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15:つかの間の安息(1)





 休む日はとことん休む主義である月奈は、いつものように苺を小学校に送った後、そのまま家に帰ってだらだらしていた。なにもしなくていいというのはじつに幸福な瞬間である。月奈はソファに枕を置き、ひどく自堕落な格好で横になり、ポテトチップスをノンビリ摘まみ続けていた。


 そうしている内にお酒が欲しくなってきた。彼女の堕落の魂は冷蔵庫に向かい。背徳の味、昼酒に向かおうとしていた。


「いや、いかんいかん」


 以前ならそのまま飲んでしまう月奈だが、今はまだやるべきことが残っていることを思い出した。夕方になればまた苺を迎えに行かなければならないのだ。酔う訳にはいかない。ここに来て彼女は自制ということを覚えたのである。


 だらだら自堕落していた生活に、苺はひとつの規律を与えた。それがひとりから2人になるということだった。そしてそれは決して悪い気分ではなかった。


 お昼ご飯は出前で済ませ、家事をやる気にもならない。ゴミ屋敷になるのは嫌だから掃除やゴミ出しは定期的にするが、それでも毎日する訳ではない。いまテーブルにはポテチの袋とピザを入れていた箱、それからペットボトルのコーラの飲み差しが転がっている。思えばこうしてだらだらするのも久しぶりのことだった。


「私ってばよく頑張っていたのねぇ」


 頑張った自分へのご褒美である。月奈は自堕落であることにまったく罪悪感はなかった。後ろを向かないのが自分のいいところだと本気で思っている。耀司などは彼女のずぼらっぷりに呆れたりしているのだが、それはどうでもいい。ジャンクフードを食べても太らない体質の月奈は自分の食生活にも無頓着である。


「でもこれからはそういう訳にもいかないわね」


 もちろん、その脳裏には苺が浮かんでいる。彼女の前でだらしない姿は晒したくない。強くてカッコいい月奈であることを自分に課さねばならず、それは日常でもそうである。それ以前に少女の保護者としての責任もある。引き取ったからにはそそれを全うせねばなるまい。いい加減ではあるが無責任ではないのが月奈なのだった。


 でも今日くらいはいいだろう。毎日気を張っていても疲労してしまう。疲労と言えば、先のモールでの戦闘でもすこし疲れを残していた。


 生活には緩急が必要である。


 月奈はノンビリ欠伸をする。珍しく彼女はテレビを見ていた。気になることが報道されていたからだった。


『暴虐の街、宇浪野市突如現れた新星! 月命党は正義の味方か否か!?』


 朝のニュースからワイドショーまでその話題で持ちきりだった。普段は通販番組ばっかりやっている地元テレビ局たいようテレビですら特別報道番組を編成してそれを報じている。それだけ月命党の登場はセンセーショナルだったのだ。何故ならこれまで組織されたルナティカンが無法ルナティカンを退治するということなど有り得なかったからだ。


 彼らの活動はあの日のみならず、日々ルナティカン犯罪の前に現れ、鎮圧していたのである。月奈としては無駄な仕事が少なくなって万々歳だったはずなのだが、なんだか妙に腹立たしい。


「正義の味方なんてろくなもんじゃないわよ」


 正義というものは相対的なものである。それが無法ルナティカンに向かっている内はいいだろうが、正義の名のもとに他の者を成敗するなどと言い出したらどうするのだ。その意味で月奈は月命党のことを全然信用していなかった。とはいえ、現状では敵対する意味もない。


「ああヤダヤダ」


 気に食わないのは、あの無貌の仮面とやらがどうにもいい奴っぽいということだった。単純に憎々しい奴ならさっさと叩き潰して終わりだが、どうもそのようではない。好意はまるでないが、かといって嫌いにもなりきれない男なのである。それがどうにもむず痒く、そして苛立たしい。


 そんなことを考えている内に月奈は意識がボンヤリしてきた。満腹になったのもあるのだろう。彼女は少しずつうとうとし始め、至高の堕落した快楽――惰眠を貪り始めた。



       ◇



 そんなものだから、月奈は苺を迎えに行くまでの時間ギリギリまで寝てしまった。もし来訪者がいなければ、本当に寝過ごしていたかもしれない。


 月奈の惰眠を(幸いにも)断ち切ったのは耀司だった。


「なんであんたがここで現れんのよ」


 起こしてくれた恩人にもかかわらず、月奈は彼に毒づいた。耀司は慣れたものなのか、そういった月奈の不躾にもはにかみで応えるだけだった。


「ぼくも苺ちゃんの顔を見たくなってね。迎えに行くんだろう?」

「それはそうだけど」


 月奈はできれば苺との2人の時間を作りたかったのだが、自分の失態をカバーしてくれた手前、彼に強くは出られない。結局月奈は彼の同行を許可した。


「年々警備が厳重になるね」


 往来で武装した警官を見るのも珍しくなくなってきた。年末を迎えようとする中で、ますます警察は神経過敏になっている。去年はクリスマスに4人のルナティカンによるテロ事件が発生したこともある(それは結局月奈が粉砕したのだが、そのせいで彼女はクリスマスを祝えなかった)。ルナティカンの暴走もそうだが、そもそもの原因であるルナティック症候群も完全には収まっていない。今はまだぎりぎり平和を保っているように見えるが、それが崩壊しないとは誰にも言えないのである。


「ねえ、月奈」

「なぁに」

「月奈は自分の活動で平和を保っていると思ってる?」


 不意にそんなことを言う耀司。月奈はぽかんとした。まるで予想外の質問だったのだ。


「なにが言いたいのよ」

「……いくらきみが強くても、個人にできることには限界があると思わないかい?」

「月命党みたいなことを言うのね」

「そうだ。ぼくも彼らの報道は見たけど……組織というのは強いものだよ」

「ふん。あいつらが本当に平和だけを望んでいるか分からないのに。あんたは純朴なのねえ」


 月奈は月命党と2、3やりとりがあったのを言わなかった。あれは信用できない。彼女の直感がそう言っている。だが耀司のように報道を見ただけのひとは希望を見出すのかもしれない。あまりいい傾向とは言えなかった。


「私は私のためにルナティカン狩りをしているの。平和とかそんなことは考えてもいないわ」

「でも市民はきみをヒーロー扱いしている」

「ふん。そうやってヒーロー気取りしたいのが月命党って訳ね」


 それならそれで勝手にやってくれと思った。個人的にはこれ以上関わり合いたくもなかった。


 そうこうしている内に小学校の校門前に辿り着いた。月奈はすでに警備の警察官とは顔馴染みになっていて、疑われることもない。下校していく児童たちもにこやかに彼女へ手を振っている。


「子供というものはいいものだね」

「ヘンな気を起こすんじゃないわよ、このロリコン」

「……ときどき思うんだけど、なんで月奈はぼくに対してそんなに刺々しいの?」


 耀司は苦笑した。月奈はなにも答えなかった。どうにも虐めたくなってしまうオーラを放っているのよ、と言ってもなんら得はないからである。


「心配ご無用。ぼくはオトナの女性が好きなのさ」

「あっそう」


 月奈は児童の中に目敏く苺を見つけた。今日はひとりのようだが、特に淋しそうな顔もしていない。月奈が少女に向かって手を振ると、苺は満面の笑顔を浮かべて駆け出し、そのまま月奈の胸に飛び込んできた。


「つきなー!」


 急に抱き付かれて月奈はどぎまぎした、苺の柔らかい身体、そしてふんわりと芳しい香りが漂っている。


「ちょ、ちょっと……一体どうしたのよ」

「えへへ。今日はずっと月奈のことを考えてたの」


 さらに密着しようとする苺をどうにか放し、月奈は一息ついた。懐かれているのは悪いことではないが、こんな往来で抱き付かれるのは、ちょっとこう、恥ずかしい。月奈は心拍数が上がっているのを感じていた。どうにも苺には自分のペースを保てない。弄ばれている感すらある。でも、それは決して嫌なことではなかった。心地よくすらあった。


 まあ、純真な子供には大人は敵わないのだろう。


「今日は耀司さんもいるんだね」

「ぼくがねぼすけの月奈を起こしたんだよ。ちょっとは感謝してもらいたいな」

「ありがとう、耀司さん!」

「こいつに感謝してもなにも出ないわよ」


 そんなことを言い合いながら帰路に着く。


「もうすぐクリスマスだね! 今年はみんなでパーティーしたいなあ。月奈と、耀司さんと、宇田さんもいればいいなあ」

「宇田さんは仕事で忙しそうだけどね。時間が合えばいいわね」


 クリスマスはいよいよ来週に迫っている。苺と一緒になった今、月奈は万難を排して彼女と過ごすつもりだった。本当は2人きりがいいのだが、苺が賑やかなパーティーを望んでいるのなら仕方がない。


 月奈は苺の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「その前に日曜日には有馬記念だ!」

「競馬なんかに興味ないわよ」

「えぇ、そんなこというなよ。有馬は国民的一大イベントだよ。今年は特に豪華な面子になりそうだし……」

「有り金全部スって枯れちまえ」


 月奈は毒づいた。


「そういえばあんた、どうやって稼いでるの? 仕事してるんならこんな時間にいられないよね」

「それはまあ……自営業的なことをしているよ」


 耀司は自身のことについてはなにも喋らない。秘密主義とも言える隠しようだったが、月奈も特に興味はなかったので追求はしなかった。だが改めて考えてみると彼はじつに謎の男である。自営業というのも嘘だろう。


 その謎の男が唐突にヘンなことを言い出した。彼はポケットからライターとロングピースを取り出していた。


「ちょっと一服してきていいかい?」

「あんた、煙草なんか吸ってたっけ?」

「最近吸い始めたんだ」


 彼の謎がまた追加されたが、それもどうでもよかった。月奈はそれを認めると、耀司はちょうど通りかかったコンビニの喫煙ブースへと消えていった。


 月奈は彼がいなくなったことでうずうずし始めた。苺と2人になりたいという欲求が生まれ始めたのだ。彼女は苺の手を握った。


「あいつのことはこのまま放っておきましょう。さあ、行こう」

「ええ、それはヒドイよ」

「いいのいいの。あいつはそういう星の元に生まれているの。今日だって本当は必要なかったんだし」

「うーん……あたしも月奈と2人のほうがいいけど」

「じゃあ決まり決まり。あいつも子供じゃないんだからどうにかするでしょ」


 そう言って、月奈は苺を引っ張って走り出した。


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