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螺旋の月(異世界FT 未完)

くるり、くるりと運命は回る。

緩やかで激しい螺旋を描くかのように。

ほら、今宵もまた、あちらとこちらの月が重なる――。




  001.いたずらな天使




幼い頃からよく、不思議な夢を見た。

自分とよく似た相手が、知らないはずなのにどこか懐かしさを覚える場所で、生きている夢を。

自分が年を取るのと同じ速度で、夢の中の誰かも大きくなっていく。

――何故だろう。

そんなはずがないのに、夢の中にいる相手こそが、本当の自分であるような気がしていた。

どうしてかわからないけれど、ただ漠然とそう感じることが多かったのだ。





それは、学校からの帰り道のことだった。

見上げた空には丸い月。

ああ今日は満月か、と思いながら、写真がぶれたかのように二重に見える黄金色に小首を傾げた。

――視力が低下したのだろうか?

それにしては、他のものは通常通りに見える。

疲れているのかなと思いながら、いつもの駅で改札を通り、いつものように二両目の電車に乗る。

人が多くて座れないから、入り口付近で立ったまま電車に揺られていた。

そのまま家に帰って、夕飯を食べてお風呂に入って眠るはずだった――なのに。


甲高い悲鳴のような金属音。

一瞬、身体が宙に浮いたような状態になり、次の瞬間には、鈍く重い痛みを感じた。

世界が反転する中、色んな人々の恐怖に彩られた表情を目にして、彼女は意識を失った。




……七歳の時。

交通事故に巻き込まれたらしく、頭を強打して意識不明の重体となった私は、目覚めた時に綺麗さっぱり記憶を失くしていた。

徐々に家族のことは思い出していったけれど、違和感が否めない感じが大きかったのを覚えている。

そして恐らく今回、自分は列車の事故に巻き込まれたのだろう。

十六年しか生きていないのに、二回もそんな厄介な目に遭うとは、つくづく事故に巻き込まれやすい、やけに難儀な星の下に生まれてしまったようだ。

気付けば、身体はまだ、宙に浮いているような感覚がした。


――私は、死んでしまったのだろうか。


目を開けると、そこには何もなかった。

ただただ、微妙に色彩の違う「白」が混在し、闇のようにどこまでも広がっていた。

これが死後の世界なのだろうかと、深い落胆と絶望に陥る。

家族も、友人も、大切な人をたくさん置いて、自分は死んでしまったのか。


「…私、死んじゃったのかな…」


ぽつりと呟く。

すると、驚くべきことに応える声があった。


「いいえ。まだ貴女は死んでいませんよ」


反射的に振り向けば、そこには一つの影があった。

見上げる先、自分よりも中空に、相手はぷかぷか浮かんでいる。


「はじめまして、ユーリア姫。私はスフィア。天の階位第六位、灯火に位置する天使です」

「…は?」


ぽかん、と少女は口を開けた。

よく見ると相手の背中には立派な白い翼が生えている。

そして頭には綺麗な金色の輪。

眩い純白の衣を纏った姿は確かに神々しく、更に言えば、金色の髪と深い碧の瞳の美貌は、この世のものとは思えぬ程美しかった。

それは確かに、人々がイメージするあるものに合致する。


「天使…」


死んだら天使が迎えにくるというのは本当だったのか、と呆然としてしまったが、はっと我に返る。


「あのー、私、姫なんて大層なものじゃないし、名前も、そんな横文字風な発音じゃなくて、御影夕莉(ミカゲ ユリ)って言うんですけど…」


男性とも女性ともつかない容貌の天使は、穏やかに微笑んだ。


「存じておりますよ。それは貴女のこちらの世界での名前ですね」

「……えっと…」


じゃあ、ユーリア姫って誰ですか、と口を開く前に、相手は綺麗な口元を続けて動かした。


「けれど私達の世界――いえ、貴女の元々の世界での名前は、ユーリアフィーネ・エアル・ラスティア。…ラスティア国の第一王女なのです」

「……は?」


きょとんと少女は瞬きを繰り返す。

天使は告げた。


「貴女は元はこちらの世界の人間ではありません。ある時を境に、魂を分けた同一の人間と立場を交換してしまったのです」

「な…何言って…」

「私達の世界では、外傷をすぐに塞ぐ魔法があります。けれど、頭部への衝撃に対する救急の措置は、こちらの世界の方が確実。魔法以外の医療面ではこちらが進んでいるのです」


じっと、碧の瞳が少女を見る。

困惑しながら、彼女は相手から目を逸らせない。


「貴女は七歳の時に、あちらの世界で酷い怪我を負いました。四肢に裂傷、頭部を強打。傷は癒えましたが意識は危うかった。同じ時、こちらの世界にいたもう一人の『貴女』は事故に遭い、深い傷を負っていたけれど頭は無事でした。事は一刻を争った為に――古き契約の下に、私が貴女方を交換しました。二人の、世界を」

「そんな…そんなわけ…」

「…信じられませんか」


苦笑と共に問われた。

畳み掛けるように一気に話されたことは、とても現実味がなくて、信じられるはずがない。


「そんなわけない…!だって私は、」

「――九年前、貴女が取り戻したと思っている記憶は、本当に貴女のものですか?」

「……っ」

「夢の中のことのように、現実感がなかったのではありませんか?」


父と、母と、姉と名乗る人々。


『本当に、この人達は自分の家族だろうか』


深く深く、疑ってしまった幼い自分の声が、今更脳裏で反芻された。


「貴女は夢を見ているはずです。もう一人の自分の夢を。家族を名乗る人々と対面して、夢の中のことを自分の記憶だとしたのでは?」

「……そんな、馬鹿なこと…!」


あるわけがない、という言葉は喉の奥に張り付いた。


今まで、自分の居場所を疑ったことがなかった?

夢に出てくる世界が恋しいのは何故?

――私は、誰?


「……貴女はユーリア。この事故を切っ掛けに、あちらの貴女と再び入れ替わるのです。重い傷にも関わらず、救出されるには時間がかかるようでしたから、身体はあちらに送りました」

「………」

「後は意識の貴女が行くだけ。向こうにいた貴女は、無事にこちらの世界に帰りましたよ」

「……私…」


ぐるぐると、信じていた世界が根底から覆されたような心許無い心地で頭の中がひたすら混乱した。

ぎゅ、と手を強く握る。

感覚が、無かった。


「さあ、行きましょう。――もう、それ以外に道は無いのです」


あなたにはもう、他に行く場所がないのだと。

どこか憐れみを含めた眼差しで、慈愛に溢れた天使は細い指先を差し出してくる。

もう何も考えられないと、混乱の渦に叩き込まれた少女は、無意識にもその手を取っていた。

指が触れた瞬間、強烈な睡魔に襲われる。

意識だけの存在も眠るのか、とぼんやりつまらないことを思ったその時、天使が密やかに呟いた。

記憶は自分で頑張って取り戻してくださいね、と。

……それはどこか、悪戯っぽい声だったような気がした。




斯くして少女は界を渡る。

――運命は、動き出した。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





『誓うよ。君を――』


それは確かに、強く揺るぎ無いものだったはずなのに。




  002.聖なる誓い




「――アレクセイル様! 陛下が御呼びです!」


自分の部下の一人にそう呼び掛けられ、彼は振り返った。


「……兄上が?」


僅かに眉を寄せ、手にしていた剣を腰に納める。


「わかった、すぐに行く。――お前達は稽古を続けろ」


それほど張り上げたわけでもないのに、凛とした声音は数十名の男達が剣を交えていた訓練所に響き渡った。

すぐに、太い応えが返ってくる。

艶やかな銀髪から伝った一筋の汗を拭い、アレクセイルは部下達に背を向けた。




アレクセイル・レイルーナ・グラディウスは、騎士大国グラディウスの現国王、ユーディアス・ディアルローズ・ヴァン・レーゼ・グラディウスの異母弟である。

正妃から産まれた兄と違い、アレクセイルは妾の子。

実母は側妃でも貴族でもない、身分の低い旅芸人の舞姫だったという。

その母も彼を産んでしばらくしてこの世を去った為に、アレクセイルは母の温もりを知らない。

父に構ってもらった覚えもなかった。

グラディウス王家の者は皆、銀の髪を持っている。同じように鮮やかな碧玉の瞳も特徴的なのだが――どういうわけか、アレクセイルの瞳は薄い紫であった。

母の血筋縁のものであるのかどうかはわからないが、その瞳のせいで、彼は古参の貴族達には疎まれながら育った。

卑しい妾の子、もしかすると王家の血を引いていないのでは――などと、面と向かって言われたこともある。

幼い頃は、病にかかりやすかったことも、陰口に拍車を掛けていたようだ。役立たず、と。

きらびやかに表面を飾りつつも、実際は駆け引きと陰謀に満ちた薄汚れている宮中で何とか生きていけたのは、兄の存在があったからに他ならない。

前王には全部で九人の子がいた。内、王位継承権を持つ男児は三人である。この国では女児に継承権は存在しない。

正妃が産んだ子が三人、それぞれの側妃の子が四人で、アレクセイルを含む残りの二人は愛妾から産まれた庶子であった。

正妃は、男児を一人しか産むことが出来なかった。それが現国王たるユーディアスである。

ただ一人の兄は、必ずしもアレクセイルを甘やかした訳ではなかったが、彼が無事に生きていけるようにと何かと目を掛けてくれた。

様々な人間に疎まれながらも、ユーディアスがいたからアレクセイルは生きていられたのだ。



アレクセイルは現在十八歳。

その若さにしてグラディウス王立騎士団第二師団長の座に就き、加えて、国王の護衛隊長をも任されていた。

王弟だから、ということだけが理由では務まらない立場に彼が位置しているのは、その類稀な武芸の才にある。

戦場で彼の右に出るものはいない。

僅か十一の歳で初陣に出た折、華々しい勝利を得て帰還した時から、彼は戦神と言われるようになった。

元々、虚弱な身体を鍛える為に剣を習い始めたのだが、健康になった今ではそれで身を立てているようなものだ。


父である前王が崩御したのは、今から九年前の戦の時。

戦死ではなく、病によるものだ。

既に弟二人は王位継承権を放棄していたために、当時僅か十六歳の王太子であったユーディアスは、その後すぐに王位を継承した。

アレクセイルとは七つ歳が離れているが、王としては若すぎるのではないかという周囲の懸念に反し、ユーディアスは賢しき王であった。

統治の才に長け、世界の動きを読み取る能力も高く、今まで開戦の刻を読み違えたことはない。

兄が王になって初めての戦で、アレクセイルは大きな手柄を立てた。それによって、彼は自力で徐々に地位を高くしていった。

世界は今、戦乱の世に在りながら、不気味な沈黙を保っている。

今の所、各地で内乱が時折起きてはいるようだが、外国との戦争が起こる顕著な兆しはないので、各国は今の内に兵力を増強しようと水面下で動き、互いの腹を探り合っている。

騎士大国と言われるだけはあり、実力ある騎士が集うグラディウスでも、気を抜くことはできないと日々鍛練が続けられている。

戦が無くとも地位のせいで割合多忙なアレクセイルであったが、部下の訓練は重要視しており、空いた時間に稽古をつけていた所だった。

それを態々中断させる用事とは一体何だろう、と思考を巡らせつつ、足早に廊下を抜ける。

音の鳴りやすい石造りの床を、体重を感じさせない、ほぼ無音の歩き方で素早く行きながら、ふと、胸元で揺れる銀の鎖を思い出した。

急いでいるにも関わらず、足を止め、細い鎖が繋ぎ止めている小さなロケットを、鎧の胸当ての上から軽く叩くようにして呟いた。


「――守る、か」


今日は、夢で懐かしい記憶と再会した。

十分な力を持たぬままでは、想いだけがどれ程清らかであっても――守れぬ誓いもあるのだと、己を苛む、けれど愛しさを感じる過去と。

耳の奥に今も残る声に頭を振って、今考えるべきことではないと、気持ちを封印した。

再び、歩を進める。

――王のもとへ。


『アル』


柔らかな呼び掛けは過去のものでしかないのだと、再度首を振った。



誓うよ、君を守るから。


……その想いに、嘘はなかった。けれどそれももう、今では過ぎ去ってしまった遠い昔の話。




◇◇◇◇◇◇





つい数年前まで、国同士の争いは苛烈を極めていた。

今は、辺境の方で内乱や小競り合いが起こっている程度で、一応の停戦状態にある。

だが、それぞれの国の交流は未だ無い。

人々の軋轢は納まらず、戦火の爪痕は生々しく残る。

戦はまだ終わりの兆しを見せず、いつ開戦してもおかしくない状況が続いていた。




  003.終わらぬ戦




あの日々が嘘の上に築かれたものだとするならば、何が本当だというのだろう。

失った過去の記憶を取り戻したとして、今まで自分はただの平凡な高校生として生きてきたのに――何を糧にしていけばいいのだろうか。

わからない。

こんなにも家族や友人が恋しいと思うのははじめてだ。

けれどその縋れるはずの相手も、本当は自分と縁がある者ではないのだ。

今までの自分が偽りなら――私は一体、誰なのだろう。





頬に当たる柔らかな感触。

――誰かが、肩に触れている気がする。

うっすらと開いた目に、見知らぬ天井が映った。

薄汚れた、不揃いな木目のそれは、長年過ごした自室のものとは明らかに違う。

意識が宙を漂っていて、必然的に視線もぼんやりとさ迷った。


「おい。…起きたか?」


突然、目の前に人の顔が現れた。

ぎょっとして目を剥いたことで、完全に覚醒する。

こちらが目を覚ましたことがわかり、相手は顔を離した。

知らない人間だった。

年は三十過ぎぐらいだろうか。

短く刈り上げられた髪は綺麗な橙色で、瞳の色は金色の斑の入った赤銅色。

見たことがない色彩を宿した、筋骨逞しい偉丈夫だ。

綺麗とかいった部類ではないが、中々整った顔立ちをしている。顔が割と左右対称なのだ。

がっしりした体つきで、半袖の簡易な白い上衣と、黒いズボンのようなものを身に付けていた。

腰に巻かれた皮のベルト――帯剣しているのだとわかり、ぎょっと目を剥いた。


「……えっ…」


小さく声を漏らしたことに気付いた男が、首を捻る。


「ん、どうした?」

「そ…それ…」


剣なんてはじめて見た。

鞘に納められている為に刀身は見えないけれど、それが凶器となると容易に理解できたので、身体がすくんだ。

その気になれば相手は、自分をすぐに斬って捨ててしまえるのだ。


「…ああ、剣が怖いか?」


剣に視線を釘付けにして小さくなっていたからか、男性は、こちらから剣が視界に入らないように身体の向きを変えてくれた。



「無理もない。農村では何もないのに剣をぶら下げている人間はいないだろうからな」

「…農村…?」

「お前、道端に倒れていたんだぞ。この近隣の村の子どもだろう?」

「子ども…って…」


なんだか小さな子どもに尋ねるような聞き方だ。

十六にもなってそんな言い方をされると流石に少しはかちんとくる。


「私は――」


文句を言おうと勢いよく上体を起こした瞬間、くらりと強い目眩がして、再び倒れ込んだ。

寝台は嫌な固さだった。

どうやら質があまり良くないらしい。


「おいおい、まだ熱が下がってないんだから無茶するな!」


焦ったように言って、男は、彼女をきちんと寝かせるように毛布を被せ、近くの机上で桶の水に浸していた手拭いを絞って、額に乗せてきた。


「ねつ…?」


ぺたりと自分の頬に触れる。

とても熱かった。

視界は割合はっきりとしていたし、思考も大して乱れていなかったので、横になっていたから体調の不調に気付かなかったのだろう。

自分の手を視界に入れて――固まった。


「え…?」


いつもより、一回りか二回り位、小さい。

そんな馬鹿な、と思いながら、ふと、先程手拭いを乗せられた時、男の手を異様に大きく感じたことを思い出した。

相手の手が大きいだけではなく、もしかすると――


「あの…」

「ん?」


何だ、と問われ、ごくりと唾を飲み込んだ。


「私…何歳ぐらいに見えますか?」


変な質問だと思いながら、真剣に発した言葉への返答は、


「はあ?……八、九歳か?多く見積もって、十歳だと思うが……」


怪訝そうなそんな台詞で、彼女は呆然としてしまったのだった。


「で、チビ。家はどこだ?」


男は問う。

自分が小さくなっているらしいという事実に驚愕していた少女は、一瞬遅れて聞き返した。


「え…?」

「だから、家は?あと、名前は何だ?」

「家…」


事故に遭ったことと、天使にあったことが夢でなければ――否、夢ではないと半ばわかっているので、ここは元居た場所とは違う世界。

自分の家など、あるはずがない。


「…名前…」


今までは御影夕莉、と躊躇い無く名乗れていた。

けれどそれは自分の名ではないのだ。

本名だというユーリアという名前も、自分のものとは思えない。


「家は…ありません。名前、は――」


数秒間口ごもり、次いで決心したように、彼女は言った。


「ユーリ。私の名前は、ユーリです」

「…ユーリ?」

「はい」


確認する声にしっかりと返事をした。

男は橙の髪をぐしゃぐしゃと乱して、言った。


「珍しい名前だな…愛称じゃないのか?」

「いいえ、ユーリが名前です」

「…そうか」


腕を組み、眉間に皺を寄せ、やや言いにくそうに尋ねてくる。


「家が無いってことは……孤児か?」

「……はい」


本当の親族がどうしているのかは知らないが、自分が行く宛も無い独りの身であることは間違いない。

天使は、記憶は自分で取り戻せ、と言った。

けれど、今まではもう一人の自分の記憶を過去として認識していたのだから、本来の記憶は忘れ去られたまま。そんなに簡単に思い出す訳もない。

これまでただのうのうと暮らしてきた彼女は、右も左もわからぬ世界で、生きていく術など持たない。

過去を思い出す前に、異界での命を繋いでいく方法を知らなかった。


「…私、記憶があまり無くて…。名前と、家族がいないってこと位しか、わからないんです…」


ぽつりと呟いた。

こんな怪しいことを誰が信じてくれるだろう、と思いながら。


「………」


相手は無言で渋面を作っていた。

変な子どもだと思われているのだろう。

まさか異世界に来て若返るとは思ってもいなかった、とぼんやり思考する。

十六の時の姿でも、不審な目で見られただろうから、子どもだと尚更ほら吹きと思われそうだ。

自分でもこんな相手は疑うと思う。


「…よし、行く所が無いなら、俺の弟子になれ」


普通信じてもらえないだろうな、と内心で肩を落とした所で言われたので、暫く言葉の意味が理解できなかった。


「……は?」

「何だ、行く宛はあるのか?」

「い、いいえ、ありませんけど…!」

「なら決定だな」


うんうん、と男は一人頷く。

いきなりの展開に彼女は唖然とするしかない。


「あ、あの、こんな怪しい人間をそんなに簡単に弟子とか…していいんですか?」

「怪しいって……自分で言うなよ。何だ、嘘なのか?」

「嘘じゃありませんけど……!」

「ふむ。…まあ、普通に考えれば軽率な行動だろう。だが――俺は日頃、勘に頼って生きている。その勘が告げてるんだよ」


にやり、と悪戯な子どものように楽しげに、彼は笑った。


「お前をここで拾ったら、面白いことになるってな」


もう、ぽかりと口を開けるしかなかった。

こちらの言葉など一切聞かずに師匠となったらしい男は、快活に笑う。


「俺の名前はガイム。ガイム・ヴェルサスだ。厳しくいくからな、ユーリ?」


まさか、その言葉通りにしごかれることになるとは知る由も無いままに、少女には師匠という保護者が――ほぼ一方的に――出来たのだった。



◇◇◇◇◇





それは、知らない夢だった。

今まではもう一人の自分の夢しか見たことがなかったから、他の夢などはじめて見た。

他の誰でもない「自分」が、誰かに楽しそうに話し掛けている。

相手の顔はよく見えないけれど、どうやら子どものようだ。

何を話しているのかは、どうしてか理解出来ない。

何度も相手の名前を呼んでいる気がするのに、それすらもわからないのだ。




  004.黄昏の風来坊




「――変な夢…」


ここ数日、頻繁に見るようになった夢に、目を覚ました少女は首を傾げた。

小さく欠伸をして、よいしょ、と寝台から降りる。

大人用の寝台は少し高さが足の長さに合わないので、いつも若干の苦労を要する。

ガイムという男に拾われてから、もう一月が経過した。

てっきり相手は三十代だと思っていたのだが、まだ二十五だと言われて驚いた。

外見から推測していた年齢を告げた時には物凄くいじけていて、仕返しとばかりにひどくしごかれたのだった。

八つ当たり反対。


「…ししょー、ごはん…」


食べに行こうよ、と誘いに隣の部屋に踏み入ったが、そこに、黄昏時の空と同じ色の髪を持った男の姿は無かった。

あれ?と首を傾げた後、寝台の上に無造作に置かれた羊皮紙の切れ端が目に入る。

『暫く出掛けてくる』


「……またか」


少女は、あの風来坊めと唇を尖らせた。

面白くない。

ガイムは、唐突に出掛けてしまうことが多い。

大抵が一日以内に戻ってくるが、二日程帰って来なかったこともある。

食い扶持を稼いでいる為だとはわかっているけれど――つまらないのだ。

依存している、と思う。

けれど彼は、知り合いもいないこの世界で、自分を無条件で庇ってくれる唯一の人間だから。

その優しさにどうしても甘えてしまう。

弱くなったなあ、と自嘲もしたけれど、元々自分は強い人間ではないと開き直ったのだ。

ふう、と小さく溜め息を吐いて、取り敢えず腹ごなしだと部屋を出て、食堂に向かった。




質素な料理だったが味は良かった。

そんなことを感じながら、ユーリは細い剣を振る。

その剣は、ガイムが彼女に買い与えたものだ。厚さが薄い割に折れにくく、切れ味が良い。

小さい身体では持ちにくく、やや重たくもあったが、大分慣れた。

ガイムが師匠として優秀かどうかはわからないが、たった一月でこんな剣が普通に振り下ろせるようになるとは驚きだ、と素直に思う。

そもそも何の弟子なのだろう、というあの時の疑問は、弟子にされた時の翌日に解消された。

悩むべくもなく、ありとあらゆる意味である、とすぐにわかったからだ。

なかなか眠れなかった異世界生活の初日、漸く寝付いたと思ったら、太陽も昇りきっていない時刻に叩き起こされ、随分な大きさの重石をくくりつけられた太い棒切れを渡された。

外に出て、これで素振りをしろと言われた時は何の冗談かと思ったが、眠い眼を擦り、渋々ながらも子どもの掌には余る大きさのそれを握って必死に振り上げた瞬間、頭を叩かれた。

直後の台詞は多分、ずっと忘れないだろう。

「握り方が甘い!」と怒鳴られたその言葉から、彼女の修行は始まったのだから。

最近は剣に変わったが、つい先日までは毎日、一万を数えるまで重い棒を振らせられた。

剣でも回数は減らず、寧ろ五千増えた程。

素振りが終わると腕立て伏せ、腹筋、走り込み等々、地球での並の運動部よりは遥かに厳しい課題が課せられ、成績も運動神経もごくごく平凡で、高校までは文化系に属していたユーリは気を失うまで毎日しごかれたのだ。

何でもガイムはあちこちを旅しているらしく、しばしば徒歩と馬で長い距離を移動しながらの修行だったため、余計に疲労は蓄積し、夕食の時など寝ながら食べていた記憶がある。

ガイムのすごい所は、ユーリの肉体的疲労の限界を把握しており、ちゃんと健康管理も行ってくれている所だな、とユーリは思った。

旅の最中、いつも宿に泊まれる訳ではなかったから、当然野宿もした。

薪を集め、火を興すやり方。

木の枝と蔦で弓を作り、石の矢で野鳥や野兎を狩って捌き、食す方法。

食べられる植物とそうでないものの見分け方。

川魚の釣り方、調理法。

自然の中で生きていく知恵を叩き込まれた。

安穏と暮らしてきた日本の女子高生『御影夕莉』は、所謂アウトドアな生活などしたことがなかった。

家事は母親に任せきりで、ごく稀に手伝う位だったから、料理に手慣れているはずもない。

慣れないあらゆることを教わりながら、疲労が蓄積していくのは当然のことだったが、倒れるのではなかろうかと思った時にガイムは休息を与えてくれる。

ある意味でとてつもなくえげつない気はするが、百八十度程転換した生活を送りながらも、一日熱を出した程度で済むのは、正直ありがたかった。

何も考えずにひたすら専念出来ることがあるのは良い。

止めどなく考えてしまったら、気分が低迷することばかりだったから。

何故言葉が通じ読み書きも大概出来るのかということや、肉体の年が十歳程に若返っているのだろうかということは、まだ良い。

それらは、おそらくあの天使が何か関与しているのだろうと見当はついた。

わからないのは己の存在そのものだ。

自分が一体何者であるか判然とせず、それまでの自己を全て否定されたような出来事は、彼女に重くのし掛かった。あまりの自分の脆さに、心まで幼くなったかとすら感じる程に――強烈な恐怖を感じた。

帰りたい、と思わないはずがない。

見知った土地に、家に帰りたいと何度も思った。

けれど、頭の中で冷静な自分は『どこに?』と冷たく呟く。

家族と思っていた人間は皆赤の他人だったのだ。

大切だったはずの家族も友人も、何一つ本当は自分のものではなくて。――そして、自分が狂おしい程に彼らを恋しがってはいないと気付いて、愕然とした。

恐らく、地球で縁のあった人間の記憶から、自分の存在は消されているだろう。

もう一人の自分も、私も、人生をやり直す為に若返らされたのだろうか――なんて、あまり考えたくは無い。



「……ふう」


溜め息を吐いたのは、剣を振って七千を超えたあたり。

あと半分だ。

流れる汗を拭って、少し休憩しようと木陰に座り込むと、足元に何かが寄ってきた。


「ユーリ、水ー」


とことことことこ歩く様は、大層可愛らしい。

小さな手足に愛らしい顔。

子猫程の大きさの体躯のそれは、地球で所謂『竜』と呼ばれる空想上の生き物だった。

見た目は、一般に想像されるそれとは少し異なる。

爬虫類のように縦長の瞳孔をした、丸い大きな瞳。

二つの小さな角に、上下左右に揺れる尻尾。

更に種族的なものらしく、身体全体がふわふわした白い毛で覆われていて、二本足で歩く様はさながら電池で動くぬいぐるみのようだった。

その生き物が、水で満たした玻璃の器を小さな頭上に乗せて運んできたのだ。

どこか危なっかしい足取りで、揺れるように歩いているのにも関わらず、全く中身が溢れていないどころか揺れてすらいないのは、魔力と呼ばれる力で器を支えているからである。

頭に乗せているような形だが、正確には若干、宙に浮かせて運んでいるのだ。


「のど、かわいた?」


きょと、と碧い瞳で見上げてきた小さな竜に思わず頬が緩んだ。

その竜は、後ろ足で立ち、人間のように二足歩行をしていた。やや前傾姿勢だ。

前足――というか手というか――の先にある、鋭利に尖った爪は綺麗な薄い青。

その小ささと綺麗さに和んで、ついつい触れてしまうことも多い。


「うん、ちょうどお水が欲しかった所なの。ありがと桜」


器を受け取り、一気に飲み干す。

冷たい液体が喉を潤す感覚が心地好く、ユーリはふうと息を吐いた。


「桜は偉いねえ」


左に器を持ち、右手で柔らかな毛の触り心地を味わいつつ小さな頭を労うように撫でると、小竜は目を細め、先端が淡い紅色の尻尾をはたりと揺らした。

可愛い。


「ガイム、おしごと?サク、いっしょいる?」


この竜の名は、桜――サクラと言う。

人語を解し口にするが、まだ幼い為にたどたどしい言葉を話し、耳慣れない和名は言いづらいのか、自分のことを『サク』と呼んでいた。

どうやら、ガイムが仕事でいないのなら一緒にいようか、と言っているらしい。

ユーリが部屋を出た時はまだ寝台の端で丸くなっていたから、少し前に起きたのかもしれない。

この世界は地球と同じで、十進法で動いている。

時間の原理も大体同じらしく、今は七の刻――日本で言う朝の七時頃だから、大した寝坊ではない。

ユーリは毎朝四の刻という早すぎる時間に起きているのだから。


「一緒にいてもいいよ?なあに、寂しかった?」


くす、と笑って言うと、サクラは、蝙蝠のような皮膜状の白い翼を広げて浮き上がり、ユーリの顔の高さまで寄ってきた。


「…さみしかったー」


すり、と額を頬にこすりつけてくる。

ふわふわした感触がくすぐったく、あまりの可愛さに思わず抱き締めてしまった。


「もー、桜は可愛いねー!」

「…かわい?」


嬉しそうな様子で、ことりと小首を傾げる。

力一杯抱き締めても苦しくはないらしい。小さくても竜。頑丈なのだ。


「師匠は今日、ちょっと遠くに行ってるみたい…早く帰ってくるといいね」


膝の上に竜を乗せ、一定の速さで撫でた。

この竜は、こちらの世界にやってきた当初、倒れていたユーリの側に落ちていた卵から孵ったものらしい。

卵など持っていた記憶はないので、これまたあの天使の仕業なのだろうが、ガイムがユーリを宿屋に運び入れてから程無くして卵は孵ったそうだ。

中から産まれたのがこの竜。

孵化した時から純白の毛は生えていて、目こそ数時間を経過してから開いたようだが、羊水に濡れた身体を拭いた程度で、翼を動かして飛ぶことも割とすぐに出来たらしい。

ユーリのすぐ側にぴったりと引っ付いて離れなかったそうで、最初に目を覚ました時に感じた柔らかなものは桜だったのだ、と後に気付いた。

竜の名前は勿論、ユーリが名付けた。

地球で一番好きな花の名前だ。


「…んー、師匠が帰ってくる前に、課題を終わらせなきゃ!」


残りの素振りと、腹筋などの基礎鍛練。夕飯の仕込み――料理の練習として、夕食は食堂の一画を借りてユーリが作っている――に地理等の学問の勉強等々。

やるべきことは多い。

気合いを入れ直して素振りを再開した少女を、愛らしい幼い竜は、じっと見守っていた。




やがて、日付が変わる頃に帰ってきた彼女の師匠は、冷めた料理を前にして机に突っ伏して眠る弟子に嘆息するのだった。

叱ってやらなければと思いつつも、寝惚け眼で嬉しそうに「おかえりなさい」と言われては、気力も削げる。

甲斐甲斐しく世話を焼いた挙げ句、空腹でもないのにユーリの作った冷えきった料理を全て平らげるあたり、ガイムも相当な師匠馬鹿であった。



◇◇◇◇◇




己が運命が動く刻を知る者などいない。



  005.神々の宝珠



この世界は、名をアルカ・カントゥスという。

とても古い言語で、『方舟の歌』を意味するそうだ。

その起源は創世神話にあり、今でも敬われている神々が世界を創造する際、地球の神話に登場するような巨大な方舟に乗って神々が現れ、美しい歌を歌って舞い降りてきたためだという。

方舟に乗っていた創世神、オル・アレーティアの持っていた大剣が地上に墜ちた際に大破しただとか、彼の神が流した一滴の血がロザリオに変化して割れたとか――諸説は様々あるが、この世界の大陸は、十字架のような剣のような、不思議な形をしていた。

地図を目にした時は、思わずまじまじと見つめてしまった程だ。

正確には、剣を横に置いたような十字の形の中央を一端くり貫いて、海とも言える巨大な湖にした後に、湖の中央に小さな島が配置された――宝剣の類いに付いている宝石の位置関係に島があるのだ。

十字架のつもりか剣のつもりか、とユーリも暫く悩んだ。

何にせよこの世界は地球でいう『ファンタジー』な世界。

ただし、剣はあっても魔法は地球での扱いのように、お伽噺の中のものらしい。

その代わりに特異な能力を持つ者はいるらしいが――結局、生きていくために彼女は身体を鍛えるしかなかったのだった。

天使が魔法云々言っていたのは何だったのか、と思いながら。


「…桜……そろそろ、私の誕生日だよ」


機械時計など存在しないので、曖昧な時しかわからないが、こちらに来て覚えた感覚的に、そろそろ零時を迎えるはずだ。

この世界の時刻は日の出から日の入りまでを六等分した時間を一時間とし、水や砂を使って時を計測しているそうだ。

といっても一般市民が計っているわけではないので、王都では一時間毎に鐘が鳴らされるそうだが――夜中を除く――その他の人々は時間を感覚で捉えていた。

恐らくだが、ユーリは肉体的に十六を迎えるのだと思う。

何歳若返らされたのかわからないが、何となくそれを理解していた。

漸く、別世界で過ごした年齢に追い付くのだ。

何だか不思議な気分だった。

師匠に拾われて、もう五年も経つんだなあと、少しだけ大きくなった白竜に話し掛ければ、竜はぱたぱたと羽を動かしながら、そうだねと頷いた。

こちらの世界の人々は、基本的に地球の西洋人のような人種ばかりで、日本人のような黄色人種はいないらしい。

斯く言うユーリも、この世界に戻ってきてからは、肌の色も白くなり、髪は黒のままだが、瞳は青み掛かった黒へと変わっていた。

顔立ちも何となく、日本人の顔を西洋人にした感じ。

そう――夢の中で見ていた顔だ。

黒髪は珍しい、とガイムは言っていた。

ある方面でしか見られない色だそうだ。

それが、あの天使に言われた故ラスティア国の辺りだと聞いて苦笑いが出たのを覚えている。

――自分はラスティアという国の王女だったそうだが、この世界にいた頃の記憶はまだ思い出せていない。

ラスティアは今、隣国アヴィスに統合されていた。




この世界の大まかな国は、四つある。

昔はあと二つ国があったのだが、その一つだったラスティアのように、もう一つのモルディアという国も、国力が落ちてその機能を維持できなくなり、アヴィスの属国となっていた。

北のアーラ、東のアヴィス、南のプテラ、そして西のグラディウス。

その四国が、世界の国々。

ユーリがガイムに拾われたのは、アーラの南東部、ラスティアとの国境近くの村であったそうだ。

世界の勢力図として、アヴィスとグラディウスが最も豊かな大国であり、互いに敵対しているそうだ。

東西だけでなく南北も対立しており、それぞれが東西の味方をしている。

(プテラ)(アヴィス)と、(アーラ)西(グラディウス)と同盟を組み、長い間争っているのだという。

ここ数年は、冷戦状態が続いているが――ラスティアは元々グラディウスやアーラと友好を保っていた国であったので、そのラスティアが攻め込まれた時はかなり激しい戦になったそうだ。

世界史は苦手だったので、あまり細かくは覚えられなかったが、その程度の大まかな知識はガイムに叩き込まれていた。

ユーリは今、グラディウスとアーラを繋ぐ貿易の街、ヴァンヴェールに滞在していた。

もういい年になっただろうとの判断で、ガイムとは、二年程前から行動を別にしている。


「…昨日の占い師、何だったんだろうね」


先日、ヴァンヴェールの街を散策していた所、目立たない場所に小さく店を構えている(まじな)いの店を見つけた。

普段なら眉唾物だと気にもしないのに、何故だか惹かれるようにユーリは店の扉を開けてしまったのだ。

中には、黒いローブに身を包んだ、如何にもな格好をした老婆がいて、水晶ではなくタロットカードのようなものを持っていた。

会ってすぐに言われた台詞が、


「お前さん、随分とまあ数奇な運命を持っているね」


――だった。

ぽかんとしていれば、御代はまあいいから視せておくれ、そう言ってカードが素早く動かされ、出た答えが――。


「十六の夜明けに運命が動き出す…って、何のことだろう」


すっかり短くなった髪を撫で付けて呟いた。

髪は伸ばしていた方が好きだが、女の一人旅だと何かと面倒に巻き込まれやすい。

どこかに定住して働くという術もあるが、どうしてかそんな気になれず、世界を見てみたくなったから、うろうろと旅をしていた。

この世界には車や飛行機なんてものは当然無いので、移動は主に徒歩か乗り合い馬車にしていた。馬は維持費が掛かるし、竜と気が合うかもわからない。

急ぐ旅でも無し、とさ迷って、アーラ国内はこの二年間で粗方行き尽くした。

次はグラディウスに向かうつもりだ。


「…眠たい……うん、もう誕生日来たかな。おやすみ、桜」

「誕生日、おめでとう、ユーリ」

「…ありがと」


ふわりとはにかむような笑みを浮かべて、枕元の蝋燭の火を消した。

闇に包まれた部屋の中、少女はすぐに眠りに落ちる。

そしてその枕元で、相方の竜も丸くなって寝そべったのだった。





柔らかな沈黙、安らかな眠りの中――ユーリは、突如として、すっかり懐かしくなった顔と再会を果たした。

それは、あの天使だった。

優しげな笑みを浮かべて語り掛けてくる。


「お誕生日おめでとうございます、姫。――いいえ、ユーリさん」

「……何で今更私の夢に…」


何だか良い予感はしなくて微妙に嫌そうな顔をしたのだが、一癖も二癖もあるらしい天使は一向に意に介さない。


「十六のお祝いに来させて頂きましたよ。……記憶は、まだ思い出してないみたいですね」

「スフィア……だった?思い出す兆候すらないわよ。それより、ずっと聞きたかったんだけど、貴方が以前言ってた盟約とかって――何のこと?」


神の眷属である天使の位は第八位まで。

数が多い程位が高いそうなので、第六位のスフィアはかなり上位の天使だ。

この世界に来て身に付けた知識からも、人が天使と関わり合いになることなどほとんどないのだとわかったから、何故自分はスフィアと関連があり、また別の世界を跨ぐようなことができたのかわからなかった。


「――ラスティアは特別な国なのです。その王族、特に貴女は。私にはこれだけしかお教え出来ません」

「え、なんで――」

「私が此度お会いしに来たのはそのことではなく――助言をしに」

「……助言?」


ふわりと微笑んで、スフィアは翼を動かした。

すると羽根が一枚抜け落ちて、するりとユーリの額に触れる。

その瞬間、羽根は粒子のように消え去った。


「え?な、何!?」

「私からの最後の加護です。次にいつお会いできるか、もうわかりませんから」

「……どういう…」

「目覚めた時、貴女の宿命は動き出す。どうか、幸いあらんことを。――後は『(いざな)い』が、貴女を導いてくれるでしょう」

「全く理解出来ないんだけど…!」

「さようなら、ユーリ」


いきなり目の前に現れた時のように、天使は瞬きの間に消え去った。

妙な台詞ばかりを残されて困惑していたその時、どくり、と心臓が鳴った。


「――え?」


右の上腕が、燃えるように熱い。


「っ…!あ…つい、熱い…!!」


左の手で触れようにも、身体が動かない。

いつの間にか夢から覚め、現実でその熱さを体感していることにも気付かなかった。


「ユーリ!ユーリ!」


心配そうな声が名を呼んでいる。

桜だ、と認識しても、応えてはあげられなかった。


「――っ!!」


あまりの熱さに声にならない絶叫を上げかけた時、急激に熱が覚めた。

え、と目をやれば、右腕の傍らに何かが転がっている。

それは一枚の純白の羽根と――鮮やかな薄桃色の宝珠。

呆然としながらユーリが羽根に触ると、一瞬にしてそれはロケット型のペンダントに変化した。

ぎょっと目を剥く間も無く蓋が開く。中には、六枚の花弁が描かれており、その中央に窪みがあることが見てとれた。

ほぼ無意識に手が動き、宝珠を嵌め込む。

出来た美しい花に、ユーリは息を飲んだ。


「これ……」


右腕を見ると、そこにはあるべきものが消えている。

ずっとずっと、ユーリの右の二の腕辺りには、珍しい痣があった。

花弁のような綺麗なそれは面白い痣だなと自分の身体ながら不思議に思っていたのだが――それが無い。

ロケットの今の中身とそっくりだった痣。

あり得ないことだとは思ったけれど、認めるしかない。

ユーリの腕の痣は分離して、世にも美しい宝珠となったのだ。




――それがどんな意味を持つものであるのか知らず、ただただ、見とれた。


◇◇◇◇◇




動き出した、運命。




 006.逃れられぬ運命




「――『神の宝珠』が生まれましたぞ」


ぽつりとひび割れた声が囁く。

それに、男はぴくりと反応した。


「……ふん?それはつまり――」

「彼の者が生きていたということでしょう。まだ特定はできませんが、少なくともあの地や我が国にはおりませぬ」

「……やはり生きていたか。あれが簡単に死ぬはずがないからな。――次は逃がさん」


くつりと笑った顔は、とても冷酷なものだった。

探せ、と端的に命じられ、傍らに控えていた部下は、御意、と答え、動き出した。






「……うわー、さすが二大国の一つ、グラディウス……活気が違うわ」


国境を越え、馬車に乗ること四日、グラディウスが王都ラズシュベルトに辿り着いたユーリは、地に足を着けるや否や、感嘆の声を上げた。

王都とは言っても、そこは広い城下町の最端に位置する地区。

それでも大通りには露店が立ち並び、人通りも多かった。

中心区はさぞかし賑わっていることだろう。


「――そこの旅の人!今が旬の林檎はどうだい?美味しいよ!」


山盛りの様々な成果を売っている男性に声を掛けられた。

振り向けば恰幅の良い中年男性は、その手に瑞々しい果物を持っていた。

美味しそう、とユーリは思う。

この世界の食べ物は、地球と似た、同じ名前のものが多い。

だがここの林檎は、地球のものより一回り程大きく、また色こそ赤いが、皮と身は柔らかく、食べると桃のような味がする。最初は戸惑ったものだ。


「美味しそうですね」

「おう、うちの店のは味も大きさも一級品さ!」

「…うーん…」


果物は好きだが、路銀を無駄には出来ない。

どうしようかと悩んでいると、目敏い店主はユーリが腰に帯剣をしているのを見抜いた。


「あんた剣士かい!じゃああれか、武道大会に出るのか?」

「…あ、ええ、まあ…」


武道大会。

騎士大国グラディウスでは、数年に一度、その腕を競う催しがある。

もう十年程執り行われていなかったが、戦の緊張感で疲弊した王都を活気付けようと、国王が再開を宣言したのだ。

優秀な騎士を育てる役にも立つ。

腕に自信のあるものならば誰でも参加できる戦い――上位になれば、褒賞金がもらえる。それを目当てに世界の猛者が集まっていた。


「坊主、大丈夫か?あんたひょろひょろしてるが、相手は大男がたくさんいるんだぞ?」

「…あはは、まあ、腕試しなので。心配いりませんよ。殺人は失格ですから」

「……心配だな。ほら、これ持っていきな!武道大会の参加者なら話は別さ。もし勝ったら、うちの店で何か買ってくれよ!」

「わ…いいんですか?ありがとうございます!」


紙袋に入れて渡されたのは、たくさんの、よく熟れた果実。

感謝の笑みと共に、褒賞金を得たらまた来店することを約束して、その場を離れた。


「もらったはいいけど…どこで食べようかな。うーん…あ!桜、広場があるみたい。行ってみよう」


ぽつりと呟いて、露店の切れ目へ人混みを縫って進んだ。

石畳の広場の中心にある小さな噴水は井戸の代わりとしても使われているようだ。

子ども達が水と戯れる一方で、木の板で分けられた、飲み水用に確保された手動式の水道もある。

古びた木製の長椅子が点々と置かれていて、数名の年輩の人が日向ぼっこしていた。

椅子の一つに腰掛け、林檎を取り出す。

皮を剥いてかじりつくと、口内一杯に甘さが広がった。


「美味しい…」


ほう、と息を吐いて、一部をちぎるとこっそり桜にも分け与えた。


「…どう?」


小さく尋ねれば、美味しいと返事が返ってくる。

一人と一匹は、ご機嫌で果物を食した。


そんな麗らかな午後、突然に――異変は起こった。






どん、と闇が堕ちてきたかのように重苦しい空気が降ってくる。

あちこちから人々の悲鳴が上がり――ユーリは、荷を椅子に置いたまま、反射的に立ち上がっていた。

ねっとりとした闇の気配。

長く感じていると人の心身を病ませるその空気は「瘴気」と呼ばれるもので、ある特定の物体から発せられるものだ。

……そう、魔法という存在がほとんどお伽噺に近いこの世界は、それでも剣が主体のファンタジーの空間。

瘴気を撒き散らし、害意に溢れたそれは、ゲームや小説などでありがちな、所謂「魔物」というヤツだった。

二股に分かれた犬のような獣の頭を持つそれは、ユーリの身の丈程もある、巨大な生物。

ギラギラと血走り獰猛な眼差しを逃げ惑う人々に向け、鋭い歯を剥き出しにして歓喜の唸り声を上げる様は、悪夢そのもの。

広場にいた人は皆、一目散に退却していたが――幼い少年が一人、途中で転んでしまった。

当然、捕食者として群れからはぐれた者を見逃さず、魔物は恐怖に震える幼い子どもに食らい付こうと牙を剥いた。

それを見ていた人々が悲鳴を上げた瞬間――キィン、と甲高い音が響いた。


「…生憎と、お前に食べさせる肉はここにはない」


腰の鞘から抜いた剣は、その刀身で魔物の牙を抑えていた。

獣の唸り声。

ぎちぎちと鳴る鋼。

ユーリは低く呟くと、剣を振って魔物の頭を離させた。


「ふ…ふぇ…」

「……走って、逃げて」


背にした、泣き出しそうになっている子どもへ静かに告げる。


「早く!」


ユーリが叫んだ瞬間、少年は小さな足を動かして走り出した。

恐怖で身体が竦んでいるだろうに、勇気を振り絞って懸命に駆けたのだ。

避難していた男達が数人駆け寄り、少年を抱き上げて逃げていく。

獲物を連れていかれて、魔物は怒りの咆哮を上げた。


「グォォォォ!!」

「――容赦はしないから」


ユーリは冷たく言い捨てた。

激情した様で飛び掛かってきた魔物の体を、幾つかの太刀筋が一閃し――剣が、至極あっさりと魔物を斬り刻んでいた。

ビシャリと嫌な音を立てて、黒っぽい液体が辺りに飛び散る。

魔物が苦し気な声を上げた時、素早く背後に回っていたユーリの剣はその首を突き刺しており――断末魔の叫びと共に、魔物は生き絶えていた。

大地にその身が倒れ伏した途端、空気に溶けるように消えていく死骸。

やれやれ、と剣を一振りし、刀身から魔物の痕跡を落とそうとしたユーリは、突如、後方にざわりと不快な存在を感知して、振り返り――その瞬間、襲い掛かろうとしていたもう一匹の同じ魔物が、全身から血飛沫を上げて一瞬にして消えたのを見た。

ぽかん、と口を開ける。


「……討伐士か?獲物を横取りにしたならすまないが、ここは我々の管轄故、気を悪くしないでほしい」


淡々と言葉を紡ぐ声は、やや低いが艶を含んだもの。

短い銀の髪が陽の光に煌めき、綺麗な薄紫の瞳は静かに輝いていた。

それは、十代後半から二十代前半と思しき、見知らぬ青年だった。

その手にしていた大振りの剣をユーリと同じく一閃させて、汚れを落とす。

鞘に剣を納めてから、青年は、ひどく整った顔に何の表情も浮かべず、しかしきっちりとユーリへ頭を下げた。


「王都の防衛に助力して頂き、感謝する」


礼に乗っ取った挨拶をされ、慌てるのはユーリの方だ。


「あ、いいえ、当然のことをしたまでですし…」

「そうか。――しかし、巡回の者が駆け付けないとは……やはりこちらの怠慢だ。この国ではあまり討伐士がいないので、ギルドも少ない。礼金はあまり出ないだろうから、謝礼は騎士団の詰所で――…」


ぴたりと声を止めて、相手は無表情ながら、まじまじとこちらを見ていた。


「…あの…?」


何だろうとユーリは瞬きを繰り返す。

ふと、頭に違和感を覚えた。

ずっと被っていた外套のフードが外れている。

短く切った黒髪が外気にさらされていた。

この髪が珍しいのだろうか――そう思っていると、青年の口が僅かに開かれる。

「…まさか…」

「――アレクセイル様!?」


彼が何事かを呟こうとした最中、別の声がしてそれは遮られた。

見れば、広場の入り口から、数名の騎士達が駆け寄ってきていた。

その血相を変えた様子に、ユーリは驚いた。

目の前の青年へ、やってきた騎士達は膝を折る。

どこか冷たい眼差しでそれを見遣り、青年は言った。


「お前達は何をしていた。民の守護を司る者達がその様でいいのか?」

「……申し訳ありません…」

「――処罰は追って申し付ける。この場を浄める手配を」

「はっ」


青年の服装は、至って普通だった。

紺色の、シャツのような上衣に、黒い脚衣(ズボン)

腰に下げた剣さえなければ服装だけは市井の者と大差無い。

だが、その整った顔立ちと纏う雰囲気はどこか気高く――何より風格が一般人とは違っていた。

ふと、ユーリは思い出す。

銀の髪は王族の証。

グラディウスにはただ一人、王族でありながら騎士である人間がいると。

確かその名は、アレクセイルといった――。




噂が本当ならば、彼女が出会ったその人物は、『戦神』と謳われる、グラディウス王立騎士団第二師団長であり、現グラディウス国王の弟なのだ。



◇◇◇◇◇


そして物語は始まった。



   007.花の都



この世界、今のアルカ・カントゥスにおいては、魔法はお伽噺のような存在となっている。

数百年前には存在したと言われているが、真実かどうか定かではない。たかだか百年程度であればその跡を辿れるのではと地球に毒された脳は考えたが、手掛かりから何から全て消えているらしい、不思議なことに。

それではわかるはずもない、打つ手無しだ。

だが、実際に魔法は存在していたと考えると、人々はそれを渇望する。

人が貪欲という意味からだけではなく、この世界には魔族という脅威が在るからだ。

人に非ざるもの。

人を捕食するもの。

害しかなさないもの。

混沌の地と称される場所が、その魔族達の元々の巣窟だと言われている。

海の何処かにあるオルクスというその土地より、魔族が飛来し始めたのは、魔法が廃れたと言われる百年前からだと。

それまでは魔法使いが強力な結界を張って、人々を護っていたそうだ。けれど彼らが何故か一人もいなくなり、代わりに世界には魔族が現れ始めた。

異形の姿をしたそれらは人の身には辛い、闇の気――瘴気を撒き散らし、大地を蹂躙した。

魔法がないなら、武力で戦うしかない。

剣を弓を手に人々は、魔族と戦ってきた。

その中でも魔族との戦を生業とする者達はいつからかギルドと言われる組合を作り、魔族の討伐に成功すればそこから賞金が出るような仕組みが出来上がった。

彼ら魔族を倒し賞金を貰う者達は、『討伐士』と呼ばれている。

討伐士は腕に覚えのある賞金稼ぎの職であるために、依頼があればどこにでも行く。ただ、ギルドに属する討伐士を必要としない場所もある。それがグラディウス。討伐士の代わりに、有能な騎士が集う国直属の騎士団を抱える騎士の国である。



騎士団の詰め所、って一番近いのはどこだろうか――なんて考えていたら、騎士と思われる出で立ちの青年に声をかけられた。よく見れば、先程王子様に叱責されていたひとだ。

王弟であり騎士団の要職に就いている人物はやはり多忙なのか、その後の処置の手配を済ませると、こちらに断りを入れてから何処かへと行ってしまった。

その薄い紫の瞳が何かを言いたげにじっとこちらを見ていたように感じたのは、気のせいだろうか。

案内します、と青年騎士に先導されながら、ちらりと振り返れば、騒ぎの原因となった大広場は封鎖され、四方に『きよめ石』と呼ばれる水晶のような無色の細長い石が置かれていた。

魔物は滅しても、存在していた頃の残滓として瘴気は残る。

そのまま捨て置けば瘴気は人の心と体を蝕むものとなるので、魔物が発生した場所では浄化と呼ばれる行為が必要とされていた。

そのために必要なのが『浄め石』だった。

魔法は廃れてしまったが、過去の名残なのか、不思議な力の籠った物資は各国に点在している。ここグラディウスは有数の産出国としても名高い『浄め石』、別名を『月晶華げっしょうか』と呼ばれる石は、地層から発掘され、四方に設置することでその場に一時的ながら清浄な空間を作り出すことができる力を持つ。一晩程置けばその透き通るような透明さは、瘴気を吸収して濁るが、その代わりに辺りを浄化するというわけだった。

使用した月晶華は十日程月の光を浴びさせると、自然と元の色彩を取り戻していく。流石にその効果は永続的ではなく、使える頻度は石の質にもよって変わるそうだが、小さな屑石でも十回は使用可能だというから、地球育ちのユーリはリサイクルだとかエコだとかいう単語を思いついてしまった程、便利なものだった。

一説には、魔法が使われていた頃の魔力が地上に宿っており、それが結晶化したものだとか何とか言われているが――実際にはその正体はよくわかっていない。

あれよあれよという間に詰め所までやってきて、勧められるがままにお茶を啜り、茶菓子を頬張りながら、そうだとこっそり菓子を相棒に分け与えようとして――気付いた。

桜が、いない。

慌てて立ちあがり、辺りを必死な様子できょろきょろと見回し出した客人はよっぽど不審だっただろう。

日本の交番よりはやや大きめの建物――小さな一軒家のようなそこで、上司命令でユーリをもてなしていた青年騎士は困惑したようにこちらを見ていたが、彼女はそんなことには構っていられない。

この世界に来た時から、ほぼ片時も離れたことがなかった竜の仔がいない。それは彼女を不安定な状態に叩き落とすには十分だった。

この場にその存在が確認できず、詰め所を飛び出そうかと思った瞬間――ぽふん、と何かが降ってきた。

見上げれば、見慣れた真っ白な体躯が見える。


「ユーリ、ただいまー」


のんびりした拙い口調はよくよく知ったもの。


「桜ーっ!!」


思わず縋りつくようにして抱きしめれば、苦しいと悲鳴が返ってきた。

力を加減しながら抱き直したふわふわの体から目を離せば、飛び込んできたのは目をやや丸くしてこちらを見る銀髪紫眼の美青年。


「………」

「…………」


ユーリは、自分の醜態に、恥ずかしさで若干顔を赤らめたのだった。

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