく、
役回りになる。
条件ではなく、
期待になる。
断ることは、
契約違反ではなく、
裏切りに近づく。
こうして、
請負人は静かに消耗していく。
では、なぜ
それでも名前を与えなかったのか。
おそらく、
最初から悪意があったわけではない。
名前を与えると、
責任の所在が固定される。
固定されると、
交代が必要になる。
交代には、
調整と摩擦が生まれる。
だったら、
曖昧なままの方が楽だ。
今日をやり過ごすには、
その方が都合がいい。
ただ、
今日をやり過ごす選択を
積み重ねた結果、
何が起きるか。
組織は壊れないかもしれない。
でも、
人が静かに壊れる。
ここで、
undertaker の話に戻る。
英語の undertaker は、
役割をぼかさない。
引き受ける。
引き受けた結果も含めて。
だからこそ、
同じ言葉で
請負人も、企業家も、
指すことができる。
どちらも、
「結果を名義ごと引き受ける人」
だからだ。
一方で、
日本語の世界では、
結果を引き受ける行為が、
名前ではなく、
人格に結びつきやすい。
だから、
請負人という言葉は、
前に出てこない。
前に出てこない代わりに、
誰かが、
黙って引き受ける。
名前を与えなかった社会は、
柔らかくて、
優しくて、
そして少し残酷だ。
それでも、
その仕組みの中で
何とか均衡を保ってきた人たちがいる。
次の話では、
その均衡を保つために
選ばれた「仮面」について
考えてみたい。
――企業家、という仮面について。




