贖いの月(異世界)
――あるところに、悪い魔女に呪いをかけられた一人の王子がいた。
悪い魔女は、呪いをかける際にこう告げた。
「今から二百十六回目の満月が昇る夜までに、この呪いを解かないと、死ぬまでその呪いを解く機会はやってこないだろう」と……。
そのまま魔女は消えてしまった。
呪われた王子は、呪いを解くために、今でも魔女を追って旅をしている――。
旅の語り人が紡ぐ物語に、人々は聞き惚れていた。
そんな中、旅装に身を包んだ一人の人間は、酒場のカウンターで、グラスを片手に鼻で笑う。
「はん、『贖いの月』…ねえ?」
主役である王子は勇猛果敢で、今のは物語の序章。
語り人が語る冒険譚に通りゆく人は皆振り向くが、『彼』は、全く興味を持っていなかった。
語り人は、『騙る』ことも、よく知っていたからだ。
椅子を引いて立ち上がると、代金をテーブルの上に置いて、店を出る。
丁度、語り人の話は、呪われた王子の話から、別の話にかわる所だった。
『彼』は、語り人がいる場所とは反対の方向に、そのまま立ち去った。
――さてお次は、呪われた王家の姫君のお話だ。
またあるところに、小さな国があった。
その国は今にも滅びそうだというのに、後継ぎの王子は頼りない。
そこで、王様は精霊と契約を交わした。
国を加護し、王子を逞しくしてくれと。
精霊はその願いを叶え、国は豊かになった。
けれど、王子は二つの人格を持つようになってしまった。
今でも直系の、次代の王に相応しいと精霊にみなされた王子や姫は、二つの人格を持って生まれてくる。
だがそれは、一代に一人きり。
しかし、最も新しく生まれた姫君は、二つの人格を持って生まれ、先に生まれた王子も二つの人格を持っていた為に、二人目の王位継承者になってしまった。姫君は不吉だと王家を追われた。
呪われた国の、呪われた王家の、呪われた姫の物語は、今もつづく――。
「呪われた、ね。…口で言うのは簡単だな」
風が運んできた語り人の物語を耳にして、『彼』は陰欝に嘲笑した。
その表情は雰囲気は、間違いなく男のもの。
しかし、外見は――。
……風が、フードからこぼれ出た、艶やかな金の長い髪を、揺らした。
――さあ、何とも不思議な二人だ。
昼と夜には性別が変わる呪いをかけられた王子と、昼と夜では人格が変わる姫君。
対照的な二人は、未だに出会ったことはない――。
「…そう簡単に、人が出会えるわけないだろ」
呟いた声は、男にしては少し高い。
それでも口調や仕草は、男そのもの。
『彼』は、天空に視線を移した。
太陽が沈みそうになっている。
「――しまった。早く宿にいかないと」
そして、『彼』は宿屋へと足を向けるのだった。
くすくす、くすくすと、精霊も魔女も、魔法使いも皆笑う。
ならば出会わせましょう、出会わせましょう。
可愛い二人を逢わせましょう。
きっとこの退屈を消してくれるから。
楽しそうだから出会わせましょう。
運命の歯車は、くるりくるりと回る。
「――!」
「どうなさいました?」
立ち止まった『彼女』に、連れの男が訝しげに声をかける。
「いや……いや、なんでもない」
誰かに、呼ばれたような……。
「お急ぎください、スレード様。直に日が暮れます」
その言葉に頷く『彼女』は、ため息も吐いた。
「……あまり大っぴらに、その名を呼ぶなよ」
「ええ、心得ております。しかし、ここには誰もいないでしょう?」
笑う男に、『彼女』は、呆れたように苦笑した。
風の囁きのように、人ならざるモノ達は笑っていた。
もうすぐ、もうすぐよ。
可愛い王子スレードと、素敵な姫リシェリアが出会うわ。
あら、違うわよ。
そうそう、今はスレイとリシェルよ。
あら、そうだったわ。
ほら、日が暮れる。
二人とも、元の姿に戻るわ。
楽しみね。
ええ楽しみだわ。
どんな反応をするのかしら。
恋に落ちるのかしら。
でもあの二人はお鈍さんよ。
そうね、じゃあ、いつか結ばれるかもしれないということにしておきましょう。
くすくす、くすくす。
笑い声は、誰にも聴かれることなく、空気に溶けた。
二人の、双つで一つの『贖いの月』と謳われる物語は……こうして、一つの実話へと移行を始めた。
*************
どこかで、鳥の鳴く声がする。
空には黄金色に輝く真円の月。
少年は、美しいその満月を、苦渋に満ちた表情で見つめていた。
昨晩、彼は十七回目の誕生日を迎えた。
……そして今宵、彼は生まれ落ちてから二百四回目の満月を目にした。
――約束の『期限』は、刻一刻と迫っている。
宿の外の茂みに寄り掛かり、暗闇の中で整然と光る月を眺める少年は、手のひらに爪が食い込む程強く手を握った。
「もう……あまり時間がないな」
どうしようもない怒りと、何も出来ない自分への憤りとが混じり、時の歩みに流される身は諦めという思考に押し潰されそうになる。
心なしかうなだれ、もがき苦しむ想いが痛くて再度拳を握った、その時。
今は静かにお眠りなさい
私の愛しき子供たち
耳朶を打った優しい音色に、弾かれたように顔を上げた。
「歌……?」
とうに人々は眠りについた真夜中。
その清らかな歌声は、すぐ近くから聞こえた。
立ち上がって、声の聞こえる方に向かう。
あなたが安らかに眠れるように
子守歌を歌いましょう
星の囁きが祝福の音を招き
あなたの心を慰めるように
――それは、古い子守歌。
ありふれた曲なのに、歌い手が違うだけで、これ程美しい旋律が出来上がるのだということに、歌に興味のなかった少年は初めて知った。
何時の間にか己を取り巻いていた負の感情が消え去っていることにも気付かないまま、ただその歌声に、聞き惚れていた。
風が、喜ぶように舞いながら歌を運ぶ。
おやすみなさい
流れ星を追う夢を見て
明日は元気に過ごせるように
お眠りなさい
私の宝物
私の大切な子供たち
歌が終わる直前に、少年は、その歌い主の姿を目に捉えた。
背中の中程までにふわりとかかった、月光を反射する金色の髪。
長い睫毛の下の藤色の瞳は大きく、淡い色彩をしていた。
卵形の小さな顔、華奢な身体つき。
身に纏っているのは、何故かくたびれた男物の旅装だったが、それは少女の美しさを損なってはいなかった。
そう、言うなれば妖精のように可憐なその少女が、あの美しい歌声の持ち主だったのだ。
歌い終えた少女は、ゆっくりと息を整え――視線を、上げた。
少女と少年の目が、合う。
瞬間、木の葉がざわめき、風が旋回しながら流れた。
それが、精霊達の喜ぶ声だと知る由もなく、一人の少年と一人の少女は、呆然としてお互いを見つめ合っていた。
月の光が、二つの人影を照らす。
銀色の艶やかな髪に、金と紛える琥珀色の瞳の、中性的な美しさを持つ少年を見ていた少女が、先に口を開いた。
「……あの、貴方は……」
少し警戒するように固さの感じられる声に、はっと我に返った少年は、慌てて不審者ではないことを示そうとした。
「わ、悪い!邪魔するつもりは……ただ、歌が聴こえたから……」
「……あ。すみません、ご迷惑でしたか?」
少し警戒を解いた少女が謝るので、少年は首を降る。
「いや、迷惑なんかじゃ……」
口籠もり、何を言うべきかと思案した。
元々少年はあまり饒舌とは言い難い質であったので、怪しまれないようにと思っても、何を言うべきか言葉が見つからない。
それでも何かを口にしようと唇を開いた瞬間、
「――月が、綺麗ですね」
少女の清らかな声が、先に言葉を紡ぎ、彼の言葉は口内に飲み込まれる。
彼女の視線は、淡く光を放つ満月に向けられていた。
「……え…?」
「私、月が好きなんです。太陽はずっと顔を見させてはくれないけど、月はいつでも素顔を曝していて、優しく見守ってくれているから……私の兄と、同じみたいで」
はにかむようにして少女はぽつりぽつりと語る。
少年は、控えめに笑う少女を、じっと見ていた。
――月が、綺麗…?
そんなこと、もう長い間感じたこともなかった。
彼にとって月というものは、己を戒める忌々しい呪縛を思い起こさせる存在でしかなく、その光が優しいとか、考えたこともなかったのだ。
まだその戒めの意味も知らなかった幼い頃は、確かに月を見て綺麗だと感じていた記憶があるのに。
いつから、自分はそんなささいなことさえ感じなくなっていたのだろう。
……月に罪はない。罪を持つのは人とそれに纏わる魔女や魔法使いといった特殊な存在だけだ。
返事を返せずにいたからか、少女は慌てたように、
「あ、いきなりこんなこと言われても困りますよね」
すみません、と謝られて、慌てるのは少年の方だった。
「いや、あの……考え事をしていただけだから!」
「ああ、そうだったんですか。てっきり何か気に障ったのかと……」
ほっと胸を撫で下ろす様子の少女に、良心が痛んだ少年は頭を下げる。
「ごめん、返事ちゃんとしなくて」
「いえ、いいんです!頭なんか下げないでください」
戸惑った声が聞こえた為に少年は顔を上げる。
すると、躊躇いがちにだが、少女がふわりと微笑んだ。
「――あ」
そのあまりに綺麗な笑みを目に焼き付けた瞬間、ことり、と自分の中の何かが音を立てた気がした。
ふいに、月が雲に隠れる。
少女ははっとして、少年にぺこりと頭を下げた。
「すみません、私、もう行かないと――」
踵を返そうとするので、ぽうっとしていた少年は焦った。
「あ、あのさ…っ」
「――はい?」
少女は立ち止まって振り向いたが、思わず呼び掛けてしまった少年は、何を言って良いやらわからない。
「ええと、君、名前は?俺は――」
しばしの、逡巡。
彼には、易々と名を口に出来ない理由があった。
けれど、何かに後押しされるように、素早く決断を下す。
「……俺は、スレードって言うんだ」
紡いだ真実の名に、少女は少し目を見張り、それからまた笑った。
「素敵な響きの名前ですね。私はリシェル。リシェルと言います――スレード、ごめんなさい。私、部屋に戻らなくちゃ」
残念そうにしながら歩きだした少女は、ふと、肩越しに言った。
「――貴方とは、また会うような気がする……」
「え?」
びっくりしている少年を置いて、にこっと笑った少女はそのまま茂みの向こうへと行ってしまった。
「――リシェル、か…」
ひとり残された少年は、ぽつりと呟く。
どこかで……似たような名前を聞いた気がした。
『また会うような気がする』
彼女の言葉が、耳の奥でこだまする。
「――会えたら、いいな…」
それが、昼であれば、決して叶うことはないけれど。
小さな小さなその呟きを、月だけが聴いていた。
プロローグと第一話をがっちゃんこ。こちらもHPで一応連載扱いの作品です。その最初だけ…。これだけだったらある意味読み切りでもいけるかな、と。
個人的には設定が気に入っていたりします。