↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編小説集。(読切や未完過去作)  作者: 水月 灯花


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
43/46

肝試しに付き合っただけなのに(微ホラー)

 

「……肝試しするなら、もう少し穏便な所でやってくれないか」


 その人は、深く深く、ため息をついた。


「――できれば、俺の管轄外で」


 面倒くさい、と顔一面に書いてありそうな、しかめ面で。



 ◇ ◇ ◇




 それは、まもなく夏休みと前期試験を迎える、学生にとって憂鬱な時期のことだった。


「ねえ、お願い弓月ゆづきさん! サークルの飲み会でさ、どうしても人が足りないから付き合ってほしいの!」


 そう頼んで来たのは、所謂友達の友達――という、ほとんど接点のない、同じ科の女子だった。


「え……どうして私……?」

「普段なら美香に頼むんだけど、あの子今日、法事でお休みでしょ?」


 美香、とは私の中学からの友人だ。

 社交的な美人なため、よく飲み会に誘われている。

 目の前の佐藤さんは顔の広い美香の知人の一人だったとは思う。


「お願い! 人助けと思って!」


 切羽詰まった様子に、まあ美香なら付き合うのだろうな、と、「すぐに帰ってもいいなら」と釘を差しつつ、仏心を出したのが良くなかったのだろうか。


「――佐藤さん。飲み会って言ってなかった……?」


 おかしいとは思ったのだ。

 どうして夕方六時に、大学の裏門前に集合なのだろう、と。

 集まった男女八人が向かった先は、大学から歩いて十五分程度の場所にある、ずいぶん前に廃校になった小学校だった。


「ごめん! 本当のこと言うと、弓月さん来てくれないかと思って……! それに私も、こんなガチな感じとは思わなくて……」


 どうも、佐藤さんの入っているサークルは散歩研究会という、大学の近場を散策して穴場を開拓するマイナーなものらしい。

 通常は日中に、美味しい食事処や小さな雑貨店などを探している楽しい活動らしいのだが、たまたま厄介なOBが、


「俺達の時は祠だの幽霊屋敷だのも探してた! ちょうど夏だし、酒盛りがてら肝試ししようぜ!」


 なんて言い出したのだと言う。


「散歩のあと、近くのバーベキューに行く予定で、そこからはほんとに飲み会なんだけど……」


 物凄く恐縮されてしまった。

 私も彼女も二回生。先輩の圧に負けるのもわかる。

 集まったメンバーで私が知っているのは佐藤さんだけ。

 基本的に散歩研は穏やかな人が多いらしいが、今日は都合のつく人が少なくて、大半が友人知人と間に合わせの人ばかりと聞いて、何だその集まり……と思ってしまった。

 少人数のサークルなので、飲み会は色んな人を歓迎していることもあるらしいが、それにしたって現サークル員が三名、OB一名、部外者四人はほとんどサークルの飲み会を呈していないだろう。


 当初は本当に、肝試しの真似事で、散歩研らしく廃墟の外周を回るだけのはずだった。

 それが、何だか男性陣が揉めているようで、雲行きが怪しいのだ。


『――いいかい。どう見ても危ない所には近寄っちゃいけないよ』


 幼い頃に言われたお祖母ちゃんの忠告が、じわじわと脳裏で揺れる。


「――だから、校舎入ってすぐの所に、さっき俺御札置いてきたんだよ。いーじゃん、それを取ってくるだけだって」


 聞こえてきたのは碌でもない内容で、そう言っているのは、明らかにヤンチャそうな外見の社会人の男性。

 どう見ても言い出しっぺのOBである。


「でも先輩、一般人立ち入り禁止って書いてありますし……」


 生真面目そうな、散歩研の部長さんが困っている。


「あそこまで強引な人じゃなかったんだけど……」


 新卒でストレスが溜まっているらしい、とは佐藤さんの言だ。


「鈴木ぃ、部長になったんだから、柔軟な思考持てよなー。散歩研なんだし、童心に帰る遊び心も必要だぞ! 何も校舎の奥まで行こうってわけじゃないんだからよ」


 硬いこと言うなよ、と背中をバシバシ叩かれて、鈴木部長は眉を下げる。


「お前らも社会に出たら夏休みなんてなくなるんだぞ、今のうちに学生らしい思い出作っとけよ」

「でも中村先輩、ここ、出るって噂あるじゃないですか……何かあったら……」

「だーいじょーぶだって。まだこんなに明るいし! 奥まで行かなきゃ平気平気。それに御札まで置いてきたんだから、何もないに決まってんじゃん」

「はあ……」


『ちょっと行って戻るだけ。子どもみたいな簡単な肝試しだろ』と中村先輩は譲らず、三月まで先輩だった人を無碍にするわけにもいかず。

 その日集まった人々が、すぐ終わるならいいじゃないか、早く終わらせてバーベキューしよう、といった認識でいたために、結局肝試しを行うこととなった。


「……あの、私そういうのはちょっと……帰ってもいい?」

「だめ!――あ、ごめん。私が責任もって一緒にいるし、今日の会費も出すから!」


 佐藤さんにがっしり腕を掴まれた。必死な形相だ。


「……私、部長と仲を深めたいの、お願い……」


 ひそ、と囁かれた恋の相談に、思わず肩の力が抜けてしまった。

 佐藤さんは可愛いらしい今時の女の子で、鈴木部長は一見地味めだが、眼鏡をかけた清潔感のある落ち着いた男性だ。

 恋の手助け、か。

 ――断って帰ったら周りの顰蹙を買いそうだ。回り回って、美香にまで矛先が向くのは避けたい。

 普段なら、自分がいるだけで役に立つなら別に構わないのだが……行き先がいかにもな、廃校。


「うーん……」


 悩んでいるうちに、半分ずつに別れて校舎に入り、二つある御札を一つずつ取って戻ってくることになってしまった。

 しかも、元凶の中村先輩と鈴木部長、佐藤さん、私が一緒で、二組目。


「おー、おかえり村田。大したことなかったろ?」

「ちょっと雰囲気怖かったけど、まだそんな暗くないですからねー」


 先行組がさっさと行って帰ってきたので、少しほっとした。

 先頭にいた、村田と呼ばれた男性が手にしているのは、白い和紙で包まれた薄い木の板だった。表には筆で、崩した漢字のような文字が書かれている。あれが先輩の言っていた御札なのだろう。

 イメージしていたものより、神社でもらう御守りのような見た目をしていた。


「あ、これありがとうございました。まだ明るいから使いませんでしたよ」

「おー。だよなぁ。まあ、肝試しには、一応あったほうが雰囲気でるかと思って持ってきたんだわ」


 そう言って村田さんが、黒い懐中電灯を中村先輩に手渡す。先輩の私物らしい。


「先輩も早く行ってきて、バーベキューにしましょうよ」

「はいはい。じゃー俺たちも行こうぜ」


 中村先輩に促され、佐藤さんにぐいっと手を引かれ、私も仕方なく足を踏み出す。


(大丈夫……だよね)


 自由な手でそっと、胸元を押さえた。

 夏場の日はまだ十分な明るさがあり、辺りを橙色に照らしていた。

 いつ使われなくなったのかわからないが、流石に近代の小学校だったため、頑丈な造りで倒壊する危険はなさそうだ。

 正門を抜け、草の伸びた前庭を横切る。

 ガサガサと草を踏みしめると、虫が飛び去っていった。

 近頃鳴き出した蝉の声がじわりと耳に残る。

 ……普段から登校には長ズボンに靴を履いてくる人間で良かった、と過去の自分に感謝した。

 夏だからと半袖短パンサンダルだったら最悪だったと思う。

 他のメンバーも割とアクティブな装いだったので、バーベキューだとは言われていたのだろう。何も知らなかったのは私だけらしい。

 正直その時点で、もう二度と知人に誘われてもどこも出掛けない、と決めた。


 校舎の壁際には、割れた窓ガラスがいくつも散らばっている。

 欠片を踏まないように避けて進む。


(小学校の入り口って、どこもこんな感じなんだ……)


 かつての母校を思わせる、校舎正面の生徒用玄関。

 アルミ枠に囲まれたガラス戸から、並んだ大きな下駄箱がよく見える。

 中央の、罅の入った観音開きの厚いガラス戸が片方、開いたままになっていた。

 さきほど先行組が通って行ったので見ていたが、玄関から普通に行けるのは驚きだ。


「……鍵とか掛かってないんだ……」


 ぼそりとこぼれた疑問に、笑ったのは中村先輩だった。


「前からよく色んな奴が忍び込んでる所だからか、普通に開いてたよ」

「なんだ、皆も肝試しするんですね」


 ほっとしたように笑う佐藤さん。

 皆やってるならいいか、という感覚になるのは些か宜しくないだろうに。

 鈴木部長は何とも言い難い表情をしていた。

 私的には部長側の心境だ。

 立派な不法侵入だと思う。

 とはいえ、波風立てたくない性格で、強くは言えないのだ。

 鈴木部長とは意見が合うかもしれない。


「懐かしい感じもあるけど……夕方の学校って、なんか怖いですねー」


 扉をくぐるなり、たたっと佐藤さんがやや後ろを歩いていた鈴木部長の側に寄っていった。

 ずっと腕を掴まれていたのに急に放り出されて、何とも言えない気分だ。

 こわいですアピール、なのだろうか。

 お化け屋敷で意中の男子にしがみつくという、あれか。

 結構ぐいぐい行っている気がする。

 私が着いてこなくても良かったのでは? と首を傾げた。


 埃が積もった下駄箱、ガラスから入る西日。

 籠もった何とも言えない臭いの空気。

 人が使わなくなった建物は、しん、とひどく静かで――何だか、背筋が冷える。


「えーっと、君、佐藤ちゃんの友達の……」

「――弓月です」


 正確には友達の友達だが。

 下駄箱の間は四人が横並びで通れるほどの間隔がないので、自然と縦並びになる。

 佐藤さんが下がったことで、先頭を行っていた中村先輩に話しかけられることになってしまった。


「あーそうそう。ユヅキちゃん、よく見ると可愛い顔してんね」

「……はあ」

「もうちょっと可愛い服の方が似合うんじゃね? ちょっと……地味って言うか……」

「……そうですか」


 別に人が何を着ようと自由だろう。

 確かに、普段通りのダボッとしたTシャツに黒いズボン、スニーカーは味気ないとよく言われるが。

 庶民の味方、したむらはお財布に優しい。

 ウニクロのズボンは雑に洗濯しても丈夫で長持ちするのに、良心的な価格で助かる。

 学生だと言うのにわざわざ高価な服を買う理由がわからないし、そんな金銭的余裕もない。

 他のメンバーは確かに、カジュアルながらもう少し垢抜けた服装だったが、バーベキューで汚れるかもしれないのに、よくそんな服で来れるものだと感心した。


「もっと化粧して、髪とか服変えたら可愛いと思うけどなー」

「はあ、どうも……」


 失礼な台詞だが、怒るほどのことでもない。

 ただ、肝試しを強行することや今までの言動からして、デリカシーに欠ける人なのだろうとは推察された。


「彼氏いないの? ああ、いたら今日参加したりしないか」

「はあ……?」

「あれ? 気付いてなかった? 男女の飲み会なんて合コンと一緒っしょ。ま、俺は後輩達の顔見に来ただけなんだけどさー。可愛い子と話すのは大歓迎」

「……はあ……」


 はあしか言っていない。我ながら何とも気のない返事だが、中村先輩は好き勝手に話している。

 適当に相槌を打った。

 大学生活、当たり障りない返事をしているのが、一番無難に過ごせる方法である。


 下駄箱を通ると目の前に二階へと続く階段と、左右に長い廊下が広がっていた。

 生憎掃除されていない廊下で靴を脱ぐという選択肢は存在しないが、子どもの頃は上履きに履き替えて歩いていた学校の廊下を、土足のままで歩くのは何だかいけないことをしているような気分だった。

 廊下の先に、いくつか古びたスライドドアが見える。

 職員室、保健室――とプレートがさがっていた。


「あ、これこれ」


 中村先輩が指さしたのは、階段の隣のスペースに乱雑に置かれた古びた机の上。

 壁に立てかけるようにして、先行組が持ち帰ったものとよく似た木札が置かれていた。


「私、御札ってはじめて見ましたよー。部長はどうですか?」

「俺も……もっと紙みたいなものなのかと。神社とかお寺から受けて来たんですか? 先輩」

「え? これ? ネットだよネット」

「………え?」


 あっけらかんと中村先輩が言うので私は絶句した。

 あれだけ『御札あるから平気だ』と言っていたのに。


「マジ本物みたいだよな。なんて書いてあるのかわかんねーし。色々あったけど口コミが効果ありそうだったから、雰囲気出るしこれにしたんだ」


 そう笑いながら御札を持ち上げる中村先輩。


「よし、じゃあ懐かしい小学校も見たことだし、暗くなる前に出てバーベキューしようぜ」


 そう言って皆で踵を返した途端。


 ――ギイイ、ガチャン!


 重い何かが軋んで、閉まるような音がした。


「……え?」


 そう声を漏らしたのは誰だったのか。

 何だか嫌な予感がひしひしとする。

 下駄箱の前に来ると、それは確信に変わった。


「うわ、何だよ、誰かドア閉めたのか?」


 中村先輩は、誰のいたずらだ、なんてぶつくさ言いながらドアの四角い取っ手に手を掛けて、引っ張った。

 ――ガチャン。


「え? あれ?」


 ガタ、ガタガタ。

 ――開かない。

 ごく、と私は息を飲んだ。


「え? 嘘だろ?」


 鍵でも掛かったのかと、中村先輩は薄汚れた銀色のつまみを回そうとした。

 途端に、ぼろりと腐食したかのように根元からサムターンが落ちる。


「ひ……っ」


 佐藤さんが短く悲鳴を上げて鈴木部長の背中に半ば隠れた。


「は? いやいや……」


 頬を引きつらせた中村先輩がもう一度ドアを引いたり押したりしてみるが、ガタガタ音がなるだけで、びくともしない。


「な、何なんだよ!」

「……あれ……?」


 先程入ってきた時は、玄関のガラスは確かに何枚か割れていたはずだ。

 それなのに――罅こそあれど、アルミ枠に囲われたガラスは、すべて元通りにはまっていた。

 ぞわ、と鳥肌が立つ。


「おーい!」


 中村先輩が大きな声を上げて、外にいるだろう人々に呼びかける。

 外から覗いた時は下駄箱の様子が普通に見えたはずなのに、薄暗くなってきた外側は妙に見えにくく、門のあたりに人影がいるのはわかったが、聞こえていないのか、誰もこちらには来ない。


「っんだよクソ!」


 ガン、と扉を一度叩いてから、中村先輩は御札を一旦、側にあった傘立ての上に置き、携帯を取り出して電話をかけた。


『――はい』

「あ、村田? ドア、古いから普通に開かなくなっちまったみたいでさ、皆で外からも開けてみてくれるか?」

『はい』

「誰かいたずらで閉めたのかー? なんかめっちゃ固くて――」

『はい。はい。はい』

「……村田?」


 音量を上げているのかこちらまで聞こえてきていた返事だが、何だか妙な響きをしていた。

 耳元から携帯を離して、中村先輩は不審げに画面を見る。


「おい、ふざけてないで――」

『はい。はいはいあひあひはああははははははははははは!』

「――うわ!」


 中村先輩は携帯を取り落とした。

 ガチャン、と床に落ちた画面は真っ暗で、四人の視線が集まる。


「………」

「……な、何だろな、村田のやつ悪ふざけが――」


 中村先輩が引きつった笑みで携帯を持ち上げて、凍りつく。


「………あれ」


 ボタンを押しても、画面がつかない。


「あれ、あれ……?」


 長押しして起動させようかとしているようだが、携帯は真っ暗なまま、動かなかった。


「嘘だろ、ちょっと落としただけなのに壊れたのか!?」

「――あ、俺が……」


 鈴木部長が携帯を取り出して。


「……え? 圏外?」


 その言葉に慌てて私と佐藤さんも携帯を出す。

 ちらりとのぞき込んだ先、時刻は七時少し前だった。

 ――次の瞬間、画面が真っ暗になる。


「っ」

「うそ! なんで!?」


 中村先輩のようにボタンを何度押しても、つかない。

 佐藤さんも鈴木部長も同じようだった。


 ――ガタン、とどこかで大きな音がした。

 皆の肩が、びくりと震える。

 校舎に入ってきていた日はだんだんと少なくなってきていて、空の色は藍色の混じった夕焼け色。建物に入った時よりかなり濃く影が出来ていた。

 思わず振り返った下駄箱の奥の廊下は、既に見えにくい。


「………」


 ごく、と誰かが唾を飲み込んだ。

 その音が、やけに響いた。

 しんと静まり返った廃校の中、開かない扉の前で、皆一様に、外部との通信手段を絶たれているこの状況。

 ――詰んだ。

 はっと目を輝かせて手首の腕時計型端末に目をやった中村先輩が、一瞬で表情を消した。それも画面が暗いのだろう。

 携帯が使えないならそもそも連絡はできないだろうが、何かに縋りたい気持ちはよくわかる。


(ああ、最悪……)


 そっと服の上から胸元を握りしめる。

 今でこそ普通だが、私は幼い頃、いわゆる『視える子』だった。

 世間一般的にお化けだとか言われるものが恐くて泣いていた私に祖母がくれたのが、今でも首から下げている小さな御守りだった。

 神社でもらったものではなく、祖母が『肌身離さず持っておきなさい』と渡してくれたものだ。

 不思議なことに、これをもらってからはぴたりとお化けの類を見たことはなく、子どもの頃のことは夢だったのではいかと思っている位だ。

 それでもあの頃感じた恐怖は本物で、外で御守りを外したことはほとんどない。

 布袋の中には、指先ほどの小さな黒い石が一つ入っている。

 いつか図鑑で見た黒曜石によく似ていて、魔除けなのかな、と思っていた。

 それが今、仄かに熱い気がする。


(なんか、まずい、よね……)


 なるべく何か出そうな所は避けて生きてきたのに、まさかこんなことになるなんて。


「ど、どこか出られる所を探しましょう」


 鈴木部長が声を上げて、中村先輩がこくこくと頷く。


「そう、だな」


 皆で玄関のガラスを探るが、扉は入ってきた時の開き戸一つしかない。

 罅割れたガラスをガンガンと叩いても、びくともしなかった。

 男性二人は仕方ない、と協力して、傘立てを持ち上げ――ガツン、と強くガラスに叩きつけた。

 次に来るだろう破砕音に備えて佐藤さんと二人で身をすくませ――……何も、音が聞こえなかった。


「………っ」


 見ると、もともと罅が入っているガラスだと言うのに、成人男性二人が重い金属の傘立てを投げつけるようにしても、傷一つついていなかった。

 目を見開いた二人は何度も傘立てをガラスにぶつけるけれど、ガンガンと音はしても、全くもって割れる気配はない。


「お、おかしいだろこんなの……!」


 ガタンと直方体の傘立てを取り落とした中村先輩の声が震える。

 鈴木部長も肩で息をしながら、呆然としていた。


「せ、先輩。大丈夫だって言ってましたよね、皆肝試しやってるって……」

「あ、ああそうだよ。それに御札だっ、て……」


 佐藤さんに言われて、中村先輩は思い出したように目線を下に向け。


「……御札は……?」


 別の傘立てに置いていたはずの御札が、見当たらない。

 かろうじて懐中電灯だけは残っていた。


「………」


 しいんと再び、静まりかえる。


 ――バン!


 突如、ガラスを何かが叩くような音がした。


「いやああ! 何!?」

「っ」


 佐藤さんが悲鳴を上げる。

 私も怖気立って声を噛み殺した。


 曇っていた玄関のガラスに、黒い染みのようなものが付いている。

 ――人の、手形のようなものが。


 ぺたり。


 そう思ったら、その隣に、もう一つ増えた。


 ぺたり。ぺたり。


 また一つ。二つ。

 大きさの違う手形が増えていく。

 大きいものと――小さい、子どものものと。


 ぺたぺたべたべたぺたべたぺたべた!

 ――バン、バン、バン!


 手形はどんどんと増えていき――ついに、一面が真っ黒に染まり、向こう側が見えなくなった。


「ひぃ……」

「うわ……っ」


 誰が声をあげたのか。

 大小様々な大きさの真っ黒な手形は――いくつか赤黒いものが混じっていた。そして、その液体のようなものが、ぽたりぽたりと、地面に滴り落ちていく。

 その、隙間から。

 ――ぎょろりとした目のようなものが、こちらを覗き込んでいた。


「ひっ!」


 ぞっと背筋が凍る。


「に、にげ、逃げろ……!」

「ど、どこに!?」

「知るかよ! けど他に出れるとこ探さねえと!」

「ま、窓とかあるんじゃ……っ」

「あ、ああそうだ、窓っ! 何でもいい、出口探すぞ!」


 じりじりと玄関から後ずさりして、廊下の方へと皆で下がっていく。


 ――ガタ、ガタガタ、とドアが揺れている。


 まるで、誰かが外からドアを開けようとしているかのように。


「きゃあ!」

「っ、早く!」

「あ――」


 焦る男性陣が声をあげ、ぐい、と佐藤さんに手を引っ張られる。

 一目散に走り出していた中村先輩は懐中電灯で床を照らしているが、離れれば見えなくなってしまう。

 すっかり薄暗くなってきた校舎では、携帯が使えない今、中村先輩の懐中電灯しか頼れる明かりがない。

 手を引かれるままに足を動かして、皆で同じ方向に向かいながら思った。


 ――本当に、こっちでいいんだろうか?


 さっきガタンと音がしたのは、中ではなかったか。

 胸元がひどく熱く感じる。

 もうずっと、ぞくぞくと背筋が冷えたままだ。

 下駄箱を曲がってすぐの廊下に、窓があった。

 中村先輩が飛びつくけれど――開かない。

 隣も、その隣も。


「くそっ!」


 思わず後ろを振り返る。

 そこには変わらず、静寂と、すっかり暗くなった板張りの廊下が広がっていた。


「……あれ、落ち着いた……?」


 急に猛ダッシュしたせいで荒い息の中、ぽつり、と鈴木部長の呟きが漏れる。

 皆で辺りを見回して、さっきまでの玄関を叩く音が聞こえないことに気がついた。

 まださほど離れていない。

 少し戻って覗き込めば様子は伺えるかもしれないが――皆で顔を見合わせて、示し合わせたようにそっと目線を泳がせる。

 たぶん皆、どうなったのか確認したい気持ちだろうが……流石に、遠目だとしても、玄関を覗く勇気はなかった。


「……また何かあったら嫌だし、早く出口探しましょう!」


 佐藤さんが必死に言う。


「そうだな……別れて手当たり次第探すか?」

「手分けして探したい所ですけど、先輩の懐中電灯しか光源がないですし、離れない方が……」


 鈴木部長が言うので、うんうんと頷いた。

 お化けの類がいるのに分断するのは良くない気がする。

 そうして、皆で塊になって移動することにした。


「………」


 ぎし、ぎし、と古い板張りを歩く足音だけが響く。

 廊下の窓は、やはりどれも開かない。

 しかし玄関のように手形はついていないので、それはほっとした。

 窓の向こうの空は、もうすっかり日が落ちている。電気が断たれて久しい校舎の中は、何の明かりもなく、とても薄暗い。

 もうすぐ完全に、夜の帳が下りてしまうだろう。

 なんとなく、真っ暗闇になったらまずい気がした。それこそ本当に――出られなくなってしまいそうで。

 携帯が使えれば良かったのに、と思ってしまう。そうすれば、この心細さも幾分か和らいだだろうに。


 一階にある部屋を一部屋ずつ確かめる。

 1年生、2年生、職員室――当然のように、備品はほとんど運び出され、ガランとした空間が広がっている。

 ベランダに出る為の引き戸も開けようと試みたが、びくともしない。


「………なあ、俺たち、閉じ込められてるよな……」


 三部屋全て空振りに終わり、中村先輩が言った。


「何で俺らだけ? さっき村田達普通に帰ってきたし、もっと夜に忍び込んだ奴らだっているし、前来た時は――」

「……前も来たことあるんですか?」


 鈴木部長が聞き返す。


「あ、ああ。去年か一昨年か……おんなじように、サークルの奴らと真っ暗になってから来たけど何もなかったぜ」

「あの、その時も御札使ったんですか?」


 気になって尋ねる。

 二枚目の御札はなぜ、消えたのか。


「いや? あれはそれっぽくていいかなって俺が考えただけ」

「……なるほど……」


 どう考えても、御札が関係しているとしか思えない。

 ――それにしても、これだけ長く戻ってこないというのに、先行組は何故こちらにこないのだろう。

 すっかり暗くなってきた外。荒れた花壇が少しだけ見えて、何だか胸がざわざわした。


 いつまでもここにいても仕方ないと、元職員室を出た。


「反対側に行けば、体育館とかに行く渡り廊下あるんじゃないですか?」

「そういやそうだな。行ってみよう」


 鈴木部長の提案に中村先輩が頷く。

 小学校の頃の記憶は朧げだが、確かに体育館と校舎は渡り廊下で繋がっているのが普通だろう。


 廊下は相変わらずしんとした不気味な闇に支配されている。

 懐中電灯に照らされていない暗がりから、何かが這い寄ってくるような気がして怖かった。

 きゅ、と手を握られた感覚に、ほっとしてしまう。

 心細いのは私だけではないのだ。


「さと、」

「部長……こわいです……」

「――佐藤さん……」


 声をかけようとして、目の前でするりと鈴木部長に甘える佐藤さんの姿が見えた。


(……え?)


 思わず手元に視線を落とす。

 誰も触れていないし、何の感触もない。

 部長と間違えて私に触れてすぐ離れていったのだろうか。


(……それか気のせい?)


 ――ひた。


「っ!?」


 何か、廊下の向こうで音がした。

 胸元がひどく熱い。


 ――ひた。びちゃ。びちゃ。びちゃ。


 明らかに誰かの足音だった。

 何だか水音を含んだようなそれ。


「うわっ!」

「なんだ!?」


 中村先輩が思わず明かりを向けて――遠くの廊下に、赤黒い足跡が付いているのが見えた。

 こちらに向かって、来ている。


 ――びちゃ、びちゃ、びちゃびちゃびちゃ!


「きゃああ!」

「うわああ!」


 追いかけられている、と思った瞬間、皆で走り出していた。

 心臓がうるさい。

 脇腹が痛い。

 それでも足を止めず、走る、走る、走る――


 ――最初に足を止めたのは、中村先輩だった。


「……な、何で……?」


 はあ、はあ、と全員息が荒い。

 その頃には皆が気づいていた。

 走っても走っても、廊下に果てがない。

 延々と続く廊下。振り返れば最初の下駄箱が見える。

 一見すると何も変わっていない。

 成人した男女四人が、全力で走っていたのに。

 ……ループしている、と。


「何で戻ってんだよ……!」


 ――ひた。ぴちゃ。びちゃ。


 また、足音が聞こえた。


「と、とりあえず上行きません!?」


 佐藤さんが言って、階段が目に入る。

 そういえばそちらはまだ確認していない。

 二階から外に出られるとも思えなくて行かなかったが、一階を走っていても追いかけてくるなら上に行くのも手かもしれない。


「っああ!」


 必死な形相の中村先輩が我先にと階段をのぼっていき、皆で続く。

 二階に辿り着き振り返ると――追いかけてきていた足音が止まっていた。


「……と、止まった……?」

「二階……出口はなさそうですね……」


 懐中電灯で中村先輩が辺りを照らすと、3年生から6年生までのプレートが目に入る。

 奥には他にも部屋はありそうだが、鈴木部長が言うとおり、一階よりも出られそうな所は少ない。

 仮に窓が開いたとして、どうやって降りるか。

 生憎、一階のカーテンは全て撤去されていたので、二階も同じだろう。

 怪我のリスクを負っても飛び降りるしかないか。

 同じことを考えたのか男性二人が窓に手を掛けた。

 ……やはり開かない。


「ど、どーすんだよ……どこも開かねえし。下の方が出れたんじゃねえか?」

「でも、ループしてたし……」

「あ!」


 佐藤さんが声を上げる。


 ――ひた。


 また、足音だ。

 階段から聞こえる。


「うわ、来た!」

「ど、どこに……!」

「きゃああ!」


 パニックになったのか佐藤さんが走り出す。


「佐藤さん!」


 真っ暗闇に向かっていくその背中を追って、私たちも走った。


「佐藤さん、待って!」


 呼びかけても返事がない。

 さっきまであれほど全力疾走していたのに、どうしてあんなに走れるのだろう。


「おい! 佐藤ちゃん!」


 中村先輩が叫ぶ。

 それでも佐藤さんは振り返らない。


「……はやい……!」


 そう呟いた瞬間だった。


「あった!」


 前方から、佐藤さんの声が響いた。


「窓、開いてる!」


 廊下の端。その言葉通り、一つだけ窓が開いていた。

 追いついた先で、佐藤さんは嬉しそうに笑っている。

 はあはあと息が切れる。


「ねえ、先輩。出口ありましたよ!」


 にこにこと笑う佐藤さん。

 ふいに、違和感に襲われた。

 ……あんなに走ったのに、佐藤さんは息一つ切れていない。

 それに、何か。


「ほんとだ! ……思ったより高いな……俺、ちょっと高所恐怖症なんだよな……」


 男性二人が窓の下を覗き込む。

 尻すぼみになった中村先輩に、鈴木部長が言う。


「俺、行きましょうか? 縁につかまって、頭打たないようにだけ気をつけて……」

「マジか鈴木、お前かっけえな……」

「ただ、女の子にはキツイかな? 俺が降りたとして、助けを呼んでくるか――」

「うーん、ユヅキちゃんは平気そうだけど、佐藤ちゃんはど、」


 どうだ? とでも続けようとしたのか。

 中村先輩がこちらを振り返ったその瞬間。


 ――どん、と。


 誰かが中村先輩の背中を、押した。


「うわぁぁ!」

「っ、先輩!」


 反射的に鈴木部長が中村先輩の足を掴む。

 身体が半分窓から飛び出している中村先輩は、悲鳴を上げ続けている。


「落ちる! 落ちるぅぅ!」

「先輩! 壁につかまってください! 体勢整えないと引っ張れ……先輩!」


 ぎり、と奥歯を噛み締め、窓枠に身体を預けながら、必死に鈴木部長が中村先輩を引き戻そうとしている。


「さ、佐藤さん! どうして……!?」


 手伝わないとと思いながら、目の前の人物の横を通るのが怖くて躊躇ってしまった。

 御守りがじりじりと灼けるように熱い。


「え? だって、弓月さんもお腹すいたでしょ?」

「……え?」


 床に落ちた懐中電灯がかろうじて足元を照らしている。

 ほとんどが闇に溶けた中、中村先輩を突き落とそうとしたとは思えないほどきょとんとした無邪気な顔だけが、何故かよく見えた。

 不思議そうに佐藤さんは首を傾げる。


「せっかくバーベキューだと思ってたのに、変なこと言い出すし、閉じこめられるし。全部先輩のせいじゃない」

「そう、かもしれないけど……」

「おしおきだよ。せっかく静かに過ごしてたのに、うるさくするし、余計なの呼んでくるし」


 人を一人突き飛ばしておきながら、くすくすと笑う姿に、ぞっとした。

 変わらない、可愛らしい笑顔。

 でもそれはどこか、変だ。

 目が……笑っていない。


「あーあ、お腹……すいたなぁ」


 すん、と真顔に戻った佐藤さんがそう呟く。

 その間にも、男性二人は必死になっている。


「うわぁ! わあー!」

「っせんぱい! 腕が、もう……!」


 鈴木部長が限界そうだ。

 思わず足を踏み出した。


「あの、やりすぎだと思う。二人を助けないと――」


 少し佐藤さんを迂回しながら窓に近寄ろうとして。

 がし、と腕を掴まれた。


「……駄目だよ」


 途端に、ぞわりと怖気が走る。

 どろどろとした不快な何かに包まれるような、そんな感覚がする。


「ねえ、弓月さん。私、お腹が空いてるの」

「え……」


 確かに夕飯時だろうが、私は正直恐怖でそれどころではない。

 暗いし、怖いし。

 ぎりぎりと締め上げるように掴まれた腕が痛い。背筋がぞくぞくする。


「っ佐藤さん、いたい――!」

「だから、ねえ。あなた美味しそうだから――食べさせて?」

「は……っ?」


 佐藤さんの、首が。

 こきこきと真横に曲がっていく。

 ひっ、と呼吸を忘れた。

 ぐい、と掴まれた手を引かれる。

 ぐわりと佐藤さんが口を開く。

 獣のように、開く、開く、開く――その先に、闇が視えた。


「ひっ……!」


 恐怖で思わず目をつぶる。

 その瞬間。


 ――チリン、とどこかで鈴が鳴った。


 バチン! と何かを弾くような音と、ぐいっと横から押されるような感触。


「えっ」

「ぎゃぁぁぁあ!」


 佐藤さんの悲鳴があがった。

 人のものとは思えない、物凄く醜悪な声だ。


「――はあ」


 そして、はじめて聞く声がした。

 闇を裂くように凛とした響きの、低めで、心地よい音。

 こつ、こつ、と足音が響く。


「……肝試しするなら、もう少し穏便な所でやってくれないか」


 後ろから現れたその人は、深く深く、ため息をついた。


「――できれば、俺の管轄外で」


 面倒くさい、と顔一面に書いてありそうな、しかめ面で。


 二十代後半から三十代くらいの男性だった。

 闇に溶けるような黒髪と、切れ長の瞳。

 くっきりとした目鼻立ちをしていて端正な顔立ちだ。

 ただしひどく、疲れたような顔をしている。

 シャツの袖をまくり、ネクタイを緩めた、着崩したスーツに革靴。

 仕事帰りのサラリーマンといった体の、こんな廃校には、あまりにも場違いな格好の人だった。

 胸元に小さなライトを下げていて、意外にも光量の強いそれが辺りをよく照らしている。


「――君、ちょっとどいて」

「え……」


 促されるまま、二、三歩横にずれて、自由になった手をさする。

 相当な力で掴まれていたのか鈍く痛む。

 ポケットに手を入れて、男性は何かを佐藤さんに向かって投げつけた。


「――縛」


 それは、白い紙のようなものだった。

 それが佐藤さんの胸元に触れた瞬間。


 ――バチンッ!


 青白い火花が弾けた。


「ぎゃあああああっ!」


 佐藤さんが、身体を大きく仰け反らせる。

 ――いや、よく視ると、佐藤さんとは別の『何か』が、佐藤さんに被さるようにしているようだ。

 それは、ひどく苦しんでいるようだった。


「……ったく」


 男性は小さく息を吐くと、もう一枚、白い紙――それこそ、御札のようなものを取り出した。


「連勤だし、時間外労働だし、サービス残業だし……この時期になると肝試しとかいって余計な仕事増やす輩ばっかり増えやがって……」


 ぶちぶちと怒りを籠めたように呟いている。

 思わず後ずさりしたくなるような気迫だ。


「はあ……休みたい……」


 心からそう願うように言って、窓に向かって札を投げる。

 ヒュンと勢いよく飛んだそれは、窓の外に落ちていき。


「――うわっ!」

「わああ!」


 バタン、と鈴木部長が、中村先輩をつり上げるようにして一緒に廊下に倒れ込んだ。


「………へ……」

「す、すみません先輩! 急に軽くなって……!」

「ぐ……」

「――先輩!?」


 床に叩きつけられた中村先輩は、軽く呻いて動かなくなり、焦った鈴木部長は慌てて顔を近付けた。


「……き、気絶してる……?」

「――気を失っているだけだろう」


 男性が中村先輩の元へ数歩でたどり着くと、軽く確かめてそう言った。


「……さて。これに見覚えはあるかな?」


 ごそごそと取り出されたのは、中村先輩が回収しようとしてなくなった木札だった。


「あ、先輩がネットで買った御札――」

「……なるほど。だいたいわかった」


 そう言うと、どこからか同じものがもう一枚出てくる。


「あ! それ――」

「外で騒いでいた連中から回収した。……何の用途に使うかわからないものを買って、不用意に使わないように伝えておいてほしい」

「はあ……」


 誰? 何言ってるんだ? とばかりに鈴木部長は困惑してこちらを見てくる。

 私も訳がわからない。

 何となく、もしかしたらいわゆる――拝み屋さんとかなのだろうか、とは思うけれど。


「あの……佐藤さんは……」


 おずおずと佐藤さんを示しながら問いかけた。

 苦しげな声は上げなくなったが、佐藤さんはうずくまるようにして震えている。


「ああ、これのせいだから……」


 二枚の木札を床に置くと、男性はまた、白い紙を取り出した。


「――解」


 ぴき、とひび割れるような音がした。

 ぴき、ぴき――バリン。

 木札が複数の欠片に割れている。


「わ……」

「割れた……」


 驚いて見つめる私と鈴木部長の前で、また男性は胸元から何かを取り出し――さっさっ、と木札を集めて、それに入れた。


「はい」

「え」


 自然と渡されたそれを受け取ってしまう。

 口を縛った、何の変哲もないビニール袋だった。


「もう効力がないので、普通に自治体の規則に則ってごみに出してください」

「………はあ……?」


 気の抜けた声しか出ない。

 咄嗟に受け取ってしまったが、急な敬語でのごみ出し指示。

 ……え、私が捨てるの?


「う……いたた……」


 その時、佐藤さんの声がした。

 床に座り込んで、首を押さえている。


「何か首とか痛い……何……。――え、暗! ここどこ?」

「さ、佐藤さん、大丈夫……?」


 恐る恐る声をかける。

 流石にさっきの異様な様子から、近づくのには躊躇いがあった。


「え? ……弓月さん?」

「はい?」


 何だか本当に、先程よりもあどけない表情できょとんとしている。


「佐藤さん、大丈夫?」


 鈴木部長が近づく。


「あの……突き落そうとするくらい、先輩が嫌だったのか? ごめん、俺気付かなくて……」

「はい? 何のことですか?」


 本気でわかっていなさそうな様子だ。


「え……?」

「部長、ここ、どこです? 今日ってバーベキューじゃなかったですっけ? それに――弓月さんがどうして一緒に?」

「え?」


 目を丸くする私と鈴木部長。

 どうも聞き取りをすると、私を飲み会に誘う前辺りからの記憶がないようだった。


「え? 肝試し? 廃校? やだ、こわすぎ! 早く出ましょ! うわっ埃ついてる、最悪!」


 キャーキャー言って鈴木部長にしがみついて、ぐいぐい手を引っ張っている。

 先程より元気いっぱいで、どこかあっけらかんとしている。何だか、違う人のようだ。


「ええと……もしかして、その……」

「良くないものに取り憑かれてたから、追い出した。取り憑かれてる間の記憶がないようだな」


 さらりと言われて目を剥く。

 や、やっぱり?


「あの、あなたはその、拝み屋さんとかそういう……?」

「ああ――まあ、そのようなものだ。……変なものを使って肝試しなんて、もうしないようにしてほしい」


 憂鬱気な瞳が私を見る。

 何だか、どきりとした。


(う、顔が良い……。じゃない、こんな時に何考えてるんだ私……)


 いつの間にか、御守りは静けさを取り戻していた。

 もう大丈夫、ということだろうか。

 ほっとして、胸元を触りながら、


「はい、すみません。ありがとうございました」


 中村先輩が謝罪と感謝すべきだよな、と思いつつ頭を下げる。

 佐藤さんに絡まれながら、鈴木部長もお礼を言っていた。


「――ところで、そろそろ出た方がいい」

「え、あの、出れなくて……」

「もう開くはずだ」


 そう言ってスタスタと歩き出す男性。

 鈴木部長が慌てて中村先輩を担いだ。

 私も佐藤さんを促して、後を追う。


「まっ、待ってください!」

「……ああ、そうだった……」


 はあ、とため息をまたついて、男性が戻ってきた。

 部長に手を貸して、二人で両手両足を持って中村先輩を運び出す。

 ――うーん、シュールな光景。


「くそ、重い……もう札がなかった……まさか帰宅直前に必要になるとは……」


 ぶつくさ文句を言っている。

 だが、見ず知らずの人なのに助けてくれるなんて、ずいぶん親切でもあるようだ。

 きゃあきゃあ悲鳴や文句を言いまくっている佐藤さんだったが、だんだんと元気がなくなってきているようで、静かになってきた。

 一階に降りて、昇降口に向かう。

 どきどきしながらドアに手を掛けて――少し重いそれは、普通に開いた。


「あ……」

「出られた……!」

「暗い! 今何時……八時!? どうりでお腹ペコペコなはず!」


 歓びの声を上げる鈴木部長と、携帯を見て悲鳴を上げる佐藤さん。

 ――携帯、ついたんだ。

 腹ペコアピールにはちょっと距離を取ってしまった。流石にまだ怖い。

 ドアの外でそっと中村先輩を降ろすと、拝み屋の男性は肩を軽く回した。


「ふう。……さて、じゃあ俺はこれで。流石にもう無理。帰って寝る」

「え、あ、ありがとうございました……っ」


 踵を返した男性に改めて言う。

 歩き出そうとしていた彼は、一度足を止めて振り向くと、手招きした。

 なんだろうと近づく。


「――君。名前は?」

「は。ゆ、弓月です。弓月鈴音すずね……」

「そう。弓月さん。もしかしたら必要になるかもしれないから、渡しておく」


 すっと手渡されたのは、一枚の名刺だった。


「はい?」

「――まあ、こういう所には近づかないようにすれば大丈夫だとは思う。今回も御札もどきでイレギュラーに変異した場所だったからだとは思うが……君を狙って誘い込んだようでもあるから」

「……え?」

「つまり――怪異にとって、君は美味しそうに見える存在のようだから、気をつけるように」


 ぎょっとした。

 美味しそうとは。


「……そこ、何か持ってる?」


 御守りの位置を指差して尋ねられる。

 取り出すと、それだ、と納得したように彼は頷いた。


「ずいぶんと強力な御守りだ。大事にして――こういう場所を避けていれば、何も起こらないだろう」


 そして何故か、私の少し左側を注視しているようだった。


「あの……?」

「いや、とにかくまあ、事務方に名前は伝えておく。困ったことがあれば連絡――なるべくしないでほしいが、どうしても困った時には連絡するといい。誰か相談に乗るだろう」

「は、はあ……」


 面倒そうに言われて複雑な気分だ。

 連絡する予定はないけれども、訳がわからない。

 そうこうしている間に、門の外から声がした。


「あ! 部長!」

「良かった、出てこれたんだ!」


 やってきたのは先行組のメンバーと、警察官のようだった。


「――あ」


 これは、不法侵入に当たるのだろうか。

 嫌な予感に視線を戻した所、拝み屋の男性の姿がない。


「あれっ……」


 あまりにも忽然と姿を消していて、きょろきょろと見回してしまった。

 ――手にした名刺に目線を落とす。


『境界怪異管理室 神谷仁』


 という文字と共に、固定電話の番号が記されていた。


「きょうかい、かいい、かんりしつ……?」


 呆然と呟く。

 ――ふと、何かを感じて振り向いた。

 廃校の二階で、何故だか開いていた――今はぴたりと閉じられた窓。

 そこに、黒い人影のようなものが見えた。


 ――あーあ、たべたかったなぁ


「…………っ!?」


 ぎゅっと身をすくめて目を逸らし、おそるおそる、もう一度見つめる。

 そこには、何もいなかった。

 ただ、古びた校舎だけが静かに佇んでいる。

 ……空耳だったのだろうか。


 ふう、と息を吐いて、腕をさする。

 あの時掴まれた手首には、くっきりと跡が残っていた。

 後で気付いて絶句した。不思議なことに――それは、成人女性より遥かに小さな手の跡だったのだ。


 ――その後、目を覚ました中村先輩と共に、皆で警察にこってり絞られることとなった。

 夕飯はコンビニ飯になった。他人の奢りのはずのバーベキュー、さようなら。

 飲み会に付き合っただけのはずが、肝試しに行くことになり、散々な一日だった。


 うん、もう二度と、肝試しなんて絶対に参加しない。そう決めた。


 ――それが、穏やかな日常を一歩踏み外してしまった始まりだとは、まだその時の私は、知る由もなかった。

なろうのホラー企画2026に出した単話を移動しました。いつか連作にしてみたい話。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。