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35:顛末、そして





 幹部連が壊滅したと分かるや、残りの月命党員は算を乱して逃走した。元々、ここにはあまり人員を多く配置してはいなかったらしい。そして警察がアジトを制圧する。月奈の仕事は終わったのだ。


 彼女は手持ち無沙汰だったナイフをぽいと投げ捨てたが、それも回収された。


「それはあの無貌の仮面が持っていたものなのだろう。指紋などが付いているだろう。それは鑑識に出す」

「ああ、そうか」


 なんだかすべてが終わったような気がしていたが、そうではなかった。無貌の仮面を取り逃がして、その行方は杳として知れないのである。月命党自体も完全に潰された訳ではない。それでもこれは大きな一歩であるに違いない。


「苺は? 苺はどこにいるの? 無事なの?」

「彼女は我々が安全に確保した。今はパトカーの中に匿っている」


 とにかくそれがなにより大事だった。苺にはとても恐ろしい目に遭わせてしまった――それはすべて私の責任だ。苺を慰めてやらないといけない。そして今後こういったことが決して起こらないように、もっと警戒を強めるべきだと月奈は心を引き締めた。もはや苺は自分の分身のようなものだった。自分の人生は彼女のためにある――月奈はそこまでになるまで考えていた。


 宇田の案内で苺の保護されているパトカーに向かった。今日はそのまま2人ともそれで家まで送ってくれるらしい。それはとてもありがたいことだった。月奈自身も相当疲れていて、歩いて帰るのは億劫だな、と思っていたところなのだった。


 そして、月奈は愛する少女の顔を見た。あれだけひどい目にあったにもかかわらず、その顔には笑みが浮かんでいた。なんと健気な苺。月奈は苺の精神の強さに感嘆せずにはいられなかった。彼女はまだ小学生、わずか11歳だというのに。思わず彼女を抱き締めた。こんなところで堂々といちゃつくことはできなかったが(月奈も自分たちの関係が、社会的に見れば犯罪的であるくらいの意識は持っていた)、それくらいは許されるだろうと思った。


 そして月奈のほうでは思わぬ変化があった。彼女は涙を流していたのである。泣くなんていつぶりのことだろう。そんな感情表現は自分には枯れて久しいと思っていた。しかし月奈は苺が無事だったという安心感、そして自身への悔恨によりそうしてしまったのである。元気な苺を見て情動の制御が緩んでしまったのかもしれない。


「ごめんなさい、ごめんなさい。苺……」

「どうして月奈が謝るの? 悪いのはげつめいとうのひとたちでしょ」

「ええ。でも私はあなたを命を賭けてでも護ろうと思っていたのに」


 涙に濡れて、ぼろぼろな月奈の顔を見て、苺はそれをあやすように頭を撫でた。まったく、立場がまったく逆であると月奈は思った。それでも、彼女は苺の優しさに触れて感激していた。


「泣かないで、月奈。泣くのは月奈には似合ってないよ」

「うん」


 月奈は目を拭い、鼻水を啜った。ようやく落ち着いたところで、苺は「えへへ」と月奈に笑いかけた。


「あのね。あたし、捕まっても泣かなかったよ」

「どうして?」

「だって、月奈が助けに来てくれてるって信じてたもん」


 疑うことを知らない純粋無垢な精神。それでいて逆境にも負けない心。月奈はこの小さい少女から学ぶことは沢山あるなと思った。苺はとても強い子だ。それに見合う女として、まだまだ自分を磨いていかないといけないな、と月奈は反省するのだった。



       ◇



 精神的支柱のひとりが墜ち、首魁である無貌の仮面が行方知れずという事態になっても、月命党の活動は続いた。それは鬼塚が今際の際に発した、月奈への負け惜しみを裏打ちするようなものだった。


 だがそれは統率の取れていない行動でもあった。それでも街にとって脅威であったことには間違いない。市民は相変わらず怯えた生活を続けていた。月奈は人々を脅かす革命など無意味だと思った。だから月命党の残党狩りには積極的に参加した。


 頭を失った彼らは次第に追い詰められていく。だが追い詰められた者ほど恐ろしいというのは世の常である。月命党の破壊行動は過激化していった。そしてそれに賛同する者も少なくはなかったのである。


 そうした極限状態の中で政府は決定的な決断を下した。


 陸上自衛隊を投入したのである。


 自衛隊が国内で戦闘行動をするのはこれが初めてだった。言うまでもなく、各種団体はそれに抗議の声を上げた。「国の横暴」を憎悪するあまり、月命党の活動を賞揚する学者まで現れた。それだけ軍隊アレルギーというものが国内に根強く残っていた証拠でもあるのだが、当事者である宇浪野市民は自衛隊の投入を歓迎した。いつ終わるとも分からない緊張から解放してくれるのなら、誰でもよかったのだ。


 自衛隊の活躍は顕著だった。彼らは警察と連携し、月命党の根拠地を次々に潰していった。それは確実に時代が変わったことを示していた。それは良くも悪くもである。ルナティカンの大規模な破壊行為には軍事力を使って鎮圧するという前例が生まれたのであり――しかし月命党の蒔いた思想は地下深く埋められ、再びの開花を狙っていた。


 ともあれ、宇浪野市に平和が戻ってきた――それが一時的な平和だったとしても。



       ◇



 長らく続いていた休校処置も終わり、苺も小学校への登校を再開した。彼女はとても嬉しそうだった。


「苺は本当に学校が好きなのね」

「うん! 月奈と離れちゃうのは淋しいけど……友達も沢山いるし!」


 健康的なのはじつによいことであると月奈は思った。苺は月奈がいらない心配をしなくても、きっと健やかに育っていくのだろうと思った。これから思春期を迎えてどうなるかは分からないが、きっと上手く行くだろう。苺がグレることなどはまるで考えられなかった。


 いっぽうで月奈との情愛がどう変化するかというのは不安の種ではあった。2人の関係は恋人関係の情と親子関係の情が入り混じった、とても繊細なものだった。子供はいつか親離れしなければならない――だが私たちの場合は?


 まあ、先のことはもっと後で考えればいいやと月奈は思った。今は今の幸せを十分に噛みしめておけばいい。はっきりしているのは、月奈は苺を絶対に手放さないという覚悟だった。彼女のためならなんでもする。彼女の敵はとことん排除する。彼女のために戦う。彼女のために平和をもたらす。


「苺は偉い子ね。お勉強も好きなのね」

「えあ、うーん……お勉強は、そんなに……」


 恥じ入ってもごもご言う苺。そんな姿も愛らしくて、月奈は彼女の頭を優しく撫でた。


「正直なのはいいことよ。でもお勉強も頑張りなさい」


 月奈は苺に甘いが、あまり甘やかしすぎてもいけないとも思っていた。彼女が大人になるまでは、自分が保護者でもあるのだ。


「うー、月奈がそう言うなら……」

「苺は漫画家になりたいんでしょう? だったら色々な知識を得ておくのは大事なことだと思うわ」

「……うん、頑張る」


 そういう風にして毎日小学校に彼女を送り迎えする月奈なのだった。そういえば、家族参観などがあったらどうすればいいのだろうと思った。苺の特殊な立場は学校にも話をしてあるが、そういった時に彼女は淋しい思いをするのではないか。それに進学すれば家族面談や進路相談もあるだろう。そう思うと、月奈は保護者ではあるが親ではないという自分の立ち位置の弱さを痛感するのだった。


 それでも、それでも――私たちは万難を排して添い遂げる。大丈夫だ。私たちならやれる。今までもそうだった。数々の困難を乗り越えてきた。これからもそうだろう。月奈が苺を愛する限り、そして苺が月奈を愛する限りその関係は絶対であり、永遠である。


 そうでなければならない。


 月奈はいつも通り苺の下校まで「ミエスク」で時間を潰した。そう言えば、あの森川桜乃に背中を押されたのもこの場所だったと思い出し、月奈は後ろ髪引かれる思いになった。彼女は恩人であると同時に敵だった。そして私が殺した――悔いがある訳でない。彼女は彼女で自分の理想と、愛する人のために殉じたのだろう。ただ哀れであるという思いしかない。しかし、もし運命が変わっていれば、もっと……


「……運命という言葉を簡単に使ってはいけないわ」


 それは月奈の信念だったが、ともすれば忘れがちになる信念だった。


 ともあれ、いつの間にか苺の下校時刻になった。月奈は彼女を迎えに行った。苺はいつもの通り「つきなつきな〜」といってじゃれつくように月奈に飛びつく。苺を動物で喩えるなら間違いなく犬だろう。いっぽう月奈は宇田あたりに猫だと言われることがある。そんな2人が仲がいいというのも奇妙だが、面白い。


 帰り道は特に事件もなく、マンションのオートロックの前に着いた。その前に月奈はポストを確認した。普段からそんなに郵便物はこないのだが、なんとなくチェックしないと落ち着かないのである。


 そして、彼女はその中に入っていた、郵便局の押印もない白封筒を見つけた。なにごとかと思った。郵便局を介さないのであれば、これを投函したのは月奈の住所を知っている者にほかならない。そしてそこには毛筆で「果たし状」と書いてあった。


 月奈はすぐに封を開けた。そこに入った手紙には、単純にこう書かれていた――


『あなたと私の運命は交錯し、いまだ決着を見ず。よってここに決闘を申し込む 無貌の仮面』

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