りとるとらべる<後編>
戸惑いを宿したその瞳を見た時から――その手が思わぬ程優しく触れてくれた時から、私の一番大切なひとは、あなたになった。
――そのことに気付いたのは、大分後になってからだけれど。
生まれ変わって辿り着いた場所は、言葉がわからなくとも、すぐに、文化レベルや日常生活の面からいって、地球とは異なる世界だとわかった。
中世ヨーロッパに似た舞踏会のような場所で人々が身に纏っていたのは、豪奢なドレスだけれど、人体に影響を与えそうな程に苦し気な、コルセット付きのものとはまた違う。
歴史の授業で教わったように、目が痛くなるようなけばけばしい衣装でもなかったが、上品ながらに豪華絢爛という言葉が浮かぶような衣服で――何とも説明しにくいが、貴人と思われる人々は贅沢な衣装を纏っていても、品を損ねない美しさの基準を持っているようで、然程度肝を抜かれることはなく、ほっとした。
生活面では、どう考えても魔法のようなものが普通に使われており、地球とは違うものの水道や下水道の整備がされ、シャワーのようなものがあったりとやけに利便性に優れていることに気付いた。
それらのことを総合的に考えて、異国に来たとも、タイムスリップを経験したとも思えず――どうやら異世界に来たらしいと結論づけたわけだった。
さて、そんな世界で。
どう見ても偉そうな、超美人の金髪女性に賓客のようにもてなされ、数日後に引き合わされたのは、彼女によく似た、けれど彼女のような圧倒的な存在感や華やかな笑顔のない、無機質な印象を受ける美少年だった。
わお、美少年、とじいっと見惚れていたら――前世の頃から綺麗なものを見るのは好きだった――表情に乏しく、他人を寄せ付けない雰囲気を発している少年が、自己紹介でもしようと思ったのか、渋々といった体で前に一歩出た瞬間、満面の笑みを浮かべた美女に何か言われて、驚いたように目を見開き口を開けた。
それと同時に、私は背中を押され、体が揺らめいた。
金髪の美女が、私を彼に近寄らせようとして軽く背を押したのだろうけれど、生憎、力の差があるらしい。軽くではなく叩かれたような衝撃を唐突に加えられ、たたらを踏んだ私は身体を支えきれず、慣れない衣服の裾につまづき、思いっきり顔面を床に打ち付けた。
フローリングであれば歯を損なっていたかもしれないが、幸いにして、部屋の床には全面に見事な毛織りの敷布が敷かれ、転んだ場所には毛足の長い絨毯があったので、そこまで大事には至らなかった。
けれどあまりの衝撃に、赤い液体が出てしまったのが見えた。
高級そうな絨毯が鼻血で汚れる! と焦り、じんじんとする痛みも忘れ、慌てて両手で顔面を押さえると、周囲の方が騒がしくなった。
美女は悲鳴を上げて、どうやら謝っているらしくぎこちない手つきで頭を撫でてくるし――正直血が止まるまで頭部に刺激を与えないで欲しかった――微笑ましげに様子を見ながら控えていた数人のメイドさんやら執事さんやらが真っ青になってすっ飛んで行った。
医者でも呼びに行ったのだろうか。
ティッシュとかないのかなーと思っていると、誰より先に差し出されたのは――まだ細い、小さな腕。
機転を利かせ、水差しの水でやや湿らせた真っ白なハンカチを出し、顔についた血を拭って、それを渡してくれたのは、あの少年だった。
どうしよう、というおろおろとした戸惑いが浮かぶ瞳は先刻よりも余程人間らしくて、輝きが見えた。
優しく背中に手を添えて、近くにあった長椅子まで誘導し座らせてくれた。
この場にいる大人の誰よりも何故彼の方が対応が早いのだと呆れそうになったが、座ってすぐに別のメイドさんが介抱にきてくれ、少しして医者らしき人もやってきた。
後に知ることだが、この世界では黒髪の人間は珍しいらしく、特に瞳も同じ色彩をしている者はいないので――日本人の虹彩は焦げ茶色だが黒に見えるのでいいのだろう――私は本当に、稀なる賓客として迎えられていたそうだ。
この世界には女神がおり、その女神が好む色が漆黒であることで黒は貴色とされている。
そして落ち人と呼ばれる、いきなり何処かへ現れる人々も、女神の気紛れで招かれた客人と言われる。
両方を兼ね備えていた私は、女神を熱心に信望する金髪の美女により、何故か『女神の愛し子』という称号を頂き、彼女の息子――つまり、彼女によく似たあの少年と婚約することになっていたのだった。
その大事な客が美女の不手際により負傷した為に、大人達は混乱していたのであのような対応になってしまったらしい。
そんなこととはつゆ知らず、初対面で鼻血を出した女の子にも親切な少年に感動した私は、彼の表情が動く所がもっと見たい、などと思ったりしていたのだけれど。
精神的には彼よりもかなり年上のつもりだったので、それが恋の始まりだったなんて、全く気付いていなかった。
そして、金髪の美女はこの世界でもかなり力を持った国の女王陛下であり、その第二子にあたる為、目の前の少年は所謂本物の王子様だということ――よもや自分がその婚約者にされているだなんて知らぬままに、私は、言葉も通じないながら、よくよく少年に構ってもらいに行くことが増えるのだった。
物語は、何も知らない少女と戸惑う少年の出会いから始まる。
これから〜ってタイミングで終わります。たまにはこんな終わり方もいいかなぁと…思い付いたらまた短編で続き書くかもですが、名前伏せたままは難しいのでどうかなぁ…。
名前はまた、後日ブログの方で。