19:ストレングス・マン
ルナティック症候群、そしてルナティカン化は突然襲ってくる凶事であり、それまでの人生を狂わせるものだった。月命党員、鍵屋宗一郎もその中の1人だった。176センチ、80キロの恵まれた肉体を持ち、高校でレスリング部に所属し、全国制覇をして、オリンピック代表にまで嘱望された男だった。だがルナティック症候群に罹患したことでその名誉のすべては過去のものになった。
もっとも、大学を追い払われてからも彼はその鍛えられた精神から前向きに生きるようにした。もちろん、犯罪者に与することはしなかった。だが超常的な肉体を手に入れたことで元々彼の本質がより剥き出しになった。強い敵、そして死闘を求め始めたのである。
鍵屋を一言で表現するのなら、純粋な戦闘狂である。
だが彼はあまりにも強すぎた。元来の素養もあって肉体はルナティカンの平均と比してすこぶる高く、そしてレスリングで鍛えられた戦闘技術の前に敵う者はいなかった。そに意味で彼はくすぶっていたのだが、無法ルナティカンを倒していく内に彼は一種正義のヒーロー視されるようになった。もっともそれは鍵屋の望む名声ではなかった。彼はただ強い男として讃えられたかったのだ。
闘争のための闘争を求める鍵屋は戦闘に明け暮れた。彼が活動していたのは宇浪野市ではなく東京である。
鍵屋は正々堂々とした男だった。彼独自の武士道精神を重んじていて、卑怯なことは決してせず、武器は持たずにただ己の肉体の身を恃んだ。
そんな鍵屋に目を付けたのが月命党結成のための同志を探していた鬼塚学である。鬼塚はその類い稀なる戦闘力と悪に堕しない性格に好感を持った。いずれ構築されるであろう実働戦闘部隊の中心に据えるに足る男だと判断したのだった。
鬼塚は入党すればより強い相手とやり合える、という甘言で彼を誘った。鍵屋自身も個人での活動には限界を感じていて、その誘いは渡りに船だった。そして鍵屋は鬼塚とともに宇浪野市に移動し、その活動を始めるのだった。
◇
ようやく自分の番が来た、と鍵屋は喜んでいた。
数年の雌伏のあと、ついに月命党は社会の表舞台に現れた。となれば存分に暴れられるということだった。それまでの彼は意気はあるが戦闘技術という点では素人というルナティカンたちに訓練を施すということを主にやっていたのである。今では鬼塚の思想にも共鳴しているし、そのために戦うことも辞さないと思っていたが、彼が求めているのはやはりヒリヒリした闘争そのものなのだった。
「しかし、強敵というのは中々現れないものだな」
無法ルナティカンの大半は、ただ力が増強したチンピラばかりなのであり、卓越した戦闘能力を持つ彼の眼鏡に適う相手はなかなかいなかった。相手が集団でもそうだ。
「中々きみの要望に応えられないですまないね。もしかしたらきみは私が騙したと思っているのかもしれないな」
「そんなことはないですよ。強い奴はたまにいますしね、ただ……」
活動を始めた月命党に協力する者が現れ始め、彼らはついに念願の固定した拠点をえることになった。党員も徐々に増えつつある。この拡大期に最も必要なのは規律を維持し続けることである。鍵屋にはその役目も負わされていた。それも彼は快く承諾した。生粋の体育会系である鍵屋にとっては上下関係は絶対であり、また規律を守ることも当然だったのだ。
「ただ、俺はあの周防月奈とかいう奴と一遍戦ってみたい」
その言葉を月奈が聞いていたら一笑に付しただろうが、鍵屋は本気だった。
「駄目だよ。今のところ彼女は敵じゃない」
耀司が言った。鍵屋はごつごつした顔をあからさまにしかめた。
「耀司、お前は奴とやり合ったそうじゃないか。ずるいぞ」
「ずるいって言われてもなぁ……そこは党首の特権だよ」
「彼女に我々の存在を刻むのは無貌の仮面をおいてほかはなかったのだ」
耀司の言葉に鬼塚が注釈を付け加えた。言葉の勝負で2人を敵に回すと勝てないのは分かり切っているので鍵屋はそれはそのままにした。ただ、言葉にはしないが、彼は月奈が敵になってくれることを切に望んだ。最強と言われる彼女――仕合ったらどれほどの快感が得られるだろうか?
「党員は着実に増えている。極わずかだが、我々の血を受けてルナティカン化したいという一般人も現れているのだ」
「しかし、まだやることは地道な街掃除ですか」
「機を間違えれば我々が社会の敵になる。そうなってはなにもかもが水泡に帰す」
鬼塚は苦虫を噛み潰したような顔をする。表情を滅多に変えない彼にしては珍しいことだが、この件に関してはどうしてもそうなってしまうことを鍵屋は知っていたし、耀司も知っていた。彼の5年前の失敗――ルナティック症候群研究所襲撃の失敗を。
「我々は力を持っている。だが力だけではすべてを解決することはできない」
「なんとも迂遠な計画だと思いますけどね」
鍵屋は言った。
「いいか、宗一郎。私たちの目的は新しい世界を作ることだ。そしてその先頭には耀司が立たねばならない。お前はその露払いとなるのだ」
なんとも損な役回りを任されているようにも感じられるが、鍵屋は気にしなかった。むしろそれをこそ望んでいた。そこにこそ燃え滾る戦闘があるのだ。
そんな話をしていたところにルナティカン犯罪の一方が入った。伝えてきたのは月命党員ではなく、暴力団組員、東和会の使いっぱしりだった。警察を頼めない月命党はこnヤクザ組織と提携して情報と資金、物資の援助を受けているのである。ヤクザものもルナティカン犯罪には頭を痛めているということだ。もっともこれは利害関係のみでつながっているだけで、本質的にはどちらもお互いを信用していない。
「よし、行こう」
耀司はそう言い、仮面を被ろうとしたが鬼塚がそれを制した。
「いや、ここは宗一郎に任せよう。しばらく暴れていなくて溜まっているのだろう?」
「さすが鬼塚さん、話が分かる」
「やれやれ」
そうして鍵屋は現場に向かった。少人数のルナティカンが古物買取商の店舗を襲っているところだった。鍵屋は数人の部下を引き連れていたが、それは逃走防止のものであり、戦闘はひとりでやるつもりでいた。
鍵屋は暴漢に向かって宣言する。
「俺たちは月命党だ! これ以上の乱暴狼藉は許さん!」
「けっ……例のヒーローごっこ団体かよぉ」
敵は3人。それぞれ幅広のナイフを持っている。しかしそれは取るに足らない。構えからしても戦闘の素人であることは一目瞭然だった。熱い戦いは望めそうにないな、とやや気持ちを沈めながら鍵屋は問答無用に敵のひとりに突っ込む。フリースタイルレスリングで培った強烈な下半身へのタックルが炸裂し、そいつを組み伏せる。そしてそのまま鉄拳を振り下ろし続ける。生半可な打撃ではルナティカンを殺せないことは彼も熟知している。だから容赦なく頭蓋骨を完膚なきまでに破壊するまで殴打を続けた。
「げえっ」
その凄惨な光景に算を乱し、残りの暴漢たちが散り散りに逃げようとする。だが鍵屋はそれを逃がさず。ひとりの男の首根っこをつかんでもうひとりにぶつけた。動きを止めたところでまずはひとりをつかみ、脳天から叩き落す。まともに頭から打撃を受けた男は首の骨から脊髄を破壊され、即死した。もうひとりも同じ運命に遭った。
無手でルナティカンを殺しきれる者はほとんど存在しない。その稀な存在が鍵屋だった。
「さすがです、鍵屋さん!」
月命党員のひとりが褒めそやした。しかし鍵屋はなんの感慨も抱かなかった。この程度の雑魚は倒して当然なのである。賞賛されるほどでもない。
「それより被害のほどを見ておこう」
店内は荒らされていたが、幸いなことに死人は出ていなかったようだ。奥では店主と思しき老婆と、その孫であろう女の子がいた。彼女らは当然ながら恐怖に震え、なんの言葉も発せなかった。
「もう大丈夫ですよ。我々がいる限り、皆さんは全力で守る」
鍵屋は全開の笑顔を――それでも厳つい顔であることは自覚していたが――見せた。老婆はまだ震えたままだったが、孫娘はすこしだけ顔を綻ばせた。
「安心して。そうだ、この飴をあげよう」
そう言ってポケットから飴玉の袋を取り出し、孫娘に手渡した。そしてごつごつした手で娘を撫でる。
「あ、ありがとう……おじちゃん」
「お、おじちゃん……これでもまだ25なんだけどな」
それでも娘が気を持ち直したことに鍵屋は満足した。それから不意に自宅のことを思い出した。家では飼い犬のコロが腹を空かせてまっているはずだ」
「そういやあ、餌を切らしていたなぁ……帰りに買っていくか」
鍵屋はその岩のような外見からは想像もできない柔らかい声で言った。




