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因果の糸

“――むかしむかし、あるところに、一人の女の子がいました。

彼女はとても賢く、優しく、靭やかな心を持っていた為に、神様からある贈り物を授かりました。

それは、縁と呼ばれる因果の糸を読み取る力でした。

けれど、世界のすべてが鮮やかな糸で繋がることで、彼女は前が見えにくくなり、糸に躓いて転んでしまいそうになりました。

その為、彼女は、その目を必要な時以外は隠すことにしました。

すると今度は、以前よりも色々なことができなくなってしまいます。

困ってしまった彼女は、神様にお願いをして、仲の良い狼を人間に変えてもらい、手伝ってもらいながら共に暮らすことにしました。

目と耳と鼻の効く狼は、彼女の為によく働いてくれました。

そうして彼女は、時折必要になった時だけ因果の糸を読み解きながら、狼と仲良く暮らしたのでした。”






――だいすきだよ。ずっとずっと、あなただけが。

だからおねがい、どうか。

どうかわたしを――みつけないで。


結月(ゆづき)、約束をして』


細い腕が優しく頭を撫でてくれたことをよく覚えている。

その後に続いた言葉も。

だから。


「――お父様」


私に犬はいりません。

きっぱりと答えた娘に、父と、目の前にいた少年と、その親は非常に驚いていた。

それと共に浮かぶ、大人達の侮蔑。

そっと目線を伏せて、そして安堵した。

繋がりかけていた(えにし)の糸が一本、ふつりと切れて消えたことがわかったから。

傲慢な我儘娘と呼ばれることになろうとも、彼女はその出来事を後悔したことはなかった。


(えにし) 結月(ゆづき)、七歳の夏のことだった。






「――ねえ、知ってる?時守(ときもり)くんのお父さんって、あのオジョーサマの親の部下なんだって」

「ええー(かえで)くんの?やだ、それって可哀想ー」


ひそひそと囁かれる声。


「それであんな人のお付きをしてるの?可哀想ね」


嘲りの声など聞きなれた。

素知らぬふりをしていると、す、と手を引かれる。


「――お嬢様」


毒を含んだ声とは正反対の、涼菓のように甘やかで爽やかな音か耳に届く。

視線を向けると、とっくに見慣れたはずの、けれどいつまでたっても落ち着かなくなる顔が下にある。


「――熱が出てきましたね。今日は早退いたしましょう」

「…………大丈夫よ」

「いいえ。帰りますよ」


きっぱりと断言された。

甘いココア色の瞳が、いつになく厳しさを湛えている。

はあ、とため息をひとつ。


「………………わかった」


どうせ、自分には決定権はない。


『犬はいりません』


幼き日に拒絶の言葉を口にしても、子どもの言うことと一笑に付されて終わった。

それからずっと、目の前の男は彼女の従者として付き従っている。

当人達の意思を無視して。

――ある一つの縁だけは切れたのだけれども。

ゆっくりと立ち上がり、歩き出す。

この身体はなかなかままならないな、と思うものの、十七年付き合ってきたのだから仕方ないと嘆息する。


「ため息ばかりついていると幸せが逃げますよ」


当然とばかりに彼女の荷物を持ち、階段を降りる時には下から手を差し伸べる青年。

ダークチョコレートを溶かして焼いた濃厚なケーキによく似た色をした、ちょっと癖のある髪と、ほっと息つく温もりをくれるココアにそっくりな瞳。

端整な顔立ちは、街を歩けばよく勧誘される程。

成績優秀、品行方正で明るい性格の彼は、よくよく持て囃される。

自分のお付きでなければ素晴らしい人生を送れただろうにと、よく思う。


「自分で歩けるから」


冷たく言い捨てて手を払う己のなんと醜いことか。

長い黒髪に同じ色の瞳。正確には日本人の特徴である深い焦げ茶色のそれを隠すように、少しだけ色のついた度の入っていない眼鏡を掛けた自分は、年齢よりも幼く見られる位で特に特徴もない。光に少し弱いからと学校に届けているから校内でも掛けていられるこの眼鏡を外せば、目の前の人物には様々な色とりどりの糸が迫っているのがわかる。

それだけ魅力的で心優しい人なのだ。

自分のせいで、寂しげな色が混じった表情を浮かべているのが見ていられない。

歩みを進める足が重い。

たしかに、身の内に籠った熱の気配。

確実に夜は高い熱が出るのだろう。

生来、彼女は身体が強くない。

だからこその付き人でもある為に、彼は彼女の体調によく気がつく。

次は古文の授業だったのに、と好きな教科を諦めざるを得ないことにまた、ため息が出そうになって、先ほどの言葉を思いだし飲み込む。

幸せとは、何だろう。

五体満足で日々の糧に困らぬことであれば、確かに己は幸せなのだろう。

傍らにいるのが彼であることも、幸運としか言いようがないのだろう。

だけど。

それを幸せと感じることは許されない。否、許してはいけない。


帰宅し、眼鏡を外す。

自室のベッドにうつ伏せになり、目を閉じると世界を暗闇が支配する。

ずっと前にこの闇を怖いと思ったことが、思えば罪の始まりだったのだろうか。

薄く開けた目には変わらず、闇の中でも幾多の輝きを放つ光の線が見える。

己の手を見て――そこにある線に「赤」がないことに、安堵する。

それからまた、目を閉じた。


――その晩、熱に浮かされながら夢を見た。

恐ろしい形相をした老婆がこちらを指差していた。


『呪われよ、傲慢なる縁の娘よ。やがて縁の全ては喪われるであろう』


呪詛であり予言である言葉を口にして、老婆は息絶えた。

足元に広がる、赤い液体と、すぐ側に転がる二つの躯。

老婆とは別に倒れ伏すのは、誰よりも大切な――。


「――さま、お嬢様、結月様!!」

「っ!?」


強い声音に、はっと目を開く。

はらはらと流れ落ちる涙が邪魔をして、視界が定まらないけれど、側にいるのが誰かなんてすぐにわかった。


「――かえで……」

「魘されていましたよ。大丈夫ですか?熱がまだ高いですね……」


さらりと前髪を掻き分けて触れてくる大きな手。

気付けば、通常であれば払っているだろうその手に、思わずしがみついていた。

熱と悪夢のせいで判断能力が随分落ち、理性が働かなくなっていたのだろう。

あたたかい。

生きている。

私の大切な――。


「楓……おなかすいた……」

「――どうぞ。我慢せずにお召し上がり下さい」


差し出された白い首筋に躊躇いなく口をつける。

甘い甘い味がした。


「……結月様」


名前を呼ばれ、甘美なご馳走に満たされた頭で仰ぎ見ると、じっとこちらを見つめる瞳は、闇の中で光っていた。


「――いいよ」


許可した途端に、首元に熱が走る。

しがみついてくる身体がどうしようもなく恋しくて、触れたくて――でも、手を下ろした。

カーテンを閉め忘れていた窓から、月が見える。

そういえば、今宵は満月だった。だからこその飢えかと納得しながら、結月は目を閉じた。

もう一度頬を伝う滴には気づかないふりをして。

この想いは――消さなければならないもの。

赤い縁など決して繋がってはいけない。

故に、左手に柔らかく巻き付こうとしていた糸を密かにちぎりとった。


“神様は、狼を人間に変える時に女の子に注意しました。もし、彼女が力を無くしてしまうことがあれば、狼は元の姿に戻り、人として生きた負荷からすぐに死んでしまうでしょう。だから、狼も力も大切にしなさい、と。

――そしてある時、一つの縁の糸を断ち切った女の子は呪いをかけられてしまったの。定期的に飢餓に襲われることと、縁結(えにしゆい)である彼女の血筋の者が狼と赤い糸が繋がることがあれば、力が消えてしまう呪いを。だから、決して赤い糸をあの人達とは繋いでは駄目よ。お母様と約束して頂戴。”


誰よりも大切だから、決して貴方とだけはこの糸を紡がない。


『ねえ、どうしてないてるの?どこかいたいの?』


母を亡くした時に、優しく頭を撫でて側にいてくれた温もりを永遠に無くしたくはないから。

ずっと昔、転んで泣いて痛いと泣く女の子を、柔らかな毛並みの獣が癒してくれた時から続くこの恋慕に蓋をする。

熱が下がれば、この触れ合いをなかったことにして、距離をとるのだ。

そしていつか、彼をこの因果の糸から解き放ってあげよう。

縁という鎖から離れ、どこかで、幸せになってほしい。

他には何も望まないから。

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