第六話
第五話を上げてからずいぶん時が経っての投稿となってしまいました。申し訳ありません。
物語はこの第六話から、主な視点を三月の視点から弥生のそれにシフトして、もう少し続きます。
梅雨が終わり、夏が近づいて。今日ももうすぐ日が暮れようとした頃。俺は仕事部屋に入って間接照明を点けてノートPCを立ち上げて。『foresee the future a little』の運営側にログインする。Marchをかけて、依頼人の一覧表にある顔写真をレンズに映すと、その人の少し未来が視えてくる。
それが依頼人が視て欲しい未来の時期と一致しているかどうかを確かめる。たまには一件目で一致してくれると楽なのだが、今日もそれは叶わず。残念な気持ちを抱えながら二件目の顔写真をレンズに映す。こちらも不一致。
それをいくつか繰り返していくうちに、壁越しに香茶の香りが近づいてくるのがわかった。ドアの前でそれが止まり、ノックに応答すると従者の声がする。
「はーい」
「弥生ー、三月です。入りますよ」
「あいよー」
三月が持ってきたのはお馴染みのガラス製のティーセット。ティーポットから香茶がカップに注がれて、ソーサーごとデスクに置かれる。
「今日はレモングラスティーです。アクセントに少しシナモンが混ざっています」
「ん」
視線はディスプレイから動かさないまま、カップを手に取り、まず香りを確かめる。名前の通りレモンに良く似た爽やかな香りに混じって、ほのかにシナモンのスパイシーで甘い香りがする。とりあえずひと口。
「――うん」
美味い。と思ったが、口にはせずにふた口目。それを見て三月が、
「お気に召されたようで良かったです」
にっこり笑顔でそう言った。どうやらふた口目を口にするかどうかで気に入ったかどうかを判断されているらしいが、図星だった。
「今日の首尾はいかがですか?」
三月はそう問いかけながら、俺の肩越しにディスプレイを覗き込んで来る。ココナッツのような甘い香りが鼻先をくすぐる。俺は知らなかったが、そういう石鹸があるらしい。
「相変わらずだよ。休憩時間前には全然一致しない」
本当に何故なのか、理由がまったく分からない。
「毎度のことながら、早くに依頼に来られた方々には有無を言わさず門前払いする様で、申し訳ないですね」
「運が悪かったと思ってもらうより他ないな」
そのくせ、休憩時間が来てこうやって雑談しているうちに見つかるのだ。ますます理由が分からない。
「――あ。ほら、見つかった」
その顔写真をクリックして事前アンケートの詳細を開く。いつも通り、三月がその内容を読み上げていく。
「ええっと『神奈川県』にお住いの、ニックネームが『ミナトカコ』さん。『二十代』の『女性』の方。学生証の顔写真でしょうか、ショートカットで、つぶらな瞳が可愛らしいです。みて欲しい時期は『一か月後』。『同じ大学でサークル仲間でもある後輩から、来月末にみなとみらいで開催される花火大会に誘われてしまいました。後輩と言っても私より背が高くて頼り甲斐があって。見た目、私より大人びていて、傍から見るときっと私よりも彼の方が年上に見間違われると思います。他の人には内緒ですが、私の意中の人です。そんな彼から花火大会デートに誘われて、内心舞い上がっています。もちろんOKしました。でも、もしかしたら当日、告白されたりするのでしょうか。心の準備が必要なので、当日の私たちのことが知りたいです。よろしくお願いします』とありますね。んー、いいですね青いですね、アオハルですねー。――それで、弥生には何が視えたんですか?」
「それは――」
「それは?」
三月の顔は、期待に満ち満ちていた。が、
「面談の時に話す」
と、俺は答えを保留した。
「えー。どうしてですかー?」
「どうしてもだ。いいからほら、カコさんに連絡と打診を頼む。連絡先は『携帯電話のメアド』だそうだ」
「むぅ。わかりました。一日でも早く知りたいので、夜が更ける前に早速手配します」
三月は渋々了解して、行動に移った。なんだかんだ言いつつも仕事が早いので毎回助かっている。
カコさんからの返信は、もしかして待ち構えていたんじゃないかと思うほど早く今夜中に届いて、『選出、有り難うございます! リモートは、明日だったら何時でも大丈夫ですっ!』とのことだったので、
「それなら明日の午前中にお願いしよう。9時くらいに。連絡は俺の方からしておく」
ということにした。
「お早うございます、初めましてミナトカコさん。古瀬弥生と言います。弥生で構いません、今日はよろしくお願いします」
「初めまして、お早うございます。弥生さん。私のことはカコで構いません。こちらこそよろしくお願いします」
翌日の午前9時。リモート面談は予定通りに始まった。バストアップでディスプレイに映っているカコさんは、少しかすれた声の持ち主で、思っていたより細身だった。ちなみに、三月はいつも通り、画角に入らないように俺の斜め後ろで待機している。Marchに至っては、しゃべるとブリッジ部分が不自然に動いてしまうので、
《我は余計なことを言わないように口をつぐんでいよう》
と言って、俺の顔の上で微動だにしないでいる。無理に息を止めたりして、窒息しなければいいが。
「ではカコさん」
「はい」
「ご依頼は、みなとみらいの花火大会の日の、ご自身と意中の後輩君のことが知りたいとのことでしたが」
「はいそうです」
「ざっくり言って、当日の後輩君は、まったく頼り甲斐がありません。ほぼ、良いところナシです」
「「えーっ」」
驚く声が前と後ろから聴こえてきた。カコさんと三月がほぼ同時に声を上げたのだ。
「もしかしたら、カコさんとの初デートということで緊張したりなんだりで、調子が狂っていたのかもしれません」
「ああそうか、そういう見方もできる感じなのですね」
「はい」
「私は? そんな彼を見ても、さめたり引いたりしていませんでしたか?」
「ええ。当日の彼は、第三者である僕から見てもとにかくカコさんのためにカコさんのためにと一生懸命でした。カコさんにもそれが伝わったのでしょう、彼が失敗する姿すらも楽しんでいて、終始笑顔でした」
「そうですか」
「はい。そしてご想定通り、告白の時間もありますよ。デートの終盤、辺りは暗くなって花火大会の最中、自然といい雰囲気になって。それを感じ取ったのか彼は言います。『こんな自分ですけど、先輩のことが好きなんです。付き合ってください』と。――予知で視えたのはここまでです。これに対してカコさんがどう返事をしたのかは、わかりませんでした」
「そうなんですね。でも、有り難うございました。おかげで、心の準備が出来ました」
そう言ったカコさんは満面に笑みを浮かべていた。
「そうですか、それは良かったです。あの、その代わりと言ってはなんなのですが、ひとつお願いしても良いでしょうか」
「お願いですか? 私にできることなら」
「ある意味、カコさんにしかできないことです。もしも――たら、――てもらっても良いですか?」
小声で言ったので、三月には聞こえていないはずだ。Marchには、後で口止めしておこう。
「それだけで良いんですか? わかりました」
「ありがとうございます。では、今日は有り難うございました」
「こちらこそ、有り難うございました」
お別れに、お互いに礼をし合う。かくして、カコさんとのリモート面談は終了した。
「最後に、カコさんと何を約束したんですか?」
通信を切ってすぐに、三月が問いかけてきた。やっぱりそこが気になるか……。
「秘密だ。Marchもしゃべるなよ?」
《む? そうか。承知した》
「えー? なんだかズルいです」
「俺は楽しみは後にとっておくタイプなんだよ。知ってるだろ。一か月後にわかるから、お前もそれまで楽しみにしておけ」
「むぅ。わかりました」
ふくれっ面になりながらも、三月も承知してくれた。
それから一か月経った、みなとみらいでの花火大会の翌日。
「あ、弥生」
俺を見つけるなり、三月が駆け寄ってきた。
「どうした?」
「これを見てください」
と、タブレットの画面を俺に向けて、
「『foresee the future a little』のクレーム受付用のメアド宛てに、カコさんから空メールが届いてたんですけど」
と言った。
「そうか」
ということは、うまくいったんだな。
「何かのサインですか?」
「ああ。これがひと月前の秘密の答えだよ。『もしも後輩君と付き合うことになったら、サイトのクレーム受付口に空メールを送ってもらっても良いですか?』って言ったんだ」
「なるほど、そうでしたか。だとするとこれは、幸せの証ですね」
「そうなるな」
月並みだが、二人が末永く仲良く居られるように、心から祈った。
『foresee the future a little』では基本的に、一度リモート面談をしたクライアントとはそれ以降連絡を取り合わないことにしている。が、ただ一人例外がいる。
占い師のヒヨコさん。クールビズが始まった頃にひき逃げに遭う予知をしておきながら、具体的な日時がわからなかったばかりに事故に遭わせてしまった人だ。いくつかの不幸中の幸いが重なって一命はとりとめたが、俺の中では彼女に対して自責の念があった。
そんな彼女から、
「もうすぐ退院できるよ」
と、LINEを通して連絡があった。俺はそれに、『おめでとう』とスタンプで返事をした。
そう。例外中の例外なことに、俺と彼女はLINE友達になっていた。
ヒヨコさんは、ニックネームからも分かる通り、新人の占い師。しかもミステリアスな雰囲気のある水晶占いの。だからいろいろと秘密がある。しかしひき逃げに遭ったことで、本名と年齢がニュースで身バレしてしまった。
しかも、インターネット上には暇な奴がいるもんで、それだけに留まらず、素顔とか仕事とか地元とか出身校とか住所とか人となりとか、実にいろんなことが明らかに――いや、暴かれていた。
退院することはめでたい。だが正直言って、これでは占い師として復帰するのは難しいだろう。しかし当の彼女は、
「それらを逆手にとってでも復帰するんだ」
と復帰する気満々だった。出鼻をくじくようで悪いが、まず無理だと思う。
暴かれた住まいは、入院中の外出許可を利用し、既に引き払ったそうだ。新たな住まいには、ウチを提案した。以前の職場がある所までは遠いが、部屋は余ってるし、セキュリティはばっちりだし、秘密の出入り口もある。
ただひとつ問題があるとすれば。
「え、ヒヨコさんがウチに? いえ、私は問題ないですけど。Marchのことはどうするんですか?」
「それは、試してみようと思ってる」
「試す?」
「ああ。でもきっと、大丈夫だと思ってるよ。何の根拠もないけどな」
数日後。ヒヨコさんの退院日。ヒヨコさんは病院を出たその足で、まっすぐこちらに来ることになっていた。
「そろそろ来る頃じゃないかな」
虫の知らせとでも言おうか、そんな気がした途端、インターフォンが鳴った。三月が受話器を取ると、防犯カメラと連動したモニターに涼しげな青いワンピースを着た、スレンダーで長い黒髪の女性の姿が映し出された。
「はい、古瀬です」と応答すると。
「こんにちは、私、ヒヨコ――じゃなかった、橘麻那美と申します。弥生さんはご在宅でしょうか」
と訊ね(たずね)られ、
「はい、居ります。少々お待ちください」
と言って俺と代わり、
「こんにちはヒヨコさん、ようこそ我が家へ。いま門と玄関を開けますから、そのまま中へどうぞ」
そう言って受話器を戻して二つのボタンを操作した。門と玄関の扉が解錠されて、門扉は電動で横にスライドしているはずだ。
♯
「御免下さい」
それからほどなくして、玄関のドア越しにヒヨコさんの声が聞こえた。私がドアを開けて、ヒヨコさんを出迎える。
「いらっしゃいませ、そして初めまして、占い師のヒヨコさん。私は弥生の従者の新嶋三月と申します。この度は、退院おめでとうございます」
と言って深々とお辞儀をした。
「従者?」
ヒヨコさんの当然の疑問に、私は乾いた笑いを返しながら答えた。
「あはは。耳馴染みないですよね。まあ、付き人と家政婦の合の子みたいなものだと思っていただければ」
「そうなのね。初めまして、三月さん。――で、いいかしら?」
問われて私は「はい、構いません」と、笑顔で答えた。
「そう? じゃあ三月さん、私のことは麻那美って呼んでね。これからお世話になります」
ヒヨコさ――麻那美さんは、スーツケースの取っ手を両手で持って、にっこり笑ってそう言って、礼をした。
それから私は、
「承知致しました。では、弥生のところへご案内します。お荷物お持ちしますね」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて、お願いします」
麻那美さんと、まるでホテルのベル係とお客様のようなやりとりをして、彼女を客間ではなくリビングにお通しした。
♭
「弥生、麻那美さんをお連れしました」「ああ、ご苦労さま」
三月がそう言うと、俺は労をねぎらいソファーから立ち上がって、ヒヨコさんを出迎えた。
「お久しぶりです、ヒヨコさん。道中、長くてお疲れじゃありませんか? どうぞ座って楽にしてください」
「本当、お久しぶりです、弥生さん。お気遣い有り難うございます。でも、タクシー使ったからそれほど疲れてないですよ。それより」
「ん?」
「こちらに来る前に『これからは本名で呼んでください』ってLINEで言ったじゃないですか。お忘れですか?」
ヒヨコさんは人差し指を立てて俺に近づき、子どもに注意するように言った。最近の流行りなのか、彼女からも、ココナッツのような甘い香りがした。
「あー。いや、何と言うか、いざ本人を前にするとその、気恥ずかしくて」
俺は手を後ろ頭に当てて、苦笑いしながらそう答えた。有り体に言って、思いっきり照れていた。何せベールを取ったヒヨ――麻那美さんは、北川景子さんに似ていてすごい美人だった。ネット上でも彼女の素顔の写真が出回って、すごい騒ぎになっていたくらいだ。後でじっくり話し合わないといけないが、ますます復帰は難しいだろう。
「もう、LINE友達相手になに照れているんですか。三月さんはすぐに受け入れてくれましたよ? ねえ?」
「はい、麻那美さん」
「ほら。無理強いはしませんけど、なるべく早く慣れてくださいね?」
「はい、分かりました」
そんなやり取りを見て三月は、顔には出さなかったが『何だか、麻那美さん相手にたじたじになってる弥生が面白い』と内心で思っているのが聴こえてきた。
ストレートに短く、
「聴こえてるぞ」
と言うと。
『しまった、そうだった』と、俺が三月の心の声を普通に声として受けとることを思い出して焦っていた。
三人ともソファーに座ってひと心地ついたところで、すぐに俺は立ち上がった。麻那美さんがここに住むに当たって、試しておかないといけないことがあるのだ。
「さて、ヒヨコさ――じゃなかった。麻那美さん」
「はい、何でしょう?」
「コレが何か、ご存知ですか?」と言って俺は、自分がかけているMarchを指差した。
「片眼鏡、ですよね。モノクルとも言うけれど」
「そうです。じゃあ、これが聴こえますか?」
「え?」
《お初にお目にかかる、占い師のヒヨコこと、橘麻那美殿》
「!」
《我はMarchと名付けられた付喪神である。もしも我の言葉が分かるなら、以後、お見知りおきを願いたい》
「ウソ!」
どうやら、麻那美さんにも聴こえたらしい。
「如何でしょう。何か聴こえましたか?」
「はいっ。でも誰が喋ったのっ? お二人ではないですよね?」
俺と三月の方を交互に振り返って、少しパニックになっていた。まあ、無理もない。
「はい、僕でも三月でもありません」
「じゃあ誰が……?」
「信じられないとは思いますが、僕のこのモノクルです」
「えぇ?」
「このモノクル、レンズが水晶占いで使う水晶球を素材にしてできているんですけどね? その水晶球は精霊が宿って付喪神になるくらい、古いものなんです。で、百聞は一聴にしかずとばかりに、いま麻那美さんに聴こえたのは、それの声なんです。彼の言葉を、三月は麻那美さんと同じように声として耳で受け取り、僕は思念として直接脳で受け取るんですが、誰彼構わず受け取れるわけじゃないので、試させてもらいました。驚かせてしまって、すみません」
説明の最後に、俺は麻那美さんに向かって頭を下げた。
「ふえぇー」
それに対して変わった声をあげた麻那美さんは、ちょっとした放心状態になっているようだった。
「――ああ、ごめんなさい。弥生さんが謝ることは何もないですよ、ええ。ただ、電動で動く門扉とか大きなお家とか、三月さんという従者がいることとかMarchのこととか、驚くことばかりで何と言うか、圧倒されてしまって。すごい人とLINE友達になれたんだな、私。って思って。そして今日からは同居人で」
麻那美さんはそこでいったん言葉を切って立ち上がり居ずまいを正すと、
「改めて、これからよろしくお願いします。三月さんとMarchともぜひ仲良くなりたいです」
こう言って、俺とは違った意味で俺と三月、それにMarchにも、頭を下げたのだった。