【5.現実に認識してもらうの】
さて、直接頑張ると決めたメルディアーナは、まずは王子本人に会わなくちゃ始まらないと思い至った。
マーシェル王子は王家出身。お遊びで遊びに行く事があるとはいえ、余程の大貴族の夜会でないとさすがに顔を出さない。
マーシェル王子が出席しそうな夜会の主催者はというと……。メルディアーナはマーシェル王子がバイヤード公爵家の夜会に行くかもという噂を思い出した。
じゃあ、バイヤード公爵家の夜会に行けば会えるのね、とメルディアーナは思ったものの、メルディアーナのコルウェル伯爵家は成り上がり貴族のため、名門バイヤード公爵家とは未だに交流がない。
うーん、と考えてメルディアーナはピンときた。
そうだわ。ギルバートとかどうかしら。
ギルバートとは、名門クローンショー公爵家の長男。
メルディアーナはギルバートとダナンつながりで仲良しなのだ。もともとは、ダナンの友人で、ダナンの浮気癖を心配した心優しいギルバートが、メルディアーナをそれとなく慰めてくれたのがきっかけだった。それ以来、ダナンの浮気癖についてすっかり愚痴を聞いてもらった仲なので、ギルバートはメルディアーナにとってだいぶ気心知れる相手なのだった。
メルディアーナは我ながら名案だと思った。
ギルバートのクローンショー公爵家ならバイヤード公爵家ともお付き合いがあるはずよ。今度の夜会にはギルバートだって呼ばれてるんじゃないかしら。
思い立ったが吉日。
すぐ翌日、メルディアーナはギルバートを訪問した。
ギルバートもダナンとメルディアーナの婚約破棄を聞いてかなり驚きメルディアーナに同情していたので、今日の突然のメルディアーナの訪問も快く迎え入れたのだが、どんな言葉を投げかけるべきか少し困惑気味の顔をしていた。
しかし、メルディアーナは晴れ晴れとした顔をしている。
「ギルバート、バイヤード公爵家の夜会に行きたいんだけど、エスコートしてくれない?」
「は? え? 愚痴とかじゃなく、いきなりバイヤード公爵家? 一体何で?」
「なんでってマー……」
マーシェル王子と出会うためと言いかけて、メルディアーナは口を噤んだ。
マーシェル王子と自分との関係は誰も知らない。マーシェル王子と出会うためと言ったところで「おまえが? いやいや無理でしょ、王子だよ? 婚約破棄されて身の程も弁えられなくなった?」とか鼻で笑われるのがオチ。
言えない言えない。
ギルバートの方は、メルディアーナが急に口を噤んでしまったので、「あれ? らしくないな」と思った。
そして、メルディアーナが愚痴ではなくいきなりバイヤード公爵家の名前を出してきたところを思い返して、急に「はっ!」と気づいた。
バイヤード公爵家はメルディアーナと婚約破棄したダナンのウェブスター公爵家と懇意だ。メルディアーナはバイヤード公爵家の夜会に行けばダナンと会えると思っているのではないだろうか? もしかして、ダナンとの婚約破棄を引き摺っていて、ダナンに婚約破棄を思いとどまってもらえるよう縋りつくつもりなのでは!?
「ええと、……もしかしてあいつ(※ダナン)が来るかもとか期待してる?」
「あいつ? (マーシェル王子を)あいつ呼ばわりとは感心しないわね」
ギルバートはぎょっとした。
あいつ呼ばわりとは感心しない、とは! まだダナンに気があるのか? あんなにひどい扱いをされておいて?
ギルバートはメルディアーナがすっかり可哀そうになった。
「やめときなよ、メルディアーナ。(ダナンと)会ってもいいことないよ」
「ええっ? そんなの(マーシェル王子と)会ってみないと分からないじゃない。あと、たぶんなんだけど、会えば私のこと(誰だか)分かってくれると思うの」
「……今更分かってくれないと思うけどな」
「そうかしら? 私はそうは思わないわ」
二人の会話は完全にすれ違ってるのに、二人はそのことに全く気付いていない。
メルディアーナが強い決意を持った目をしているので、ギルバートはため息をついた。
メルディアーナはまだダナンに何か期待しているようだ。これ以上ダナンに固執しても、メルディアーナが傷つくだけなのに。
「どうしても行きたいのか?」
「うん。ねえ、一生のお願い、ギルバート」
ギルバートはもう一度ため息をついてから小さく肯いた。
メルディアーナの顔がぱあっと明るくなる。
ギルバートはメルディアーナを見て、余計に心が苦しくなった。
そして、心の中では「ダナンがあの調子では絶望しかないのに。俺がフォローしてやろう」と思っていた。
さて、バイヤード公爵家の夜会の日になった。
ギルバートにエスコートしてもらって夜会会場に入ったメルディアーナは、あまりの豪華絢爛さに目を見張った。
「まあ、なんてすごいパーティなの!? オシャレしてきてよかったわ!!」
メルディアーナはマーシェル王子に会えるからと目いっぱい着飾っていた。
そんなメルディアーナをエスコートするギルバートは、このオシャレがダナンとの復縁のためだと勘違いをしているので、陰鬱な気持ちになる。
メルディアーナはそんなギルバートを軽く笑い飛ばす。
「そんな顔しないでよ。私、きっとうまくやるから」
「メルディアーナのその自信はどこから?」
「もう、ギルバートったら。子ども扱いしないでよ」
さて、ここまで入り込んだら、あとは目的のマーシェル王子を見つけ出すだけ!
メルディアーナは腕まくりした。
目的に向かって一途なメルディアーナは人目も気にせず、ギルバートを引き連れ、マーシェル王子を探してあっちこっちウロウロして歩き回った。
が。
先日の婚約破棄騒動で、メルディアーナの顔はそこそこ売れてしまっている。
バイヤード公爵家の招待客たちはメルディアーナの姿をみとめると、「あれ?」といった顔をしたり、露骨に意地悪そうな笑みを浮かべたり、気位の高い人になると顔を不快そうに歪めたりと、あまり好意的な態度を取らない。
ギルバートはその視線が少し痛くて、メルディアーナのドレスの端を引っ張った。
「ほら、みんなが君の姿を見ているよ。少し大人しくしたらどうだい?」
「あら、私は人の視線なんてどうでもいいわ。せっかく来たんだもの、きちんと(マーシェル王子と)話すまでは帰れないわよ」
メルディアーナは本当に気にも留めない様子で答えた。
ギルバートは余計にハラハラする。そして、「ダナンよ、頼むからここに居てくれるな」と心の中で祈った。
こんな規模の大きな夜会でメルディアーナがダナンと接触するなんて、招待客たちの格好の余興になるのが目に見えているではないか! 皆、暇なのだから。
そして、ギルバートの心配通り、嫌な人に見つかった。
メルディアーナに婚約破棄を言い渡した張本人、ダナンである。
ダナンはピンクブロンドのフリーダを横に侍らせている。フリーダも露骨に不快そうな顔をした。
メルディアーナはダナンとフリーダに気付いただろうか。
ギルバートは冷や汗をかき、メルディアーナの腕を無理矢理ぎゅっと引っ張ると、「中庭に出よう」と急に向きを変えて外に連れて行こうとした。
「ええ~、中にいたかもしれないのに」
メルディアーナが不平そうに言う。
ああ、いたよ(※ダナンが)、だから逃げるんじゃないか、とギルバートは心の中で毒づいた。
そして問答無用とばかりにぐいぐいメルディアーナを引っ張って、結局中庭に出てきてしまった。
すると、それが運よく奏功だったらしい。
なんと、中庭で話し声がしたかと思ったら、マーシェル王子がいたのだ!
「あっ!」
メルディアーナは歓喜の声をあげた。
月明かりで薄暗いとはいえ、あの声は間違いなくマーシェル王子!
マーシェル王子は数人の仲の良い友人たちと夜風に当たりながら、軽口など言い合って笑いあっていた。少しお酒でも入って気分がよくなっているのかもしれない。
マーシェル王子は誰か来たことに気付いたようだ。
「あれ? 誰か来た? 暗くてよく見えないな」
すると、メルディアーナが顔を紅潮させながらするすると歩いて行った。
ギルバートは慌てて、
「あ、ちょ、待て! それはダナンじゃないぞ!」
と止めようとしたが、メルディアーナは聞いていない。
メルディアーナはマーシェル王子の前に恥じらいもなく立つと、ドレスを披露するかのように腕を広げて、
「あのー、私のこと分かりますか?」
とにっこり微笑みかけた。
マーシェル王子は月明かりの中姿を現した見ず知らずの女性が、いきなり馴れ馴れしく話しかけてきたので驚いた。
「……ええと? どちら様デスカ?」
メルディアーナはショックを受けたかのような表情をした。
「まあ、私がお分かりにならない? あ、ええと、そうかあのときは声だけだったから……」
メルディアーナが必死で説明しようとするところを、飛んできたギルバートがぎゅむっと後ろから首根っこを掴む。
「マーシェル王子、どうもすみません。僕の連れがとんでもない人違いをしたようで!」
「あれ? 君はギルバートじゃないか、ええと……?」
マーシェル王子が混乱する頭を整理しようとしていると、何やらざわざわ周囲が騒がしくなった。
「?」
ギルバートが不思議に思って振り返ってみると、いきなりワインがびしゃっと飛んできた。
「うわっ! え?」
「きゃっ」
メルディアーナも横で小さく悲鳴を上げた。
メルディアーナの方が被害が甚大だった。この日のために仕立てたとびきりのドレスが、前面びしゃりと赤ワインに染まってる。
え、と思ったら、相手はピンクブロンド、フリーダだった。
フリーダを庇うようにして、後ろには目を吊り上げたダナンがいる。
フリーダはヒステリックな声をあげた。
「何しに来たのよっ! あんたはもうフラれたの! 場違いよ、出ていきなさいっ!」
フリーダの両手には空になったワイングラスがそれぞれ握られていた。
少しでもたくさんぶっかけるために2杯分持ってきたようだ。
メルディアーナはあまりのことに訳が分からない顔をしていたが、やがてこの赤ワインがダナン絡みで飛んできたことを理解し、心外すぎて泣きたい目をした。
「ダナンとか違うわよ、そんなんじゃ……」
せっかくのオシャレが台無し。マーシェル王子の目の前で。
そのときようやくギルバートは、ダナンとフリーダとメルディアーナと3人揃ったところを一目見ようと、たくさんの見物人が集まっていることに気付いた。
皆、遠巻きにして、事の成り行きを楽しそうに見ている。
「まあ、婚約破棄されたメルディアーナ様ですわよ。婚約破棄にご不満があったのかしら、こんなとこまで押しかけてきて。あんなになるまで赤ワインを引っかけられて気の毒ねエ」
「ダナン様も相当愛されておいででしたのねエ」
「でもこんな男女の痴話話で騒ぎが起こっちゃ、バイヤード公爵家も可哀そうだわア」
ギルバートはそっとメルディアーナに耳打ちした。
「メルディアーナ。ほら、だから言ったこっちゃない。ここはもう帰ろうよ」
「待って、まだ(マーシェル王子に)気付いてもらってない」
「十分みんな気付いているよ。本人(※ダナン)だって聞く耳持ってないしさ」
「そんなことないわ、少し唐突過ぎただけよ……」
メルディアーナは、言いたいことを含み潤んだ目をマーシェル王子に向けた。
マーシェル王子はなぜそんな目をされるのかと一瞬びくっとする。
「え……と」
しかしギルバートは、居座ったら状況は悪くなるだけだと判断し、強引にメルディアーナの腕を取った。
メルディアーナはまだ食い下がろうと抵抗したが、ギルバートの決心の前には為す術無し。引きずられるように聴衆の輪から引きずりだされていった。
ダナンとフリーダは、メルディアーナが去っていった方をまだ睨んでいる。
「あんなにはっきりと婚約破棄してやったのに。往生際が悪い」
マーシェル王子は何だかよく分からずにポカンとしていたが、
「へえ、あの令嬢は婚約破棄されたのか」
と無関心そうに口先で呟いた。
そして、ふと「あれ?」と思った。声が似ているのだ。
ああ、あの婚約破棄された人、あの塔の女性に声が似ているのだ。
そしてマーシェル王子はふと胸に寂しさを覚えた。
ずっと彼女を探しているのにな。……会いたいと思っているのに。