第八話
厄介なことになった。麻那美さんが活動拠点を『foresee the future a little』に移しているのが“特定班”に見つかり、SNS上で話題になったことをきっかけに、麻那美さん、あるいは紗遊羅(さゆら、水晶占いをやっていた時に麻那美さんが名乗っていた名前)さん宛ての依頼が殺到。しかもそのほとんどが「占い結果との照らし合わせをして欲しい」とか、半年先以上先のこと知りたい、といったものばかり。あまりにも多いので、
【占い結果との照らし合わせは営業妨害になる可能性があり、半年以上先の未来予知をすることは此処の看板と異なることになりますので、どちらもやるわけにはいきません。】と改めてサイト上に明記したのだが、
「アンタには無理でも紗遊羅さんにはできるだろ」と返され、効果がなかった。むしろ逆効果で、なぜか“特定班”の目が俺の方へ向けられた。
調査報告。
古瀬弥生。一九九三年三月二日生まれ。三十歳。資産家で知られる古瀬皐月氏の一人息子。しかし、両親が昨年の航空機とスペースデブリ(宇宙ゴミ)との衝突事故で亡くなっており、それ以降、遺産はすべて彼のものになっている。入手先は不明だが、今年の四月に不可思議な片眼鏡を手に入れたことから『foresee the future a little』というサイトを立ち上げ、現在に至るまで、依頼者の知りたい近未来(最長で半年先まで)を予知するということをボランティアで行っている。東京都内の郊外に二階建て9LDKの邸宅を所有しているはずだが、詳しい所在地は判明しておらず、目下、調査中である。家同士が主従関係にある新嶋家の一人娘・新嶋三月と二人暮らしだったが、紗遊羅の名称で水晶占い師をしていた橘麻那美が七月以降そこに加わり、三人で同居しているものとみられる。
確かにウチは二階建てだが二階に玄関があって、つまり“地上一階地下一階”の造りになっているので、普通の二階建てだと思われている限りはまず見つかりやしない。ただ、痛くもない腹を探られるのはいい気がしない上に、これを期に有名人の一人になってしまったのが、なんともはや。
「すみません、私が見つかってしまったばかりに、ご迷惑を」
「麻那美さんのせいじゃありませんよ」
とりあえず先手を打って、サイトのトップページに入る前のページを設けて、そこに
【当サイトのご利用、誠にありがとうございます。しかし大変申し訳ございませんが、占い結果との照らし合わせや、半年以上先の予知をご希望される方、また賭け事目的でいらっしゃった方につきましては、依頼されてもこちらでは対応できかねますので他をあたってくださいますよう、あらかじめお願い申し上げます。それらに該当しないの方のみ、トップページにお入りください。】
と注意書きを明記した。すると。
「対応するわけにいかない類の依頼が、ぐっと減ったな」
「今度は効果あったみたいですね」と麻那美さんが言い、
「これで、今までより運営しやすくなりそうです」と三月が言った。
そうだと良いのだが。
確かに減りはしたが、対応するわけにいかない依頼をしてくる人は、まだ根強く残っている。占い結果との照らし合わせを希望してくる人については、Marchが意図的に省いてくれるので問題ないとして。わざわざ此処へ、半年以上先の予知の依頼をしてくる人たちは、いったいこちらと何がしたいのだろう。トップページ前に掲げた注意書きで、自分たちは相手にされないと分かっているだろうに、理解に苦しむ。
そんな事を考えているうちに日暮れが近づき、今回もまた、クライアント選びの時間が来た。Marchをかけて気持ちを切り替えよう。前回は麻那美さんの番だったので、今回は俺の番だ。今度選ばれるのは、どんな人のどういった依頼だろう。
きっと今回も、休憩時間が来るまで一致する依頼は出てこないのだろうなとは思いつつ。それでも手は抜かず、依頼人の顔写真から視えた予知の時期と依頼人が希望する予知の時期を、上から順番にチェックしていく。
思った通り、一致しない依頼が続く。Marchが意図的にそうしているものもあるが、ちゃんと対応できる依頼なのにこうやってふるいに掛けるのは正直なところ、心苦しくもある。だが反面、以前三月に言った通り、知りたくもない時期の未来を予知されたところで迷惑な人も確かにいるので、必要な作業なのだとも思っている。
そうこうしてるうちに、壁越しに香茶の香りが――違うな。ミルクティーっぽい香りが近づいてきた。そしていつもとはどことなく違うノックの音がして、
「お疲れ様です弥生さん、麻那美と」
「三月です。入りますね」
「おー」
麻那美さんの姿が見えないと思ったら、三月と一緒だったのか。ともあれ、いろんな意味でお待ちかねの休憩時間がやって来た。俺は椅子に座ったままで体を伸ばす。
「今日は、ルイボスティー・オレです。ノンカフェインのルイボスティーを、ミルク仕立てにしてみました」
「弥生さんには馴染みがないかもしれませんが、私のおすすめです」
へぇ。確かに、ルイボス特有の香りもする。どれどれ?
「いただきます」
ひと口すすって、ワインみたいに口の中で転がしてみる。――うん。
「悪くない。いや、美味しいですよ、麻那美さん」
「本当ですか? お口に合ったようで良かったです」
「えー? 弥生。何で麻那美さんが淹れたってわかったんですか?」
「え?」
そう言われてみればそうだな。
「さあ、なんでだろ。説明できん」
「むぅ」
「そういうお前は何で不機嫌なんだ?」
「むぅぅ」
「弥生さん、それは訊いてはいけないことです。察してあげないと」
よく分からないが、三月の機嫌をさらに損ねたらしく、麻那美さんにたしなめられてしまった。
「まあいいです。弥生ですからね」
「それはどういう意味だ?」
絶対、良い意味ではないだろう。
「気にしないでください。それより、首尾の方はいかがですか?」
そう言われると余計気になるのだが、無理やり気にしないことにした。
「いつも通りだ。一致しない依頼が続いてる。だが、こうして休憩時間が来たのだから、もうすぐ見つかるだろ」
「そうですか。毎度のことながら、不思議ですねー」
「ああ、いったい何でなんだろうな」
前に一度だけ、休憩時間が来たのにそれでもしばらく一致案件が見つからなかったことがあったが、それ以外にはずっと、休憩時間中かそのすぐあとに一致案件が見つかっている。時間的なものなのだろうか。
そして今回も――
「お? おーお。おー。おし、これならいけるな」
「あ、見つかったんですか、一致した依頼?」
「ええ、やっと一致しました」
「それじゃあどんな予知だったのかは後で聞くとして、まずは事前アンケートを詳しく見てみましょう」
三月が、その依頼の顔写真をクリック。事前アンケートの全容を表示させると、いつものようにそれを声に出して読んでいく。
「『群馬県』にお住いの『彦星のおんじ』さん。『二十代』の『男性』の方。短髪で実に精悍な顔つきをしていらっしゃいます。お世辞抜きで格好いいです。みて欲しいのは『二週間後』だそうです。『いま住んでいるのは群馬ですが、僕の地元は宮城です。おんじとは宮城弁で弟のことで、僕は次男なので依頼の内容と引っ掛けてこんなニックネームにしてみました。地元には遠距離恋愛中の彼女がいて、僕は自動車工場で期間工として働いているのですが。思いの外、仕事が忙しくてなかなか休みが取れず、しばらく彼女と会えていません。二週間後には地元で仙台七夕まつりがあり、そこで彼女と会うする約束をしているのですが、休みが取れるかどうか微妙なところです。天気の心配はなさそうですが、果たして彼女と会えるのかどうか、ぜひとも二週間後の予知をして欲しいのです』とのことです。うーん、リアルに彦星と織姫状態なのですね。実にロマンチックなご依頼です」
「この依頼と一致したということは……?」
「ええ。天気は予報通りに晴れて、七夕まつりはもちろんその前夜祭の花火大会も問題なく開催されて。だからこそ時期的には一致した依頼だとわかったのですけれど。おんじさんは彼女さんと会うことができたにはできたのですが……という感じです」
「ん? 何か、歯切れが良くないですね。何か問題でも?」
「問題と言いますか何と言うか……まあ、詳しいことは面談の場で。――三月。取り急ぎ、おんじさんに連絡と打診を」
「わかりました。連絡先は『パソコンのメアド』ですね。すぐに手配します」
「ああ、頼んだ」
おんじさんからの反応は翌朝届いた。三月によるとメールには『返信が遅れてしまってすみません。着信には今朝気づきました。選出ありがとうございます。リモート面談が可能な時間帯は、今週でしたら昼から一七時までの間であれば大丈夫です。返信をお待ちしています』とあったそうだ。それを受けて、
「それなら、一五時くらいにしようか。返信は俺の方からしておく」という事にした。
「おんじさん、見えていますか? こちらからそちらはバッチリ見えています」
「はい、大丈夫です。見えています」
「改めまして、古瀬弥生と申します。この度はご依頼、ありがとうございました。今日は短い時間ですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
面談は一五時より少し早く始まった。画面越しで見るおんじさんは、痩せ型な俺からすると羨ましいくらい、がっしりした体つきをしていた。彼女さんは、彼がそばにいるだけで頼もしいことだろう。
ちなみに三月はいつもの定位置で、麻那美さんはそれとは対称的な位置について、二人とも画角に入らないように控えていた。
「早速ですが、結論から言いますと、予知の通りなら無事に七夕まつりデートはできるようです。お二人は、実に楽しそうでした」
「本当ですか? それは良かった……」
おんじさんは涙を流しながら喜んで、見るからに嬉しそうだった。
「ただ」
「はい?」
付け足した俺の一言に、涙をぴたりと止めるおんじさん。
「今回視えたのは二週間後だけではなくてその前の休暇願いを出す場面もだったのですが、休みを取れるのは一日だけ。もっと言えば、制限時間は二四時間だということです。おんじさんの上司は、そういう条件付きでおんじさんからの休暇願いを受け入れてくれるようです」
「そう、ですか……」
俺のとは比べ物にならないほど太い腕を胸の前で組んで悩むおんじさん。
「面談前に少し調べてみたのですが、群馬県から仙台まで移動するのにはJRを使うと、片道四時間弱かかるのだそうですね」
「ええ、そうなんです。ということは単純計算で最長で一六時間は仙台に居られるということなんですが……」
一六時間というのが長いか短いかは、人によって異なるだろう。だがおんじさんが気にしたのは、そのいずれでもなかった。
「できれば花火大会も七夕まつりも一緒に過ごしたかったです。でも、それは叶わないということですよね」
「残念でしょうが、そのようです」
制限時間が二四時間ということで、五日と六日をまたぐプランを提案してみようと考えてみたが、両方楽しむには無理があるようだった。
「仕方ありません。実は移動手段も、八月六日の新幹線のチケットは取れたのですが、五日のチケットは取れなくてキャンセル待ちをしていたんです。キャンセル待ちをキャンセルして、彼女とは六日に会うことにしようと思います」
「それはも――いえ、そうですか」
それはもったいない、と言おうとしたが、やめた。
「はい。いろいろとありがとうございました」
おんじさんはそう言って微笑んだ。
「いえ、僕はただ予知しただけで他には何も。とても礼には及びません」
「そんなことありません。予知の内容を伝えて下さった上、決断の手助けをして下さいました。本当にありがとうございます」
それを聞いて、二十代にしては老成しているなあ、などと思いつつ、
「そうですか? いや、それでもやはり、礼には及びませんよ。とにかく少なくとも七夕まつりデートはできるようですから、めいっぱい楽しんできてください」
と言うと。
「それはもちろんです。では、今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました。あ、もし実際の出来事が予知の内容と違っていたりしたら、遠慮なくクレーム受け付け用のメアド宛てにお便り下さい」
「わかりました。では失礼します」
苦笑混じりのその言葉を最後に、おんじさんとのリモート面談は終了した。
「歯切れのよくない言い方をしていたのは、休暇には制限時間があって、仙台には長くても一六時間しかいられないから、だったんですね」
通信を切ってすぐ、麻那美さんがそう言った。
「そういうことです」
「せっかく帰郷するのに、滞在できる時間が一六時間しかないのは、大変ですよね」
「ええ。仙台に何時に着くのかによって、彼女さんとどれくらい一緒に居られるのかも変わってくるでしょうしね」
俺がそう言うと、
「あ、そうか。制限時間が二四時間ということは、日をまたぐ行程でも良いってことなんですね」
三月がそこに気が付く。
「ああ。もっとも、おんじさんがそこに気が付いて、なおかつそういう風にチケットが取れていれば、の話ではあるけどな」
ただもしそうしたところで、花火大会と七夕祭りの両方を楽しむのには無理があるのだが。
「面談の感じでは、生真面目そうな方でしたし、六日の朝に行って六日中に帰って来ようとしていたように見えましたね」
「ええ、僕にもそう見えました」
「予知ではその辺はわからなかったんですか?」
「そうなんだよ」
予知ではビジョンが断片的で、二人が七夕まつりデートを楽しんでいる様子は視えたが、おんじさんが何時に仙台に着いて何時に仙台を出たのかまではわからなかった。そこに、
《それでも、おんじ殿から予知に求められていたのは『二週間後に彼女殿と会えるかどうか』という一点だったのであろう? ならばそれ以外がわかったとしてもそれらは、こうして我らの話のタネになりはしても、彼にとっては蛇足だったのではないか?》
と、Marchが割り込んできた。それを言うと、『休めるのは一日で、制限時間が二四時間という条件付き』という情報も蛇足だったかもしれないのだが。それでもこれはあらかじめ知っておいた方が良いだろうという俺の勝手な判断だ。
「なるほど。それもそうですね」
三月のように、そこに気付かない人もいることだしな。
後日。クレーム受付用のメールボックスを恐るおそる開いてみた。
受信トレイには、『なんで半年先までしか予知できないんだ』だの『未来予知をギャンブルに使って何が悪い』などの不満があふれるほど入ってはいたが、おんじさんからのクレームは無かった。どうやらおんじさんの件については、予知の通り事が運んだらしい。
果たして、六日の始発で群馬を出て、七夕まつり会場で彼女さんと会って、六日の終電で群馬に戻ってきたのだろうか。だがそれは想像の余地に残しておこうと思った。