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ディアマン家から魔法学園までは馬車で片道丸2日の距離だ。事件は3日目の明け方に起こった。
もうあと1時間もすれば王都に入るという場所まで来たところで、突然馬車が揺れて停止した。
アランが様子を見るため馬車の外に出ると、馬が怯えていた。困った顔をした御者に示された先に目を凝らしてみると、そこには尾が鎌のようになっている大きなイタチのような魔物が2匹じゃれ合っていた。まだ距離があるためこちらには気づいていないようだが、このままでは馬が怯えて進むことが出来ないし、何よりここは王都からそれほど離れてはいない。
彼らがどこから来たか分からないが、放置すれば王都に向かう可能性もあるためアランには退治する以外の選択肢はなかった。
「前方に魔物が「まあそれは大変! 行くわよアラン!」ちょっとお嬢様!?」
自分が退治してくるから少し待っていてほしいと伝えようとアランが馬車の中に声をかけると、全てを言い終える前にベルナデットが嬉々として馬車を飛び出して行ってしまった。惜しむらくはベルナデットがこの2日間訓練が出来ずうずうずしていたのをアランがすっかり失念していたことだ。
ベルナデットは足が速い。子供の頃から速かったが、今は更にそれに磨きがかかっており、後れを取ってしまったアランは彼女に引き離されないようについて行くのが精一杯だった。
アランが追いついた時には、既にベルナデットが2匹のイタチ――フオと呼ばれる魔物と戦っており、アランはその光景に悲鳴を上げた。
「お嬢様! 武器は!?」
「興奮して何も持たずに飛び出してしまったわ!」
「馬鹿じゃないですか!?」
「否定できないわ!」
動きの速いフオ相手に武器も持たずに互角に戦っているのは流石であるが、それでも2匹同時に相手をするのは苦しかったらしい。
長い綺麗な髪は右側の一部だけ不自然に短くなっており、スカートは数か所切れてしまっている。
「制服って可愛いけど戦うのには向かないわね」
「普通の令嬢は戦わないんですよ」
「ディアマン領の普通の令嬢は戦うのよ」
「『非常時は護身のために』ですけどね」
「今がその時ね!」
そんな会話をしながらベルナデットはアランから剣を受け取ってフオの鎌を弾き返し、その尾を切り落とした。アランはベルナデットの背後に回り、その鎌を振り上げていたいたもう1匹のフオを横から切り飛ばし素早くその喉を裂いてとどめをさした。それを見たベルナデットも同じようにとどめをさす。
「楽勝ね!」
「お嬢様、この魔物が何か分かりますか?」
「えーっと……あら? ちょっと今思い出せないわね」
「これはフオという魔物で、喉が弱点です。そしてお肉が美味しいことでも有名ですね」
「そうそう! そうだったわね!」
「……」
明らかにいい加減な返事をするベルナデットをアランがジトっとした目で見ると、ベルナデットは冷や汗をかきながらぐるんと顔を逸らした。その際に切られて短くなってしまった髪が揺れてアランはハッとした。
「お嬢様、お怪我は!?」
アランは慌ててベルナデットの肩を掴んだ。
ベルナデットの大丈夫だという言葉を無視し、短くなってしまった髪をそっと掴んでその顔や耳、首筋に傷がないことを確認しほっと息をつく。そして視線を下へ滑らせ、切り裂かれたスカートに気づきそのスカートをめくろうとしたため思いっきりベルナデットに殴られた。
「大丈夫だから落ち着きなさい!!!」
殴られたことで冷静さを取り戻したアランは真っ赤な顔で叫ぶベルナデットを見て自分が何をしようとしていたか気づきベルナデット以上に真っ赤になった。
「申し訳ありません!! つい心配で!! 決して疚しい気持ちがあったわけではなくてですね!?」
自分以上に赤い顔で必死に言い訳をするアランを見て少し落ち着きを取り戻したベルナデットは可哀そうな状態になってしまったスカートを持ち上げ顔を顰めた。
「切れたのは裾の方だから私としては問題ないのだけれど、淑女としては問題ね」
「お嬢様が問題ないと思っていることが問題です」
ベルナデットは『裾の方』と言っているが、太腿あたりも数か所切れておりそこから白い肌が覗いている。アランはつい視線がそちらに向いてしまい、慌てて目を逸らした。
「予備のスカートがありますよね? 馬車に戻ったら僕は外で待ってるんでちゃんと着替えてくださいよ」
「仕方ないわね。というか、リディが怖いわ」
「自業自得です。頑張ってください」
2人が馬車に戻るとリディがほっとした顔で出迎えてくれたのだが、ベルナデットの姿を見た瞬間ぴしりと固まり、背筋が凍るような笑顔でベルナデットの腕を引いて馬車の扉を閉めた。
「お怪我はありませんね?」
「も、もちろんよ」
「まあ怪我がなければいいというわけでもありませんけど」
「う……制服を駄目にしてしまったのは申し訳ないと思っているわ」
「そこではありません」
「えっと……髪が切れてしまったのもいけなかったと思うわ」
「それも出来れば気を付けてほしかったですけど、それも違います」
ベルナデットはリディが怒っている原因と思っていたことを悉く否定され、困った顔で口を噤んだ。
スカートを履き替え、短くなってしまった髪が目立たないようにヘアアレンジをしてもらう間無言でベルナデットなりに一生懸命考えてみたが、結局原因は分からず降参した。
「リディ、何がいけなかったか聞いてもいいかしら?」
ベルナデットがおずおずと尋ねると、リディはその様子をしばらく見つめた後大きくため息をついた。ついで聞かれた「わからないんですか?」という問いに躊躇いつつ頷くと、肺の中の空気を全て吐き出すような大きなため息をついた後、ジトリとした目でベルナデットを見ながら仕方ないといった感じで教えてくれた。
「お嬢様がお強いことは知っています。けれど思いもよらないことが起こることもあるのです。アランが魔物を発見した時、お嬢様は詳細を聞きもせずアランも置いて走り出しましたよね? しかも武器も持たずに。今回は髪やスカートが切れる程度で済んだから良かったものの、ええ、それも全く良くはありませんが今はいいとして、もしもっと強い相手だったら? もっと数が多かったら? もっと厄介な相手だったら? お嬢様はもっとご自分を大切になさってください。というか、もっと考えて行動してください。宣言しておきますが、私はお嬢様に何かあったら後を追う予定ですので」
「最後にとんでもない宣言されてしまったわ! 止めてね!?」
「お嬢様が無茶しなければ済む話です」
「……はい。ごめんなさい」
真顔で流れるように浴びせられる苦言を神妙な顔で聞いていたベルナデットだったが、流石に最後の発言には黙っていられず反論した。しかしそれも笑顔のリディに言い返されてベルナデットは項垂れて謝ることしか出来なかった。
「まあお嬢様に大人しくしてくださいと言っても無駄なことは分かっているのでそれは言いませんが、今後はもう少し慎重な対応をお願いしますね。とりあえず、お嬢様が無事で良かったです」
「ありがとう。心配かけてごめんね?」
リディが先ほどまでの冷たい笑みではなく、いつもの優しい笑顔に変わったことでベルナデットはリディの怒りが収まったことを悟りほっと胸を撫でおろした。そんなベルナデットの様子に本当に分かっているのだろうかと再度ため息をつきながらリディは馬車の扉を開けた。