卵の星
エヌ星の文明レベルは地球でいうところの19世紀くらいのもので、天文学で言えばようやくエヌ星周辺の星々を、くわしく観察できるようになったところだった。
さて、この時代で一番の天文学者であるエス博士が、この時代で一番高性能な望遠鏡を使って、ある星を見つけた。
「あれ、なんだろうあの星は。他の星と違って、卵のような形をしているぞ」
遠い惑星だから、エヌ星からその星は肉眼じゃ見えなかった。その星は地球で言うところの、火星と水星に当たるような星々の、真ん中くらいに位置していたから、偶然発見することができた。
望遠鏡で拡大して初めて、それが普通の丸い星じゃないことが分かった。色は真っ白で、表面もなんだかつるつるしている。惑星としてそんなことがありえるだろうか? とエス博士は考えた。しかし、まだエヌ星の文明レベルでは、答えは分からなかった。
とりあえず、エス博士はその星の名を『卵の星』とすることにした。
エス博士は、さっそく卵の星のことを学会に発表した。
他の研究者たちも望遠鏡でその姿を見て、エス博士の幻覚じゃないことを確認した。そして誰もが、その白さとつるつるさから、「卵みたいだ」と口を揃えるのだけど、やっぱり誰もその星の正体までは分からなかった。
だから議論は紛糾した。学者たちは仮説を打ち立て合った。
エス博士の友人である、ロマン派の天文学者はこういった。
「あれはもしや本当に、未知の宇宙生物の卵なんじゃなかろうか。宇宙空間であんな卵型の惑星が形成される事なんてありえないもの。表面の質感から見ても、あれは殻に見える。まだ知り得ぬ存在について、考慮すべきだ」と。
一方で、こちらもエス博士の友人である、理論派の天文学者はこういった。
「いやいや、冷静になりたまえ。宇宙空間で生物が存在するほうがありえないし、ましてや卵生で、卵を宇宙空間に放置するというのもありえない。きっと我々が培ってきた天文学がまだまだ未熟で、未だ知らぬ理屈があるだけなのだ。まったく、君は夢見がちでいけないね」と。
彼らの意見は対立していたが、エス博士はどちらの意見も一理あると思った。なにせ、他の星と比べてもどうにも異質なのだ。様々な可能性を考慮すべきだと思った。そして、エス博士は今までの研究人生の中でも一番強く、卵の星という研究対象に心惹かれ始めていた。
まさしくあの卵の中には、宇宙の謎を解き明かす真理が、詰め込まれていると思ったのだ。ロマン派の学者が言ったとおり本当に宇宙空間で生きられる生物がいた場合でも、理論派の学者が言ったとおり未知の物理法則が働いている場合でも、どちらにせよ謎が解ければ、この星の天文学は大きく進歩するだろうという確信があった。
エス博士はいよいよ、人生の全てを賭す覚悟で、卵の星の謎を解き明かしてやろうと思った。そのためには、もっと大きい研究所が必要だし、もっと高性能な天体望遠鏡が必要だった。
そこからのエス博士は凄かった。
世界一の天文学者としてのネームバリューを活かし、色んな学者たちの力を借りながら、卵の星研究に打ち込んだ。『卵の星研究所』を地球で言うところの赤道に作って、おおきな天文観測台も併設したのである。その技術レベルは、地球で言うところの21世紀ぐらいとおんなじだった。
そう、彼はたった一代で、エヌ星の天文学レベルを200年くらい進めたのである。
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地球で言うところの、約半世紀後。
エス博士はもう死んでしまったけれど、彼の遺志は後輩研究者たちによってしっかりと引き継がれていた。
この時代ではもう、卵の星研究がとても進んでいた。
赤外線カメラで温度を調べたり、近赤外線スペクトルで惑星の構成比を調べたりして、より詳しく卵の星のことがわかっていた。
まず一つ特徴的なのは、卵の星の表面にはカルシウムが非常に多く含まれていて、やっぱりその成分比が『卵の殻』に近いということだ。
次に特徴的なのは、他の惑星と同じように中心部には高温反応が見られるのであるが、定期的に熱反応が上がったり、下がったりする反応も見られるということだ。これは普通の中心溶岩部では見られない反応だ。まるで、卵の中の何者かが、胎動しているかのようにも思える反応だった。
こういったデータが観測されたから、半世紀前よりも学会には、『卵の星は、本当に何かの卵である』という派閥が、増えてきていた。勿論『やっぱりただの惑星に決まっている』という派閥も一定数いたけれど、有力な証拠は見つけられておらず、勢いは弱まっていた。
するとどうなるか。結論から言えば、まだ仮説に過ぎないとはいえ、ロマンに溢れた『卵の星に何かがいる』説が、大衆にも広く普及し始めたのである。
この時代では半世紀前からメディア文明も発展していたから、連日テレビや新聞は面白がって、『卵の星』の話題を取り上げた。
『卵の星からは千年後、宇宙人が生まれてくる!?』
『卵の星の生みの親はドラゴンだった!?』
『ペンギン座銀河団にて、二つ目の卵の星を発見!?』
などなど、大衆の想像力を掻き立てる見出しが、毎日現れた。
この影響を一番強く受けたのが、子供たちだ。やっぱり空に浮かぶ謎の塊と言うのが、幼心を惹きつけてやまないのであった。
卵の星を見るだけなら家庭用望遠鏡でも十分だったから、どの家の子も誕生日や、地球で言うところのクリスマスに当たる日のプレゼントには、望遠鏡をお願いした。そうして、「僕はいつか宇宙飛行士になって、卵の星に行くんだ」と言った。子供たちの将来の夢第一位は、ここ半世紀ずっと宇宙飛行士であった。
しかし、地球で言うところの二十一世紀レベルの文明でも遠い惑星に行くのは難しかったように、エヌ星でもまだまだ、卵の星へ宇宙船で向かうのには時間がかかりそうだった。
だからエヌ星の人々はみんな、卵の星を見上げるしかなかった。
すると、さらに想いはつのり、先鋭化していくのだった。
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また半世紀後。
この時代になるとエヌ星は、すっかり地球で言うところの22世紀レベルの文明力を手に入れていた。今では核融合発電技術も、量子コンピューター技術も手に入れていた。エヌ星の一番大きな国の、一番有名な都市は、さながらメトロポリスのような未来都市さえ形成していた。
ではなんで、ここまで急速に文明が発達したかといえば、やっぱり卵の星の存在が大きかった。
エヌ星に住む人々全員が、卵の星の真実を知りたがっていた。だから、はやく遠距離宇宙船が作れるような文明レベルになろうと、社会全体が目指す場所をひとつにして頑張れたのだ。
そして何より、新世代の活躍も大きかった。かつて子供の頃卵の星に憧れ続けた世代が、今では人類のボリューム層を形成している。そりゃあ、物理学も工学も天文学も発展するというものだった。
しかしその一方で……その一番大きな国の、一番大きな都市の、一番有名な交差点では、半世紀前には見られなかったとあるデモ行進が起こっていた。
その行進では、参加する人々全員が卵の被り物を被って、白いローブを纏っていた。
先頭の人々はこんなことが書かれたプラカードを掲げていた。
『神の卵を試すなかれ!』
『神の卵に触れるとき、人類に厄災訪れたり!』
『宇宙船プロジェクトを、今すぐ中止せよ!』──などなど。
彼らは『神の卵教団』という新興宗教だった。
そう、卵の星の神秘性を前に、それを解き明かすのではなく、それを崇めようという集団もまた生まれていたのだ。
デモ集団は交差点を占領し、市民からは冷たい視線を、市警からは必死の制圧を受けていた。しかし彼らは主張をやめなかった。過激な思想の持ち主たちなのだ。
彼らの教義は『あの卵の星には神が眠っており、来たる審判の日に卵が割れ、神の救済が始まる』というものだった。だから、その審判の日まではむやみに卵の星を調べてはいけないのだと、彼らは叫んだ。
この神の卵教団の存在には、地球で言うところの国際連合がひどく困った。
何故なら、あと五年後にはとうとう、卵の星まで辿り着ける超遠距離航行が可能な宇宙船を、国際連合で総力を挙げて、完成させる予定だったからだ。
この宇宙船プロジェクトと、神の卵教団は、まさしく水と油の関係だった。どちらもの目的に対して、どちらもの存在が許容できなかった。
そしてタチの悪いことに、神の卵教団は思想だけでなく、行動まで過激だった。国連の重要人物を神の卵教団が襲撃するテロ事件が、既に何度も起きていた。彼らにとっての天国は卵の星であり、信者は死後、魂が卵の星へたどり着いて永遠の救済を受けるのだと信じていた。だから、過激派信者たちは命知らずであったのだ。
それでいて年々信者数も増えており、今ではひとつの国ほどの規模を誇っていた。
それから卵の星へたどり着ける宇宙船が完成するまでに、五年が経つこととなる。それは、エヌ星の歴史上でも類を見ないほど、荒れた五年だった。
まず最初の年、国連大使館への爆弾テロが起こった。翌年には宇宙船工場にスパイが紛れ込んでいて、重要なエンジンパーツと一緒に自爆テロを起こす事件も起こった。
勿論、国連側も黙って見過ごしているだけではない。さらに翌年、その報復として、国連は制圧作戦を開始。国連軍の武力に物を言わせ、神の卵教団の幹部たちを一網打尽にした。
そのまた翌年には、頭を失った蜘蛛のように神の卵信者たちは最後のあがきを見せ、世界各地でのゲリラテロを決行した。国連軍も無制限の武力でそれに応戦した。
最終的に神の卵教団は壊滅したとはいえ、国連側の損害も大きく、非常に多くの血が流れた。
けれど──なんとか予定通りの五年後、宇宙船は完成まで漕ぎつけた。
国際連合職員たちの、必死の努力のたまものであった。この五年で、神の卵教団との争いのせいで何度も核となるパーツを作り直したり、乗組員を選び直したりした。だから、もうこれ以上時間を掛けられる余裕も、国連側にはなかった。また神の卵教団のような異分子が現れたら、今度こそ宇宙船プロジェクトが中止となってしまうだろう。勿論、宇宙船の維持費だって馬鹿にならない。
だから国連は急いでプロジェクトの最終フェーズに入った。
そして──打ち上げ一か月前。
国連に、あるニュースが飛び込んできた。
伝令役の職員が、真っ青な顔で国連総長のもとへ飛んできた。
国連総長もまた、青い顔でその報告を聞いた。
「えっ、卵の星と反対側の宇宙から、隕石が飛び込んでくるだって?」
沈黙の後、伝令役は血の抜けたような顔で頷いた。
国連総長の額から、たらりと冷や汗が一滴流れ落ちた。
ニュースは真実であった。
天体観測部門の職員が卵の星と逆側の宇宙を見てみると、確かにエヌ星へ向かって巨大隕石が飛来してきていた。その軌道は何度計算しても、丁度エヌ星とぶつかるようになっていた。隕石の大きさはエヌ星の十分の一くらいで、つまりエヌ星を木っ端みじんにするのに十分な大きさだった。
──と言う情報が、たった今国連の全部署に通達されていた。
国連総長が、息詰まった感じで呟いた。
「な、なんとかならんのか。百年前ならまだしも、今のエヌ星の文明なら、水爆ミサイルもあるし、高性能宇宙弾道計算システムも、あるだろう」
しかし、伝令役は震えた瞳で総長と目も合わせず、首を振った。
「それが総長、もうどうにもならないのです。水爆で軌道が変わる大きさではありません。もしも唯一可能性があるとすれば、私たちの五年の集大成であるあの宇宙船に爆弾を積んで、自爆させて軌道を逸らすことでしたが……気づくのが三カ月は遅かったと、専門職員たちが結論づけました。もしもっと早く気付けていたなら、今の技術なら可能でした。しかし、もうどうにもなりません……」
その言葉の内容が、全てであった。
ここまでの激動の五年で、教団との争いと、卵の星までの宇宙遠征の成功に、皆が気を取られ過ぎていたのだ。誰も、卵の星と反対の宇宙を見ようとしなかった。そんなコストがあれば、より詳しく卵の星を見上げる方がよかったから。
国連総長は絶句した。
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それから、エヌ星人存続のための僅かな希望にすがるため、宇宙船だけでもせめて出航させようという計画が動き始めたのだが、大衆が黙っているわけもなく、誰もかれもがなんとか宇宙船に乗りこもうと発射場までなだれ込み、争いが起き、めちゃくちゃになり、結局誰かの打った拳銃によって、宇宙船のボディに致命的な欠損が出て、僅かな希望も絶たれてしまった。
その一か月後に隕石が衝突して、エヌ星は木っ端みじんになった。
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━━それから千年後。
卵の星の表面に、大きな罅が入り始めた。
その様子を見ているものは、もうどこにもいなかった。