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第三十五話 影の囁き

 遙は王の背を追いながら、胸に宿る違和感をぬぐえずにいた。

 先ほどのカナリアの羽ばたきと、王の言葉。

 どちらも彼女の心に小さな棘を残し、それがじわじわと広がっていくようだった。


「孤独は選択……」


 自分の歩みを、これまで選び取ってきたものだと本当に言えるのだろうか。


 足音が硬い石畳を響き渡る。王の歩みは無駄がなく、迷いのない直線を描いているが、遙の心はその逆だった。

 彼女の視界に広がる廊下の暗がりは、不安の象徴そのもののようだった。


「急げ。」

 

 王の一言で現実に引き戻される。遙は小さく頷き、その背に追いつこうと歩みを速めた。


 二人が辿り着いたのは、重々しい扉の前だった。

 側近たちが王の到着を見計らったように頭を下げる。


「陛下、遙様。この先にてお待ちしております。」


 扉がゆっくりと開き、冷たい風が二人を迎え入れた。

 部屋の中は薄暗く、中央には石のテーブルが置かれている。その上には、奇妙な装飾が施された鏡が鎮座していた。


「これは……鏡?」


 遙が呟くと、王は鏡の方へ視線を向けたまま答えた。


「“告げる鏡”と呼ばれるものだ。この城に古くから伝わる遺物で、真実を映し出すとされている。」


「真実……」


 遙は鏡の前に立つ。そこに映る自分の姿は、どこか薄れているように感じられた。

 それはただの光の加減なのか、それとも――。


「見つめろ、遙。」


 王の低い声が命じるように響いた。遙は鏡に視線を戻し、恐る恐るその中を覗き込む。


すると、鏡の表面がゆらりと揺れた。水面のように波打つ鏡の奥に、一瞬、影が現れる。


「……影法師!」


 遙は息を呑んだ。


 鏡の中から現れた影法師は、彼女に向けて静かに微笑んだ。

 その笑みはどこか親しげで、それでいて底知れぬ不気味さを含んでいた。


「久しいな、遙。」


 影法師の声が鏡越しに響く。それは彼女の記憶を深く掻き乱す、あの囁き声そのものだった。


「何のつもり……?」


 遙は必死に声を張り上げようとしたが、その声はか細く震えていた。


 影法師は微笑みを崩さず、鏡の中でゆっくりと動いた。


「選べと言っただろう? 孤独を選ぶか、それともその先を追い求めるか――。」


 その言葉は、先ほど王が言った「孤独は選択だ」という言葉と奇妙に響き合っていた。

 遙は鏡の前で立ち尽くし、自分がどこに立っているのか分からなくなっていく。


「君の力が欲しいわけではない。ただ、その色が見たいのだよ。」


 影法師の言葉に、遙の胸に押し込めていた感情がざわめき始めた。


――自分が奪ってしまった色。


 それを影法師は追い求めているのだろうか? だが、それがなぜ?


 遙が口を開きかけた瞬間、王が前に出た。


「姿を見せるならば、ここで決着をつける。」


 その一言には鋭い力が込められていた。


 だが影法師はただ笑うだけだった。


「決着をつける? 王よ、貴方も選びの途中ではないか。」


 その言葉に王が眉をひそめたのを、遙は見逃さなかった。


「それでは、また会おう。遙」


 影法師の姿が、波紋のように鏡の中から消え去った。部屋には再び静寂が訪れる。


 遙は鏡を見つめたまま立ち尽くしていた。

 王の背後で感じた影法師の気配が、今もどこかに潜んでいるような気がしてならなかった。


「まだ終わっていない。次は奴を捉える。」


 王の言葉に、遙は小さく頷く。しかし、その胸には新たな疑問が渦巻いていた。


 影法師が「選び」と言ったもの。

それは自分だけでなく、王にまで関係しているのだろうか――。


 その答えを見つけるためには、さらに一歩、闇の中へと踏み込まなければならないと遙は悟った。


数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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