天外の鎖(現代恋愛?FT)
※やや残酷描写があります。
――それは、唐突だった。
「……は?」
「愛してるよ、麻樹」
にっこり笑って、繰り返されたその一言。
彼女は――思わず、微笑み返していた。
「……河野?」
「ん?」
ふふ、と輝くような満面の笑みを浮かべて、がしっと木製の机の端を掴む。
次の瞬間、
「――死にさらせーっ!!」
こめかみに青筋を立てた笑顔で、日生麻樹は、木製の机を相手に向かってぶん投げていた。
麻樹は十七歳、高校二年生。
地毛の茶色い髪は背中にかかるくらいで、同色のぱっちりした大きな双眸が愛らしいが、ごくごく平凡な容姿の、どこにでもいるような女子高生である。
――表向きは。
麻樹の通う高校は桜木高校と言い、一見普通の公立校のようだが……その実態は、一般人は決して識る事の無い、所謂『超能力者』を育成・支援している機関なのである。
裏の名を、第三天外能力養成学校と言う。
『天外』とは、俗に超能力と呼ばれる力と、その力を持つ者達の総称だ。
地上の常人にあるには過ぎた力、という由縁で名付けられたそうだ。
天外が集められた学校は日本でも三つ程在り、桜木高校はその内、三番目に設立された所だった。
普通の人間はまず、この学校がただの高校ではないということも知らない為、ここに通う生徒は皆、基本的に天外である。
一般にも受験する人間はいることはいるのだが、その場合は果てしなく高い学力が求められ、面接において天外に対する知識の有無を確認され、尚且つ天外をサポートしたいと思うような人間でないと入学を許可されない為に、学生の中に一般人はほぼいない。
麻樹も例に漏れず、天外の一人だ。
天外は、能力の大きさでランク分けがしてあり、下からAランク、ダブルAランク、トリプルAランクとつけられていて、麻樹はトリプルAに位置している。
ランクが上にあがるにつれてその人数は減っていく上、トリプルは校内でも十人程度しか認可されていないことを思えば、彼女はかなりのエリートなのだった。
――そして、麻樹の能力はというと。
「っぶないな……せっかくの告白なのに、何でそんなに怒るの、麻樹は」
楽々と机を避けた少年は、口調とは裏腹に大して慌てた様子もなく、ちょっと困ったような笑顔で言う。
「何が危ない、よ。あんたならちっとも危険じゃないでしょうが! それに、誰が誰を愛してるですって!? ふざけんじゃないわよ!」
麻樹が噛み付くように非難する相手は、彼女よりも――否、大抵の人間よりもかなり恵まれた容姿をしていた。
非凡という言葉で済まない程秀麗に整った顔立ちに、鳶色の髪と瞳はよく合っている。
十人が十人共振り返る秀麗な容貌を持った彼の名は河野千歳といい、麻樹と同い年の天外だった。
「まあ、危なくはなかったけど……俺が麻樹を愛してるのは本当だよ?」
「……っ!!」
「……麻樹?」
俯いてふるふると身を震わせ始めた少女を見て首を傾げ、千歳は一言。
「……照れてるの? 嬉し泣き?」
――ぷつんっ。
「怒ってるのよこのボケーっ!」
ブチ切れた麻樹の叫び声と共に、辺りに電気が走ったようなバチリと言う音をたてて鳴り、机という机が浮かび上がる。
彼らが今居るのは教室だ。
放課後、他に生徒の姿はない。
……つまり、空いた空間に机ばかりが並んでいるということで、それらが全て一気に浮遊したのである。
通常ならかなり血の気が引く光景だが、努髪天をつかれた少女と飄々とした少年は気にもしない。
「今日という今日は……本気で殺る!!」
「目が据わってるよ?」
「やかましい!」
怒鳴り声と大量の机が、物凄い勢いで千歳の許へ飛んでいく。
あわや大惨事かと思いきや、
「全くもう、麻樹は……。元気がいいのは良いことだけど、備品壊したり人に向かって力を使ったりしたら駄目だろ?」
千歳が、めっ、と幼い子供を叱るような感じで言うと、彼が指一本動かしていないにも関わらず、ぴたりと机の動きが停止したばかりか、それらはきちんと並んで床に降ろされた。
「……!」
麻樹は、千歳をきっ、と睨み付けた。
――相手は全く動じる様子もなかったが。
たった今使用した能力――俗に念動力と言われるそれと、精神感応力と呼ばれている力。その二種類の能力が、麻樹が有する天外である。
天外は大多数が一種類の力しか持っていないが、上位にいけば二種以上の力の保有者なんてざらにいる。
麻樹の天外はその中でも最上級に位置した。
その麻樹の力を、少しも苦労せずに阻んだ千歳。
――どれだけ彼の力が優れているか、言わずともしれているだろう。
先程トリプルAランクまでを言ったが、実はその上に、例外にして幻とも言われる最高位のSランクが存在する。
現在その称号を持つ天外は世界で三人しかおらず――河野千歳は、その一人だった。
麻樹は、整然と千歳の力によって並べられた机を憎々しげに睨み、
「……だから、あんたって嫌いなのよ」
そう吐き捨てた。
麻樹は努力家だ。
彼女は初めから今のランクだったわけではなく、力の制御や鍛練を積み重ねて、ここまで上ってきたのだ。
生まれ持った能力の差は、どれだけ修練しようと大して変わらない。
そのことはよくわかっているし、その気持ちはお門違いとも理解しているが、彼女は、強大な天外を持つ千歳に……僅かながら嫉妬していた。
どう転がろうと、能力で麻樹が千歳に勝れる可能性は億に一つもないのだ。
それだけならまだ尊敬もできようなのに、本人の性格が能力と外見に反して見ての通り常軌を逸していた。
破綻しているとも言える。
そんな相手に何故だか気に入られたらしく絡まれからかわれ、同年代を始めとし、果ては上級生の人間にまでそれをやっかまれる。
多少厭世的になったって別にいいだろう。
麻樹にしてみれば、こんな天外と関わったこと自体が取り消したい位なのに、文句を言うなら代わってくれと言いたい。
……少年本人が、まず納得しないだろうが。
千歳は気に入っている人間が極端に少なく、麻樹はその少人数の内、一番のお気に入りらしいのだ。
彼女を離してくれるはずがない。
ぷい、とそっぽを向いて、苛立ちを抑えようとしたその時、
『特務部に告ぐ。学内に侵入者あり。天外登録者ナンバーは11762。トリプルAランク能力保持者。天外至上主義者と思われる。現在位置はB棟二階、コントロールルーム付近。至急向かわれたし』
頭の中に直接送られる声。
放送ではなく思念での呼び出しは、非常事態と決まっている。
特務部、とは、トリプルAランク以上の生徒のことで、学内の重要な任務を負っている集団だ。麻樹や千歳も、当然勘定に入っている。
「っ、河野!」
B棟二階と言えば、彼らの目と鼻の先。
早く向かおうと、少年に声をかけつつ振り返ると、
「……何、やってんの?」
思わず唖然とした。
千歳は椅子に座り、だらりと背もたれに身体を預けていたのだ。
動こうとする様子は欠片もない。
「……ちょっと」
半眼で睨む。
「んー……ほっとけば。どうせ他の奴らが何とかするよ」
「何他人任せにしようとしてるのよ! 任務はちゃんとしなきゃいけないでしょ!!」
「真面目だなぁ、麻樹は。こんなのどうせ実地訓練みたいな物なんだから、点数稼ぎたい奴にやらせとけばいーの。下手に俺が片付けたら、さっさと終わりすぎて、却って文句言うしかなくなる可哀相な奴らにでもね」
「……あんた、ほんっと最低!」
「本当のことだし。コントロールルームなんて此処の頭だよ? 厳重すぎる管理がされてるんだから、乗っ取られることもない。その気になれば職員だけで侵入者なんて簡単に捕まえられるんだ。それを、経験を積ませるためだけに放置して、生徒に任務だなんて言って押しつけてるだけだから」
「……」
コントロールルームとは、天外のあらゆる情報や学校のセキュリティ等を担当している場所だ。
確かにそこは部外者の誰も入ることは適わなくされているし、千歳の言うことは当たっているのだろう。
――けれど。
「……麻樹?」
何も言わずに身を翻して出ていこうとする少女に、千歳は身を起こして声を掛けた。
「……たとえ押しつけられた物でも、任務は任務よ。私は、義務は果たさなきゃいけないと思う。――万が一、相手に抵抗できない人が巻き添えになったりしたら……自分を許せないもの」
いくら政府の機関といえど、天外じゃない研究者など一般人もいるのだ。
一般授業を教える教師の何名かも、その一部だ。
顔だけを千歳に向けて、無表情に麻樹は言う。
「……私は、出来ることをしたい。それが、私がこの力を持った意味だと思うから」
そして、彼女は教室を走り出ていった。千歳を振り向かずに。
一人残された少年は、やがて溜息をつく。
「……しょうがないなぁ」
――ひどく愛しげに彼がそう呟いたことを、麻樹は知らない。
麻樹はコントロールルームの前まで来ていた。
その場所は一見普通の壁にしか見えないが、本当は入り口があるのだそうだ。
――彼女はその扉も中も見たことはないが。
走ったせいだけでなく感情的になった為に少し荒れた呼吸を整えながら、神経を研ぎ澄ませようと目を閉じて集中する。
空気の流れを読みながら、閉じていた感覚を解放した。
あまりにも多くの『声』が聴こえるために、いつもは意図的に封じている……麻樹の、精神感応力。
彼女は、念動力よりも精神感応力の方が圧倒的に強い。
強すぎて、封じてなければ普通に生活できない程だ。
そのリミッターを、全てではないが少しだけ外す。
――侵入者の居場所を知る為に。
「――っ」
小さな力しか使っていないのに、あちこちから飛んでくる思念に、顔を歪ませた。
苦しい。
他人の考えが『聴こえ』すぎて。
――昔から、ずっと。
この能力を、疎ましく思うことがあった。
他の人とは違うそれは、強すぎる力故に、麻樹には重すぎたから。
どうして、私が。
こんな力いらないと、何度思ったことか。
……でも。
余りに騒がしい感情の渦の中、それでも必死に思念を辿り、
「あ……」
見つけた、と思った直後。
「っ!?」
発見した相手がすぐ背後に居ると気付き、振り向き掛けたのと同時に――後ろ首を掴まれて、壁に叩きつけられていた。
「ぅ……!」
油断した。
失態に舌打ちしたいがその余裕はない。
壁にぶつかった瞬間、肺の空気が無理矢理押し出されて、苦しかった。
「ここの生徒だな。……コントロールルームの入り口を教えろ」
視界の端に見えるのは一人の男。
物凄い力で麻樹の首を絞めつけている。
「な、ぜっ…」
そんなことをしてやる義理はない。
「答えなければ首の骨を折る」
更に手の力が強められた。
「っ!」
ぎり、と骨が軋む。
「――疑問を抱いたことはないか?俺達は天外だからと差別を受け、存在を隠され、まるで実験動物のようだ……」
「ちがっ……!」
……耳鳴りがした。
そんなことないと否定したいのに、声が続かない。相手の言葉が、脳内でこだまのように響き渡る。
「――今の世の中を、変えてやりたいとは感じないか?」
誘うような声音。
その台詞に賛同しようとする自分がいることに気付いて、愕然とした。
ふと、召集の伝達内容が頭の中で蘇る。
『――相手はトリプルA能力保持者……』
――まさか、洗脳の類の、精神操作能力…!?
そういう能力者がいることは知っていた。
よもや、自分が対峙することになろうとは。
「……上層部に一矢報いてやりたいと思うのは間違ってはいないだろう! あいつらはただ天外を道具としか思ってないんだ……なあ、お前もそう思うだろう!?」
いきなり男が声を荒げ始めると、干渉も強くなった。
「やっ……」
気持ち悪い。
至近距離で、男の強い憎悪がダイレクトに伝わってくる。
気道を圧迫され呼吸を阻害されながら、相手の負の感情に頭の中をぐちゃぐちゃにされているような不快感を感じる。
それでも尚抵抗を続け――視界が揺れた。
「……!」
意識が薄れる寸前、ほぼ無意識に誰かに助けを求め、その誰かが――応えてくれた気がした。
いらないと思っていた力も、こうして役に立てるなら、それが私には嬉しい。
――ねえ、河野。貴方は……違うの?
「――っお前……!」
男は目を剥いた。
押さえ付けていた少女の姿が消えたと驚いた次の瞬間、少し距離を置いた所に一人の少年が立っていたのだ。
端整な顔立ちの少年は、気を失った少女を横抱きにして、彼女に愛おしむような眼差しを注いでいる。
男の声に、初めて少年が振り向いた。
「――!」
ぞくり、と男は総毛立つ。
少年は、冷たい氷のような微笑を浮かべていた。
「……あーあ」
温度の無い、声。
「せっかく、ほっといてやろうと思ってたのに」
くす、と千歳は嘲笑した。
男は身体の震えが止まらなかった。
あれは、アレは、とてつもなく恐ろしいモノだ――本能が、そう訴えかけてくる。
「天外が一番? それを抑えつけ、世間から隔離する上層部はおかしい? ――天外至上主義とかは……どうでもいいんだよ、俺には。上の奴等に恨みを持つのは別に当然だと思うし」
相変わらず逃げ出したい気持ちは変わらない。
しかし、同意するかのような少年の言に、男は少し安堵した。
――本能こそは、正しかったというのに。
「じゃあ……」
「でも」
表情を緩めようとした男は、とてつもない力の大きさと威圧感に凍り付く。
「麻樹にさえ、危害を加えなければ……だったんだけどね」
千歳は麻樹を抱え直す。
あくまでも、その手つきは優しかった。
男は、ようやく己の間違いを悟った。
――あの少女には……あの少女にだけは、手出ししてはいけなかったのだ。
「お前は……お前は、誰だ!?」
恐怖に怯え、震える声で尋ねる。
少年は、それは綺麗に微笑んだ。
闇をそのまま宿したかのように『黒い』髪がさらりと揺れ、『漆黒』の双眸が男を射る。
「……知ってるんだろ?」
どくり、と心臓が波打った。
そう、予想は出来た。
外見、年頃、力の巨大さ。
何より、その禍々しいほどに濃く、破滅をもたらしそうな暗い妖艶な『色彩』――。
「――『黒の悪魔』っ……!」
「そ。その呼び方、あんまり好きじゃないんだけど……ま、いいか。――どうせ、あんたは」
「ひっ……」
悲鳴すらも凍り付く。
目を逸らすことすら許されない。
……少年の影が、揺らめいた。
「――死ぬんだし」
ばきん、と音がした。
一瞬遅れて、男は気付く。
「……え?」
――ありえない方向に曲がって折れた、己の両腕に。
「あ……あ、ああああああ!!」
「――その腕、麻樹に触ったな?」
「ぐあああああ!!」
千歳が言う言葉も、激痛にのたうち回る男には最早届かない。
「それに……麻樹を傷つけたな」
お前如きが、と氷土の声音が吐かれた瞬間――影が、蠢いて。
「――喰え」
無慈悲な声で呟かれたその一言で、少年の影が爆発したように広まり――男を、瞬く間に包み込んだ。
「う……うわあああ!!」
叫び声すらその身に喰らい、一瞬後には影は元に戻り、男の姿は消えていた。
「……こいつは、ゆっくり喰った物を消化していくから、皮膚から徐々に溶けていく。普通に殺すだけじゃ物足りなかったからこうしたんだ。俺が作ったんだよ、便利だろ? ……って、聞こえないか」
――冷酷な笑顔を浮かべた少年の影からは、断末魔の声が聞こえてくるようだった。
「麻ー樹っ」
「うるさいうるさーいっ!」
今日も今日とて、彼らは何時ものじゃれ合い――と言うと彼女は怒って否定するだろうが――を繰り返す。
ただ、その日はいつもと少し違った。
「…え?」
「だ、だから、こないだ助けてもらったお礼を今度するから、何がいいかって聞いてるの!」
少年は瞬きを繰り返し、少女は憮然としてそっぽを向く。
わずかに見える彼女の頬が赤いのは、気のせいではないだろう。
少年はとびきり嬉しそうに破顔した。
少女はまた、それに気付かない。
……そんな笑顔は、彼女にしか向けられないということにも。
「――じゃあ」
「……何?」
振り向いた麻樹の目に、少年の意地悪そうな笑みが映る。
「麻樹がいいな」
「……は?」
目を点にした少女は、少年の意味深な笑顔を見ているうちにやがてその意味を悟り、
「河野ーっ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴った。
「本気なのに」
また飛んできた物を避けて言うと、
「余計悪いわーっ!!」
次々に周囲の物が飛来し、千歳は笑いながらそれらを避ける。
それでますます麻樹は怒る。
穏やかな、二人の天外の日常。
「あんたなんか、大っ嫌いよー!!」
「残念。俺はこんなに麻樹を愛してるのに」
「嘘つけー!!」
彼らの日々は、こうして過ぎてゆく。
――君はいつも、非難する。
力があるのに、何故使わないのかと。
……あのね、麻樹。
俺は、ずっと前に決めたんだ。
――この異質なる力は、君の為だけに使おうと……決めたんだよ。
始めの言葉は、決して偽りじゃない。
けれど、それが伝わるのは……いつのことだろうか。
「愛してると言って殴られる男が見たい」という友人の要望より出来た話。HPでどうやら一番人気。超能力っぽいものです。いかがでしょうか?
気に入ったの一言でも反応をくださると大変嬉しいです。