6:新生活(1)
新生活が始まる前にやることは色々あった。まずはなにを置いても苺の両親の葬儀である。月奈もそれには参列したが、自分がいていいものかという思いはあった。それでも今彼女を支えられるのは自分を置いてほかはないとも自負していた。
喪主は苺の祖父が務めたが、そのあと苺自身も挨拶を行った。
「みなさんには生前の両親を支えて下さりありがとうございました。不幸な事件でしたが、きっと安らかに眠ってくれているだろうと信じています」
苺は気丈にそう言い切ったが、それから堰を切ったように大粒の涙を流し始めた。そうして膝から崩れ落ちる。やはり気を張っていたのだな、と月奈は思った。会場の全員が静寂を持って苺の泣き声を聴いた。
どういうことか、月奈は駆け寄って苺を抱き締めたい気持ちに駆られた。しかし自分は彼女のなんでもないと思い直し、その衝動を抑えた。その代わり、家に帰ったら存分に慰めてやろうと思った。
それが終わってからは城崎家の宅の処分、それから苺の引っ越しである。それにも月奈は立ち会った。両親の家財は売られ、苺は形見として父の腕時計と母の指輪を選んだ。その頃には彼女もすっかり落ち着いていた。人の死にまつろう些事は現実を受け入れていくには丁度いい時間なのかもしれない。
それにしても、苺の荷物には閉口させられた。というのは、その大半がマンガ本だったのである。少女マンガ、少年マンガを問わず苺は大量にコレクションしていた。
「苺はマンガが好きなの?」
「うん、大好き」
引っ越し業者に作業を任せている間、苺はマンガを集中して読んでいた。年頃らしいニコニコした顔は月奈の顔も綻ばせた。苺の笑顔はいつまでも見ていられるな、と思った。とにかくこの少女は可愛らしさだけでできている。
「月奈にも面白いマンガを教えてあげるね」
「期待しているわ」
引っ越し費用はすべて月奈が受け持った。一方、家と家財の売却で得られたお金は苺の口座に振り込まれた。これはきっと将来の彼女の財産となるであろう。
そういった作業もあって、月奈は少し疲れを覚えていた。ルナティカンとの戦いでは決して疲れたりはしないのだが、こういった煩雑なことは、ことに精神的なところに疲労を覚えさせるのだった。だが月奈は苺をひとりにさせないという決意で以て居続けた。しかしそれは必要なかったのかもしれない。葬式で涙をいっぱい流し、それですべて厄が落ちたかのように疲れ知らずで元気いっぱいだった。それが空元気でないことは明らかだった。
新しい生活に向けて不安はないようだった。むしろ不安に思っているのは月奈だった。少女を守らなければならない――それはこれまでひとり気ままに生きてきた月奈にとって大きな変化だった。それでも弱気を見せる訳にはいかない。それに、きっと楽しいことも沢山あるだろう。
しかし、どうしてそのように孤高を好む私が、苺を引き取る決意をしたのだろう?
場の勢いで言った訳ではないのは明らかだった。どういう訳か、苺のことは守らねばならないという使命感がふつふつと湧いてくるのだ。そしてそれは悪い気分ではなかった。
彼女は自分に起こっている変化の正体にまだ気付いてはいない。
◇
ルナティック症候群が蔓延する前はクリスマスというのは国民のほとんどが浮かれ騒ぐイベントだったらしいのだが、今ではそれは(ほかの時節のイベントと同じく)影を潜めている。とはいえ浮かれ気分になることはなる。外に出て浮かれ騒ぎをする人々は減ったが、その分おうちでパーティーをする人々が多くなったのである。
そのクリスマスがもうすぐに近付いている。月奈にとってそれはあまり好ましい季節ではない。ルナティカンたちも暴れるからだ。彼女にとってルナティカンを狩るのは趣味であり歓びだが、その際に発生する被害について無頓着という訳でもない。
と、というようなことを考えながら月奈は苺と一緒に街を歩いていた。そんなことを考えるのは街中がのんきに赤と緑のクリスマスカラーで染められているからだった。
「もうすぐクリスマスだね!」
ひところに比べて苺も明るさを取り戻していた。きっとこれが少女本来の姿なのだろう。月奈は苺の立ち直りの早さに感服していた。思ったよりも強い芯を持った少女なのかもしれなかった。自分も負けていられないな、と身を引き締める。
「そうね」
それでも月奈は慎重に言葉を選んでいた。この時もそうだった。ついうっかり、「毎年家族でパーティーをしていたの?」と訊きそうになったのだった。
「クリスマスは大きなケーキを食べようね」
「ううん」
「月奈はケーキ、好きじゃないの?」
「嫌いじゃないけど、大きなケーキというのはどうかしら」
それよりはシャンパンを空けたい、というのが月奈の本音だった。
「私たちだけで食べられるだけの大きさにしないと」
「ええ、でもでも。耀司さんも呼ぶんでしょ?」
その言葉を聞いて月奈ははっとした。そういえばこういったイベント事で耀司と一緒に祝ったことなどなかった。誘ったこともないし、誘われたこともなかった。まったく頭に入っていなかった選択肢なのだった。なんだか急に彼に対して悪いことをしてきたような気がして月奈は少し焦り気味になった。
「そ、そうね。今年はあいつも呼びましょうね」
「パーティーは人が多いほうが楽しいもんね」
苺は無邪気に笑う。それからとんでもないことを訊いてきた。
「月奈。月奈と耀司さんはコイビト同士なの?」
「ええ!?」
「違うの?」
「違うわよ。あいつとはただの友達」
「ふぅん。そうなんだぁ……」
あまりに苺が無垢なので月奈はいちいち戸惑ってしまう。子供は好きだったが、こうして世話をするとなる色々な困りごとが起こるのだった。しかし、耀司と私はそう見えるのだろうか? と彼女は疑ってしまうのだった。だとしたら由々しき問題である。周りにそう見られているとしてら速やかに修正しなければならない。
「そういう苺は、クラスで気になる男の子とかいないの?」
「いないよ。だって女の子と遊んでる方が楽しいもん」
「そう。じゃあまた、今日からいっぱい一緒に遊べるね」
「うん!」
そうである。事件から10日ほど過ぎて、ようやく苺の周辺の整理も終わり、精神も安定してきたということで小学校への登校を再開するのが今日だったのである。だから苺はふかふかのセーターとズボンの後ろに赤いランドセルを背負っているのだった。月奈はしばらく苺の登下校を送り迎えするつもりでいた。その方がなにかと安心できるし、苺のメンタルケアにも効くだろうと思ったからである。
月奈は学校というものを経験したことがない。勉強はすべて施設で学んだ。だから一般的な知識や学力はあると思うが、そこで培うはずの人間関係や諸々の機微というものが自分にはすっぽりと抜け落ちているのではないかという負い目があった。とはいえそれは自分の落ち度ではないし、それにこれまで問題なく日常生活を送れているのだからいいだろうとも思っている。
しかし、苺を養うという局面で、その弱さが出てしまったら?
「月奈、つきな」
「ん? どうしたの?」
「もう学校だよ」
いつの間にか着いていたらしい。小さな子供たちが駆けていく中で大人の自分だけが妙に浮いていた。穢れを知らぬ無垢な子供たち。この子たちだけはなにがあっても守らないとね、と月奈は決意を新たにした。
「ここまでで、だいじょぶだから。送ってくれてありがと」
「うん。じゃあまた放課後にね」
月奈と苺は握手して、それから手を振って別れた。校舎に消えていく苺を見て月奈は奇妙な淋しさを覚えた。そういえば、事件があってからずっと付きっきりだったから、半日とはいえ苺と離れるのは初めてなのだった。
「いけないわね」
どうにも私は彼女に入れ込み過ぎている――
考えるべきこと、やるべきことはほかにも色々ある。苺のことを最優先にするのは当然としても、それに足を引っ張られる訳にもいかないのが月奈の立場だった。
「ううん、大丈夫。大丈夫」
私ならやれる、と彼女は気合いを入れ直す。いままでだってそうだった、様々な難事を乗り越えてきた。これからだってそうだろう。自信はある。そこに苺を守るというミッションが加わっても何ら問題はない。むしろ興奮するくらいだ。
「でもまあ、あの子が帰ってくるまでどうやって時間を潰そ」
その問題は外からの要請で解消された。携帯に着信が入る。宇田からだった。
「宇田だ。港区でルナティカンどもが倉庫を占拠するという事件が起こった。すぐに対処してくれ」
戦いの予感が月奈を高揚させる。戦いはすべてを忘れさせ、エクスタシーをもたらすものだ。月奈にとってはそうだった。
「了解」
そうして彼女は自分のあるべき場所――闘争の場へと身を投じる。