【11.彼女を私に譲ってくれ】
さて、ギルバートがコルウェル伯爵邸を訪れた翌日のこと。
いつものように仕事に王宮に出たコルウェル伯爵夫人は、どことなくそわそわした様子のマーシェル王子に声をかけられた。
「ばあや。聞きたいことがあるんだ。メルディアーナのこと」
「! マーシェル王子。あのバカ娘が何かしでかしましたか?」
「いや、何もしでかしてないよ、まだ」
コルウェル伯爵夫人の厳しい口調に、マーシェル王子はややたじたじとなった。
「まだ……とは」
コルウェル伯爵夫人はマーシェル王子の続きを待ってじっと見つめた。
マーシェル王子は冷静になろうと小さく「コホン」と咳ばらいをしてから、
「聞きたいのはダナンとの関係のことなんだ。婚約してたんだって? そして破棄されたとか」
と確認した。
「ええ。お恥ずかしい話ですが」
「メルディアーナは傷ついている?」
マーシェル王子が恐る恐る聞くと、コルウェル伯爵夫人の方はあっけらかんと答えた。
「それは、さほど」
「さほど?」
「ダナン殿のことは好きじゃなかったんでしょう。彼には浮気癖もありましたしね。こちらも悪い噂を聞くたびにそれとなくウェブスター公爵家の方へ相談に参りましたが、本人にはあまり真剣には聞き入れてもらえなくて困っていたんです。あちらから婚約破棄と言ってくれて多少ほっとしているところはありますね。私ですらそうなんですから、本人だってきっと」
「そうか」
マーシェル王子はあからさまにほっとした様子を見せた。
そしてマーシェル王子は言った。
「メルディアーナに会わせてくれないか?」
コルウェル伯爵夫人の眉がぴくっとなる。
「とんでもない! あの子、最近何度か勝手に会いに行ったんでしょう? 王子の前で騒ぎを起こしたとかで私倒れるかと思いましたよ!」
コルウェル伯爵夫人が断固とした口調で言うので、マーシェル王子は懇願するようにずいっと身を乗り出した。乳母相手にはこうやって甘えるところがある。
「いや、ばあや。私が求めているのはメルディアーナだったんだ」
コルウェル伯爵夫人は飛び上がった。
「そんな恐れ多い! 先日婚約者候補の令嬢が3人決まりましたでしょ?」
「あれは母が決めた。私は少しも彼女たちに興味がない。私はある令嬢を探していたんだけど、その人がなかなか見つからないのでどうしようもなく母に好きにさせただけなんだ。でも、探し人が見つかったかもしれないとなると、話は変わってくる。もちろん、候補となった3人の令嬢に対してはひどい話だとは思っているんだ。深く謝罪するつもりなんだけど……」
「それで、王子は、探していた令嬢がうちのバカ娘……、メルディアーナじゃないかと言ってるんですか?」
「そうなんだ」
「いったい、いつどこで、そんな話になっているんですか……」
あれだけ王子に話しかけるなと言っておいたのに! 身分の違うバカ娘が王子に話しかけられるのは乳母の娘だからでしかない――逆に言うと、乳母の娘という特権を利用するなんてズルも甚だしい! だいだい婚約者がいた分際でなにやってんの!
コルウェル伯爵夫人は呆れ返っていた。
コルウェル伯爵夫人は落ち着こうとして「ふうっ」と小さくため息をついた。
「マーシェル王子。その件ですが、メルディアーナのところへギルバート殿がプロポーズしに来ました」
「えっ!?」
「ギルバート殿はメルディアーナがダナン殿を忘れるのを支えると」
「ギルバートはメルディアーナのことが好き?」
「どうでしょう。プロポーズするくらいですから好意はあるかと」
コルウェル伯爵夫人がそう答えると、マーシェル王子は焦った。
ギルバート!
そういえば、自分がメルディアーナと最近会うときはいつもギルバートが近くにいた気がする! 二人はそういう関係なのか?
「メルディアーナの返事は?」
「まだ。時間をくれと言ったそうですけど」
コルウェル伯爵夫人が答えると、マーシェル王子は俄然やる気になった。
それならまだ間に合うかもしれない! どういうつもりなのか、ギルバートとちゃんと話をしよう!
「馬を用意しろ。ギルバートに行くからと言付けも頼む!」
マーシェル王子は戸口に控えていた従者に向かって叫んだ。
「王子!?」
コルウェル伯爵夫人が驚いた顔をする。
「ばあや。少し私は冷静でいられない。メルディアーナのこととなると」
そう言ってマーシェル王子は部屋を飛び出していった。
しばらくすると、馬で駆けていく王子が部屋の小窓から見えた。コルウェル伯爵夫人は心配そうに見送るのだった。
※
「ギルバート!」
馬をぶっきらぼうに従者に預けて、礼もそこそこに邸へ飛び込んだマーシェル王子は、執事とともに出迎えたギルバートを見て叫んだ。
ギルバートは目を丸くしている。
「どうしました王子? こんな私邸へわざわざ。言ってくだされば出向きましたものを!」
「いやいいんだ。メルディアーナにプロポーズしたというのは本当か?」
「あ、はい。ええ」
「おまえはメルディアーナが好き?」
「それはまあ。プロポーズしたくらいですから。一生一緒に暮らしてもいいと」
矢継ぎ早に聞くマーシェル王子の勢いに気圧されながら、ギルバートは王子をエントランス近くの簡易応接室へ促しつつ、丁寧に言葉を選んで答えた。
マーシェル王子は促されるまま歩きながら、
「私に譲ってくれないか」
と単刀直入に言った。
「は?」
「私が求めていた人はメルディアーナだったんだ」
マーシェル王子の告白にギルバートが固まった。
「え? あのメルディアーナですよ?」
「そうだ」
「案山子を立てている最中からカラスにつつかれているようなメルディアーナですよ? マーシェル王子の妃に?」
ギルバートは信じられないといった顔をした。
マーシェル王子は、カラスにつつかれているメルディアーナを想像する余裕は今のところない。大真面目な顔で、
「そうだ」
と頷いた。
ギルバートは黙ってしまった。
「……」
「おまえもメルディアーナに好意を持っているなら申し訳ない」
「……」
「すまん……」
あまりにギルバートが困った顔で黙っているので、マーシェル王子は深く頭を下げた。
ギルバートはさすがに何か言わなくてはと思ったが、何を言っていいのやら考えが纏まらない。
「……。私もプロポーズしてから、メルディアーナのことはその気になっていましたので……。ちょっと突然で驚いています」
マーシェル王子は項垂れた。
「譲ってくれなど、虫の良すぎる話なのは分かっている。だが、頼まないわけにはいかない……。申し訳ないとは本当に思っている」
ギルバートはマーシェル王子がかなり本気なのを見て、無碍な対応はできないと思った。
「王子の気持ちはわかりました。でも、そもそも、メルディアーナはダナンに未練があるようですよ」
「え? コルウェル伯爵夫人はメルディアーナはダナンにはさして関心はないと」
「え? しかし、バイヤード公爵家の夜会とか、マーシェル王子の婚約者選びのパーティとか、王妃の園遊会……。全部ダナンに会いに行ったのでは……?」
「は? 『私はマーシェル王子にお会いしたいだけ』と言っていたが……」
ギルバートとマーシェル王子は互いに顔を見合わせた。
ギルバートは考えを巡らせ、「あ」と小さく声を上げた。
貴族令嬢を集めたパーティのとき、メルディアーナは『直接会える一番のチャンスじゃない』と言った。それはつまり、ズバリそのまま、マーシェル王子に会えるということだったのか?
「ま、まさか、それって全部メルディアーナはあなたに会いに行きたかったということですか……?」
ギルバートは小さく震えながら聞いた。
「そう……かもと思っている。話しかけに来たし、ダンスもしてくださいと」
「……」
「たぶんだが……」
「……」
ギルバートはずいぶん気持ちを落ち着かせるのに時間がかかった。
しかし、真摯に自分を見つめるマーシェル王子の目を見たら、何だか自分は大きな勘違いをしていたような気にもなってきた。
そもそもメルディアーナがマーシェル王子を好きなら。この二人が相思相愛なら。自分が邪魔をするのは自分的にはどうも違うような気がした。
「そういうことなら……」
ギルバートは絞り出すように言った。
「……! ありがとう!」
マーシェル王子は申し訳なさそうに、しかし感謝の意を込めてギルバートの手を握った。
「僕はメルディアーナがダナンに未練があると思ってたので。あんな調子のダナンに呆れていたのでメルディアーナを支えてあげようとしていました。でも、メルディアーナが王子のことが好きで、王子もメルディアーナがいいのなら、僕は出る幕はありません。お二人に幸せを祈ります」
ギルバートはそう静かに言った。
それからギルバートは「あ!」と声をあげた。
「なんだ?」
何か不都合でも?とマーシェル王子は不安そうに聞き返すと、ギルバートが迷った顔になって、
「メルディアーナがダナンを好きだと思っていたので、メルディアーナの気持ちを汲んでダナンへのお仕置きを考えていたのです。でも好きじゃないならもういいですかね」
と言った。
「あ、いや、ダナンにはお仕置きしよう」
マーシェル王子は「確かに」といった顔で賛同した。
そして、ギルバートと話せたことにほっとしつつ、自分が冷静さを欠いていたことに恥ずかしく思いながら、マーシェル王子が帰ろうとしたとき、ギルバートが優しい顔で呼び止めた。
「マーシェル王子。少し酒でも飲んでいきませんか? 緊張していたんでしょう? 酷い顔をしています。少し落ち着いて行かれませ。あなたがメルディアーナに心を奪われた理由をじっくり聞かせていただこうじゃありませんか」





