13:ラウンドテーブル(1)
人口150万人を誇る政令指定都市、宇浪野市。風光明媚な山と海の街はいっぽうでルナティック症候群の発生後、極端な治安悪化をもたらしたことでも不名誉な泥にまみれた。というのは、理由ははっきりしていないがここは症候群の発症者が全国平均から大きく逸脱したほどの多さを見せたのである。今でもそれは続いている。自然とルナティカン犯罪は増加の一途をたどった。人口も急減した。
そんな街で月奈も苺も生きていた。
◇
その宇浪野市の南には大きな橋を挟んだ人工島がある。それがポルトラントである。その中央部に巨大ショッピングモールがあり、土日になれば(治安悪化により大きく減じたとはいえ)多くの客で賑わう。「なんでも揃う、いくらでも揃う」とのキャッチコピー通り、大量の商品が日々消費されていく。
なにが気に入らなかったのか。その日曜日、大規模ルナティカン反社会集団、「パンサーズ」がそこを襲撃したのである。もちろん武装した警察が防護していたのだが、彼らは哀れにも蹴散らされ、惨殺された。家族連れ、恋人連れで幸せに過ごしていたはずの客は一気に阿鼻叫喚の場と化した。
「奴らは何故そんなことをするのかな」
「そんなの分かってるわよ。妬みよ妬み。ルサンチマンってヤツ」
月奈は言葉こそ軽かったが、その心には憤怒の炎が灯っていた。集団のルナティカンによる大規模施設への襲撃は彼女の最も嫌いとすることだった。それは彼女の生い立ちに起因している。5年前の惨劇をどうしても思い出すのだ。
「『パンサーズ』の構成員はおよそ50人と見積もられている。いくらきみでも分が悪いのではないか」
宇田の心配はもちろんだろう。だが月奈は自信満々だった。数を集めても、組織化されていない集団など物の数ではない。結局のところ、奴らはただ暴れたいという理由で集まっているだけの群れにすぎないのだ。
県警は出せるだけの戦力を出してモールを包囲している。だが投入するのは月奈だけである。戦術的判断ではなく、それを彼女が望んだからだった。
緊張がなかった訳ではない。しかしそれは心地いい緊張であり、高揚とともに月奈の闘争本能に火を点けるものだった。
「皆殺しにしてやる」
と言ってから、月奈は自身の言葉に惑った。昨日、苺に言われた言葉が心に引っ掛かっているのだ。しかし彼女を守るためには戦うしかないとも思っている。これが私のやること――だが、その残虐性については再考すべきなのかもしれない。
「おい、月奈」
「ふえ?」
なにかヘンなところがあったのだろうかと思った。見ると宇田が怪訝な顔をして月奈を見ている。
「いや、なにかを思い出しているような顔をしていたのでな」
「そういうもの、分かるものなの?」
「伊達に歳は取っていないよ」
「宇田さんはまだ39歳でしょ。まだまだ若いわ」
「それはどうも」
宇田の厳つい顔が綻ぶ。ふだん厳めしい顔をしているからこそ、こういった笑顔は可愛らしいとすら思えるものである。まったくこの男に伴侶がいないことが改めて不思議でならない。
「苺ちゃんのことを思い出していたのだろう?」
まったく図星を突かれて、月奈は顔を赤くした。それを誤魔化すように月奈は日本刀を鞘から抜いた。
「犠牲者を増やす訳にはいかない。もう踏み込むわよ」
「よろしく頼む――しかし、きみに頼らざるをえないことに俺は無力さを感じずにはいられない」
「ひとにはそれぞれやるべきことがあるだけよ」
それだけ言い残して月奈は駆け出した。
◇
モールの中は惨憺たる有様だった。店舗は無惨に壊され、略奪されている。辺りには殺害された人々の骸が転がっていた。月奈は特に子供の死骸に心を痛めた。だがまだ生き残りはいるはずである。すこしでも命は助けなければならない――そしてそれは暴虐の徒の血で贖わねばならない。
月奈はちょうど3人ほどのルナティカンがひとりの女を囲んでいるところに出くわした。今にも強姦しそうという勢いだった。
「や、やめて……助けてぇ!」
「へっへっへっへ、いくら叫んだって助けなんざ来ねぇよ」
月奈はなにも言わずにその場に突撃した。間の抜けた男の背に回り、そのまま心臓に刀を突き刺す。崩れ落ちる暴漢のひとりを蹴り倒し、そのまま残りの2人に向き合った。男たちはあからさまな狼狽の顔を見せた。彼らは距離を取った。月奈はそれを交互に睨み付ける。月奈が来たことの意味、それは彼らにも分かっているはずだった。
「ど、どぉすんだよぉ……」
「まともにやっても勝てねぇよ! ここは逃げるんだ!」
男たちは脱兎のごとく逃げ出す――
「逃すものかッ!」
だが月奈の方が圧倒的に速い。彼女はあっという間に分かれて逃げ始めたひとりに取り付き、足払いを掛ける、体勢を崩した男の首を容赦なく刎ねた。そしてもうひとりにも追い付き、喉元に刀を突き刺す。
「あ、ああ……」
「早く逃げなさい。外に出れば警察が保護してくれるわ」
月奈は襲われかけていた若い女に言った。彼女は尻餅を付き、茫然自失としていて恐怖のあまり失禁までしている。しかし月奈はまず敵を殲滅しなければならない。ひとりひとりの被害者を匿う余裕まではないのだ。
結局、女はよたよたと走り始めた。靴も脱げ、這う這うの体で去っていく女には同情しかない。
「早くしないと」
ひとりひとりはたいしたことはないだろうが、今回は敵が多すぎる。月奈は駆け、暴れているルナティカンたちを次々と屠っていくのだが、なんともきりがない。それに、月奈の襲来を察知したルナティカンどもは暴れることから逃げることに移行し始めた。警察が完全包囲しているから離脱は難しいだろうが、それでは警察にも犠牲者が出ることは間違いない。それはまったく月奈の好むところではなかった。
「まったく、力を得ても群れてでしかイキれない屑どもが」
月奈は毒づいた。悲鳴と罵声の中心に彼女はいた。そうしている内に、賊の動きがある一定の方向を指し示していることに気付いた。彼らは総じて屋上に向かっている。それはそれで好都合だった。ばらばらに逃げられるよりはずっといい。
モールの中にはまだ生存者は沢山いた。「早く逃げなさい!」と月奈が叫ぶとかれらは狂乱のまま脱出していく。月奈はすこしだけ安心した。人命救助が終わればあとは敵を屠り尽くすだけだ。じつに単純明快。複雑な思考が苦手な月奈にとってちょうどいい状況が出来上がっていく。
「無様なものね。力なきものにしか暴力を振るえないなんて」
そのルサンチマンにより、誰かの幸福を奪おうというなどということは決して許されるものではない。恥を知れ、と月奈は思う。だがこの街にはそんな輩が多すぎる。月奈はそんな下卑たルナティカンをこれまでも散々狩ってきたが、そのたびにムカムカする気持ちを抑えられない。月奈の思想は性悪説に傾きつつあった。人間とは――総じて愚かしい。今日襲われた人たちも、もしルナティカン化すればあちら側にいった可能性もあるのだ。
しかし、そんなことを考えていると――不意に苺の笑顔が脳裏によぎった。
「……そうね」
この世は決して救われない地獄ではない。少女の笑顔はそれを思い出させてくれる。
月奈は戦う理由がひとつ増えたことをはっきりと自覚していた。
彼女は逃げ遅れたルナティカンたちを次々と殲滅していく。刃にはすっかり血糊がこびりついている。とある名工に鍛えられた名刀「桔梗」ではあるが、さすがに最近は切れ味が落ちつつあった。そろそろ鍛え直してもらわないといけないだろう。
そして月奈は無傷のまま屋上に辿り着いた。そこには30人ほどの(それだけ勢力を減じていたのだ)男が固まっていた。その中には怯えた顔をする者もいれば、こちらを蔑むような顔をする者もいた。
その中のリーダー格と見える、がっしりとした長身の男が角材を持って一歩前に出てきた。
「へへ、へへへへ……いくらあの周防月奈だろうが、この数には勝てねぇだろ!」
月奈は肩を竦めた。確かにこれを殲滅することは骨の折れる作業だが、負けることはあり得ない。いくら肉体が頑強になったルナティカンと言えども、訓練もされていないチンピラごときでは、いくら集まろうと物の数ではない。
「めんどくさいわ。さっさと全員で掛かってきて殺されなさい」
「けッ! その余裕がいつまで持つかなぁ!」
月奈は腰を落とした。精神を集中し、神経を研ぎ澄ませていく。心は氷になり、身体は業火と化す。誰も並ぶことのなき最強の存在がそこにある。集中は極度にまで上げられ、次第に周囲の動きがゆっくりに見えてくる。精神が加速していることの証拠だった。彼女は誰に教えられることもなく、その集中法を会得していた。
さあ、始めよう――
そう、思った時だった。月奈が駆けようとした瞬間、屋上に外から跳躍し、飛び乗ってくる人影が現れる。その数10人ほど。
そして、その先頭にはあの男――無貌の仮面がいた。
「我らは月命党である。信念により、貴様らを倒させてもらう!」
仮面は傲然と言い放った。




