第三話
つくもがみ。付喪神。あるいは、九十九神とも書くらしいが、日本では古来より、長い年月(百年に一年足りぬ九十九年くらい)を経た道具などに精霊や霊魂が宿ったものをそう呼ぶらしい。ということはもしかして……―—?
今日は弥生は日暮れから『foresee the future a little』のクライアントを選んでいた。しばらくしてそこへ、ガラス製のハーブティーセット一式を持ってくる私。ドアの前で立ち止まって、ドアノブ付近をコンコン。
「弥生ぃー、三月です。入りますねー」
「おー」
ドアを開けて中に入ると、ミニマリストの仕事部屋らしく、仕事をするのに無駄な物は何一つなく、間接照明に照らされがらんとした八畳一間。
「今日はミントです。スッキリしますし、たまにはオーソドクッスなのもいいでしょう?」
と言いながら私は、一式をサイドテーブルに置く。
「そうだなー。んじゃ、ひと休みするか」
そう言って、椅子に座ったまま伸びをする弥生。もはや言わずもがな、ティーポットの中身以外はおなじみの光景だ。
「首尾はどんな感じですか?」
言いながら、弥生の脇からノートPCの画面をのぞき込む。画面上には、事前アンケートの中から顔写真と一緒に、予知して欲しい時期の部分だけがピックアップされた依頼一覧がある。弥生はMarchを通して一人ひとりの顔写真にフォーカスして、その人が予知して欲しい時期と実際に予知した時期との一致・不一致をチェックしている。
自らティーカップにミントティーを注ぎ、ひとくち口をつけて、
「うん、美味い。――『占い結果の真偽を視て欲しい』ってのはずいぶん減ってきたが、未だにちらほらいるな。良いのか悪いのか分からんが、依頼時期と予知時期とが一致しないから全部スルーしてる」
それを聞いて、私はひとつの仮説を口にしてみた。
「それなんですけど、まかり間違って一致しちゃって、そのうえ占い結果と違うものが視えたりしたらその占い師への営業妨害になりかねないから、モノクルが意識的に一致しないようにしてる――なんてことは、ないでしょうかね?」
「もしそうだったらコイツに自我があるってことになるかも知れんが、有り得んだろう」
弥生は私が勝手にMarchと呼んでいるモノクルのブリッジ部分に触れてそう言うが、March自体がすでに有り得ない存在なので説得力に欠けているように思う。
「なんだよ、ちゃんとした根拠でもあるのか?」
私のモノローグを声として受け取って普通に受け答えしてくるのにも、もう慣れた。なので、突っ込まずに話を続ける。
「根拠になるか分かりませんが、そのモノクルのレンズ部分ですよ。かなり年季が入った物だって話じゃないですか」
「ああ、説明書きに『長年、水晶占いに使われていた水晶球の一部』だって書かれてたな」
「『長年』っていうのがどれくらいなのかはっきり分かりませんが、もしかしてそれって、精霊が宿って付喪神になるくらい古かったりしないのかなーとか、思ったんですよ」
「まさかそんな」
私の思いつきを、弥生は笑い飛ばした。が、次の瞬間。
《ようやくそこに気がついたのか。長くかかったな》
低音な上にくぐもっていて聞こえづらかったが、確かにそう聞こえた。弥生にも聞こえたのか、思わず顔を見合わせる私たち。
「いま、誰かの声が聞こえませんでした?」
「いや、俺には声というより、誰かの思念が頭の中に直接入ってきた感じがしたな」
いま、ここにいる人物は私と弥生の二人だけ。でも間違いなく、“三人目”がしゃべった。普通に考えれば有り得ないことだが、常識を取っ払った上で可能性として考えられるのは……Marchだけ。
《如何にも。我がしゃべったのだ》
あろうことか、口の代わりかブリッジ部分をパカパカさせて、モノクルがしゃべっていた。
《案ずることはないぞ、お二方とも。我が言葉を発しているのが分かるのはお二方だけだ。三月殿には声として。感受性の高い弥生殿には思念として、我の言葉がわかる。他の人間には、「なんだか知らないけどあの眼鏡、妙にブリッジ部分がパカパカしているなー」と見えるくらいで、その理由が知れることはない》
「いや、私にしても弥生にしても、もしそのパカパカしてる片眼鏡と話をしてると理由なく他人に知れたら、十分変な目で見られるじゃないですか。ていうか、時代がかった口調だけでなく現代語や横文字も問題なくしゃべれるってそれはそれですごいですね」
後半、なぜか早口になってしまった。
《うむ、長生きの賜物だ。だが、三月殿の言い分も一理ある。他人の前ではなるべく口を開かないように、善処しよう》
「はい、それでお願いしたいです」
Marchに宿ったのが物分かりの良い精霊で良かった。その一方で――。
「もうコレと馴染んだのか。意外と順応性高いな、三月」
Marchがしゃべったことに私以上に驚き、戸惑っている弥生だった。
「私だって驚きましたよ。でも、あらかじめ付喪神の知識がありましたから、そのおかげで戸惑いはしなかっただけです。というか、昔ならいざ知らず、今やいろんなモノがしゃべっているじゃありませんか」
「それはそうだが……」
うーん、どうにも歯切れが悪い。が、それは想定内。もう一押ししてみる。
「だから。それでもどうしてもモノクルがしゃべることが受け入れ難かったら、そういうロボットだと思ってみてはどうです?」
「ロボット?」
鸚鵡返ししてくる弥生の頭の上にはてなマークが浮かぶのが、見えた気がした。
「そうです。これは片眼鏡の形をしたロボット、Marchくん。特徴は、私たちとだけ対話ができて、弥生が着ければ未来予知もできる。という風に」
《まるでどこかのショッピング番組の商品紹介のようであるな。特徴が限定的過ぎてまったく売れる気がしないが》
当事者が、他人事のようにそんなことを言う。しかしどうやら、Marchと呼ばれることに問題はないようだ。
「片眼鏡の形をしたロボット……なるほど、そう考えると抵抗なく受け入れられるな。不思議なもんだ」
「当面の問題が解決して何よりです。ちなみに、このモノクルを公の場でMarchと呼ぶのはよしておきましょうね。あくまでも、私たち三者だけの時にだけ」
「ああ、それが良いだろうな」
間違っても、クライアントから変な目で見られないように。
「それで。話を元に戻しますが、予知をする際、なかなか視たい時期の未来を視ることが出来ないのは私が考えていた通り、Marchが意図的にやっていることなんですか?」
《その答えは、半分、応だ。仕組みは不明だが、我の意図は、この片眼鏡の機能に少なからず影響を与えている》
「ってことは、『占い結果の真偽を視て欲しい』って類の依頼に応じないようにしているのはやっぱり、占い師たちに気を遣ってのことなのか?」
《うむ。今も昔も、営業妨害は良くないであろうからな》
謎がひとつ解けた。とても非常識なものによる至極まっとうな理由だった。
「他の依頼に対してはどうなんですか?」
《それについては、我は干渉していない。おそらく、予知する時期が不規則なことそのものは、この片眼鏡に元から仕組まれているのであろう》
「つまり、そこはMarchの意図ではなく製作者の意図ってことか」
ふと思ったが、この三者による話し合い。傍からはどう見えているのだろう。私と弥生が向かい合っているのは良いとして。弥生の顔の上で、時折モノクルがブリッジ部分をパカパカさせている……シュールというか何というか。やはり、人前でMarchと話をするのは避けた方が良さそうだ。
休憩をおしまいにして、弥生はクライアント選びに戻った。私はティーセット一式を片付けたあと、特にやることもなかったので、リモート面談の時のように弥生の斜め後ろから、その様子を見守っていた。ただ、今からだと、もしすぐにクライアント候補が見つかったとしても今日中にリモート面談まで話を進めるのは無理そうだ。
「とりあえず、候補だけでも見つけておきたいが……ああ、これじゃだめだ。――この人もハズレ。ああこの人も」
何やら、今回はいつになく不一致が続き難航しているようだ。
「自分で課したルールとは言え、こうもなかなか見つからないとなると、自分で自分が恨めしく思えてくるな。――お? よし、この人ならいけそうだ」
「どれどれ?」
私はデスクに近づき弥生からマウスを受け取って、一覧からその人の顔写真をクリック。事前アンケートの内容をクローズアップして読んでいく。
「ニックネームは『星の森を飛び回るムササビ』さん。『大阪府』にお住いで『二十代』の『女性』の方。どことなく、芳根京子さんに似てらっしゃいますね。視て欲しいのは『約三か月後』。『だいたい毎年、ペルセウス座流星群の極大日となる八月十三日。一時間に最大四十個ほどの流れ星が降る空の下で彼氏に逆プロポーズを仕掛けようと思っているのですが、うまくいくかどうかみて欲しいです』と。素敵です、とってもロマンチックな依頼ですね」
ちなみにペルセウス座流星群とは、しぶんぎ座流星群やふたご座流星群と並ぶ、日本で毎年見られる三大流星群のひとつで、放射点(群流星が放射状に飛び出してくるように見える、天球上の一点のこと)がペルセウス座の肩のあたりにある流星群のこと。一つ一つの流星が明るいので肉眼でもはっきりと見え、七月下旬〜八月下旬にかけて活発となり、最も活発になる極大日(年によって異なるが、大体八月十二日か十三日。)には実際、一時間に三十~百個もの流星が夜空を飛び交うが、肉眼でも一時間に最大で四十個ほどの流星を確認できる。流星観測初心者にもってこいな流星群と言える。
「――で、弥生には何が視えたんですか?」
と訊くと、弥生はなぜか不敵な笑みを浮かべて、
「依頼にあった通り、ペルセウス座流星群が視えたよ。あとはリモート面談の時までのお楽しみだ。早くても明日の午前中になってしまうが、三月にはとりあえず、ムササビさんに打診を頼む」
わざわざそんなもったいぶることないのにと思いつつ、
「わかりました。連絡先は――携帯電話のメアドですね。リモートが可能な時間帯は『平日のアフター5』となってますね。早速、選出された旨と具体的なリモートが可能な時間の打診を送っておきます」
ムササビさんから返事が届いたのは、翌日の夕方のことだった。
メールには“返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。この度は選出していただき有り難うございます。具体的なリモートが可能な時間帯は、今日であれば午後八時以降、明日明後日は休日で特に用事もないので、何時でも構いません。そちらのご都合に沿う事もできると思います。お返事をお待ちしています。”と綴られていた。それを弥生に伝えると。
「なんとなく、どこかのご令嬢を想起させる文面だな。アンケートからはそんな感じしなかったけれど、案外おしとやかな人なのかな。まあ、それは会ってみれば分かるか。そういう事なら今夜、午後九時から時間を割いてもらおうか。返信は、俺の方からしておく」ということになった。
「今晩は、初めましてムササビさん。古瀬弥生といいます。今日はよろしくお願いします」
「こんばんは、弥生さん。こちらこそよろしくお願いします」
画面の向こうのムササビさんは、写真以上に芳根京子似の美人さんだった。大阪にお住まいということだったが、ちっとも関西訛りがなかった。話の導入としてそこを弥生が訊くと、
「そうなんですよ。私、生まれは横浜で、仕事の関係で大阪に居るので、関西弁は使わないというか、使えないんです」
と苦笑混じりに答えていた。
「納得です。アンケートを拝見しましたが、星がお好きだという思いが溢れていました」
「星ヲタ丸出しでお恥ずかしい限りです。小学生の時分に外国で流星雨を見て以来、すっかり星好きになってしまって。学生時代は中高ずっと天文部に所属していましたし、大学でも天文サークルの一員でした」
「そうでしたか。本当に天文がお好きなのですね。立ち入ったことをお訊きしますが、彼氏さんとも星が縁で?」
「そう思われると思いますが、それは全然。彼はむしろ星の知識には疎くて、それでも星のことを熱く語る私を好いてくれて、付き合うようになったんです。もの好きですよね」
そう言って自嘲するように笑うムササビさんだったが、弥生は、
「そうでしょうか。そんなことはないと思いますよ。素敵な彼氏さんだと思います。羨ましいくらいです」
と言って否定した。ここからだとその顔は見えないが、きっと、穏やかな笑みで。
「そう言っていただけると、有り難いです。それであの、予知の方なんですけど……何がみえたのでしょうか」
ムササビさんは照れ笑いから一転、不安そうな顔で弥生にたずねた。
「そうですね。ムササビさんが逆プロポーズのお膳立てをする必要はまったく無いようです」
「どうしてですか?」
「なぜなら、彼氏さんの方から、あなたが立てようとしたプランを立てて、実行してくれるからです。僕にはそれが視えました」
そう言った弥生だったが、ムササビさんは納得がいっていないようだった。
「そうなんですか? でも彼、最近素っ気ないんです。食事に誘っても、単純に『会いたい』と伝えても、なしのつぶてで。よっぽど仕事が忙しいのか、もしかしたら、何らかの理由で急に私のことが嫌いになってしまったんじゃないかと思うくらいなんです。そのくせ、『八月十三日の夜は空けておいて欲しい』と伝えたら、それには『わかった。ちょうど俺もその日に会って話がしたいと思ってた』と返信があって。どういう事なんだろうって疑問に思っているんです」
「なるほど……」
腹のあたりで手を組んでムササビさんの話を聞いていた弥生は、おもむろに手をほどいて、
「これは、僕の憶測も混じっていますから話半分で聞いて欲しいのですが」
と、前置きしてから話し始めた。
「おそらく彼氏さんは、ムササビさんとのペルセウス座流星群の観測に向けて、現在進行形で、ムササビさんが好きなものを自分も知って、好きになろうとしている最中なんじゃないでしょうか。今は昔と違って、パソコンやスマートフォンさえあれば、いろんなことを独学で勉強することができてしまいますから」
そんな弥生の憶測を聞いて、思い出したことがある。【(人が人を)好きになるっていうのは、その人のことをもっと知りたいと思う気持ちのことだ】と誰かが言っていた。だからたぶん彼氏さんは、ムササビさんのことをもっともっと知りたいと思っていて。今はムササビさんからの連絡を返す暇を惜しむくらい、ムササビさんが好きな星や天文のことをいろいろと調べている最中なのだろう。きっと。ムササビさんに負けないくらい詳しくなって、ムササビさんとの星ヲタ談義を、これまで以上に楽しみたくて。少なくとも、ムササビさんのことを嫌いになんてなってはいないのではないだろうか。弥生も、ムササビさんにそんなようなことを伝えていた。
「そうなんでしょうか……。でももしそうなんだとしたら、」
「そうなんだとしたら?」
「そんなに嬉しいことはありません。正直、今は淋しいですが、今度の八月十三日がとても楽しみになりました。仕事の励みにもなります。有り難うございます」
弥生からの問いに、ムササビさんは花が咲いたような可愛らしい笑顔でそう答えていた。
《…………。もう、口をきいても構わぬか?》
リモート面談が終わって間もなく、Marchが、しびれを切らしたように恐る恐るブリッジ部分を動かした。
「ええ。通信を切りましたから、もう好きなだけしゃべっても構いませんよ」
《お、おお、そうかそうか。しかし弥生殿はあれだな。ムササビ殿の歳や生業、その彼氏殿との年齢差や交際歴には一切触れずに話すのだな。それでよく、ああも会話が成立するものだと感心していた》
「そうか? 別にその辺に触れなくたって会話は成立するだろう。正直、事前アンケートに書いてもらった以上の個人情報には極力触れたくないってのもあるが。あとは、恋愛に歳の差や交際歴はあんまり関係ないだろうって思ってるから端折ってるだけだぞ?」
さすがミニマリスト。考え方でも極力無駄をそぎ落としている。もっとも、それが良いか悪いかは別として。
「それは褒めてんのか?」
「さあ? どうでしょう」
たぶん答えがバレバレな問いかけを、おどけてはぐらかす。
《何はともあれ、ムササビ殿とその彼氏殿の仲が良い方向に進むと良いな》
「ええ、それは本当にそうですね」
最終的にどちらがプロポーズすることになるのかは分からないけれど。――いや、弥生の予知で彼氏さんからプロポーズする場面が視えたのなら、きっとそうなるのだろう。いずれにしても今回の予知で、二人が相思相愛なのははっきりした。プロポーズが失敗に終わることはまず無いだろう。あとはどうか、末永くお幸せに。
続く