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11:天使の涙





 久々にすっきりした目覚めだった。月奈は寝る時もカーテンは掛けないので爽やかな朝日が燦々と差し込んでいる。目はぱっちりしている。なにもしない日は昼まで二度寝する月奈だったが。もう睡眠欲はすっかり充たされているようだった。


 これほどの快眠をもたらしてくれたものは知っている。隣で寝ている苺だ。誰かと添い寝だなんて初めてのことだったが、その威力は素晴らしいものがあった。


 その苺はまだぐっすりと眠っている。穏やかな吐息が彼女にも安眠をもたらしていることが分かった。2人でいることで支え合っていることを月奈は実感した。私はひとりで生きていけると思っていたが、こういうのも悪くはない。じつに悪くない。


 戯れに、月奈は横になっている苺のふっくらした頬をつんつんした。


「えいえい」

「ふぇ」


 ヘンな声を上げてごろんと寝返りを打つ苺。それでも目覚めることはないようだ。よっぽど深い眠りに入っていると見える。月奈は少女が目覚めない内に朝の仕度をしようと思った。


「さて、と……」


 時刻は7時。月奈はリビングに入ってからてきとうにテレビを点けて、まずは軽くシャワーを浴びようと思った。二度寝しない時は朝の準備はしっかりする方でもある。いつになく明朗な気分のまま、生まれ変わったような爽快さを味わう。


 それから朝ごはんの準備だ。朝食だけは自分で作ることに慣れている。といってもがっつり食べる訳ではない。昨日のカレーの余りがあったが、こちらは小分けして冷凍する。作るのはベーコンエッグとチーズトーストである。もちろん牛乳も用意してある。苺がすくすく育つのを願って止まなかった。


 充実した朝は充実した一日につながると思った。


 そうこうしている内に苺が起きてきた。彼女はまだ眠気まなこで枕をもってリビングに入って来た。ボンヤリと柔らかいいつもの表情がさらに呆けて見える。


「ふぁ……月奈、おはよう」

「おはよう、苺」


 苺は枕をソファに置いて食卓に座った。遅れて月奈も対面に座る。ほかほかと湯気の立っている朝食が待っている。2人は同時に「いただきます」と言うと、そのまま朝食を片付けに掛かった。


「うん、おいしい」

「そう? そうだったら嬉しいな」


 苺は嘘を言っているようには見えなかった。元々嘘を吐けるような(それが相手を気遣った嘘だとしても)タイプには思えないが、そのにこにこした顔は額面通りに受け取ってもよさそうだった。


 一通りベーコンエッグとトーストを平らげたら、すでに苺の眠たそうな顔は吹き飛んでいた。それでもふわふわした表情なのだが。


「月奈、今日はどうするの?」

「ええとね、今日は街に出るわよ」

「やった!」


 新生活が始まると、色々と足りないものがあることが分かった。中でも苺は携帯電話を持っていなかった。両親の方針だったのかもしれないが、いざという時連絡を付けられる手段は是非とも欲しい。それから生活用品の数々。そして服である。


 おおむね苺のための買い物に行くつもりだったのだが、月奈は自分の買い物のようにワクワクしていた。


「さ、出掛ける準備をしましょうか」

「うん!」


 そうして2人は外出用の服に着替えた。月奈は紫のミニスカワンピースにコートを羽織るという出で立ち、そして苺も桜色のAラインワンピースである。この日は12月にしては暖かったのでこれで丁度いい。しかしちょっと危ういな、と月奈は思った。苺のスカートから伸びた細い足はロリコンには眩しい色気を感じる。なにもなければいいと思ったが、自分がずっと付いていれば安心か、と思い直した。



        ◇



 女性の娯楽、ショッピング。


 スマホの契約には煩雑な手続きに辟易したが(ちなみに家族契約にした)、苺がとても喜んでいるのを見るとその苦労も報われるのだった。


「ずっと欲しかったんだぁ!」

「スマホ中毒になっちゃだめよ」

「分かってるよぉ」


 などと言いながらも、苺は受け取ったばかりのiPhoneを物珍しくいろいろと弄っている。もちろん電話番号、メール、SNSの交換は欠かさない。これで苺が離れたところにいてもすぐに駆け付けることができる。


 それから昼食はパスタで済ませ、いよいよ服を買いに行くことになった。月奈は苺ほどの美少女ならどんなものを着ても似合うだろうと思っていた。実際その通りだった。山ほどのワンピース、スカート、セーター、ブラウスなどを遠慮なく爆買いし、苺に試着させていった。下着も沢山買った。ほとんど着せ替え人形の扱いだったが、苺は素直に喜んでいた。


 ただ、


「なんで買うだけの月奈がそんなに楽しそうなの?」


 と訊かれると返答に困った。月奈は苺で遊んでいる罪悪感があったからだ。月奈は曖昧な笑顔で誤魔化した。苺はただ「ヘンなの」と言ったきり。それ以上の追及はしなかった。


 月奈は絶好調だった。これまで久しく感じていなかった漲りに満ちていた。そして苺も元気である。まったく向かうところ敵なしの2人は繁華街をずんずん進む。


「今日はどうして耀司さんがいないの?」

「あいつ、今日はどうしても外せない用事があるからだってさ」


 それは特に珍しいことだった。月奈の誘いなら最優先で乗ってくる彼が。そういえば彼が月奈といない時はなにをしているのか、それが謎だった。これまでは特に気にしてもいなかったが、苺にそんなことを言われて妙に気になり始めた。


「ひょっとしたら彼女とかいるのかもねえ。あいつも中々イケメンだし、性格も悪くないし、それくらいいても不思議じゃないよね」

「月奈はそれでいいの?」

「だーかーら、私はあいつにはなんの感情もないんだってば」


 月奈がそう言うと、何故か苺はがっかりしたような顔を見せた。自分は恋をしたことはないが、他人の恋愛には興味津々――それは苺に限らない、女の愚かしい習性である。


 ともあれ、使い勝手のいい荷物持ちがいないので、今日は月奈が両手に紙袋をいっぱい下げていた。おもちゃやゲームも買った。


 そんな感じで街遊びを楽しんでいた2人だが、やがてなんだか苺がもじもじし始めたので月奈は訊ねた。


「どうしたの? 苺。気分悪い?」

「ええと、そうじゃない」

「じゃあなにがあったの?」

「……おしっこ」


 なんだそういうことか、ということで月奈は公衆トイレのある公園へと向かった。疲れは感じてはいなかったが、すこし一息いれたいところでもあったので苺の尿意は渡りに船だった。


 よほど我慢していたのか、苺は内股になりながらいそいそとトイレに向かった。月奈はブラック無糖の缶コーヒーを買い、適当なベンチに座って彼女を待った。荷物を置いて、自分でも呆れるほど買ったなぁ、と感慨に耽る。


「こういうのも、悪くないのかもね……」


 いくらルナティカン退治が楽しいと言っても、日々闘争ばかりでは心が荒んでしまう。こういった日常はとても大事であり、素敵なものだ。それに苺が加わり、月奈はさらに潤った気持ちだった。彼女は私に降り立った天使のようなもの――と言うには、あまりにも無惨な悲劇に見舞われた苺に失礼だろうが。


 そんな感じで待っていたのだが、どうもただのおしっこにしては戻ってくるのが遅い。なにかあったのかもしれない、と思って迎えに行くと、苺は脂ぎった小太りの中年男に手を引っ張られていた。


「やめて、やめて」

「ウヒヒヒヒヒ、こんなところで子供がひとりでいるのはいけないなぁ。おじさんが教育してあげようね。ウヒヒヒ」


 紛うことなきロリコンの変質者である。月奈は思わず舌打ちした。苺のような美少女なら狙われる危険性はいつでもある。ちゃんと私が張っておくべきだった。


「そこまでよ! その子を放しなさい!」

「けっ……なんだよ。保護者がいたのかよ。でも女か」


 月奈が考えたのは犯人が人間か否か、ということである。ただの人間ならボコボコにして警察に突き出すだけである。だがルナティカンなら――


「女ひとりが俺を止められる訳ねーだろ!」


 男は苺を放し、そのまま猪突猛進とばかりに月奈に突撃してきた。その衝力は馬鹿にできるものではなく、軽く3メートルほど月奈を吹き飛ばした。自分にあるまじき失態を恥じたが、これではっきりした。敵はルナティカンだ。苺を人質にとってなにか交渉をするということもしないということは、暴力だけでなんでも解決できると思っているのだ。


 ならば容赦はしない。


「あんたは不幸ね。それに馬鹿だわ」


 月奈はスカートを捲り上げ、足に巻いている短剣を抜いた。四六時中刀で武装している訳にはいかないが、どんな不測の事態があるか分からないので、これだけは肌身離さず持ってきているのである。


「月奈!」


 苺が叫ぶのと、月奈が跳躍したのはほぼ同時であり、そしてほんの一瞬だった。一気に距離を詰めると、男の茫然とした顔をみながら迅速に喉にナイフを突き刺す。男にとってはなにが起こったのか分からないままの絶命だっただろう。そのまま血を吐き、崩れ落ちる。彼の敗因はただひとつ、周防月奈を知らなかったことだ。


 また面倒なことになったな、と月奈は思った。これでまた宇田の世話にならないといけない――と思っていると、苺が男の死骸にしゃがんですり寄っているのが見えた。よくみると涙を流している。


「おじさん、死んじゃった……」

「死んで当然だし、死ぬしか罪を贖う方法はないのよ、こいつらには」

「でもでも、殺しちゃうのは……」


 無垢な苺にはショッキングな光景だったのだろう。月奈は判断を間違えたかな、と思った。私はすっかり慣れて、感覚がマヒしている。どれだけ悪辣なルナティカンでも――死は死なのだ。


「あたし、月奈には誰も殺して欲しくない」


 苺を傷付けてしまった、と月奈は落ち込んだ。それでも彼女はこう言うしかなかった。


「それでも私にはこうすることしかできない。自分が生きるために」


 それを苺に分かってもらえるのはいつになるだろう? それは誰にも分からなかった。それでも月奈は自分の生き方を変える訳にはいかなかったのである。

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