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5/37

5:2人の始まり





「わぁ、大きいな」


 もうもうと湯気の立つ月奈宅の浴室を見て、苺は吃驚したように声を上げた。別に自分が褒められた訳でもないのに、月奈は鼻高々になった。


「おうちも大きいし、月奈さんってお金持ちなの?」

「まぁね」


 2人はすでに素っ裸になっている。誰かと一緒に、まして女の子と一緒にお風呂に入ったことのない月奈はなんだかむずむずする気分だった。自分の裸を見られているのも恥ずかしいし、それに苺の未発達な身体を見るのはなんだかとても罪深いような気がしたのだった。


「月奈さんはきれいな身体をしてるね」


 そう言われても誇らしい気分にはなれず、むずがゆい気分は増すばかりだった。いったいこんな年端も行かぬ子供にここまでどぎまぎしなければならないのか、と月奈は自分が情けない思いだった。


「ねえ、洗いっこしよう」


 苺が言った。歳のわりには落ち着いているのか、それともただボンヤリした性格なのか分からない。ただ、月奈はすでにこの子に振り回されているような気持ちになっていた。いい加減大人の威厳を見せなければと思ったので、内心の動揺は隠して彼女に返した。


「そうね、一緒に洗いましょう」


 そうして苺の綺麗な髪を繊細な手付きで洗い流していく。とてもいい匂いがした。それから身体の方である。ソープを泡立てて、苺の身体を泡だらけにしていく。苺はまったく動じずに月奈の手を受け入れていた。随分と育ちのいい子供であることがそれだけで分かった。


「大丈夫? 気持ち悪くない?

「だいじょぶ。すごく気持ちいい」


 そしてシャワーで洗い流すと、あらためて透き通った苺の白い肢体が眩しく映った。どこか幻想的な美しさを持っている娘だった。月奈はなんだかヘンな気分になっていくのを抑えられなかった。


「じゃ、今度はあたしが月奈さんを洗っていくね」


 苺の洗いぶりはとても丁寧なものだった。しかし、子供に奉仕させているのもなんだか悪いような気がする。それに少しくすぐったい。相手はお毛毛も生えていない少女である。背徳的な気持ちになってしょうがなかった。おかしいな。女同士のはずなのに。


 一通り洗い終わってから、2人して湯船に浸かった。大きな浴槽は2人で入ってもなおたっぷりと余裕がある。


「熱くない?」

「ちょうどいいよ。あたしはちょっと熱いほうが好きなの」

「私と同じね」


 ここで初めて、彼女たちはお互いに笑いかけた。ちょっと前に陰惨な事件があったとは思えないほどほのぼのしている。きっと苺はまだ現実を理解していないだけなのだろうと思った。彼女が現実に向き合った時、果たして立ったままでいられるのか、そして私はそれを支えてあげることができるのかどうか。


 月奈はそんなことばかり考えていた。おかしなことだった。ただ成り行きで助けただけの少女に月奈はひどく入れ込んでいるのだった。


「ああ、気持ちいいな。月奈さんは気持ちいい?」


 苺の火照ってほんのり赤らんだ頬が妙に魅力的だった。こんな子を見ては誰もが愛でずにはいられないだろう。


「あの、その……さん付けはやめてくれない? なんだか気恥ずかしいから」

「じゃあ、月奈って呼んでいいの?」

「ええ、その代わり私もあなたのことを呼び捨てにするわね」


 そういうことを喋ると、苺の顔がぱあっと明るくなった。


「月奈、月奈、月奈……えへへ、いいお名前だね」

「苺も可愛い名前よ」

「あたしは……嫌いじゃないんだけど、大人になっても子供っぽい名前のままはどうかなって思ったりもするの」

「大丈夫よ。苺は大人になっても可愛いままだろうから」

「可愛いだけじゃイヤ。あたしは綺麗で格好いい大人になりたいの」


 苺は言った。


「月奈のように格好いい女になりたいな」

「馬鹿なことを言うんじゃありません!」

「えぇ。だって月奈、格好いいよ」

「まったく……」


 そして2人はのぼせるまで湯船に浸かり続けたのだった。



         ◇



 宇田が月奈宅を訪れたのはその深夜のことだった。もちろん、その後の経緯を説明するとともに、苺に事情を聴くためである。しかしそれは長いものにはならなかった。事情聴取と言っても、犯人がすでに月奈によって殺害されているため、捜査するようなことはほとんどないからだ。


「被害者は城崎省吾、46歳とその妻城崎亜美、37歳――いうまでもなく、そこのお嬢さん、苺ちゃんのご両親だ」


 宇田はソファに並んで座る月奈と苺に事務的に語っていた。苺は大分眠たそうだった。まだ現実感を取り戻していないのかもしれない。月奈は月奈で宇田の話を退屈気味に聴いていた。


「犯人についての素性も分かっている。田島司、21歳だ。城崎氏は高校教諭だったんだが、彼はその教え子だった。しかし田島は高校を中退、ルナティカン化した時期は分かっていない」

「あいつは先生に虐められたって言ってたけど」

「迂闊なことは言えんが、そういった形跡は見当たっていない」

「パパは厳しい人だけど、ひどい人じゃなかったよ」

「じゃ、やっぱり逆恨みに違いないわ」


 月奈はやれやれと、肩を竦めてから手元のお茶を飲んだ。それを真似するように苺もコップを両手にもってこくこくとお茶を喉に流した。


「迂闊なことは言えないって言っているだろう」

「どうでもいいわ、こんな――」


 しょぼい事件、と言いかけて月奈は慌てて口を噤んだ。彼女にしてみれば、これまで関わってきた案件と比べてごく小規模なものだったが、しかしその被害者である苺が隣にいるのである。どうにも感覚が鈍くなっていけないな、と思った。施設を出て5年、この生活と仕事を始めてからというもの、幾人もの犠牲者を見て来たし、それと同時に数知れないルナティカンどもを屠ってきた。命に対して鈍感になっているのかもしれない。


「とにかく、苺ちゃんにとってはつらいことになった」

「あたし、だいじょぶだから」

「無理しなくていいのよ」


 月奈は苺の肩をさすった。そこで、顔こそボンヤリしているが、少女が震えていることが分かった。


「事件の概要についてはこういうものだ。まったく理不尽なことが多くて参る」


 宇田の顔は憔悴しているように見えた。というより、月奈が見る宇田はいつもやつれているように思えた。携わっている仕事が仕事なのだから仕方ないのだろうが、いつか過労で倒れてしまわないかしらと月奈は心配だった。月奈が思う存分力を振るい、思う存分自由な生活を満喫できるのも彼のバックアップがあればこそである。彼を失う訳にはいかないのだ。


「あまり無理はしないでよ、宇田さん」

「心配してくれなくても、明日からは特別休暇だ。いっぱい羽を伸ばすさ」

「やっぱり結婚した方がいいんじゃないの?」

「え、宇田さんはおよめさん、いないの?」


 苺ののんきな声に月奈も宇田も苦笑した。今どき独身の中年男性など珍しくもないだろうが、苺にとってはそうではなかったらしい。


「ひとりの方がいいこともあるんだよ、苺ちゃん」

「淋しくないの?」

「まあ……確かに家にひとりでいると侘しくなる時もあるが」

「いつかいいひとが見つかるといいね」

「ちょっと宇田さん、なに苺に気を使わせてるの」

「ちょっと待て。最初に話を振ったのはきみの方だろう」


 そんなことは知らないわね、という風に月奈は鼻を鳴らした。苺は微笑を浮かべていた。


「ともかく、ここからはもっと重要な話だ。苺ちゃんのこれからなんだが……」

「引き取ってくれそうな親戚とかはいるの?」


 苺は首を横に振った。


「パパとママも一人っ子だったから叔父さんみたいなひとはいないの。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんも遠くに住んでるし……」

「頼れる親類はいないということか。となると孤児院か……」

「ちょっと待って」


 月奈は話を遮った。どういう訳か、苺を助けてから浮かんだ着想が離れてくれない。それは彼女にとってひどくおかしいことだった。


 私はひとりを謳歌していたはずなのに。


「苺は私のせいでルナティカン化したわ。迂闊なところに任せられない。それはまったく私の責任なの」

「どういう意味だね?」


 月奈は一拍置いてから言った。


「苺は私が責任をもって面倒を見る」

「本気で言ってるのか? 猫を拾ってくるのとは訳が違うんだぞ」

「それでも私はそうしたい」


 甘えているな、と月奈は思った。宇田はこういった時の月奈が頑固でワガママであることを十二分に分かっている。


「きみはそれでいいのかもしれないが、苺ちゃんの意思が最優先されるべきだ」

「あたしは……」


 苺は月奈の横顔をちらりと見て続けた。


「あたし、月奈と一緒に居たい」


 女2人の心が固ければ、男は折れるしかない。


「それに、色々とサポートはしてくれるんでしょ? ね、宇田さん」

「仕方ないな……だが、そうと決まったら必ずきみは死んでもこの子を守らねばならんぞ」

「分かっているわ」


 こうして月奈と苺の奇妙な共同生活が始まった。

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