4:少女、城崎苺
いずれ警察にも報告する必要があるだろうし、少女は事情聴取を受けることになるだろう。しかしそれまでには少女には安らかな心を取り戻して貰わないといけなかった。だがそれ以上に月奈の心にあったのは同情だった。一日にして幸せな家庭を奪われた子供。孤児であった月奈は親の温もりは知らないが、かけがえのない人を奪われる痛みは知っているつもりだった。
遊びの日がこんな形で予定変更されたことに不満がないではなかったが仕方がない。今の月奈は少女のことが一番になっていた。
「警察が来るのを待った方がよかったんじゃないの?」
耀司の言葉は至って正論だった。しかし月奈は自分の判断が間違っているとも思わなかった。
「警察署で保護されるよりは、私ん家で匿った方がまだ気が楽でしょ」
「それはそうかもしれないけれど……」
「それに、私がこの子に血を分けた。その責任がある」
少女は今月奈のベッドに安静にしてある。まだ意識は戻っていないようだった。しかしすでに命に別状はない。あとは目覚めるのを待つだけだった――しかし、その目覚めた少女に残酷な事実を伝えることになるのは気が重い。それでも月奈はその責任を果たそうとしていた。
お酒を飲みたい気分だったがそれは我慢した。月奈は少女のそばに付きっきりで看病していた。
「耀司、あなたは帰っていいよ」
「え、なんでだよ。ぼくは月奈を放っておけないよ」
「もうちょっと頭を使いなさいよ。女ふたりでいるんだから、色々デリケートな問題があるのよ」
耀司はふぅ、とため息を吐いた。
「分かったよ。ぼくは宇田さんのほうに会ってくる」
「お願い」
そうして耀司は月奈のマンションを去っていった。彼が去った後の部屋は妙に静かに思えた。しかしその静寂は心を整えられるようで月奈は歓迎した。聴こえるのは少女の寝息だけである。
ここで月奈は少女をまじまじと観察した。とても肌が白く、背中まで伸びたストレートロングの髪は輝くような栗色である。この歳で染めたりブリーチしている訳はないだろうから地毛だろう。すこし日本人離れしていると思った。死んでしまった両親はどちらも日本人だったが、どこか遠くに北欧かロシアの血が入っているのかもしれない。頭は小さく、顔は整っている。この世の悪をまるで知らない、というような無垢な寝顔だ。
まあ、間違いなく美少女といっていいだろう。お人形さんのような印象も受ける。月奈はその小さいもみじのような手を握った。とても温かった。ひょっとしたら元々体温の高い体質なのかもしれない。
「なんだろう、これ」
月奈は自分の心に異変が起きていることを感じていた。それは心地いい変化だった。少女の顔を見ていると、少女の温もりを感じているととても穏やかな気持ちになっていく。そんなことは初めてだった。日夜ぎらぎらした生活を送っている月奈にとって、それはまるで感じたことのない安寧だった。
そうしてしばらくすると、少女の呻き声が聴こえた。
「う、う〜ん」
とても透き通った声質だった。まさに透明感のある美少女に相応しい声であるように感じた。
そして少女は目覚め、ゆっくりと背を起こした。最初は自分になにが起きたのか分からない、と言った風に月奈の寝室をきょろきょろ見ていた。まあ、当然だろうなと月奈は思った。
そして隣に月奈がいることを見付け、少女はきょとんとしたライトブラウンの瞳を見せた。手をつないだままだったのだが、それが恥ずかしくなって月奈は慌てて手を離した。
「お姉さん……だれ?」
まだ意識がボンヤリしているようで、その顔は胡乱だものをしている。
「お父さんは? お母さんは? そうだ、近道だからってお父さんが言って、裏道を抜けようとして……」
「残念だけど、あなたのご両親は、もう……」
「殺されたんだ」
沈んだ気持ちの月奈に対して、少女は平静とした顔を見せていた。彼女が強いのか、それともあまりの出来事に彼女の情動を奪っているのか分からなかった。
「ごめんなさい、私はあなたしか助けられなかった」
「お姉さんはなにも悪くないよ」
2人とも笑顔はなかった。月奈は残酷な現実を前にした少女に掛ける言葉が見つからなかったし。少女は現実を受け入れるまでにはいましばらくの時間を必要とするだろう。
「お姉さんが私を助けてくれたんだぁ……ねぇ、お姉さんのお名前は?」
名乗っていいものなのかどうかは分からなかったが、訊かれて答えないのも不躾な気がしたので月奈は名乗った。
「私は周防月奈」
「すおう、つきな……むー、なんかどこかで聞いたような名前」
「あんまり考えなくていいよ。今は疲れてるだろうから」
「お歳は」
「ええと、まだ20歳よ」
ふうん、と少女は言った。それから自分の自己紹介を始めた。
「あたしは城崎苺、11歳。もう小学校5年生なんだよ」
「そうなんだ」
それから月奈は苺の汚れた服を脱がして、自分のシャツを与えた。暖房をガンガンに効かせて、寒さを感じないようにしている。もちろん月奈のシャツは苺には大きすぎたが、すらりとした身体はその下でもよく分かる。当然だが女らしい凹凸はまだ見当たらない。それでも苺は可愛らしい女の子だった。仄かな色気すら感じられる――と思ったところで月奈はそれはとても危険な感情であることに気付いた。
「ええと、苺ちゃん……」
「あたし、これからどうなるんですか?」
彼女は自分が助かった意味をどこまで理解しているのだろうか。苺には過酷な未来しか見えないように思える。しかし、彼女は生きている。生きているからには楽しい明日を用意するべきなのが自分の役目なのだと月奈は決心していた。彼女のこれからをしっかり支えてやるつもりだった。
「大丈夫よ。苺ちゃんはなにも心配しなくていいの」
そう言って月奈が再び苺の手を握ると、少女は力のない笑みを見せた。この年頃の子供にさせてはいけない顏だった。月奈はもっと苺に元気いっぱい笑って欲しかった。しかしこの状況ではどう考えても不可能だった。
「また学校に行けるのかなぁ……」
「苺ちゃんは、学校は好きなの?」
「好きだよ。お友達はいっぱいいるし、これでも勉強好きなんだよ」
「もちろん行けるよ。私が、あなたを絶対に助けるから」
感情移入し過ぎかな、と月奈は思った。これまでのルナティカン退治でも被害者は幾度となく出てきた。これまではそのアフターケアは宇田に投げっ放しだった。それが何故苺だけにはここまで気にかけているのだろう? 子供だから? 確かにそうかもしれない。しかしもっと奥底に別の理由があるような気がしてならなかった。でも、それが具体的になんなのかは、この時点の月奈には分からなった。
ともかく、今は苺の心を落ち着かせることに専念すべきだった。ということで、月奈は彼女に提案した。
「とりあえず、お風呂に入ってきなさい。ずいぶん汚れちゃってるし、もう湯船は沸かしてあるから」
「お風呂かぁ」
その提案を苺は前向きに捉えているようだった。お風呂が嫌いな女はいない。それが子供であってもだ。しかしそのあとに出た苺の言葉は月奈を吃驚させた。
「月奈さん、一緒に入って」
「えぇ!?」
「だって、独りになるのはまだ怖いし……」
「でもでもでもでも、本当にいいの!?」
月奈のあからさまな狼狽ぶりに、苺はようやく子供らしい笑顔を見せた。
「女の子同士なんだから、特に問題はないでしょ?」
「でもでもだって、会ったばかりの子といっしょにお風呂だなんて」
「そうじゃないと、あたし、お風呂入れない……」
一転して沈んだ表情を見せる苺に、月奈はいよいよ困ってしまった。なんともらしくない。最強のルナティカンたる私がこんな少女に翻弄されるなんて……
「いいでしょ、いいでしょ」
苺は月奈の手をいっそう強く握った。それは大した握力ではなかったが、それ以上に心の強さを感じた。苺の決心は固いように思えた。月奈は進退窮まった。すっかり困惑していたが、その困惑が強ち悪くないものであることも感じていた。
「仕方ないわねぇ。分かった、一緒に入ろう」
「やったぁ!」
苺は会ったばかりの私にどうしてここまで心を開いているのかと月奈は思った。そういう性格なのだろうか。だれとも分け隔てなく付き合える心の清い少女。だとしたら、助けたのはとてもよいことだったのかもしれない。
そうして、2人は入浴することになった。