福音の鍵<後>
重く見える黒髪がやや鬱陶しく感じていた自分のそれとは違い、相手の襟足がやや長い艶やかな髪は、見たことが無い程滑らかで美しい、星の光を織り交ぜたような銀色をしていた。
美髪であることの証拠に、陽の光をうけて天使の輪のような輝きが見られる。
何よりも、涼しげな目元の中で、空が白み、太陽が昇ってくる頃の明け方の空の色をした瞳は、何物にも代え難いもののように思えた。
記憶の中にあるものよりもはるかに、実物の方が美しい。
自分がもう十代の後半なのだ、相手も当然年を取る。月日を増して、ますますその美貌には磨きが掛かったようだった。
茫然と相手に見惚れていた間に、どこかへ移動していたことに気づく。
何と子どものように片腕に抱えられて運ばれていた。
これでも身長は百六十を超えている。それなりに体重もある。しかし、暁色の瞳の麗人は、まるで重さなど欠片も感じていないかのように楽々とこちらを抱え上げていた。
相手は特に体格が良いわけではない。物語の中に出てくる、司祭とか神官とかいった人々のような不思議な白い衣装から覗く、自分を抱え上げる手は、白く華奢に見える。背も、抱えられているから判別が付け辛いが、然程大きいわけではない、と思う。
怪力なのだろうか。びっくりだ。
幼い日に出会ったあの森のような所にいたと思ったら、今はどこかの建物の中。
西洋的というか、如何にも異国情緒の漂う乳白色の床や壁は、どこか温かみのある色彩で――日本の木造建築よりは遥かに丈夫そうだ、と感じる場所だった。
高級そうな絨毯が敷かれ、様々な調度品の並べられた広々とした一室に入り、猫足の長椅子に座らせてくれたと思いきや、隣にその人は座った。
抱きあげられた時に気付いたけれど――女性では、ない。胸がなかった。
よくよく見れば、男性に見えなくもない。性別を超越したような美貌の主なので、どちらにも見えるのだ。
何が何だかさっぱりわかっていないまま、気が付けば……結婚していた。
着たこともないようなひらひらとした簡素ながらに美しい純白の衣装を身につけて、手を引かれて向かった先は、恐ろしいまでに美しく、輝かしい誰かのもと。
一目見た瞬間、太陽の化身だと感じたことは間違っていなかったようで、相手は太陽神だという。
ここは地球とは異なる場所で、自分の夫になったひとは、神に仕える位の高い神官。
暁色の瞳をもって生まれた者は、総じて太陽神に仕えることが決まっているらしい。何でも、俗世や人のことにはあまり関わりを持たない太陽神が、その瞳の色には並々ならぬ関心を抱いているそうだ。
暁色の瞳を抱いて生まれるものはごく少ない。
数百年に一人、いるかいないか。
性別がどちらにせよ、太陽神は暁の子を自らの下に留めるのだが、女性であった場合は妻にもするそうだ。
良く言えば一途、悪く言えば独占欲が激しいために――確かに太陽には苛烈な印象がある――己の神官とした暁の子は他の人間と会わせたくないらしいのだが、ある時、一人の暁の子と約束をしたそうで、男の神官の場合は、たった一人だけ、大切な人間――つまり恋人や妻――を作ってよい、という決まりができたという。
神がそれを許可しているのは、親が暁の色を抱いていれば、子にも遺伝しやすいと考えたかららしく。
神様は中々自分勝手らしい。
ついでにいうと太陽神は妹である夜を司る月女神を溺愛しているそうで、夜の色である黒髪を大層お気に召されたようだ。
「あの……俺でよかったの」
髪も短いし、男として育てられたので仕草だって女らしさのかけらもない。話し方だって粗野で、一人称も「俺」。
今更変えるのも難しいし、逆にきもちわるい気がするので、そのままでいるつもりだ。
そんな人間のどこがいいのか――そう尋ねたら、彼は美しい瞳を細めて、微笑んだ。
「君しかいらない。あの日、その真っ直ぐな瞳を見た時に、何故だか決めてしまったんだよ」
私のことがまだ信じられないなら、これから時間を掛けていけばいい。
夫婦としての始まりもあっていいと思わないか、という言葉に、流されてしまったのは、彼の瞳があまりに慈愛に満ちていたからか。
彼が何の変哲もないこの目を好きだというならば、こちらもまた、あの暁の清廉とした眼差しに囚われていたのかもしれない。
後に考えてみれば、なかなかに傍若無人である太陽神の無理難題をさらりと受け流して関わっていたり、どこか似通った思考を見る時があることから――彼もかなり強引で自分勝手で一途だった。
見た目は深窓の令嬢といっても通りそうな外見で、その実腹は中々に黒いよう。
いくらなんでも一目ぼれしたからといって、相手の承諾なしに、勝手に婚約の印を結んだりしないだろう。
幼い日にされた額への口づけは、こちらの世界へ通じる鍵であり、且つ、地球でいう婚約指輪のようなものだったらしい。
相手のあまりにも真摯な愛情に絆されて、いつの間にやら恋をしてしまったが――最近、もうすぐ生まれてくる子どもが黒髪に暁色の瞳をしていたら遠くへ、いっそ地球にどうにかして逃げようなどと画策している夫をどうすればよいか、考えあぐねているのが悩みである。
そもそも地球からこちらへ来られたのは、幼い日はただの偶然、十八になった時は婚姻の印があって、彼がこちらにいたからで――こちらから地球へ渡る術は見つかっていないというのに、余程子どもをあの太陽神にやりたくないらしい。
ちなみに、男女の双子だとあの神は言っていた。この分だと、どちらもあの神に取り上げられかねないので、何とか死守すべく攻防している毎日である。
腹黒多いなー。
結構ワガママな神様が書きたかっただけかもしれません。
これ連載にしようかと思ったけど書ける自身がありませんでしたのでこんな形になりました。
毎度のことながら感想頂けると嬉しいです。いつもありがとうございます!