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「お兄様、決闘を申し込みますわ!」
学園に通い始めて1年と少し経った夏季休暇に自宅に帰ったジェレミーは、帰ってくるなり挨拶もなしに妹から模擬剣を突き付けられた。
ベルナデットはアランの助言を受けてからすぐに母レティシアやリディ達女性使用人に護身術を教えているブリジットに指導を乞うた。
ブリジットはベルナデットから護身術を教えてほしいと言われた時、心の底から言っていると分かる顔で「お嬢様には不要では」と返したが、訳を聞いて納得し、喜んで指導してくれた。
曰く、彼女は元々とある伯爵家の使用人だったらしいのだが、そこの男共があからさまに女を下に見ていたのに嫌気がさして、貯めたお金全てをつぎ込んで護身術を極め、一番彼女への態度の悪かった使用人の男をボコボコにして屋敷を飛び出し指導者となった女傑らしい。
綺麗でお淑やかな見た目はとてもそうは見えないが、その見た目のせいできっと嫌な男に言い寄られることも多かったのだろう。
そんなブリジットだからこそ、ベルナデットの「兄(男)に勝ちたい」という目標を応援し、親身になって勝つ方法も一緒に考えてくれた。
ブリジットの教える力の弱い女性向けの戦い方は当然ながらマティアスの教える戦い方と全く異なっており、ベルナデットはこれまでにない確かな手応えを感じていた。
思わず兄の長期休みの度に申し込もうと思っていた決闘も忘れるほどに熱中し、一般的な護身術以外にも様々な武術を取り込み、ブリジットと特訓を開始して一年が過ぎた頃ようやく満足のいく出来になったのだった。
「やあベルナデット。久しぶりに会った兄に挨拶もなしか?」
「おかえりなさいませお兄様。私お兄様が帰ってくるのを心待ちにしていましたのよ」
「良く言う。俺が帰ってきても挨拶をしたきり近づきもしなかったくせに」
ジェレミーは口を尖らせてベルナデットに不満をこぼした。
なんだかんだ仲の良かった兄妹だったためジェレミーは帰ってくる度にベルナデットに会えるのを密かに楽しみにしていたのだが、彼が学園に通い始めてからはベルナデットはブリジットとの特訓に夢中になっており、更に特訓をしていることをジェレミーに隠したかった為、ジェレミーが会いたがっているなんて思ってもいないベルナデットは彼から逃げ回っていたのだ。
その為ジェレミーはベルナデットに嫌われてしまったのかと思い落ち込んでいたため、不満を言いつつも内心ほっと胸を撫でおろしていた。
「だってお兄様に勝つための秘密の特訓をしていたんですもの」
「へぇ? まだ諦めてなかったんだ」
「勿論です! ブリジット先生との特訓の成果、とくとご覧くださいな」
「ブリジット先生?」
「あっ……」
ベルナデットは余計な事を言ってしまったと口を抑えるがもう遅い。
ジェレミーもブリジットが護身術の先生であることは知っているため、ベルナデットは結局始める前に手の内を明かしてしまった。これまでジェレミーを避けていた努力が水の泡である。
「ばれてしまっては仕方がないですわ! 意表を突くことは出来なかったけど、とにかく今までの私と思っていたら大間違いですのよ! ということで勝負です、お兄様!」
やってしまったことは気にしても仕方がないと投げ捨てて、ベルナデットは再びビシリと模擬剣を構えてポーズを決めた。
そんなベルナデットを見て、ジェレミーはベルナデットに嫌われておらず、どころか自分のことばかり考えていたのかと嬉しく思ってにやけそうになるのを抑えながら「いいだろう」と鷹揚に頷いた。
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いつもの剣術の稽古場に移動し、2人は模擬剣を構えて向かい合った。
審判をお願いしたマティアスをはじめ、ブリジットやアラン、話を聞きつけた辺境伯家の護衛騎士たちや使用人なども集まり異様に盛り上がっており、ちょっとしたイベント会場と化している。
「ではルールはいつも通り、武器は模擬剣のみ、致命傷となる攻撃を加えたものを勝者とします」
「わかった」
「了解ですわ」
「では……始め!」
最初に動いたのはベルナデットだった。
小さな頃から足の速かったベルナデットだが、大きくなるにつれて更にその速さに磨きがかかり、今ではスピードに関しては僅かにではあるがジェレミーを上回っている。
しかし当然だがスタミナとパワーはジェレミーが上だ。そのためベルナデットは、ジェレミーに挑む時にはいつもそのスピードを武器にしていた。ジェレミーは警戒しながらもいつも通りだと思いながら対応した。
しばらく打ち合っていると、だんだんとベルナデットの息が上がって来た。そして集中が途切れ、大きく振りかぶって出来たその隙をついてジェレミーが決着をつけようとした。
キィィン!
「そこまで! 勝者、ベルナデットお嬢様」
「……へ?」
ジェレミーは一瞬何が起きたのか分からなかった。気づいたら自分の模擬剣が弾かれ、喉元に剣を突き付けられていた。
「や……やったーーーーー! お兄様に勝ったわーーーーー!!」
ベルナデットは嬉しそうに叫んでブリジットの元へ飛んでいき抱き着いた。
「おめでとうございますお嬢様」
「ありがとう! ブリジットのおかげよ」
「いえ、私はほんの少し後押ししただけですよ。お嬢様の実力です」
「いいえ! その後押しが大きかったのよ!」
嬉しそうにきゃっきゃとはしゃぐベルナデットは先ほどまでの息が切れて苦しそうな様子は全くない。
「油断しましたな」
そんなベルナデットを眺めつつ、マティアスは楽しそうにジェレミーに声をかけた。
ベルナデットはしばらくジェレミーと手合わせをしていないことを利用し、ある程度時間が経ったところで不自然でない程度にスタミナと集中力が切れたフリをした。それにまんまと引っかかったジェレミーが一気に決着をつけようとしてきたところで、ベルナデットは温存していたこれまでと違う動きでジェレミーの攻撃を往なし、その勢いを上手く利用して模擬剣を弾き飛ばし、素早く反転して喉元に剣を突き付けたのだ。
「~~~くっそ、マジか! あ”ーーーーー!! おいベル、もう一回だ!」
「望むところで……「ダメですお嬢様」ダメらしいわ!」
ジェレミーの申し出に意気揚々と返事を返そうとしたベルナデットだったが、ブリジットの言葉に返答をくるりと裏返した。今のベルナデットにとってブリジットは信頼MAXの参謀である。
「なんでだよ?」
「当然です。ジェレミー様とベルナデット様ではスタミナが違います。連戦すればそれだけスタミナで劣るお嬢様が不利になることは明らかでしょう。再戦するにしてもせめて明日以降にしていただかなければフェアじゃないと思います」
「なら明日再戦するぞ!」
「望むところですわ!」
今度こそ再戦の約束を取り付け、ジェレミーは明日に向けてマティアスに頼みトレーニングを開始した。